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第4話

料亭『菊山』は間接照明が多く、落ち着いた雰囲気だ。光はオレンジ色で、温かみがある。 女将の挨拶が終わった後、約束をしているらしい部屋へ向かう。 「お久しぶりですね。時が過ぎるのは早いです。もう立派な大人ね」 「やめてくださいよ。貴女のような方に言われると、逆の意味に聞こえます」 「あら、そうかしら。奏ちゃん、可愛げが無くなって寂しいわ」 女将は可愛らしく、くすくすと笑った。長い黒髪は夜会巻きしており、その下にあるうなじは黒髪のおかげでより白く見える。色気のある、美しい女性だ。 ここの女将と藤城は知り合いらしい。会話の内容からして、長い仲なのだと想像できる。藤城を、「奏ちゃん」と呼べるくらいなのだから、きっとそうだろう。 「失礼致します。藤城様がお見えになりました」 「ああ、通してくれ」 中から男の声がした。女将の細い腕が襖を開ける。 「よう」 和室には無精髭を蓄えた、三十路くらいに見える男が胡座をかいて座っていた。凛々しい顔立ちで、藤城よりも体格が良い。黒いスーツは、この男の肩幅の広さを印象付ける役目を果たしている。 「座れよ、腹減った」 「ああ、そうだな」 宇佐美は藤城に続いて室内へ進み、男の向かい側の席で、一番端に縮こまる様にして正座した。センチュリーを運転していた男は藤城の右隣に正座し、藤城を真ん中にして座る形になった。 「折角料亭に来たのに、野郎しかいないのは残念だ。芸者とかいないのか」 「話が済んだら、女のところにでも行け」 「なんだよ、冗談だ。お前たちがここに着くまで、女将さんが話し相手になってくれたからな。ほんと、綺麗な女だね」 女将は困った様な顔で頭を下げ、静かに部屋から出て行った。 「おい」 藤城は不機嫌そうに声を出した。 「そんな怖い顔するなよ。別に狙ってるわけじゃない。それで、お前のとこ、どうなんだ?潰せそうか?」 男が急に切り出した。 「いや、まだだ。だか、情報はある。あっちもグラつき始めてる頃だろう」 「そうか……面倒な事にならんといいがな」 完全に場違いだ。 正座の痺れが増すにつれて、鼓動がどんどん頭の中に響いてくるのが分かる。男たちの低い声がそれに加えて響いてくる。 数分前に女将が旨そうな料理を運んで来てくれたが、全く箸が進まない。子供の頃、周りの大人がよく言っていた事を思い出した。『ご飯は一人で食べるより、みんなで食べた方が美味しいのよ』はっきり言って、今は、見るからに高級なこの料理より、一人でテレビを見ながらコンビニのカップラーメンを食べる方が何倍も旨いだろう。 何故ここに連れて来られたのか、その目的が分からなくなってきた。挙句の果てに、せっかくの料理の悪口を考える有様だ。 宇佐美は向かいに座っている男を知らない。顔をチラッと見てみたが、やはり初対面の様だ。 確か叔父貴って言ってたっけ 車内での会話を思い出した。運転手の男がそう言ってたような事を思い出した。 宇佐美は、度胸のある人間ではない。反抗的になれるのは、単に歯向かってみたい、と思う好奇心と、もうどうでもいい、と投げやりな気持ちになるからだ。だが、それも一時の感情であり、後々、何故自分はあんな事を言ったのだろう、と思うのがいつものオチだったのだが、今回はそれだけでは済まされそうにない。とんでもないオチが待っていそうな予感がする。 「宇佐美」 藤城から、急に名前を呼ばれ、身体がビクつく。 「そいつがあのバーのか?」 「ああ、そうだ」 宇佐美は俯いたまま少しだけ頭を下げた。肩に力が入って上を向けない。 「お前脅して連れてきたのか」 男は、お茶を手にしながら藤城に尋ねた。 「脅してない、車に乗ろうとしないから引っ張っただけだ」 「同じだろうが、一応堅気さんなんだから、もう少し優しくしてやれ」 顔を上げていないが、隣に座っている藤城がイラついている事はすぐに分かった。別に貧乏ゆすりをしているわけではないが、藤城から流れ出る心地の悪い空気が宇佐美に伝わってきた。だが、反論はしないようだ。この男ならば、藤城の暴力的な性格も少しは制御されるようだ。宇佐美はやっと顔を上げた。 「急に連れ出して悪かったな、自己紹介が遅れたが、俺は簗田会の二次団体、中濱一家の狭山 凛だ。