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第17話 八乙女の目的

 居丈高に意気込んでいた王様は、しかし姫にこてんぱんにやられていた。  素人目に見ても八乙女が上手いのはわかる。彼の正確なショットや俊敏な動きは、おそらくプロにも匹敵するであろうほどのものだった。  ただ久世がさらにその上をいっていただけだ。  上背があるのに細身だからか驚くほど身軽で、ふと気づくといつの間にやらといった感じでコートの端へと移動している。そのスピードだけでなく、相手が打ち返す前にボールが来る地点で待ち構える先読みの鋭さも、八乙女を凌駕していた。  結局三試合して一度も勝てなかった八乙女は、そのかわいらしい顔を苦悶に歪めていた。 「ナスターシャをランキング上位にまで上げた腕を買って雇ったのに、やはり世界ランクは二桁止まりのコーチはだめだな」 「ヴァンサンをくびにするのか? いい男なのに」  西園寺がため息交じりにタオルを手渡す。 「そっちはよくても透に勝てるようなコーチングができないなら意味はない」  受け取った八乙女は、憎々しげに久世を睨みつけたあと、宿のほうへと戻っていった。 「すごい一面を見た」  片付けを終えたらしい久世が、にこりともせずやってきたのを見て声をかけた。 「別に。大したことはない」 「それ、絶対八乙女さんの前で言わないほうがいいよ」 「……雅紀は時間大丈夫なのか?」 「えっ?」  その言葉で思い出してスマホを見ると、すでに4時近くになっている。  しかもLINEの通知があり、焦って画面を開くとみどりからで、「今夜友人と会うことになったから夕食はいらない」とあった。 「今日は帰りが遅いらしい。夕食の用意をしなくて済みそうだから、まだ余裕はあるっぽいな」 「そうか。空港に車を置いたままだから、ヘリで送ってもらうわけにはいかないからな」 「ヘリで行っても着陸するところなんてないよ」  つっこんだものの、久世の言う通りである。  彼女は生田と似たタイプなので仕事帰りに飛び回るのは珍しくないが、最近はつわりが始まったからと言って控えていたはずなのだ。  体調がいいのか、久世のことを気遣ってくれているのかはわからないが、だとしても昨日のように遅くなるわけにはいかない。  久世とともに宿へ戻ると、大浴場なるものはないとの説明を受けつつ個室へと案内された。  しかしそこには西園寺の姿しかなく、聞くに二部屋取ったらしかった。 「向こうは志信が使ってるから、おまえはこっちの風呂を使え」  西園寺に促された久世は、ちらと一瞥をくれただけで何も答えずまっすぐにバスルーム、いや専用露天風呂へと向かっていった。  勝手知ったる行動を見るに、初めて訪れたわけではないのかもしれない。 「生田くん、志信の様子を見てきてくれないか?」  部屋の入口に突っ立っていた生田のところに、なにやら眼前にまで近づいてきた西園寺が見下ろしながら言う。 「なんで僕が……」  威圧するかのごとく言われて、返答に詰まる。 「俺が行っても透の味方だと思われるからだ。生田くんのほうが志信の慰めになるらしい」  大の男がスポーツで負けたくらいで慰めを必要とするのだろうか。  そう考えたものの、八乙女の悔しげな顔を思い出すに、御曹司という人種は無様な結果を受け入れ難いのかもしれないと思いつく。  しかし、だとして西園寺は一緒に旅をしているくらいの仲であるのに、なぜ久世の味方だと思われるのかまではわからない。 「……わかりました」  とはいえ、久世が風呂を浴びている間やることがあるわけでもない。  人を楽しませるのは好きなほうだ。  余りの完敗っぷりに少しの憐れさも抱いていた生田は承諾して、八乙女のいる部屋へと向かった。  ノックをしたものの応答がない。  おそらく入浴中なのだろうと考えつつ中へ入ると、予想通り八乙女の姿はなかった。  この部屋もやはり驚くほど広く豪華なつくりだが、個々に大した違いはないらしい。  そう考えつつきょろきょろとしていたところ、座卓のうえにメモ用紙があるのに目が留まる。  見ると、印刷されたような美しい筆跡で「雅紀くんもきて」と書かれてあった。  温泉宿なのだから、まあ普通のことだ。  友人ときて一緒に入るのは当然である。  しかし、大浴場でもなく、個室の風呂でとなると状況は違うだろう。  いつぞや久世と泊まったスイートを思い出すと、少しのためらいがある。  とはいえ、あのとき意識していたのは相手が久世だからで、生田が一人で動揺していただけである。  今の場合は相手が違うのだから、ためらうほどの理由はない。  初対面でいきなりというのも、生田にとっては大したことでもなく、友人の友人にたまたま遭遇して、ノリで裸のつきあいをしたこともあるくらいだ。  そう結論付けながらも、実のところは、これほどの宿の個室露天風呂なんていかばかりのものかという、風呂好きがゆえの興味を抑えられなかっただけだった。    脱ぎ終えてタオルを片手に風呂場へ行く。 