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第22話 現れたのは

 真夜中の日付が変わった頃、生田の耳にインターホンの音が届いた。 「……どうぞ。鍵は開いてる」  答えたあと、解錠ボタンを押して再びソファへと戻った。  テーブルのうえには空き缶が散乱している。何本空けたのか数えてもいない。  いくら飲んでも酔えないまま、一向に現れない彼を待ち疲れ、苛立ちすらも過ぎ去っていた。  電話をかけたのは日が傾き始めたばかりの、まだ午後も早い時間だった。  東京からなら、遅くても夕食をともにできるくらいには着くはずの時間である。  何時に行くとは言ってなかったから、用事があったのかもしれない。  彼のために作った夕食が冷え切るまでは、そう考えていた。  しかし、西園寺といたのかもしれないと考え始めたら止まらなくなり、引き止められたか、もしくは遠方に旅行でもしていたのかと嫉妬に駆られ、酒に助けを求めていたのである。  少しして、カチャリとノブが回り、リビングのドアが開く。  不機嫌であることを隠そうともせず、むしろ伝わればいいとの思いで、生田はうつむいていた。  目も合わせてやるものかとの想いも込めて。 「遅くなってごめん」    しかし驚くことに、聞こえてきたのは彼の声ではなかった。 「……八乙女さん?」  こちらへ向かって歩いてくるのは、すらりと背の高い彼ではなく、小柄で中性的な八乙女だった。 「ふふ。驚いた?」  にやにやとした笑みを浮かべた八乙女は、そばにまで来て足を止め、テーブルのうえに置かれた包装紙を手に取った。 「これが透を沖縄から呼び出した理由?」 「……沖縄?」 「そう。大変だったよ。離島だったからね。飛行機と船を乗り継いで」  予想が的中したようだが、まさかそんな場所だったとは。 「それで、なぜ八乙女さんがここに?」 「透から頼まれたからだよ。取りに行けないから代わりに行って欲しいって」  嘘だと思いたい。  しかし、だとしたら八乙女がここにいるはずがない。  くそ。バカみたいにはしゃいでいたのに、まさか代理を立てるなんて、失望どころではない。なんの仕打ちかと思うくらいにショックだ。 「……それに、毎晩二人の声を聞いていたら、ぼくも誰かにそんな声を出させて欲しくなってね」  しかも、なぜそんな追い打ちをかけるようなことを言うのだろう。 「じゃあ、それを透に渡しておいてください」 「わかった。悠輔との時間が終わったら返しておくよ」    やはりというか、当然というか、元という冠は取れたらしい。  だとしても来ると言ったのだから、八乙女に頼むなら頼むで先に連絡しろよ。 「いつ東京へ戻るんですか?」  用が済んだのだからとっとと帰って欲しい。ダメージを受けすぎて相手なんてしている余裕はない。   「こんな時間じゃ新幹線なんてないよね……あ、ぼくも飲みたいな」  八乙女はテーブルのうえに転がった空き缶を見やりながら言う。  確かにこの時間に着いたということは、彼の乗ってきたであろう新幹線は最終のはずだ。いくら苛つく相手でも、追い返すわけにはいかない。 「どうぞ。冷蔵庫にまだありますから」  ため息混じりに答えると、ふふ、と再び三日月のように目を細めた八乙女は、「じゃあ遠慮なく」と言いながらキッチンへと向かっていった。 「雅紀くんも飲みなよ」  一分ほどして、プシュと缶を開ける音を鳴らしながら、両手に缶を持った八乙女が戻って来た。  差し出されたビール缶を受け取り、ぐいと喉に流し込む。  酔えずとも酔うまで飲んでやれ。こうなったや自棄(やけ)だ。 「いい飲みっぷりだね」  ソファの隣に腰かけた八乙女が、缶を指でつまんでひらひらさせながら覗き込んでくる。 「……まだたくさんあったみたいだから、おかわりを持ってきてあげるよ」  手にした缶を再びぐいとやり、八乙女がもう一度キッチンへと消えていった姿をうつろに見る。  生田は、酔えないと思いながら次々に缶を空けていたものの、その実相当に酩酊した状態だった。  そのため、戻ってきた八乙女から手渡されたビールを再び飲み干し、彼が隣に座ってしなだれかかってきても拒否することに頭が回らなかった。  それをいいことに膝の上にまで乗ってきた八乙女から、首に腕を回されても、露天風呂のときのように背けることもしなかった。 「おとなしいね」  八乙女の声が耳元で聞こえる。同時に息がかかって全身が泡立つのを感じた。 「反抗的な男を屈服させるのが好きなんだけど、まあ、この場合もそうと言えるかな?」  首の後ろに回されていた手がぐいと引かれ、彼の顔が近づく。  アイドルグループのセンターでも張れそうなかわいらしい顔が、ぞくりとするほどの妖艶な笑みを浮かべている。  ふっくらとした果実のような唇が、今にもついばめるほどの距離にまで迫ってくる。  その気はない。  確かに魅力を感じはするものの、だからといって欲情するわけではない。  ただ、何もかもどうでもよくなってしまった。  男を相手にどうするのかは未だに知らないままだが、八乙女は女性を相手にするのと変わりはないと言っていたから、なんとかなるだろう。  憂さ晴らしのセックスなんて何度もしてきた。  