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No.30 十日目・秘書「夏季休暇が幕を閉じる」

今朝は、執事のスマホだけでなく、俺のアラームも同時に鳴った。 今日の午後にはCEOが帰港されるのだ。 世間もお盆休みが明け、本日からは平日の通常運転となる。 CEOのご好意で今日まで休暇を取得している俺も、気持ちは切り替わっていた。 キングサイズのベッドを下り、自室に行って、タンクトップを薄手の物に替えて、その上に半袖のワイシャツを着る。 そして短パンを脱いで、濃紺のスラックスを履いた。 食堂に行くと、執事も長袖の白シャツと黒スラックス姿なのは変わらないが、祭りで執事カフェをやったときのように髪をカチッとセットしている。 「すぐに朝食を作るよ」 エプロンを羽織りながらそう伝えると、執事は言う。 「では私は朝顔に水やり……あぁ、もう無いのでしたね。失礼しました。……庭にホースで水を撒いてきます。そうだ。あ、あの……いえ、やっばりなんでもありません」 邪魔そうに松葉杖を使いながら、執事はテラスから外へ出ていく。 俺はその後ろ姿を黙って見送った。 — 「こんなにたくさん作って、どうするおつもりですか?」 「食うんだよ。俺とアンタで」 俺が買い出しに行き、冷蔵庫へ詰めた食材は使い切るべきだろうと思った。 だから、カボチャのスープに、ベーコンエッグ、ボイルソーセージ、チーズをかけた粉吹き芋、トマトとツナ缶のサラダに、冷凍フルーツをたっぷり乗せたヨーグルトと、盛りだくさんの朝食となったのだ。 「日持ちのするものや冷凍食品は、残しておいてくれてもよかったんですよ……」 執事は小さな声で呟きながら、サラダのトマトをフォークで刺し、口へ運ぶ。 (そうか。俺にとっては二度と足を踏み入れることがない屋敷だが、執事にとっては秋からCEOと暮らす場所なのだ。きっと彼は、八月中も一人で頻繁に、ここへ足を運ぶのだろう) 「あ、あの……。いえ、アナタの作るもの、美味しいからたくさんあっても食べられますけどね」 「なら、よかった」 褒めるようなこと言われるのも慣れないし、ミカもユニもいないと、二人では会話も弾まなかった。 ただ互いの怪我の状況や、昨晩はよく眠れたかなどと、メディカル面を確認するばかり。 どうも調子が狂うのは、二人とも日常に戻ろうとしているせいだろうか。 — 執事はまだ足が不自由だから、掃除も手伝うつもりだった。 「あぁ、そのままで結構です。明日にはハウスキーパーが入りますから。庭の水やりも、今後は通いの庭師がやります。なにもかも自分たちでやるのは、ここまでです」 執事の言葉は事務的でありながら、少し寂しそうだった。 コイツは、本当は自分で全部できるのだろう。 なんだったら、食事だって作れたはずだ。 しかし、ハウスキーパーや庭師を雇用する立場であり、彼らの領分を侵さないように気を配っているということか。 ただ、朝食の片付けも終わり、水やりも終わり、掃除はしなくていい、となると俺のすることはもうなくなってしまう。 「俺は一旦自宅へ戻って荷物と車を置いたあと、会社へ出るよ。CEOも船旅の後、チラッと会社へ顔を出すかもしれないから」 スーツケースに荷物を詰めれば、帰り支度も終わってしまった。 「えぇ。港には運転手が迎えに行く手筈になっていますので、坊ちゃんが会社に寄られる可能性はありますね」 「それに、動物園でミカを見つけるために力になってくださった方や、報道を抑えるために尽力してくれた人たちに、礼をしなくてはならないからな」 「どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。山本さんやご近所の皆様には、後日私から、ご挨拶しておきます。浴衣もご返却しなくてはなりませんし。これからも、ご近所付き合いは続いていきますから」 執事も、もう帰り支度が済んでいるようだ。 「車で送るよ。マンションまで」 「いいえ結構です。電車で帰ります。