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第八章 眞の表裏(5)
脱いだ制服を畳んで端に寄せられた机の上に置く。「ポーズは?」と尋ねると、「長くなるから楽にして」との返事。
そんなにかかるのかと思いながら、出来るだけ身体の力を抜いて椅子に座る。
かなり気恥ずかしい。
けれどもその気持ちは銅音の表情を見たら吹っ飛んだ。真剣な眼差し。俺が知る銅音は真面目とは縁遠く、いつも気だるげに頬杖を付いて授業を受けているような奴だった。そのくせ先生に当てられると、すらすらと答えてみせるような不思議な奴でもあった。それがこんなに熱意に満ちた顔付きで、俺を描こうとしている。
銅音の迫力に呑まれた俺はいずまいを正した。
クロッキー帳に鉛筆を滑らせていく銅音の迷いのなさに、彼の描ける喜びが詰まっているようだ。その真剣な表情を眺めていると、自分のコンプレックスが酷く小さなものに思えてくる。筋肉がないなんて嘆いていた自分が恥ずかしい。デッサン用の塑像を描くのにもう飽きたと云っていた銅音。彼にとって俺は新たなインスピレーションを与えてくれる題材そのものだったのだ。
外から響いてくる部活動の音をBGMに、俺は一心不乱にデッサンに取り組んでいる銅音を見つめ続けた。可憐という言葉が似合う城石望海という少年は彼の手でどんな風に描かれるのだろう? 暫くもすると、俺の中に出来上がりを楽しみにする余裕が出てきた。それは銅音が絵を描くという行為に真摯に向き合っているからこそ生まれた期待だった。
無言の時が続く。
徐々に太陽が西に傾き、工作室の壁が朱鷺色に染まった。どのくらいの時間を座っているのかわからなくなった俺が、銅音に時間を尋ねようと思った矢先、「出来た」と銅音が席を立ち上がった。
「ホント?」
「ああ、一枚目だけど」
「まだ描く気なの?」
俺は銅音の言葉に目を瞠った。
工作室の時計を振り返ればもう十八時近い。今から二枚目という訳にはいかないだろう。しかも金曜の銅音は珠算の習い事がある。と、いうことは――と考えていると、銅音が俺の考えを裏付けるように言葉を継いだ。
「今日は遅いから、また来週」
「何枚描く気なの」
「三枚くらいかな。その後にカンバスに描く」
「えー。大事になってない?」
参ったなあ。俺は頭を掻いた。ちょっとしたお礼のつもりだったのに、本格的にモデルをやらなければならないようだ。
「描かせて」
手首に巻いた包帯を指で指し示しながら、銅音が押しの強さをみせてくる。俺は言葉を詰まらせた。利き腕に怪我をさせてしまった以上、ありきたりなお礼の気持ちだけでは確かに足りない。
「わかったよ。けど、その前に今日の分見せて」
俺は席を立ち上がって、銅音が手にしているクロッキー帳を受け取った。
髪の毛一本まで丁寧に描き込まれた精緻な絵。まるで鏡を見ているようだ。可憐な望海の顔。けれどもどこか芯の強さを感じさせる……。
銅音には俺の姿がこう見えているのだ。それが真っ直ぐに伝わってくる。
正直、上半身の筋肉のなさまで再現されているのには思うところがあったりもしたけれども、だからといって、なよっとした感じとはまた違う。華奢な部分はそのままに。そこに男性性をきっちり落とし込んできたような、そんな趣きのあるデッサンだった。
「凄い。俺だ」
「そりゃあ、そう」銅音が笑った。「城石を描いたんだし」
「ここまで描いてくれるとは思ってなかった。ありがとう」
俺はクロッキー帳を銅音に返した。そして制服を着るべく、荷物を置いた机に向かった。
「城石」
「なぁに」
「ここ」
俺の背後に立った銅音が、俺の右の脇腹を指でちょんちょんと突いてくる。何だろうと思いながら俺は自分の右脇腹を見た。そして驚いた。背中に近い位置に紅斑が刻まれている。
一成だ。
