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第4話
「字、読める?おじさんが読もうか?」
「ううん、一人で読むの好きだから大丈夫」
拓斗くんはそう言ってたくさんある絵本から一冊を受け取ると、真剣な表情で見入っていた。たまにパラリと紙をめくる音以外には、向こうの道路を通る車の音と松虫の声がするくらいで、静かな時が流れて行った。
不思議と最初の気まずい気分は消えていた。私も、麻由子が小さな頃は何度も絵本を読んでやったものだ。それ以外の育児はほとんど何もしなかったが。拓斗くんはじっと本を見つめていた。何かに夢中になっている子どもの表情は、とても尊く感じられた。そうして何冊かを読み終えて、最後の一冊を読んでいた時だった。
「パパ!!」
拓斗くんは、絵本をパタリと閉じると、父親に駆け寄った。時刻は7時10分過ぎで、あたりはすっかり暗くなっていた。高山は朝と同じダークスーツ姿だったが、近くのスーパーのビニール袋を提げていた。仕事終わりだからか朝は30そこそこに見えたが、今は疲れているのか40過ぎくらいに感じた。私の姿を認めて、ひどく驚いた表情に変わった。
「すいません!!泉さん!ご迷惑かけて‥」
「いや、気にしないで。とってもお利口さんでしたよ」
「そうだよ、パパ。」
コラ!と、高山は小さく足元に纏わりつく少年を叱った。拓斗くんはササッと今度は私の脚の後ろに隠れた。ズボンのお尻あたりを引っ張る小さな手が可愛らしかった。片手にはまだ本を握りしめていた。その表紙には灰色のクマの絵が描いてあった。
「拓斗くん、よかったらその本持って行くかい?」
「えっ!?そんな、悪いですよ!」
「いいんですよ、うちは孫もいないし、読む人なんていないので。気に入ったなら持っていって」
「おじちゃん、ありがとう」
「本当にすいません‥‥。ありがとうございます」
「いいんですよ、気にしないで。まだたくさんうちにあるからね、今度遊びに来てね」
「うん、おじちゃん、またね」
「すみません、お礼はまたの機会に。」
高山は深々と頭を下げると、やはり疲れた様子で子どもの手を引いてエントランスへと入って行った。私は拓斗くんが振り返った時に白い八重歯を見せたのを見て、手を振った。これから高山は子どもを風呂に入れて、ご飯を2人分作り、明日の学校の準備をするのだろうか。仕事が終わってからも、きっと大変だろうな‥‥と考えた。母親がいない、というのはどういう家庭なのか想像もつかなかった。自分の母親は10年前にとっくに死んでしまっているが、子どもの頃は家に母親がいるのが当たり前だった。結婚してからも、妻が家のことはしてくれていた。女のいない家庭で、しかも小さな子どもがいるというのは自分の想像もつかない苦労があることだろう。
よっこらせ、と2人分の折りたたみ椅子と、いくつか持って来ていた絵本を抱えて家の方へ向かった。私も今から味噌汁を作り、鮭を焼かなくては。そういえば、金曜日のために買った紺のポロシャツもタグを外して洗濯しておかなくてはいけない。明日の天気はどうだっただろうか?いつになく慌ただしい一日だったな、と思いながら自分の家の門を開けると、今朝見た白い彼岸花が咲いているのが見えた。瑞々しく、しなやかな細い茎が白い花を揺らしていた。
明日は洗濯が終わったら百合子の墓の掃除に行こう。ついでに墓と仏壇に飾る花も買いに行くとしよう。そういえば百合子のウェディングドレスは居間に出したままだった。百合子の遺影のある仏間に置いておこう。麻由子が結婚と聞いたら百合子はどんな顔をしただろう――
私は少し感傷的な気分になりながらも、古い絵本を抱きしめて玄関のドアを開けた。
つづく
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