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第11話 自覚よりも先に
向かった先はいかにも地価が高そうな、豪邸ばかりが立ち並ぶ閑静な住宅街だった。
敷地はどこまで続いているのやら、塀の外からは建物が見えないほどで、見えてきた邸もかなりの大きさである。
離れとの説明通り、門をくぐったあとしばらくしてようやく現れたその邸を通り過ぎ、車は裏手の方へと向かっていく。
「すご……。これぞ御曹司の実家」
「俺の部屋は離れだから」
「そういうことじゃないけど……なにあれ?」
見えてきたのは、離れと呼ぶには立派過ぎるほどの、これだけでも邸宅と言える規模の家屋だった。
さらに驚かされたのが、純和風の外観とは裏腹に洋風の内装で、物がほとんどなく、だだっ広いリビングの中にあるものと言えば、ローテーブルと大きなソファが二脚、バカでかいオーディオセットとバーカウンターくらいだった。
こざっぱりしているというより洗練されたといえるその空間には、現代アートらしき絵画が何点か壁にかかっているだけで、床は黒の大理石、壁は落ち着いた淡いグレー一色という、小粋なほどスタイリッシュに統制されていた。
「すご……」
圧倒されていると、ジャケットをすでに脱ぎ終えたらしい久世がなにやら手を差し出してきた。
「なに?」
「ジャケットを」
「ああ、ありがとう」
素早く脱いで手渡す。
「着替えを貸すから、シャワーを浴びてくるといい」
「まじ?」
「当然だ。朝は浴びてる暇なんてないだろ」
「ありがとう。助かるよ」
シャワーを浴びることもだが、それ以上にこの離れの内部を探索してみたい。
バスタオルと着替えを受け取った生田は、早速シャワールームへと入り、中を見渡しながら物色を開始する。
下衆であることは承知のうえでの、半同棲状態かどうかの調査である。
女性用のアメニティか、もしくは化粧品などが出てくれば一発なのだが、戸棚を開けても申し訳程度に男性用の化粧品があるだけで、ここにもほとんど物がなくスッキリと片付けられている。
というよりも人が住んでいる気配もないほどだった。
予想を裏切られてもがっかりするどころか上機嫌になってきた生田は、珍しくも鼻歌なんぞを歌いながらシャワーを浴びて、タオルで拭いたあと久世から借りた服を手に取った。
渡してくれたのはシンプルなロンTとブランド物のジャージパンツらしい。
サイズは少し大きいようだが、着られないことはなさそうだと考えながらシャツをかぶった瞬間、ふわりと久世の香りが漂う。
香水か柔軟剤だろうか。清涼感もありつつ甘みのある香りで、漂ったときくらりとめまいがした。
まるで久世に抱きしめられたかのようだと感じてしまって、同時に心臓がどくりと脈打った。
何を考えているのだろう。バカじゃなかろうか。
慌てて落ち着こうとするも、跳ねた心臓は収まるどころかバクバクと早鐘を打ち始めている。
深呼吸をしたあと周りを見渡して頭を捻る。
もしかしたら、別世界のようなこの家に来たせいかもしれない。
新鮮なものや驚くものに出会ったとき、ワクワクとするあの感覚のせいで、くらくらとしたのかも。
そうだ。
この猛り狂う心臓の理由は、それ以外に考えられない。
久世に対して妙な高ぶりを感じたせいではないはずだ。
生田は振り払おうにも動揺を抑えられず、ニコチンで落ち着こうと考えて部屋へと戻り、久世に許可をもらって火をつけた。
「雅紀と飲んだ店のカクテルが美味かったから、少し興味が湧いて練習してみたんだが」
ふうと煙を吐いたとき、久世がグラスを差し出してきた。
「ありがとう」
煙草をもみ消してグラスを受け取る。
そしてグラスに口をつけたとき、ああそうかと気づく。
アルコールで酩酊状態のところにシャワーを浴びたせいで血流が上がったからかもしれない。
そうだ。
二人に相槌を打つばかりであまり飲めなかったが、度の強いワインだったようだから少量でも酔いが回っていたに違いない。
