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第34話 深夜の秘め事

 翌朝、俺はエルンストとミヒャエルと三人で王都フグルーアへ向けて出発した。  ライナーはいまだ騎士団たちに帯同しているらしく、朝になっても戻ってこず、回復していたイジドーアは敢えての思惑で残してきたため、逃亡したヨハネスもあらずの三人での旅路となった。  正体を知られている二人だから楽であるはずとの期待は見事に裏切られ、不機嫌なミヒャエルに耐え忍ぶ往路のほうがどれほど楽だったかと何度もため息をつかされた。  エルンストはすべてを承知しているからと、ミヒャエルは遠慮会釈なしにべたべたとくっついて離れないし、宿の部屋も俺と二人きり、室中ではフランツに戻るよう訴えて、でなければエルンストのいる隣室に剣を持って行くと脅される始末だった。  たちが悪いどころではない。トイファーのときの比ではないほど面倒だった。  ようやく王都へ戻って来たときには、世界征服なんて無理かもと肩を落とすほどに疲弊していた。  助けになるというミヒャエルの存在がむしろ目の上の瘤になっている。  それは、邪魔立てし、疲弊させてくれるだけでなく、俺の感情の行き所がなくなることも理由だった。  正体が気づかれていたと知る寸前に、あいつに対して愛を覚えてしまった、その名残が未だに残っているのである。  一度明確に意識してしまうと、なかなか拭い去れないものらしい。恋をしたのは初めてのことだったので、こんなにも自制できないものだなんて知らなかった。  ミヒャエルが俺を愛しているのは、前世の記憶が引きずられたからに過ぎず、ましてや純粋な気持ちからではなく、人形のごとく欲望を詰め合わせたからである。  理性的に考えずともわかっているのに、身体が言うことを聞いてくれない。  見るだけで緊張し、笑みを向けられれば嬉しくなり、触れられたら熱くなる。同じ空間にいるだけで心臓がバカみたいに踊り狂ってしまう。  会わないようにしようと決めても、会いに来るから意味がない……だけでなく、俺自身も会いたくなってしまうのである。  信じられない。  魔王なのに、世を脅かす存在であるはずが、ミヒャエルの反応に怯えて、一喜一憂するあいつに振り回され、自分が自分ではないように思えてならない。  この状態で王政を打倒しようなんて無謀なのではないかと、泣きたくなるほどだった。  しかし、である。  俺は魔王なのに、ではなく魔王なのだから、アホのヨハネスのように泣き言なんぞ言ってはいけない。  ミヒャエルのことは利用するだけの存在であると割り切るべく努力をし、自らを奮起させ、目の前の目的に意識を向ける。  そう決意を固め、とりあえず、次の作戦に進むべくヨハネスには国境の街ハルシュッフへと向かってもらうよう命じ、俺のほうは王城へと通って、王太子夫妻の動向を見守ることにした。 「トイファー神官、ナウマン神祇官がユーア教会から離任されて、現状のところ問題はありませんか?」 「お気遣いいただきありがとうございます、殿下。新任のフリッチェ神官長は優秀なお方ですので、以前と変わりなく務めさせていただいております」 「それはよかった」 「……以前ご同僚でいらした、ギースベルト神官がフランツだったのでしょう? 同じ屋根の下に魔王がいたなんてぞっといたしますわ」 「ええ。まさかのことでした。未だに信じられません」  ミヒャエルは、俺が他の男になびかないよう安心したいという理由で、二人の関係を表に出したいと再び訴えかけてきた。  以前は頑として譲らなかった俺も、諦念と思慕の入り混じる複雑な感情を処理するのが面倒になり、自由に王城を出入りできるのも楽だと思いつき、しぶしぶと見せかけて快諾することにした。  そのため、ミヒャエルは大手を振ってトイファーをパートナーのごとく扱うようになり、ハンスとアグネス王太子夫妻も気安く食事に招いてくれるようになったのである。 