5 / 5

第5話

「発表会の曲はそろそろ決まりそうかい?」 「ええ、ぼちぼち」 夕方、今日担当しているレッスンが終わり職員室の自席でお茶を飲んでいると、隣の席に座る班目が心配そうに話しかけてきた。色白で、いかにも文系といった雰囲気の男だ。黒縁眼鏡をかけており、女性教師から注目を浴びている。所謂イケメンというやつだ。歳は三十代前半で、宇佐美の先輩だ。 この時間帯は部活帰りや、学校帰りの中高生のレッスンが多いため、職員室内には宇佐美と同じ、幼稚園児から小学生担当の先生と、高齢者を担当している先生しか残っていない。 「きっと、中高生担当だと楽なんだろうね、生徒はみんなある程度親から離れてるわけだし。この時期になると、親御さんたちが発表会の曲を決めたがるから、困ってしまうよ」 班目は珈琲を一口飲んで、生徒たちの曲集に目を向けた。パラパラとページをめくった風で、前髪がふわふわ動く。 「そうですね、僕も時間さえ合えば、中高生を担当してみたいです」 ただの世間話の様でもあるが、実際、とても困っている。一年に一度設けているピアノ発表会は、向井ピアノ教室の恒例行事であるから、親たちの意気込みが凄まじいのだ。どうか、この曲を我が子に弾かせてやりたい。という気持ちは、なるべく汲むようにしているが、生徒のレベルに合わない曲を弾かせて、失敗させるような事は出来ない。 「時間?夜は何か別の仕事をしているのかい?」 「え、ええ。飲食店です。バイトの様なものです」 「へー、意外だな。どっかの事務してんのかと思ってたよ」 「何故ですか?」 「うーん。宇佐美君、口数多い方じゃないから、飲食店は意外だと思ったんだよ。ここで喋るのだって俺くらいじゃないか?」 「僕、結構喋りますよ」 「そう?じゃあ、今度飲みに行こう。いい店があるんだ、今週末空けといてよ」 「はい」 メモ帳を見る間も与えず、そう言い残し。班目は席を立った。 今週末、もし時間があったら行こう。俺には大事な仕事があるのだから。 宇佐美はバックから手帳を取り出し、週末のコマを見る。そこには赤字で遊園地と書いてある。 本当にこんなんで上手くいくのか? 宇佐美は残りのお茶を飲み干して、職員室を出た。 料亭『菊山』に行った次の日の朝5時40分。インターホンが鳴り、ドアの穴から外を覗くと、そこには藤城と東間が立っていた。 「あの、さっきも会ってましたよね」 宇佐美はドアを少しだけ開いた。 「昨日のことだ。中に入れろ」 藤城の手がドアの隙間に滑り込み、簡単に開かれた。 「ちょっ、勝手に入らないでください!」 「近所迷惑だ。静かにしろ」 ドアチェーンを付けておけば良かった。藤城と、東間は玄関で靴を脱ぐと、さっきまで宇佐美が寝ていたリビングのソファーに腰を下ろした。 「寝ていたのか、呑気な奴だ」 「何の用ですか?こんな時間に」 「昨日の話、もう忘れたのか?中島はお前が連れ出す。俺たちは、そのサポートに回ってやるんだ。わざわざ足を運んでやったんだ、感謝しろ。尤も、お前がうちの事務所に出向いてくれると言うなら、それでも構わないが?」 「…………だとしても、何故、今日なんですか?そんなに急ぐことはないでしょう」 「こっちの事情で相手が待っていてくれると思うな。気付かれるまでに、どれだけ先に動けるかが勝負だ」 藤城は煙草に火を付け、人の家でも御構い無しに横柄な態度をとる。今日はすこぶる機嫌が悪い。彼の言いたいことは分かるが、宇佐美は一般人だ。そっちの世界の事を、さも当然の様に言われても、こちらは分からない。 東間は大人しく、ずっとテーブルの上を見ている。きっと、疲れているのだろう。先程まで五月蝿かった藤城も今は目を瞑っている。 宇佐美は台所に行き、棚からドリッパーを取り出した。 