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第12話 昼夜は別の世界

「雅紀、起きろ」  夢か現か、生田の耳に久世の声が聞こえてきた。  目を開けて飛び込んできたのは見覚えのない部屋。  そして、見るも美しい彼。  なぜ久世がいるのだろうとぼんやり考えて、ここが彼の部屋であることを思い出し、なぜ自分がいるのかの理由にまで至ったと同時に飛び起きた。 「何時?」 「始発に間に合う時間だ」  その言葉で安堵して、再びベッドへ倒れ込む。 「いや、でももう起きてくれ」  くそ。眠くて死にそうだ。  無理やり身体を起こした生田は、肌触りのよいシーツとふかふかのベッドに後ろ髪を引かれながらも、なんとかベッドから下りてリビングへと向かった。 「着替えはそれでもいいかな? 朝食は用意したんだけど、ギリギリまで寝ていたほうがいいと思って使い捨ての容器に入れてある」  久世は言いながら生田のバッグの横にある紙袋を指し示す。 「ありがとう。至れり尽くせりだな」 「それよりも水を飲め」  今度は水の入ったグラスを手渡される。   「まじで甲斐甲斐しい」    受け取りつつ欠伸をしながら腰を下ろすと、久世は居住まいを正しておずおずと口を開いた。 「雅紀、昨日のあれは……」  急いで水を飲み干して、立ち上がる。 「洗面借りるよ」  生田は逃げるように、いやまさに逃げるために足早にバスルームへと向かった。  シャワーを浴びている時間などないが、洗面台の蛇口がシャワーヘッドになっているのを見て、頭だけでもと考えた。    ややぬるめに設定した湯を浴びて、少しずつ動揺を鎮めながら、昨夜のことを思い出す。  ばかなほど身体が熱くなり、高ぶりを抑えることができず、久世にキスを──しようとしたことを。  そう。あのとき押し倒してやらんばかりの勢いで彼の腕を引き、首元に手を回したはずだった。  しかし、彼は触れる寸前に後退り、生田の腕からするりと抜けて、顔を真っ赤にしたあと寝室から逃げ出ていったのである。  つまり、あっさりと拒否されてしまったのだ。  それを蒸し返そうとするなんて、意外にも久世は残酷な面を持ちあわせていたらしい。  少しばかり彼らしくない気もすることから、同性同士がゆえに思いも寄らず、驚いてしまったからだとは考えられるかもしれない。  だとしてそんなものは、もしそうであったならばと願う一縷の希望に過ぎない。  あしらわれた経験は初めてのことではない。  ただ、その相手のことはすでに顔どころか名前すらも覚えていない。そもそも生田のほうにもその気がなく、お約束に乗ろうとしてかわされただけの、二度と会う機会がないような相手だった。  同じように、新幹線の距離に住む久世とも道でばったりなんてことはないから、連絡を取らなければ会う機会はないだろう。  気まずく思うなら、新幹線代の返却も電子マネーで送金してしまえば済む。  しかし、できることなら彼との友情は続けたい。  二度と会わずに済むなんて考えたくない。  なにかしら上手い言い訳でもして、なかったことにできないものか。  考えた挙げ句、とりあえず気まずさを残さないために友人として自然に振る舞おうと決めた。    はずだったのだが、決意も虚しく、東京駅へと向かう車内では互いにほとんど口を利かなかった。  久世の目の下には隈があり、何度かこくりとし、ハッとするような動きを見せていたことから、車の振動で寝落ちてしまいそうになっていたのだと思う。  生田のほうも言い訳など一つも思いつかなかったばかりか、無関係の話題を持ち出す勇気も出ず仕舞いだった。  駅前のロータリーに到着し、降りようとしたところ久世から封筒を差し出される。 「現金で申し訳ない。チケットを買う時間はなくて」 「それくらい自分でするよ。こどもじゃないんだから」 「……本当に悪かった」 「なにが……ああ、えっと、こちらこそ申し訳ない。ありがとう」  危うく勘違いした返答を口走るところだった。  久世の謝罪はキスを拒否したことではなく、最終を逃させてしまったことだ。  動揺を悟られないように生田は笑みを見せ、同じく微笑をたたえた久世に別れを告げて車を降りた。  それから一ヶ月が経った。  三週連続で週末を過ごした久世とは、一切の連絡を取っていない。  彼からのLINEや着信はあった。  しかし、生田はどちらも無視を決め込んだのだった。    なぜなら、律やみどりからではなく、驚くべくことにみどりの両親から連絡をもらったからである。  孫の父親が逃げおおせると思うな、などと脅迫されたわけではないものの、それに近いことを遠回しになじられ、電話を受けた翌日に青森へと飛ばざるを得なかった。  文字通り飛行機で、みどりや生田の実家がある県へと。    みどりの両親に土下座をしつつ聞いたことによると、彼女はシングルマザーになるつもりで、東京での仕事を辞めて出戻ったのだと言う。  出戻りと言っても、部屋を借りて一人で育てあげるつもりで、産前産後の世話や多少の手伝いを頼みたいというのが理由だったらしい。  なぜ最初から未婚の母になる選択をしたのか、父親はどうしたのかと聞き質しても頑として答えなかったそうだが、高校時代の交友関係を調べて律のことを知り、彼女に詰め寄ったところ、「あいつじゃなくて雅紀よ」という返答を聞いてそれならばと電話をかけたのだそうだ。  ということで、謝罪を済ませたあと、みどりにプロポーズをして、彼女のマンションに転がり込んだ。  とりあえずは有給のある限りではあるものの、同棲、いや新婚とも言える生活を始めている。  律には電話をかけても繋がらず、LINEも既読にならないため、彼がどういうつもりなのかはわからない。  彼女に律とのことを聞くと、一方的に別れを告げて以来電話とメールを拒否しているとしか答えてくれなかった。  みどりがここに落ち着くと言うのなら、青森で仕事を見つけてマンションは引き払うしかない。  ぐずぐずとしていても、お腹の子の成長は止められないのだから。  しかし生田はこの吉報を、未だ自分の親には伝えられていなかった。  音信不通の律が現れて、仲直りをするのではないかとの期待が振り払えず、糠喜びをさせられないとの思いからだ。  そんな小狡い気持ちを抱えながらも婚約者との生活を始めていたところに、久世から連絡が来て何を話せというのだろう。  ただでさえ反応が怖いというのに、こんな事態になったことを話して軽蔑されたらと考えると恐ろしく、かといって嘘をつくような真似もしたくない。    どちらにせよ結婚してしまえば、妻子のある身で飲み明かすことなどできなくなるだろうし、青森と東京で友情を育むこともできそうにない。  会うたびに離れがたくなるのなら、この機会にすっぱりと連絡を絶ったほうがいい。  そう考えて、彼からの連絡を無視し続けていたのだった。

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