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No.3 一日目・執事「人数が増える」
秘書が手早く作ってくれた、意外にも美味なナポリタンを食べ終わる。
不本意ではあるが、せっかく坊ちゃんがお手紙に書いてくださったのだから、食事に関しては彼に任せてもいいかもしれない。
食後早々、私は再び坊ちゃんの5つ年上のお姉様、マドカ様へ電話を掛ける。
しかし、なかなか電話は繋がらない。
私には、ご祖父母様のご葬儀などでしか見かけたことのない犬の、個体識別は難しい。
だがこの真っ白く大きな犬は、居間の絨毯の上で躊躇いもなく寛いでいるのだから、間違いなくこの家で生まれ育った『ユニ』であろう。
マドカ様も、その娘である8歳のミカ様も、心配しているはずだ。
もしかすると必死に探し回っていて、私からの着信に気が付かないのかもしれない。
『もしもしっ』
少し焦った声で、ようやくマドカ様が電話に出た。
「マドカ様でいらっしゃいますか?大変ご無沙汰しております。私は坊ちゃんの執事をしており……」
『えっ、アナタから電話ということは、まさかユニが屋敷に?』
「はい。おっしゃる通りでございます」
『あぁ、そうか。そうね、その可能性があったのに、思い当たらなかったわ。よかった……。すぐに行きます』
マドカ様は、安堵の声を出された。
—
「ユニーーーー!」
玄関ロビーから、淡い紫色のワンピースを着て、長い髪をお団子のように結んだミカ様が駆け込んでくる。
「よかったー!ユニ、心配したんだよ。ダメでしょ、勝手に走っていったら」
随分と心配していたのだろう、少女は涙声だ。
ユニもうれしそうで、ミカ様の顔をペロペロと舐めている。
あぁ、あんなにヨダレをつけられて……、あとでおしぼりをお持ちしなくては……。
「本当にありがとう。お二人は、うちの弟の執事さんと秘書さんよね?二人が屋敷にいてくれて、助かったわ。私たちは住まいのある神戸から車で、千葉のホテルへ向かっていたの。途中、懐かしさから高速を降りて、ミカが小さな頃によく遊んだ大きな公園に寄ってユニにおトイレさせようとしたら、興奮して逃げ出しちゃったのよ」
そこからはミカ様が話を引き継ぐ。
「ママとミカはね、すごく探し回ったのよ。木がたくさんある公園の中をぐるぐると。色んな人に声をかけて、手伝ってもらって。でもまさか公園から出て、この家に帰ってきてるなんて、思わなかったわ」
「それは大変だったねミカちゃん。でも、とても賢い犬だね」
レディの前でもタンクトップ姿の秘書が、ミカ様をねぎらう。
「犬じゃないわ、ユニよ。それにミカも『ちゃん付け』はイヤ」
彼女のおしゃまな物言いに、秘書は笑う。
「ではなんとお呼びしたらいい?お嬢さん」
「ミカよ。呼び捨てでいいわ」
すぐに「ミカ」と呼ぶ単純な秘書とは違い、私は呼び捨てというわけにもいかず「ミカ様」とお呼びする許可をいただく。
その様子を見ていたマドカ様も、私と秘書に指示をくださった。
「私のことは、マドカ様はやめてね。マドカさんで結構よ」
とにかく疲れた様子の二人に、私は冷たいお茶をお淹れして、居間のソファで休んでいただいた。
いつの間に購入してあったのか、秘書はチョコレートをローテーブルに出してきて、ミカ様の好評を得ている。
(スーパーのレシートにはチョコレートの記載がなかったのに。どうせ筋肉オバケが、変な気を回し自腹で精算したのでしょう。ここでの飲食は全て必要経費だと、再度伝えなくてはなりませんね)
うれしそうにチョコレートを頬張るミカ様は、現在小学三年生。
小学校に上がる前まで、このお屋敷でシングルマザーのマドカさん、ご祖父母様の四人で暮らしていた。
同じくユニも0歳でこのお屋敷に来て、5歳までここで育ったのだ。
ミカ様たちにとってこの居間は、どこよりもリラックスできる空間だろう。
—
「ところで、アナタたち二人、いつまで屋敷にいるの?」
マドカさんは坊ちゃんが、母方のご祖母様およびそのお姉様と、豪華客船の船旅に出られていることは、ご存知だった。
