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第30話 すべては、もう遅い

 朝食の席でも、車に乗ってからも、神室は強張った顔で海莉を心配してくれていた。   「心配すんなって。俺は大丈夫だし、むしろせいせいするって言ってんだろ?」 「……うん」 「おまえも楽になるんじゃないか? あの途中組にまとわりつかれなくて済むだろうし」 「逆だよ……」 「逆?」 「悪化すると思う。颯は神室のことが好きだから、家に行きたいとか言い出すよ」 「絶対に呼ぶな」 「俺も呼びたくないからそんなことはしないけど、でも、楽にはなるのは本当かも。友達と言えるのは神室しかいなかったし。友達じゃなくて兄弟だけど」 「あいつは…………確かに兄弟でつるむのは恥ずいけど、俺も檜山たちよりおまえといるほうが楽だからな」  神室はレイのことを持ち出そうとして、しかし途中で止めたことがわかった。海莉がなぜ気分を沈ませているのか、その理由に思いあたったのかもしれない。  レイからくる毎朝のモーニングコールは、神室の部屋にも響いてしまうらしい。設定を下げようにも、海莉が気づくぎりぎりの音量ではどうやっても聞こえてしまうようだ。神室は不満そうにしながらも本気でやめろまで言わなかったから、海莉は悪いと思いつつも甘えてしまっていた。  そのため、今朝その音が聞こえなかったことは、当然ながら、神室も気づいているはずだった。 「おはよう……」    半月ぶりに会った颯は日に焼けて真っ黒になっていた。丸く見開いた目がその肌に目立つほどで、夏休みを楽しんでいたことが察せられる。 「北海道はどうだった?」  話しかけているのに、颯は何も答えない。  海莉の横で笑みを向けてくる神室が気になっているのか、落ち着かない感じにそわそわとしている。   「竹村くんもカバやダチョウと写真を撮った?」 「えっ?」 「海莉が一緒に写った写真は面白いよ。よければ、後で見せてあげるよ」    神室はさらりと言って、自席のほうへと向かっていった。 「海莉と写った写真?」  どういうこと?と言うような目が海莉に向けられた。  神室が海莉を名前で呼ぶとは驚いた。義兄弟であることを隠さないということは、名字で呼び合うのもやめなければならないからだろう。初めて呼ばれた海莉は嬉しさとくすぐったさを覚えると同時に、唖然としている颯に対していたずら心が芽生えてきた。 「隆司とあざらしの写真のほうが面白いよ」 「はあっ?」 「隠していてごめん。ファンじゃなくて、兄弟なんだよ」  海莉は神室とあざらしの写った写真を颯に見せた。ぎょっとした颯は海莉のスマホを奪い取り、食い入るように眺めながらスライドさせて、「うそだろ?」と驚愕の声をあげた。 「全部俺のせいだから、こいつは悪くない。でも、写真を見せるのはやりすぎかな」  颯は隣に神室が現れて、ぎゃっと身をすくませた。神室はにこにことしながらもその手からスマホを奪い取り、海莉には睨みを向けてスマホを差し出してきた。 「イケメンだからいいじゃん」 「バカにするんなら、ダチョウとの写真をプリントアウトして廊下に展示しようか?」 「いいよ。もしホントにやったら、俺も隆司の写真を印刷するから」 「印刷してどうするつもりだ?」 「校門で配ろうか?」 「ざけんな」  まるで自宅でのやり取りをしている海莉たちに、颯は再び唖然とした目を向けている。   「隆司、どういうことだよ。神室くんのことは知らないって言ってただろ」  檜山たちも困惑の顔で寄ってきた。 「ああ。それは俺が……」  いつの間にやら教室中の目が神室に集まっている。それに気づいたらしく言葉を切った神室は、片眉をあげ「嘘をついていただけだ」と声を張りあげた。 「嘘?」 「ああ。恥ずかしかったからだ。途中入学してきたやつと兄弟だって知られたら、見る目が変わると思ったんだ」 「そんな。見る目なんて……」 「変えてただろ? でももういい。いいっていうか、途中で入ってきたからって避けるような風潮がバカらしくなった。こいつは、海莉は、これまでに出会った誰よりも気が合うし、学校では避けてるなんて無意味なことはしたくなくなった。俺はこいつとつるむから、もし避けるんなら俺ごと無視すればいい」  神室が言うと教室中が静まり返った。ドアの外にも聞こえていたようで、廊下にいる生徒も足を止めて驚いた顔を向けている。  内容もさることながら、神室の態度にも驚いたのだろう。いまのはまるで自宅での神室だった。海莉のまえでだけ見せていた、学校での神室とは別人のような態度と口調だった。 