「アメリカンでもいいですか?」 「ああ、なんでもいい」 藤城は眉間を抑え、そう答えた。東間に目をやると、彼は控えめにうなずいた。 珈琲のいい香りが部屋に充満する。最近、忙しすぎて、ゆっくりと珈琲を作る時間が無かったから、宇佐美は暖かい気分になった。 今度、班目さんと喫茶店に行きたいな。 そんなことを考えながら、3人分を作り終え、お盆の上に珈琲と、念のために、砂糖とミルク、スプーンを乗せて、リビングまで運んだ。 朝の温かい珈琲は身体に染みる。宇佐美と藤城はブラックで飲み、東間はミルクと砂糖を入れた。 「中島から、何か連絡はあったか?」 「いえ、何も来ていませんよ」 「そうか、今日の夜はBARに行くのか?」 「ええ、仕事ですから」 「じゃあ、その時に言っておけ」 「何を?」 「どこに連れ出すか、まだ決めてないのか?」 「き、決まってますよ」 「どこだ?」 「ゆ、遊園地」 とって付けた様な場所を言ってしまった。宇佐美は本当はまだ、どこに行くかは決めていなかった。とっさに出た言葉が遊園地だった。予想外の場所に、藤城も東間もポカンとした顔をしている。宇佐美も2人と同じ顔をしたくなった。自分は何を言っているんだ、と。 「ここら辺の遊園地って言ったら、トシマハイランドか?」 藤城は気を取り戻し、話し始めた。 「そうです」 「まあ、お前がいいなら、それでいい」 東間は驚いた顔で藤城を見つめたが、藤城は動じなかった。 宇佐美は遊園地を否定して欲しかった。そうすれば、別の場所に変更出来る。だが、藤城は驚いたものの、考え直せ、とは言ってこない。 「男2人で遊園地なんて、何が楽しいのか分からんが、目的がはっきりしている場所だから、長居できるんじゃないか?」 「ほ、本当に、大丈夫でしょうか?」 「お前が自分で言ったんだろうが、日時は今日決めて来い。それまで俺たちはここで待ってる」 「え、ここで?」 「悪いか?昨日の今日で疲れてんだよ、お前の店のせいでな。寝室借りる」 藤城はコートを脱ぎ、寝室へ消えてた。残された東間と宇佐美はリビングで残りの珈琲を飲んだ。 「決まってなかったら、決まってないってはっきり言ってください」 東間が、藤城に聞こえないように小さな声で言った。 「すみません」 咄嗟に出た言葉だったということは、東間にはバレていたようだ。 「当日、俺と兄貴が中島にバレないように遠くから見張ります。なので、あまり建物の中には入らないでください。もし入るようでしたら、俺たちも後を追います」 宇佐美が遊園地に行くということは、同時に、藤城と、東間も一緒に行くということだ。護衛が付くことをすっかり忘れていた。ヤクザ2人が遊園地にいるところを想像し、また、それが自分のせいだと思うと、急に恥ずかしくなってしまった。 「なるべく、建物には入らないようにします」 「よろしくお願いします」 その晩、藤城が狭山にKARAを調べるためには、どのくらい時間がかかるか聞いたところ「出先で丸一日遊んで来い」とだけ連絡が入ったので午前9時から午後8時まで遊園地・トシマハイランドで滞在することになった。そして、中島には、気分転換に遊園地へ行きましょう、と誘い、丸一日遊びたいから、今週の土曜日は空けておいてくれ、と頼んだ。 「当日、なるべく早く家を出ろ。俺たちは先に行って、車で待ってる。着いたら合流して、その後に中島のところへ行け」 藤城はそう言うと、東間を連れてマンションから出て行った。 ったく、自分勝手な奴らだ 宇佐美は職員室を出て、自宅へ向かう。今まで必要が無かったから、出掛けるための洋服をあまり持っていない。週末、遊園地で浮かないため、また、班目と出掛ける時のために、服を買い行くことにした。

ともだちにシェアしよう!