「その話をすると、思い出すから勘弁願いたい。あのときは大変申し訳ありませんでした」  ライナーも、誤認逮捕した負い目があるのか、以前とは打って変わって態度を和らげてくれている。   「とんでもないことでございます。クッシュ様のお陰で、彼の正体に気づくことができたのですから」 「そうだ。ダグラスの言う通りライナーのお陰だよ」 「それに、ミヒャエルが神官の御心を掴むことができたのも、その件が発端だったのでしょう?」  アグネスからの冷やかしにも、ミヒャエルは余裕の笑みを返した。 「そのとおり。愛は想うだけで十分だと言っても、返していただけるのなら幸福に違いないのだから」 「そうね。それはわたしも同感だわ」 「アグネスのほうも幸福だろ?」 「……ええ、もちろん……」  新婚のアグネスは幸福の絶頂であるはずなのに笑みを陰らせた。  それを目にしたミヒャエルは、王太子夫妻の前であるのもはばからず俺の手を取り、甲にキスをして、満足げな笑みを彼女に向けた。  そのまるで煽るかのような所作に、俺は恥ずかしさで居た堪れなくなるよりも、おかしくなって吹き出してしまいそうだった。  佐倉(こいつ)も、当然ながら聖女様がご乱心であることを知っている。初夜のために俺の血を求めるようシナリオをつくった上司(あのゴミ)に対して、よほど腹が据えかねているらしい。 「そういえば、イジドーアは引っ越しをしたんだろう?」  ハンスからの問いに、どこかへ考えを散らしていたらしいイジドーアがはっと顔をあげた。 「……そう。大したものではないが、郊外に邸を買ったんだ」 「邸だなんて思い切ったな」 「……ああ」 「あら、イジドーアにもまさかいい人ができたのかしら?」 「えっ? いや、そういうわけじゃ……」    キセガセ村から戻ってきたイジドーアはずっとこの調子だ。  仲間と顔を合わせるのも週に一度、定期的に開いているこの食事の席だけとなり、他に誘われても疲労を理由に断るばかりで、仕事も過分なほどだったのが与えられた分をこなすのみ。日がな一日ぼーっと過し、手紙ばかりを書いている。  アグネスが聞くまでもなく、恋煩いをしているのは一目瞭然だった。 「明日は、ハルシュッフへ向かうんだよな?」  ハンスから問われ、ミヒャエルは顔を曇らせた。 「……ああ。不法ポーションが隣国から密輸されているとの通報があったんだ」 「兆候なんてなかったのに、突然の話だな」 「ああ」 「フランツが関係しているかもしれないわ」  興奮した様子のアグネスが割って入ると、ミヒャエルは冷めた目を返した。   「……まさか」 「時期的にもちょうどじゃない? キセガセから逃げて、今度はハルシュッフで暗躍しているのかもしれないわ」 「確かにその可能性はある。キセガセなんて何もない村に攻撃してきたのも、もしかしたら盗賊団との諍いが原因かもしれない。密輸業者ともいざこざがあってもおかしくないな」  ミヒャエルは、ライナーの言葉にも冷ややかな目を返しただけだった。  この遠征で俺と一週間も離れなければならないことが嫌で仕方ないらしく、タレコミがあってから、この話題になるとずっとこの調子なのである。  一神官がそんな大捕物についていくわけにはいかないし、騎士団長としての仕事なのだから仕方がないというのに。  ◆ ◇ ◆ 「ねえ、ハンス……まだ、その……だめなの?」 「……アグネスには悪いと思っている。男としての面目が立たないが、こればかりは自分の意志でどうすることもできないことなんだ……」 「わたしじゃだめってことなのかしら」 「そんなことはない。わたしは今まで誰とも……アグネス以外を愛したことはない」 「それが原因かしら?」 「なに?」 「その、誰にも恋心を抱かないよう戒めていたんでしょう? わたしに出会うまでは。その気持ちが強くて、とか」 「……確かに、それはあるかもしれない」  結婚して四ヶ月、とうとう事実に突き当たったらしい。  