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幸せになれ!-7-※

 食後、腹が落ち着いた頃に幸汰が風呂を用意してくれた。  何時もシャワーばかりの俺は喜んで湯船に浸かり、全身疲労を回復していると突如風呂場の扉が開き幸汰が入ってきた。 「お前ちょっと気ぃ早過ぎ。あと五分くらい待っててくれれば出たのに」  あははっと笑いながら立ち上がり、浴槽から出ようとするが、二畳半分ほどの広さしかない狭い風呂場に逃げ出す隙などあるわけもなく、幸汰に難なく捕獲されてしまう。 「幸汰。ここは狭いしせめて部屋でしない?」 「そうだな」  同意は得られたのに何故か腕を離してもらえない。 「だが、まだ洗い残しがあるだろ?」  そう言って空いている手で俺のケツを鷲掴み、力が込められる。  そっ、ソコ!? 「えっと、自分で洗うから。大丈夫だから」 「白神。俺達付き合ってんだよな?」 「へ? あ、うん。それが……」 「恋人である俺が洗っても問題ないよな?」  は!?  どんな理屈だ! 「だっ、駄目駄目! 無理無理! 絶対無理!」  言葉と共に首を左右に振って駄目だしをするが、幸汰は掴んだ腕もケツも離す事をしない。  それどころか顔を近付け、俺の唇を食はんだ。  反射的に歯を食い縛ると、幸汰は俺の唇を舐め、吸い、噛んだ。 「口開けろって」  幸汰の命令に弱い俺だが、必死に歯を食い縛ったまま首を振る。  すると幸汰は楽しそうに喉の奥で笑い、耳朶を食はんだ。小さな悲鳴と共に身体を震わせるとそのまま首筋に舌を這わせ、ねっとりと舐められる。  甘い感覚から逃げようと身を捩るが、直ぐに捕まり執拗に嬲られる。  鎖骨から首筋を伝い顎先へ舐め上げられ、感覚を逃がすように口を開くと狙い定めていたように舌が潜り込んで来た。  上顎を舐められ腰が揺れ、口を大きく開くと粘膜を歯茎を歯列を余すところなく舐め回され、ガクガクと腰が振るえ、膝が落ちた。  口腔を蹂躙していた舌を引き抜くと耳へ唇を側寄せ低音の声で囁く。 「洗ってもいいよな?」  駄目だと断ればこの甘い拷問を永遠に繰り返すと笑いを含んだ声が暗にほのめかしている。  そんなところを洗われるなんて冗談ではないが、了承しない限り続くのかと思うとゾッとする。  今更指くらい何でもない。ちょっと恥ずかしいだけだと自分に言い聞かせる。 「好きにしろ」  なかばやけっぱちな気持ちでそう吐き捨てるが、この言葉をものの数秒後に後悔する俺だった。  洗うという名目の下、散々ケツをいじくられ、指だけでは物足りなくなった俺は自ら懇願し、そのまま風呂場で一回。ベッドに戻ってから二回してしまった。  オナニー覚えたての猿か俺は。  自分に突っ込みを入れつつ、起き上がる事もままならない重だるい身体でベッドを這い出るとハイハイで入り口へ向かう。ドアの取っ手に手を伸ばすが届くより早く扉が開かれる。 「どうした?」 「トイレ!」  余裕しゃくしゃくの幸汰に苛立たしげに訴えると、軽く持ち上げられ運ばれた。  トイレを済ませ、腹が減ったと訴えればやはり姫様抱っこでリビングまで運ばれソファに座らされた。  少し待っていると先程食べ残したチキンやスープ。即席で作ったピラフがテーブルに並べられた。 「食べないのか?」  食い物を目の前に睨んだままの俺を怪訝な顔で見る。 「食べる」  出来立てほかほかのピラフの皿を掴むとスプーンで救い、口へと運ぶ。  イケメンな上に料理が上手いなんて反則だ。ズルイ!  訳の分からない文句を心の中で呟きながら一口。また一口とピラフを頬張りながら俺は泣いていた。 「白神!?」  アホみたいにボロボロと涙を流す姿に驚きから目を瞠った。 「どうした。何処か痛いのか? それとも……」  俺が泣く理由に心当たりがある幸汰は普段無表情に等しい顔に狼狽えを見せる。  俺は口の中のピラフを飲み込むと、キレ気味に吐き捨てた。 「幸汰が優しい!」  何を言われたのか理解できない幸汰は無言のまま固まった。  俺は洟を啜りながら、震える声でもう一度訴えた。 「幸汰が優しいんだよ」  今度こそ何を言われたか理解した幸汰は溜息を吐いた。 「あのな、お前の中で俺がどんな鬼畜野郎として登録されているか知らないが、俺は……」 「知ってる! 三年間お前を観察し続けた俺だぞ。お前が優しい奴だって、ちゃんと知ってる!」  そう。幸汰は優しい。  