また、秋からは坊ちゃんがこの屋敷に引っ越してくるということも、把握している。
「私たちは夏季休暇の10日間、このお屋敷で過ごさせていただき、設備に不備がないかなどを見させていただきます」
マドカさんは、何かを思いついたのか、フムフムと企んだような表情を見せる。
こういうところは、坊ちゃんとはあまり似てらっしゃらない。
「ちょうどよかったわ。実は困っていることがあるの」
そう言って、美しい顔で微笑まれる。
マドカさんは、ミカ様がお生まれになってすぐに離婚され、美容関係の会社を立ち上げられた。
ご祖父母様が亡くなって、拠点を神戸に移し、現在は大変ご活躍されている。
今回は明日から一週間、千葉の湾岸で行われる、大きな美容系イベントに参加されるため、ミカ様とユニを連れ、車で移動してこられたそうだ。
ペット可のホテルに、皆で泊まる予定だったらしい。
しかしマドカさんは、日中はずっと仕事。
期間中、ホテルにずっとミカ様を閉じ込めるのも心配だとおっしゃるが、確かに小学生を宿泊地で留守番させるのは不安だろう。
「だからね、ミカを預かってくれないかしら?」
「えっ」「えっ」
秘書と声を合わせてしまった。
「弟からアナタたちのことをよく聞くわ。あの子が信頼している執事と秘書なら、安心して預けられるもの」
私と秘書は驚きのあまり顔を見合わせる。
ただ、目の前の筋肉オバケが考えていることは、容易に想像がついた。
私としては「坊ちゃんのお姉様の頼みならば」、秘書としても「CEOのお姉さんの頼みならば」という思いで、一致しているのだ。
(この責務を無事に果たせば、きっと坊ちゃんは喜んでくださる)
私たちは、二人揃って「私たちでお役に立てるのであれば」と、ついいい顔をしてしまった。
—
マドカさんも、今夜はこのお屋敷に泊まっていかれることになった。
食事係になったはずの秘書は、「四人分だと食材がないから」とあっさり調理を諦め、夕食には宅配ピザを頼むと言う。
その方が「効率的だ」などと口にするが、まさか、面倒くさいだけではあるまい。
ただ、宅配ピザというものを一度も口にしたことがなかった私は、少しワクワクしてしまった。
誰にも悟られてはいないだろうが、思いのほか美味いトロリと伸びるチーズに、顔がほころんだ。
「ねぇ、おじさんたちは、ハリーの執事と秘書なんでしょ?」
ミカ様は坊ちゃんのことを「ハリー」と呼ぶ。
それは坊ちゃんの本名ではなく、アイドルをしていたころの芸名だ。
「ハリーはもう歌や踊りはしていないの?」
「残念ながら私は拝見したことがございません」
「そう……。秘書のおじさんは?」
「俺も、過去の映像でしか見たことはない。ミカは歌って踊っているところ見たことがあるのか?」
ミカ様は私と秘書に、勝ち誇った表情をする。
「ミカはね、おばあさまの法事のときに、こっそり踊ってもらったよ」
「それはあまりに羨ましいです!」
「全くだ」
(もしも私が同じように頼んだら、踊ってくださるかもしれない……。しかし、そのようなことを口にする勇気はさすがありません)
垂涎の眼差しでミカ様を見てしまうと、マドカさんが呆れた顔を寄越した。
マドカさんとミカ様は、秋からは坊ちゃんの寝室になる予定の二階の部屋へ泊まることになった。
この部屋にはバストイレが付いており、元々、母子の寝室だったらしい。
「ユニも一緒にお部屋で寝よう」
ミカ様は白い犬をそう誘ったが、私の(犬を寝室に?)という隠しきれない戸惑いの表情をマドカさんが察して、ユニは居間で眠ることになった。
居間には坊ちゃんのお祖父様が集めていらしたバカラの稀少なデキャンタが多数並んでいる。
万が一にも破損するわけにはいかないが、この賢い犬ならそれを倒すようなことはしないはずだ。
私と秘書も、順番にゲスト用のバスルームを使い、一階の隣り合う客間へ引き上げる。
明日からこのおしゃまなお嬢さまと、筋肉オバケの秘書と三人暮らし。
どんな夏季休暇になるのか、想像もつかない。
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