っつっても、まあ、ピンとこないだろうがな」 いきなり知らない漢字がズラッと続けられて、宇佐美は微妙な顔になった。中濱一家なんて組は聞いた事がない。 狭山は藤城に、お前も言え、と目で伝えたが、「俺はもう言った」と隣の男を見た。 「藤城組の東間です」 と藤城の奥から若い男の声がした。 「今回、何故ここに宇佐美さんを呼んだかは察しが付いていると思うが、あんたの店について、ちょいと話があってな」 『あんたの店』という言葉が引っかかる。あそこは中島先輩の店なのだ。どうでもいい事だが、宇佐美は一人で勝手に不機嫌になった。室内に裏社会の男が3人いる、という決して強気になれる状況ではないが、こういう時だけ無駄に気が変わってしまう。 「最近、あそこらでアレを売ってる奴等がいるらしくてな。堅気さんに話すのはこっちとしても申し訳ないんだが、まあ、拳銃って言えば分かるよな?」 このご時世に、未だに拳銃なんて物が日本にある事に驚いたが、それ以上に、そんな話をわざわざここで言うということは、と、この流れで当たり前の予想をした。 「それが、あのバーと関係があるらしくてな、藤城が探りを入れたってわけだ」 探りとは思えない事をしていた様な気がするが、藤城が何度もKARAについて質問してきたのには、宇佐美の想像をはるかに超えた、恐ろしい裏情報が回っていたかららしい。最初は、ショバ代を払えと言ってきた。しかし、今はそんな生ぬるいお話ではない。宇佐美の中でヤクザに対するハードルがぐんと上がった。よく自分は藤城と二人きりになれたものだと、また、空気を吸うことが出来る身体のままでいられたと。そして最後に、中島の事を思い出した。 それが、中島先輩が隠している秘密なのか? 恐怖心とは別に、疑問が浮かんだ。だが、すぐにそんな気持ちは搔き消す。そんなはずはない。そんな事あるはずがない。 「心当たりがあるなら教えて欲しい。一応言っておくが、もうあんたは知っている側の人間だ。その意味は分かるよな?」 つまり、裏切りは許さないという事だ。勝手にバラしておいて、こんな事を言う手口は、いかにもヤクザらしい。藤城と二人きりになり、ショバ代が目的ではないと知った時は、阿保な奴等だと思ったが、こんな事を言われると馬鹿にするような笑いは込み上げて来ない。 スパイ映画等でよくある、知りすぎた男の末路は悲惨なものだ。大体殺されて、死体は消されてお終いだ。しかもモノローグで終わるなんてこともあるだろう。キャラの立ち位置も可哀想だ。しかし、宇佐美は中島のこともKARAのことも心当たりはないのだ。 「心当たりはありません。中島先輩とも長い仲ですが、プライベートの事は何も。お力になれなくてすみません」 ムカつく程丁寧に言ったつもりだ。急に連れ出して、知っている側の人間にされたのに、謝罪までしたのだ。狼狽えて、命乞いをするようなザコキャラになるつもりはない。 3人とも、宇佐美から目を離さない。だが、怒っているのとも違う表情をしている。すると、狭山が大きなため息を吐いた。 「そうか」 それだけ言うと、ポケットからタバコを取り出して吸い始めた。 宇佐美は、最期の言葉を聞かされるのを待つ様な気持ちで拳を握り。必死に沈黙に耐えた。 「だから言っただろ。こいつは使い物にならない。アパートにも怪しいものはなかった。儲かってたらもっといい場所に住んでるだろうしな」 沈黙が終わると共に宇佐美の緊張の糸が途切れた。藤城は既に狭山に報告していた様だ。当然のことだが、普通の思考回路が回らなくなっていた。目的がこれだけなら、先日と同じことの繰り返しだ。 「分かってる。だから今日は別の話だ。宇佐美さん、中島と今度お出掛けしてくんねーかな」 急な頼みに動揺するが、何故そんな事をさせるのかは直ぐに分かる。中島がいない間に店や自宅を調べるつもりなのだ。 「どこでもいい、一日だけだ。藤城も付いていけ」 藤城は嫌そうに狭山を見た。 「チャカ持ってたらどうすんだ。当たり前だろうが。俺はコソコソ動いてる連中を追う。何かあったら連絡しろ。中島はそっちに任せるから、お前ら仲良くやれよ」 狭山は藤城と宇佐美の顔を見て哂笑した。どうやら2人の嫌そうな顔を見るのが楽しいらしい。 「話はこれだけだ、東間、宇佐美さんを送ってやれ」 東間は狭山からの命令に戸惑う顔を見せた。 