この足で何でも出来るようになっておかないと、坊ちゃんのお役に立てません」 それはあまりにいつも通りの執事の返事で、嬉しささえも感じてしまう。 「強情だな。荷物はどうするんだ?持てないだろ。タキシードもあるし」 「後日取りに参ります。というか、私は徐々に居住拠点をこちらに移してまいりますので」 「俺がプレゼントしてやったタンクトップと短パンは?」 執事はわざわざ自室へ戻り、カラフルな巾着袋を持ってくる。 それはバザーで販売されていたもので、協賛のつもりで執事も購入していたと知れば、流石としかいいようがない。 「この巾着袋に入れて、お屋敷に置いておき、またプール掃除をするときに使います」 「そうか」 (デッキブラシは行方不明のままだが、どうするつもりだろう。とはいえ、もうプール掃除を手伝ってやることもできないんだな。そう思うと、やはり少し寂しい) — 俺は自分のスーツケースを、オレンジ色の愛車に積み込む。 執事は戸締りと火の元を確認し、セキュリティの人感センサーのスイッチを入れる。 いつもの革靴ではなく、捻挫のせいでサンダルを履いている執事を、拒まれたとしてもマンションまで送ってやるつもりだった。 「結構です」そう言われても、無理矢理車に乗せようと、考えていた。 「あ、あの」 「さっきから、なんだ?」 「いや、どうかお元気で」 執事は朝から、何かを俺に言おうとしてる。 それが一体何なのか、変に気になってしまう……。 「とりあえず駅まで送るから乗れよ」 執事は思いの外素直に、助手席へ乗り込んだ。 車の中で何かを俺に伝えたいのだろう。 しかし、相変わらず言い淀み続けている 「ちょっとアナタ、駅はこっちですよ!」 「意地をはるな。マンションまで送ってやるから。だってサンダルだろ?」 執事はそれ以上の抵抗をしなかった。 まるで、少しの猶予ができ安堵したかのようにすら見える。 「この車、眠くなるんですよね……」 外の景色を見ながらそう言ったが、少しも眠そうではない。 緑の多かった風景に大きなビルが混じり始めた頃、彼はようやく口を開いた。 「あ、あの……。一昨日、森の、奥深くまで、探しに来て、くださり……、ありがとう、ございました」 「えっ?」 俺はハンドルを握りしめ前方を見たまま、声に出して笑い出す。 「ハハハ。おい、アンタまさか、俺にお礼を言うのをそんなに躊躇ってたのか。なんだよ、もう。何言われるのか、ドキドキしちゃったじゃないか、まったく何なんだよ」 (この男は、愛の告白でもするような思い詰めた顔をしないと礼も言えないのか) 執事は真剣な表情を崩さぬまま、俺に告げる。 「私たちは、もう会うことはないでしょう。明日からは、私が坊ちゃんをマンションの駐車場まで見送り、運転手に託し、アナタが会社の車寄せで出迎えます。そして帰りはアナタが見送って運転手に託し、私が出迎える。接点はありません。ですから、最後にきちんとお礼をお伝えするべきだと、思いまして」 「そうだな……。アンタも早く足を直せよ。CEOのために」 「はい。アナタも坊ちゃんが困ったりせぬよう健康でいてください」 車をマンションの地下駐車場には入れず、路上に停めた。 「ここでいいか?」 「はい、もちろん。……私は坊ちゃんの公私の私を支えます。アナタは」 「俺は公を支える。共に頑張ろう」 「ええ」 「楽しい夏だったな」と伝えようかと思ったが、互いに百も承知だとその言葉を飲み込む。 助手席が開き、荷物の少ない執事は松葉杖と、夜露のシミの残ってしまったブリーフケースを持って車を降りた。 手を振ることなく、振り返ることなく、松葉杖の執事はマンションに向かって歩き始めた。 (完) --------------- 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 マドカさんとハリーが電話するお話「SS・電話」をご用意しましたので、ぜひ続けてお読みくださいませ。

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