何十人もの肌に触れ、その唇にくちづけて、悦びの声をあげさせてきたのだから、相手が男だろうが、強引で気に食わない八乙女だろうが構うまい。  久世に出会って以来、誰ともしていなかったのも、彼に操を立てていたわけじゃない。  彼は友人なだけで、恋人でもなく、片思いをしているわけでもないのだから。  だから、他の人とキスしたって── 「……下りてください」  だとしても、無理だ。  彼に操を立てる必要がなくとも、彼を求めながら他の人間を相手にするなんて、自分で自分を許せない。  触れる寸前で八乙女の腕を掴んで身体を引き離した。 「いやだよ」  しかし彼は気にすることなく、足の間に手を伸ばして撫で始めた。  拒否しているのに迫るのはセクハラだぞ。 「僕にその気はありません」  撫でさすっていた手を掴んで精一杯凄んだ。  凄むというか、拒否の姿勢というか、とにかく睨みつけて、絶対に言う通りにはならないという意思を示した。 「それ、そそられるだけって言っただろ?」  これでも効かないらしい。   「……下りてください」 「いやだ」 「いやなのはこちらです。いい加減に下りてください」 「ぼくが満足するまで離れない」  言いながら、膝の上でもぞりと動いた。彼の身体がこすれて刺激を受けてしまう。  この野郎。言っても聞かないばかりか、諦める気もないらしい。  ということはまた無理やり立ち上がるしかない。  湯の中とは違って、ソファのうえからだと怪我をしかねないが、言っても聞かないのだから仕方がないだろう。  そう考えて、無理やり立とうとしたとき、八乙女は言った。   「透に惚れても無駄だよ」  どきりとして、身体を強張らせてしまう。 「……雅紀くんには悪いけど、透はなんでも手に入れることのできる立場にある。見た目も悪くないし、スタイルもマシなほうだろう。金もあるし、祖父を首相に持つ秘書官で、ゆくゆくは久世家を継ぐ男だ。まあ、どれもぼくと比べたら大したことじゃないけど」  わざわざ言い添えた自慢はさておき、久世への評価はそのとおりだ。  彼は、望めば女どころか男をも振り向かせるほどの魅力に満ちている。  それに八乙女はそこまで知らないのか、敢えて言わないのかはわからないが、彼は御曹司らしからぬほど世話好きで甲斐甲斐しく、優しさもあり、物腰は丁寧で、映画おたくの度が過ぎることを除けば……いや、そこすらも魅力と言える。  なんせ、話は面白いし、語る姿もうっとりするほど素敵なのだから。  だから、わざわざ言われなくても承知している。  彼に値しないことなんて、自分が一番わかっている。   「だとしても、八乙女さんと関係を持つことはしません」 「なんで? 透のことが好きでも弄ばれるだけだよ」 「そんなの関係ありません」 「関係ない? そんなに好きなの?」 「ですから、好きとかそういうレベルじゃ……」  言いかけて気がついた。  彼に対する想いは、好きだの惚れているなどのレベルじゃない。  これまで誰にも恋心なんて抱いたことがなかったから、それがどこまでの深さなのか、今の今まで量ろうともしていなかった。  なんてバカなんだろう。  友情や情欲だけで、こんな想いを抱くはずがない。  誰にも触れさせたくないという独占欲や嫉妬、結婚するはずだったみどりに対するそれとは比較にならないほどの想い。  会いに行くと言われただけではしゃいでしまうほど嬉しくて、会えたら時が止まって欲しいと願うくらいに楽しい。   彼に危険が迫れば身を挺しても守りたい。彼のためなら地球の裏にまでだって飛んでいく。彼の笑顔を見るためならどんな無理でもする。力の及ぶ限りのすべてを彼に注ぎたい。  これほどまでに抱いた想いを表するなら他にないだろう。  彼を愛している。  そう、表現する以外には。 「出かけるので、下りてください」  もう遠慮はしない。  八乙女を抱き上げるように無理やり持ち上げて、隣に座らせた。  そして立ち上がり、テーブルのうえの煙草を掴んでベランダへと向かう。  彼に対する想いがどういうものなのかにようやく気がついて、興奮した頭を冷やすためだ。  それと、今にも会いに飛んでいきたい衝動を、少し落ち着かせるため。  一人なら駆け出ていたかもしれないが、八乙女を放置したまま慌てて出るわけにはいかない。 「出かけるって、どこに行くの?」  八乙女がコートを羽織ってベランダへやってきた。  その様子を見るに、誘惑の真似事は諦めてくれたらしい。 「東京です」 「それって、透のところってこと?」 「はい」 「真夜中だよ?」 「……車で行きます」 「じゃあ、ぼくはどうしろと?」 「……乗っていきますか?」  答えると、八乙女はそのかわいらしい顔に似つかわしくないほどの勢いで吹き出した。   「ぼくにも一本くれる?」  おかしげに言う八乙女に向けて、ポケットから取り出した箱を差し出す。 「ありがと」  一本抜いてくわえたそれに、火をつけてやる。  ふうと煙を吐いた八乙女が、夜景を見やりながら言った。 「……まあ、弄ばれたら、いつでもほくのところにおいでよ。ぼくは未だに雅紀くんのことをタチだと思ってるけどね」

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