「すごいですね」  八乙女に声をかける前に感嘆の声が先に出た。  小規模の宿ならこの広さで大浴場と言えるほど広い。なんなら泳げそうでもある。 「……透のやつはおとなしく向こうの湯に浸かっているのかな?」  広々としたその露天風呂でリラックスした様子の八乙女が、アルコールかジュースの入ったグラスを手に問いかけてきた。  その姿を見て、踏み出そうとしていた足が止まる。 「だと思いますが」 「なにそれ? てか立ってないで入りなよ」    八乙女は、その少年のようなあどけない顔立ちにそぐうほど中性的な肢体で、肌の色も白い。  足が止まったのは、一瞬女性であると見紛ってしまったからだった。 「先に身体を洗いますから」  八乙女のほうを見ないように、さらに自分の身体も隠しながらシャワーのあるところへ行って宣言通りに洗い始める。  汗をかいたわけではないものの、頭から湯をかぶった。  別に理由はない。単に癖というか、さっぱりさせたかったからだ。  これまで同性に対して妙な気を起こしたことはない。久世を別としてだが。   「あー、身体が痛い」  洗い終えて声のするへ目を向けると、グラスを空にした八乙女が伸びをしていた。 「雅紀くん、洗い終わったんなら、ちょっと肩揉んでくれない?」  目が合った彼にそう言われ、頼みを聞くかは別としてとりあえず湯に入る。 「こんなところでマッサージですか?」  ここまで豪華な宿なら出張マッサージなり頼めるだろうに。なぜわざわざ、と考えて思いつく。  もしや、これが慰めることの目的なのだろうか。  王は、見知らぬ他人に依頼をするよりも身近な臣下を使えばいいと考えたのかも知れない。  西園寺ではだめだというのも、久世云々ではなく、単に力が強そうで嫌だったからなのかも。 「そう。腕と肩。普段とは違う筋肉を使ったせいで筋肉痛になりそうなんだ」  それは嘘だ。  なにやらコーチを雇ったという話を聞くに、相当な練習を積んでいるはずである。  とはいえ、断る文句も思いつかないし、慰めるためならまあいいか。  豪華な露天風呂でご機嫌の生田は深く考えるのも面倒で、彼の腕をとって、なんとなくそれっぽい感じにもみ始めた。  しかし湯に浸かりながらだとやりづらいし、妙な気分でもある。セクシャルというのではなく気恥ずかしいという意味で。 「ん……」 「痛かったですか?」 「ううん、気持ちいい……雅紀くん上手いね」  何やら吐息交じりな声を出す。 「そんなことないですよ。マッサージなんてしたことないですから」 「ん、そうなんだ? 信じられないな。……ああ、いいよ」 「ここですか?」 「そう、そこ。あ、うん、んふ……いいね」  なにやら艶めいた声を耳にしながら華奢な腕を揉んでいると、マッサージしていることだけでなく、相手が同性であることすら忘れそうになる。   「背中もしてくれる?」  横目でこちらを見た彼は、科をつくっているかのごとくの色気すら帯びている。   「こんなところでどうやって背中をマッサージするんですか?」 「んん、後ろから押してくれるだけでいいから」  八乙女は風呂の端にもたれていた身体を起こして反転すると、縁に両手をかけて突っ伏した。  仕方がない。  かすかにため息を漏らして、生田はまるで女性のようなその背中に指を置いた。  肌は滑らかなほどで、久世を彷彿とさせる。  御曹司という生き物は全身の手入れも欠かさないのだろうか。  女性ならわからないでもないが、男でここまで徹底しているのは珍しい。 「あ、ん、いい……はあ」  進めていくと、彼は先ほど以上に吐息をもらし始めた。 「んん、すごくいい」  その声はだんだんと艶を増し、何をしているのかわからなくなってくる。 「雅紀くん……」    まさかのことだが、それ以外に考えられない。  同性同士というのを抜きにすれば、笑ってしまうくらいにあからさまだ。  いや、もし本当にそれが目的だとしたら、同性だからこそ、こんなべたな真似をしているのかもしれない。  おそらく、いや確実に八乙女から誘われている。  今にも風呂の縁にかけている手がこちらに伸びてくるのではないかと戦々恐々とするほど、彼の所作は色気たっぷりで、声も喘いでいるようにしか聞こえない。  もし相手が女性で、以前の自分だったらとっくに事を始めていると思うほど艶めかしい。  いや、性別関係なく、ここまでされたらちょっと収まりが利かないというレベルだ。    しかし、もう以前の自分ではない。  久世に出会ってからというもの、どんなに好みの相手に色目を使われても、まったくその気にならなくなっている。  結婚する予定のみどりに対してすら手を出す気が起きないのだから、こんな真似をされても困惑する以外にない。  ただただ面倒なだけである。  久世すら気が引けるほどの御曹司を相手にどういなせるのかわからないが、なんとかしてこの場を切り抜けなければならない。  さて、どうしたものか。  

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