「最初からそうすればいいのに」  しんとした空間に、怒気の孕んだ声が響いた。場の視線が神室から一様にドアのほうへ逸れる。そこへ、日本の高校という場にはそぐわないほどの異質な美貌が顔を覗かせた。  ウェーブがかった肩までの金色の髪が、海莉の知らぬ間に短くなっている。周りと同じ制服を着ているのに、有名デザイナーの新作とばかりにすらりとして見栄えがよく、光を帯びているのではと見紛うほど輝いて見える。 「……来るとは思わなかったな」  神室が嘲笑するような顔で、レイに睨みを返した。 「なんで? 今日から僕も有明の生徒だよ」 「その目的を諦めて、海の向こうにまで逃げ帰ったと思ったんだよ」 「昨日会ったじゃん。イギリスへなんて、そんなにすぐ帰れるはずないよ」 「はっ! じゃあ、帰るつもりなんだ?」  おかしげに神室が言うと、レイは顔色を青くして教室の中へと入ってきた。神室を見据えたままつかつかと進み、額が突き合うほどの距離で立ち止まった。   「神室に関係ないだろ」 「……なんでだよ。ないわけないだろ」 「関係ない。僕と……」 「……海莉の問題だって言うのか? 逃げ出したくせに」 「逃げたんじゃない!」 「じゃあ昨日のあれは、邪魔をして悪かったから出ていったとでもいうのか? 確かにおまえは目障りだ。でも」 「黙れ神室」    レイの低く威圧するような声に、神室は怯んだように口をつぐんだ。レイが発した言葉とは思えない。近くにいた海莉も息を呑むほどだった。   「……なんだよ」 「それ以上、僕に話しかけてくるな」  いつもにこにことして穏やかなレイが、全身から怒りを滲ませている。それほどまでに不快に感じていたとは、思っていた以上だった。 「おまえの大事な海莉と俺は」 「話しかけるなって言っただろ」    レイはまたも威圧するような声で言うと、態度でも示すかのごとくに教室を出ていった。  神室はふんっと鼻で笑っただけで、いつもの澄ました顔に戻って自席につき、なにごとも起きなかったかのようにスマホをいじり始めた。  静まり返っていた教室は、二人が動いても、しばらくは誰も口を効かなかった。ささやき声すらあげず、ただ好奇心を丸出しにした目を神室と海莉に向けている。  注目を浴びている海莉はぎくしゃくとしながら自席につき、神室に倣ってスマホを取り出した。  しかし、平静な様子を取り繕うまでの真似は無理だった。  少しして、教室は遠慮がちにだが徐々に空気が弛緩し始めた。「夏休みなにしてた?」などの話題や「日焼けしたね」など聞こえてきて、次第にざわざわといつもの空気に戻っていった。 「ガチで神室さんと兄弟なのかよ?」  颯もいつもの様子に戻ったようで、海莉の前の席にやってきた。 「……隠していてごめん」 「めちゃくちゃ驚いたよ。水くさいと思ったけど、神室さんに言われたら仕方ないな。てか、俺の話とか家でしてた?」 「えっ……どうだろ」 「変なこと言ってないよな? てか、今度遊びに行っていい?」 「それは、隆司に聞いてみないと」 「てか、各務さんどうしたわけ? サマーランドでは普通に遊んでたのに」  海莉は颯からのその問いに答えられなかった。答えようにもなんと言えばいいかわからなかった。  朝から気が重かったのは、レイから避けられるかもしれないと思っていたからだ。  朝の電話がなかったこと、そして海莉の送ったLINEが既読スルーされたことから、ある程度のことは予想していた。  ただ、これほどまでとは思いも寄らなかった。  二週間ぶりに見たレイは息が止まるほど美しく、そして毎日話していた彼と同じ人物とは思えなかった。  半日まえに電話で話した相手とは別人のようなそのレイを、海莉は見ただけだった。  レイは海莉にちらとも目をくれず、ただ神室にだけ目を向け、振り返るときも気づかないようにして去っていった。  レイにとって、もう自分は存在しない人間になったのだろうか。存在していて欲しくないというほどに、嫌悪の念を抱いたのだろうか。  海莉のために日本へ来てくれたというから、神室が指摘したようにイギリスへ帰るつもりなのかもしれない。  イギリスへ帰国して、このままレイとの友情は終わってしまうのかもしれない。  せっかく会えるようになったというのに、そんなのは嫌だ。嫌だが、どうすればいいのかわからない。謝って済むことじゃない。言い訳をすることでもない。  ただ、嫌われてしまっただけだ。友情は一方的ではない。互いに向け合うことでしか成立しない。  だから、どれほど失いたくなくても、海莉は受け入れるしかないのかもしれない。

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