ようやく得心がいった生田は一気にぐいと飲み干して、旨味による刺激でさらに気が紛れてきた。
「めちゃくちゃ美味い!」
「……ありがとう。これはまた違うカクテルなんだけど」
おずおずとした久世に二杯目を差し出される。
なんて用意の良さだろう。
俊介のマンションでの振る舞いといい、自分に対する先回りした厚意といい、気配りのし過ぎだ。
御曹司どころか使用人ですらそこまで配慮できるかあやしいほどのことをやってのける。
これだけの美貌とスタイルを持っていて、人柄さえも隙がない。
話題はさておき、話しっぷりは面白いし、優しいうえに気の利くいい男である。
そう。いい男なのだから、そこには必ずいい女も付随しているはずだ。
見た限り半同棲の形跡はないものの、そもそも金があるのだから同棲などする必要はないだろうし、誰かしら特別な人がいるに決まっている。
連絡もせずに来たせいで、予定をドタキャンさせてしまったらしいが、それは優しさからであって、自分が特別なわけではない……のだろうか。
「どうした? シャワーで酔いでも回ったか?」
グラスを手に立ったまま呆けていたところに、久世が覗き込んで案ずる顔を向けてきた。
「……そう、意外と度が強くて」
声が震えてしまう。
「わるかった。じゃあもっと弱いのに替えようか」
もしかしたら自分は特別なのだろうかとの考えが浮かんでしまった。
そのせいで、さらに彼のことを意識してしまった。
彼が空のグラスを受け取ろうとして手を差し出してきた。
生田はめいいっぱい腕を伸ばしてその手にグラスを渡した。
手に触れないように、注意して。
「いや、アルコールはもういいかな」
「わかった」
近づいたせいで、服の香りと混じり合ってさらに久世の匂いが強くなった。
セットが少し崩れて前髪が顔にかかり、妙に艶かしく見えてしまう。
その下から除く切れ長の目に、射抜かれたように動けなくなる。
「水にする?」
形の良い唇が動いた。
カクテルのせいか妙につやがかっていて、生唾を飲んでしまう。
「あ、うん。水を飲もう、かな」
身体が熱い。
久世のせいではないと思いたいのに、彼を見ているだけで熱くなってくる。
高ぶった理由をアルコールやらのせいにしたばかりなのに、これでは元も子もないじゃないか。
「なんか震えてない? 体調が悪くなったとか……」
水の入ったグラスを手にした彼が、再び近づいてくる。
「そんなわけないだろ……」
彼の顔を見ることができず、顔を背けることしかできない。
「いや、もう横になったほうがいい」
彼の手がグラスを持つ手に触れたとき、理性がぐらりと揺れた。
もう無理っぽい。
久世は同性だが、そこのタガは外れてしまっているらしい。欲情する相手ではないはずが、彼でなければ収まらなくなっている。
数秒ほど逡巡したのち、脆くも崩れていく理性に別れを告げた。
グラスを持っていないほうの手で彼の腕をつかみ、息を呑む音を聞きながら腕を引いて彼を抱き寄せた。
「雅紀?」
アルコールやシャワーのせいではない。
この高ぶりは、互いに了承し合って連れ込んだ女性であるなら迷うことなくベッドへ押し倒している、それと同種のものだ。
彼の体温を感じるだけでなく、キスをしたい。
匂いに包まれるだけで終わらず、あの首筋に唇を這わせたい。
「……絶対に熱がある」
しかし、キスをするために彼の首筋に腕を回そうとしとき、ムードもへったくれもない声を耳にして硬直してしまう。
さらには所在なく宙をかすめた腕を逆に掴まれ、支えるように背中を押して歩くように促された。
「なに?」
「もう横になったほうがいい。明日起きられなくなるかもしれない」
「えっ?」
気まずさを振り払おうとするでもなく、嫌がっているわけでもなく、本当に心配しているらしい態度で寝室へと誘導される。
ベッドルームはこれまた物がなくこざっぱりとしていて、部屋の真ん中にデンと置かれたキングサイズほどのベッドへと連れて行かれ、甲斐甲斐しくも寝かしつけられる。
なんだこれ? どういう展開?
