28 / 31

No.28 九日目・秘書「ただいまの声」

インターホンが鳴り、眼鏡執事が待ち構えていたように対応し、遠隔で門扉を開ける。 ユニも定位置の絨毯から立ち上がり、スタスタと玄関ホールへと移動していった。 「ユニーーーーー!ただいまぁ!」 聞こえてきたその声の明るさで、顔を見る前に俺の心配が全て払拭できた。 もう大丈夫、ミカは元気になったのだ。 「おかえり、ミカ」 「おかえりなさい、ミカ様」 彼女は俺たちの顔を見て、はにかむ。 横に立つマドカさんが、彼女のことを肘で突き、「ほら、何て言うの?」と促した。 「執事のおじさんも、秘書のおじさんも、ごめんなさい」 ぴょこんと頭を下げると、ポニーテールの髪がパサリと揺れた。 「ミカ、おじさんたちに黙ってムッチとお出かけしたこと、反省しています。麦わら帽子を持っていかなかったことも、ムッチにお水を飲みたいって自分から言わなかったことも、ごめんなさい」 執事はその言葉に胸を詰まらせながら、返事をする。 「本当ですよ。とても心配しました。でも、元気になってよかったです」 ミカは自分が誘拐されたという認識は、ないようだ。 もちろん、自分の父親がこの事件に関わっているということも知らない。 マドカさんは、ミカがもう少し年齢を重ねたら、きちんと話すつもりだという。 「秘書のおじさん、ゲンくんの万華鏡を届けてくれてありがとう。ねぇ、それどうしたの?お怪我?」 ミカは、絆創膏を貼られた俺の頬を指差す。 「執事のおじさんもだ!足、痛いの?折れちゃったの?」 「執事の足は折れてないし、俺のほっぺも縫うほどの傷じゃない。実はミカがいなくて退屈だったから、二人で森でかくれんぼをしてたんだ。ハリーの歌を歌いながら。で、はしゃいでいたら二人して怪我をしてしまった」 「えっ」 ミカは驚いた顔で俺たちを交互に見る。 「えぇ、森は危険でした。私も秘書も、もう二度と森でふざけたりしません」 彼女は俺たちのそばに近づいてくる。 手を伸ばして俺には絆創膏の上から、執事にはサポーターの上から、ヒーラーのようにそっと患部を撫でてくれた。 (ミカはやさしくていい子だ。今回の事件がよい教訓となって、自分の身をちゃんと守れる子になるといい) 「私、ちょっとお隣の山本さんにご挨拶してくるわ」 俺たちからは、事件の全貌をペラペラと喋りにくく、山本さんには曖昧な説明しかしていない。 マドカさん自らが話しに行ってくれれば、山本さんも安心するだろう。 「ミカ。朝顔もちゃんと咲いてるぞ。今日は三つだ」 「三つかぁ」と言いながら彼女がテラスへ移動すると、まるで警護するようにユニがその後ろをついていった。 — マドカさんは、山本さんのお宅の庭で採れたばかりだというトウモロコシを、四本も貰って帰ってきた。 そういえばこの休暇中、素麺、スイカ、かき氷と夏らしい食べ物を色々食べたが、トウモロコシはまだだった。 「山本さんが「ハリーの執事さんと秘書さんはとても優秀で、本当にお世話になったから」って、くださったのよ。すごく褒めてらして、私も鼻が高かったわ。夏祭りでも随分と活躍したらしいわね。ご近所の奥様方と写真撮影にまで応じてあげたんですって?」 執事がタキシードを着たり、俺が麦わら帽子をかぶって焼きそばを焼いたりしたのが、遥か遠くの出来事のように感じる。 通常、執事も秘書も、主人のために存在する裏方だ。 どちらもトラブルなく物事を回すことが大前提で、第三者に「よくやった」と褒めてもらうような華々しい機会はない。 こうして、感謝されるのは歯がゆくもあるが、やはりうれしかった。 執事も同じように思っているのか、採れたてのトウモロコシを見つめながら、眼鏡の奥で微笑んでいる。 「私もアナタたちにはお世話になりっぱなしだったから、せめてものお礼にお昼ご飯を作らせて。冷蔵庫のものを適当に使っていいかしら?」 彼女はテキパキと炊飯器をセットし、冷蔵庫を覗き込んで思案したあと、親子丼を作ってくれた。 キッチンには麺つゆを使ったとは思えないほど、出汁のいい香りが漂っている。 大きな鍋でトウモロコシも茹でてくれ、さすが主婦の手際の良さだと賞賛を送りたくなった。 「いただきます!」 親子丼は卵もトロッと半熟で、味付けもちょうどよく、家庭料理として最高に美味しかった。 ミカもやはり母親の作るご飯が大好きなのだろう。 「おかわり!」と、大きな声で告げている。 トウモロコシは、マドカさんの半分がユニにお裾分けされていた。 口の周りの白い毛に、黄色い粒がつくことも気にせず、ほぐしてもらった実を夢中に食べている。 甘くて瑞々しいトウモロコシで、これで夏を全て味わいつくしたような気分になった。 (そういえばこの夏季休暇中、プロテインを飲むのを忘れていたな。休みが明けたらまたボディメイクを頑張らなくては。でも明日までは、好きなものを食べまくろう……) 「ミカ、昨日は病院でお風呂入れなかったから、シャワー浴びてきちゃいなさい」 「はーい」 食後にそう言われたミカは、「お風呂が怖い」だの「一人じゃ無理」だの言わずに、素直にバスルームへ行く。 昼間だから大丈夫なのか、屋敷内に母親がいるから安心なのか、小さなレディの気持ちはおじさんには分からない。 ただ、すっかり心配性になってしまったかのように、ユニだけがミカの後ろを歩きバスルームまで付き添っていた。 — 俺がアイスフルーツティーを作り、マドカさんと執事の三人で、居間へ移動する。 「イベント最終日に予定されていた大きな商談は、どうなったんですか?」 気になっていたことを訊ねる。 「もちろん上手く行ったわ。私にもね、アナタたちのような優秀な部下がいるのよ。でもアナタたちほど頼れる人はいない。この十日間、本当にお世話になりました。何度でもお礼を言うわ。こんな執事と秘書がいて、弟も幸せだと思う」 「あの、坊ちゃんには今回のことは……」 「えぇ、明日、豪華客船が帰港したら、私から全て報告しておく。ムッチのこともあるしね」 ムッチは、まだ動物園近くの警察に拘留されているそうだ。 それでも彼自身は誘拐だという自覚がなく、ミカを意図的には傷つけていないため、不起訴になる可能性が高いという。 一方父親は、ミカを連れ去らせた首謀者として、さらに屋敷への侵入、強盗未遂、執事へのスタンガンによる傷害など、重い罪に問われる見込みらしい。 (CEOも自分の元義兄と、元メンバーが関わっていた事件だけに、心を痛められるだろう……) 「実刑判決が出るとしても、油断はできないわ。今後ミカへ勝手に近づけないよう、弁護士とぬかりなく法的な手続きを進めることにしたわ」 マドカさんは迷いのない声で、事の顛末を詳しく話してくれた。 「それからこれ。使わずに済んだから。ありがとう」 ATM備え付けのペラペラの封筒に入った50万円も、使われることなく執事へと返却される。 執事はそれを、まるでミカが無事であったことの証しであるかのように、両手で恭しく受け取っていた。

ともだちにシェアしよう!