「俺はいい。先に帰れ」 「はい」 「相変わらず、藤城に従順だね、お前は」 藤城と狭山はまだ話を続ける様だ。まだ料理を食べ終えていなかったが、元々全て食べる気はない。宇佐美は2人に一礼してから東間の後に続いて料亭を出た。 意外な展開になったと思った。危険な目に合わさせると思っていたからだが、まさか自分がヤクザに協力を強いられるとは思っていなかった。中島がいない間にあれこれ調べる、というやり方は、とても原始的だが、高校からの付き合いである宇佐美が、中島を裏切っているとは思うまい。 料亭を出て、センチュリーに乗り込む。運転席には東間が座り、宇佐美は後部座席に座った。ここへ来た時とは違い、身の危険を感じないせいか、高級車の匂いと車内の音が心地よく感じる。気を抜いたら、寝てしまいそうだ。 「宇佐美さん、おいくつですか?」 東間が運転しながら問いかけてきた。 「27です」 「俺も27です。あの、何か困ったこととかあったら言ってください。兄貴には、俺から報告する事も出来るので」 気を遣ってくれているのか。さっきまで一緒にいた2人とは違い、謙虚な話し方だ。年齢は宇佐美よりも下だと思っていたが、同い年らしい。 「ありがとうございます」 バックミラー越しに東間と目があった。黒髪の短髪で、活発な男に見えるが、物静かな性格がギャップを生み出している。学生時代はモテただろう。 「わざわざありがとうございました」 「いえ、では」 短い別れの挨拶をすると、東間はこちらを見ることなく車を発進させ、暗闇に消えて行った。 鍵を開けて部屋に入る。長かった。寿命が縮んだ様な気分だった。冷蔵庫にある音符の形をしたマグネットや、意味もなく置いてある子供番組の指人形を見て、やっと家に帰って来た事を実感する。室内に充満する自分自身の匂いに体を包まれ、ベッドまで足を運ぶのが面倒になった。 宇佐美は部屋着に着替え、電気を消してから、毛布にくるまってソファーで丸まった。 中濱一家と藤城組は、どちらも簗田会という関東にある暴力団の二次団体であり、狭山と藤城はヤクザになる前からの腐れ縁なのだそうだ。今回の件を上から任されたのも、2人の関係があっての事らしい。二次団体と言えども、どちらも指定暴力団で、多くの構成員が存在する。車の中で、東間が話してくれた。宇佐美の警戒心をなくすために話したのかもしれない。 一番街は歌舞伎町の中でも、まだ治安が良い方だから、そこで物騒な事が起こると、今までの様に動きづらくなるらしい。警察が動き出すと面倒だから、早めに消す必要があるそうだ。また、歌舞伎町には簗田会のシマもあるため、勝手な行動をする組織が気に食わない、という理由もあり、威圧的な動きに出たそうだ。ショバ代を取りに来たのも、それが理由らしい。 毛布に顔を埋めて、これからの事を考える。今日の話で、何が真実なのか分からなくなってしまった。狭山の言っていた事が本当なら、中島は犯罪者ということになる。お前が言うか、という気持ちだが、犯罪は犯罪だ。中島の肩を持つ事は出来ない。 中島は、今頃何をしているだろうか。仕事を終えて、もう寝ているのだろうか。もう既に、ヤクザが動き出しているということにも気付かずに。 宇佐美の中で思い浮かべる中島は、いつも穏やかな表情だ。もしあの顔の裏に、真っ黒い影があるのだとすれば、それは宇佐美にとって目を背けたい現実だ。狭山からの頼みを聞いて、反論することなく帰宅してしまったが、本当はやりたくない。真っ黒い影の姿を見るより、いつも通り中島と酒を作り、他愛のない会話を楽しんでいたい。その方がこれからの人生、ずっと楽しい。誰だって秘密がある。それを曝け出さなければ、長い間一緒にいられない様な、子供じゃない。世の中の大人の関係なんて、そういうものじゃないのか? 中島とだけの、2人の世界ならば許されたであろう関係は、とてつもなく危険な男たちによって壊される。自分だけが我慢すればいい、という次元の話ではないのだ。理屈を並べたところで、所詮それは、全てヤクザ抜きのお話であって、どう転がっても、このお話からヤクザを消す事は不可能だ。 お出掛けって、どこに…… 宇佐美は考える事に疲れて、そのまま眠りについた。

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