いきなりのことで目を点にしているところに、久世が水や体温計を持ってきて、薬がどうのとなにやらほざき始めた。
こちとらそれどころじゃないというのに、何をしているのだろう。
柔らかいベッドと肌触りのよいシーツに高ぶりをさらに煽られ、洒落た間接照明に睦言を期待させられ、今にも触れたくて気が狂いそうだというのに。
「あのさ、まじで熱とかないから」
「いや、かなり熱いぞ」
「シャワー浴びたのとカクテルのせいだよ」
「でも身体が震えてる。これから熱が出るのかもしれない」
「いい加減に落ち着けよ。まじで平気だって」
言いながら起き上がろうとするも、肩を掴んで寝かされてしまう。
「寝てろ。いきなり熱くなるなんて病気以外にないだろ」
まったく聞き耳を持ってくれない。
なんて思い込みが激しいやつなのだろう。
いっそのこと本当に押し倒してやろうか。
同性を押し倒したとしてどうすればいいのか知らないけど、既に欲情してしまっているこの状況では、考えたところで今さら遅い。
「透」
とはいえ、押し倒すにも向こうのほうが確実に力が強い。こっちが引きずられたくらいだから、強引にするのは無理がある。
「どうした?」
「透も一緒に……」
だから言葉で誘おうとしたけど途中で挫けてしまう。
そんな真似をしたことがないばかりか、なんとも気恥ずかしいうえに誘い文句も思いつかない。
いつもなら自然とそういうムードになって、流れるように事を始められるはずなのに。
久世は人の気も知らず、眉間に皺を寄せて訝しむようにこちらを覗き込んでいる。
何その顔。
心から心配してくれているようだが、欲情した男の目に映るそれは期待を煽っているようにしか見えない。
「なんでもない、もうひとりにしてくれ」
交渉する勇気もなく、ムードをつくるのも面倒になり一人で耐えることにして布団を頭からかぶった。
「……わかった。始発に間に合うように起こすから」
すると気が咎めるほど寂しげな声が聞こえてきて、直後にドアの閉まる音がした。
「あー、くそ!」
勘違いしたらしい。いや、説明もなくあんなことを言ったのだから当然だが、だとして素直すぎないか?
抱き寄せてキスをしようとしたじゃないか。
男同士だから、そんなはずがないと思い込んでいるのかもしれないが、少しは頭を使ってくれよ。
生田は寝室を出てリビングへとやってきた。
「おい、勘違いするな」
久世はバスローブを手にしていた。シャワーを浴びるつもりだったらしい。
「ひとりにしただろ」
「ああ、でもその目的を勘違いしてる」
「……気味が悪いと思われるのは慣れている」
「は? 誰が透のこと不気味に感じるんだよ」
しかし、久世は目をそらして、返答の拒否を表した。
「あのさ、他の理由を思いつかないわけ?」
生田は近づいて彼の腕を掴んだ。顔すら背けたから表情を伺うためである。
しかし、即座にその行動を後悔した。
彼は上目遣いでこちらに不安げな顔を向けていた。
目は潤み、唇を噛んでいるせいで赤く染まり、またあの庇護欲を、いや欲望をそそる顔をしている。
そんな久世の姿を見たら、ごちゃごちゃ考えるどころではなくなってしまった。
生田は彼の腕から離した手を今度こそ首元のほうに回して引き寄せ、物言わぬその口にキスをした。
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