全身から汗が噴き出てくるような感触。背中を伝う冷たいものを誤魔化すように、俺は銅音を振り返った。
「何だろうね。どこかぶつけたかな」
「昨日の怪我じゃないよね。誰?」
特徴的な赤味は、怪我と云い張るには色鮮やか過ぎる。それに銅音は気付いているようだ。「城石、恋人いるの?」と、俺の顔を覗き込んでくる。
「はは……ま、まあ、ちょっとね……」
「教えて、誰?」
真優は銅音には俺のことを内緒にしてくれているようだ。それがわかるだけに、俺はどう返答するか悩んだ。一成に一臣、そして相馬。まさか候補が三人もいるとは云えない。
かといって、ひとりの名前を出すのも、残りのふたりが面白く感じないだろう。
そもそも、真面目にデッサンをしている姿に忘れていたが、銅音だってハーレムの一員になる予定のキャラクターなのだ。今の段階で俺に好意を抱いていてもおかしくはない。その銅音が俺の恋人が男だと聞いたらどうなる? 出来れば相手をするのは三人に留めておきたい俺としては、ここで銅音を刺激するのだけは避けたいところだ。
「俺の知ってる子?」
「ちょ、ちょっと待って、銅音」
俺の両手首を掴んできた銅音が、顔を間近にして「やだ」と云う。
「ち、近い。近いよ、銅音」
「城石、鈍い」
口唇にかかる息は、薄荷の匂いがした。
「……好きだよ」
口唇に感じる柔らかい感触が銅音の口唇であるのは見ずともわかった。
俺は焦った。このまま流されるのだけは避けなければ。けれども、身体を引こうにも俺の手首は銅音にがっちりとホールドされてしまっている。その上で、繰り返し俺の口唇を啄んでくる銅音。どうにかしなければ。俺は銅音が口唇を離した瞬間を狙って言葉を吐いた。
「ふぁ、待って。待って、てば、銅音」
「待ちたくない」
「駄目だって、こういうの」
「俺のこと、嫌い?」
「嫌いとか好きとかそういうんじゃなくて」
「なら、城石。デートしよ」
「デート?」
突拍子もない提案に、俺の思考が止まった。
ゆっくりと視線を動かして、銅音の様子を窺う。伊達や酔狂で口にしているのではなさそうだ。間近にある銅音の顔は真剣そのもので、彼が俺を好きだと云っている言葉に嘘がないことが伝わってくる。
「そ、デート。それで俺のことどう感じるか判断してよ。男ってだけで振られたくない」
その言葉に俺の胸が痛む。
どうやら銅音は俺の恋人が女の子であると思っているようだ。どうしたものか。俺は断る口実を必死になって探した。まさかここで恋人が男三人だと暴露する訳にもいかない。そんなことをしたら焼け木杭には火が付くってことぐらい、幾ら恋愛音痴な俺でもわかる。
「ね、城石。先ずはお試しで一回、デートしよ」
「で、でも、俺には恋人が」
「大丈夫。男ふたりでしょ。疑われないって」
これはデートをしないことには引いてもらえなさそうだ。銅音の態度にそう感じた俺は「わかった」と頷いて、こう続けた。「だけど、俺が銅音をいいと感じるかはわからないからね。もし駄目だったらちゃんと引いてよ」
「うん、わかった」
途端に広がる喜びの色。本当にわかっているのか不明な表情を晒している銅音に一抹の不安を覚える。
だってそうだろう。俺の中では、同人誌内の銅音と望海の性行為 はかなり過激な印象だ。デートなどという甘酸っぱい展開になったからといって油断は出来ない。大体、監視役の一成と一臣からして当てにならないのだ。銅音とそういう展開になったが最後、このふたりは自分たちの優位性を示す為に混ざってくることだろう。
本当に大丈夫なんだろうか。俺は心の片隅に巣食う不安を拭えないまま、銅音とデートの日取りを決めて、それをどう一成と一臣、そして相馬に報告しようか考えながら帰途に就いた。
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