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第67話 残された小指

 翌朝、近衛の制服に着替えようとしていると、部屋の扉がノックされ、侍従たちが二人訪れた。 「ハーウッド卿。本日お警護はお休みとのことでございます。  マルグリッタ王女殿下がお呼びですので、お召し替えを手伝わせていただきます。」  端的な言葉に、いよいよだと息をのんだ。  思わず腹に力がこもり、昨日ジェスにつけてもらったばかりの臍飾りを意識した。 「承知しました」  朝食を済ませたあと、グエンは王女殿下がお待ちのガゼボへと案内された。  ガゼボがある庭園には鮮やかな花が咲き誇り、王女殿下の可憐な佇まいと競い合うようだった。  グエンの姿を認めて、殿下のお顔が綻ぶ。 「ハーウッド卿。来てくれて嬉しいわ。今日はもてなされてちょうだいね」  席を勧められ、一礼して座ると、王女殿下は思いがけず手慣れた様子で茶を淹れ、グエンの前へカップを置いた。 「大変恐れ入ります」  まさか、殿下が手ずからお茶を淹れてくださるとは思ってもいなかった。  手慣れたご様子から、普段でも自らなさっているのだろう。  こうした振る舞いも、ごく自然にこなされる方だということは、もうグエンにもわかっていた。 「いいのよ。冷めないうちに召し上がって。  この庭園はお花の香りがとてもよいから、お茶を楽しむのなら爽やかなものがいいかと思ったの。  だから、少しミントを入れてみたのよ。口に合うかしら」 「殿下のお気遣いに感謝申し上げます」  だから、自然と微笑んでお礼を申し上げることができた。  カップを手に取り、一口含む。  ほんの少し甘みのあるにおいが鼻先をかすめて、その後華やかな茶の香りが口に広がり、最後に爽やかなミントが喉の奥をすすいでいく。  庭園に広がる花々の香りを、一瞬忘れさせてまた馴染ませる、見事な見立てだと感じた。  こちらを見る殿下に、おいしいですと伝えると、殿下は心持ち姿勢を楽にして微笑まれた。 「ふふ。……よかったわ」  そうして殿下もカップを手に取り、ほんのひと時、二人の間には静けさが訪れた。    やがてカップをテーブルに戻し、王女殿下がほんの少し居住まいを正された。  グエンも、背筋を伸ばして腹の下に力を入れ、殿下に向き直る。  王女殿下はグエンのその様子を見て、ほんのりと苦笑いをした。 「ハーウッド卿。……あなたは、とても無欲な方ね」 「無欲。……そうでしょうか」  言葉の意図を掴みきれず控えめに聞き直すと、殿下は一つ頷いて、グエンの背後に目を向けた。 「わたくしは、成人に伴いこうして見聞を広めるため、諸国を訪問させていただいています。  私自身が、周辺国の状況や政治のあり方を学ぶ。そうしたことももちろん目的ですが」  そのまま、花々の姿を目線でなでながら少し首を巡らせた殿下は、ガゼボから少し離れたところで目をとめた。 「こうして各国でお会いする方々の中から、私の伴侶にふさわしい方を探し、国へ連れ帰ることも目的のひとつです」  殿下の目線の先を追うと、そこには近衛の騎士が一人立っていた。  ガゼボの会話が届かない、こちらを視界の端に収める程度の、控えめな距離が、この場での近衛の立ち位置だ。 「ルイアナ国王陛下は、私の目的に合わせてあなた方をご紹介してくださいました。  特にハーウッド卿。あなたは、配置換えまでして私につけてくださった」  そうよね?と殿下が首を傾げて、グエンはその通りでございますと答えた。 「大抵の方は、そうしたことがあると皆少し態度を変えて私に接するのよ。  例えばよく話しかけてくださるようになったり、警護の間熱い視線を送ってくださった方もおられたわね」  その言葉に思わず息をのみ、殿下のお顔を見てしまった。  いくら婚約者候補として選定したとはいえ、そのような不躾な振る舞いをされれば殿下だって居心地が悪かっただろう。  その思いが顔に出ていたのか、グエンの顔をちらりと見た殿下は面白そうな顔をなさった。 「いいのよ。つまり、それが見極めということですし、だから私も判断できるのだわ」  殿下は、ほんの少しだけいたずらっぽく笑うと、だからね。と言葉を続けた。 「あなたは、私に対して態度を変えませんでした。  節度を持った近衛の騎士の距離を保ち、昨日は二人きりのデートまで用意したのに、あなたったら結局ずっと生真面目な騎士だったわ」 「それは、……その」  デートだった。と明かされて、面食らったまま言葉を続けられないでいると、殿下は少しだけ首を振ってグエンの言葉を止めた。 「いいのよ。つまり、あなたは私に興味がないし、私の伴侶という場所にも興味がない。  なぜなら、あなたにはもう他に守るべきものがあるから」  そう言うと殿下は、ご自身の手のひらを見下ろした。 「あなたは魔法騎士だわ。この国を愛している。」  親指を折る。 「もちろん、国王陛下のことも敬愛しておいででしょうね」  人差し指。 「魔法騎士の立場と、あなた自身のお仕事を誇らしく思っていることも、あなたと話していてわかったわ」  中指。  それから少し首を傾げて、殿下は上目遣いでグエンの顔を見た。 「それから、他の方から伺ったのだけれど。……娘さんがいるのよね。  奥様と離縁なさっても、きっと娘さんはお可愛らしいのだわ」  そう言って、薬指も折り曲げた。  小指だけが立った手を見下ろした殿下は、もう一度グエンの顔を真正面から見つめ直した。  その小さな口が、開く。 「ハーウッド卿。あなたが大切にするものと同じように、私の国のことも、大切に思っていただくことはできないかしら。  私ときてくださるなら、あなたが、人々をよりしっかりと守ることができる立場に押し上げることもできるわ」  そう言って王女殿下は、残された小指を、もう片方の手のひらでそっと包み込んだ。  

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