二十代前半で勃起不全だなんてあり得ない設定を自然にするため、あの上司が捻り出した言い訳は、生真面目すぎるという性格だった。他の攻略対象者たちの場合もそれらしき理由が考えられてはいたが、どれも大したものではない。  ただ、こればかりは上司に感謝をしたい設定だった。  俺が現実に生きている世界の相手がハンスだったことは天の恵みなのだが、そう言える理由はこの設定にある。単にエバーアフターモードで機能するだけでなく、俺の目的のために有効な性質でもあったからだ。 「魔王が城の中をうろついているのは危険ですよ」  息が止まるかと思った。 「……ミヒャエル」 「あなたがいなくなっていたことに気がつかないとは不覚の至りです」  背後を取られてばかりの俺は、透過術の使えない場所でこんな真似はしないほうがいいかもしれない。  いくら関係が公認になったとはいえ、王城に泊まるのは気が引ける。ミヒャエルの部屋に来ても夜にはユーアへ帰るようにしていたのだが、出立の前日だからという名目で今夜は泊まらせてもらっていた。  これ幸いと王太子夫妻の寝室に聞き耳を立てようと目論んだ俺は、ミヒャエルを熟睡させるべくマグロを決め込み、疲れ果てるまで攻めせたのである。そのはずが、まさか数十分と経たずに目覚めるとは思わなかった。 「目的をお教えいただけますか?」  部屋へ戻ってきても当然安堵などできない。  どう説明したものか。 「目的なんてものじゃない。ただ、我が家だった城をこっそり懐かしみたくて」 「そんな言い訳を信じるとでも? 『魔王の血清』の使い道を探っていたのでは?」 「それは、俺の血のことか?」 「ええ。あなたが脱獄するのに利用したものです」 「使い道ってなんのことだ?」 「わたしにも隠すのですか? 協力すると申し上げているのに」 「隠していることなんてあるかよ。ミヒャエルのことは誰よりも信用しているっていうのに……」  こういったことを言うと、ミヒャエルは嬉しげに頬を染めるはずなのだが、今はなぜか眉根に寄せた皺を伸ばすことも、悔しげに歪めた口元も緩めようとしなかった。   「……あれは魔族には効かないはずです。なぜ効力にお気づきになられたのですか?」 「それは、俺が怪我をして、あの看守がたまたまそれを舐めて……」 「どういった状況で口に触れるのでしょうか。想像できかねます」 「いや、舐められてはいなかった……最初は、怪我をしたときの血の匂いで」 「襲われたのではないのですね?」  襲われた……というのは、暴行されたという意味だろうか。魔王相手に看守が殴るというシチュエーションならあり得るかもしれない。 「恥ずかしい話だが、実はそうなんだ。俺としたことがだが、血が出るほどやられてしまって」 「……まさか」  いきなりというほどの勢いでミヒャエルから殺気がたぎった。いつものあれだが、いつもの比ではない。  嫉妬ではなく暴行でもキレてくれるとは、意表を突かれた。なんせかつては文字通り殺し合いを演じた者同士だ。 「それは……どれほど……」 「いや、大したことはない。ただ、手枷のせいで抵抗できなかったから、それで味をしめて何度も、というのは苦痛だったが」  週に二度も血を吸われたら不快どころではない。思い出すだけでも腹立たしい。   「……そうですか」  ソファに並んで座っていたミヒャエルは立ち上がり、寝間着用の軽装から騎士団長の制服に着替え始めた。   「なにしてんだ?」 「フランツはお休みになられていてください。わたしの部屋から出ないようにだけお願いいたします」 「どこに行くんだよ」 「そう遠くはありません。すぐに戻ってまいります」 「だから、どこに行くんだ?」 「……おやすみなさい」  ぞっとする笑みで俺にキスをして、愛剣を手にミヒャエルは出ていった。  まさかあいつ看守(ぶた)のところに行くんじゃないよな……

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