群れず、一人飄々としていたが、クラスでの用事など頼まれれば大概の事は引き受けていた。  愛想が良いとは言えないが、誰とでも気さくに話し、冗談を言い合っていた。  女の子に告白され、相手を傷付けないように言葉を選んで断っている姿を何度となく目撃した。  特定の人間と深く関わる事をしない代わりに誰とでも浅く優しく接していた幸汰。  ただ何事にも例外はある。  ヤンキーの俺にクラスの連中と同じ対応をするとは思えなかった。  厄介事に巻き込まれないようにと敬遠されるかもしれない。  お早うと挨拶をして無視されたら……。  名前を呼んで迷惑そうされたら……。  好意がバレて冷ややかな目で見られたら……。  想像しただけで萎縮してしまった。  喧嘩相手に臆した事はないが、好きな相手に対して俺はビビリだった。  だから現実の幸汰と向き合わず、妄想の世界に逃げ込んだ。  ほぼ毎日のように学校から帰るとその日見かけた優しい表情を言葉を思い出し、脳内で相手を自分に変換し悦に浸っていた。けれど、翌日学校へ行き、たった一言も交わす事も出来ない現実に打ちのめされた。  妄想と現実の落差に何度となく落ち込み、もしも現実が今以上に悪くなったらと負の仮定に怯え、妄想の世界の幸汰を酷い男へ作り変えた。  心無い言葉を投げつけ性処理の道具として扱われる妄想にくらべ、言葉一つ交わせない現実の方がましだった。  もしも現実で酷く冷たい対応をされても妄想と重なるだけで、差はない。  そうやって傷付かないように自分を守ってきた臆病でバカな俺は、酷い扱いをされる覚悟はあっても、優しくされる心の準備はない。  好きだなんて……。  付き合うだなんて……。  優しいとか甘甘なんて……。  想定外過ぎてキャパオーバーだ!  そう訴えると幸汰は複雑な顔をした。 「お前、だいぶ拗こじらせているな」 「悪かったな。ズビッ……」 「確認だけど、妄想世界の鬼畜な俺が好きなんじゃないんだな?」 「うん。……グスッ」 「酷い扱いより優しくされた方が嬉しいんだよな?」 「そんなの当たり前……ズズズッ」  洟を啜り、止まらない涙を拭って答える。 「あんまり擦るなよ。腫れるだろうが」  幸汰は俺の顔を持ち上げ、袖を押し当てるようにして涙を拭いてくれる。 「セックスの時は結構意地悪しちまうけど、俺は基本甘やかしたがりだからな」 「うん」 「慣れないなら少しずつ慣れればいい」 「うん」  再び溢れ出る涙をそのままに唇が重ねられた。 「もう、あんまり泣くなよ。またヤりたくなるだろ」 「ハハッ。それはちょっと勘弁な。しゃれにならないくらい足腰きているからさ」 「仕方ねぇな」  頬に悪戯っぽいキスを落とし、幸汰はソファと俺の背の間に無理矢理その巨体を割り込ませて座ると俺を抱え込んだ。 「ピラフ取って」  テーブルに戻していた皿を取り渡すと、スプーンで一掬いして俺の口の前に持って来た。 「まだ腹減っているだろ? 食えよ」 「いや、自分で食べられるから……」 「いいから食えって」  スプーンで唇を突っつかれ仕方なしにスプーンに食らい付く。  モグモグと租借していると幸汰が頬擦りしてくる。  何これ?  何この甘さ?  クラスメイト対応の幸汰しか知らない俺は、恋人対応の幸汰に正直眩暈がする。  股の間に据わった状態で後ろから抱きしめられるだけでヤバイのに、ご飯を食べさせられるなんて嬉し恥ずかし過ぎて衝天しそうだ。  幸汰の腕の中でもじもじしていると二口目が口元へ運ばれた。  躊躇いを覚えながらもそれを口に含み咀嚼していると今度は後頭部に頬を摺り寄せられた。  温かく優しい腕。好きだと知らしめるような愛撫に目が回る。 「嘘じゃないよな?」 「嘘じゃない」 「冗談だって言っても聞かないからな!」 「言わないって」  疑り深い俺をあやすように項にキスが落とされる。 「ちゃんと好きだから。バカで不器用でヤンキーなお前が好きだから。余計な事は考えずに甘やかされとけ」  幸汰の言葉に震える身体を誤魔化すように膝を抱えると、僅かに離れだ身体の隙間を埋めるように大きく広い胸が背中にぴったりと合わせられ、心が震えた。  昨日は腐っていたとはいえ、全ての人間の不幸を願うなんてアホだった。  一度願った事を無しにするのは難しいかもしれないけど、昨日よりもっと強い気持ちで願う。 「だから泣くなって……」  みんな……幸せになれ!

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