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第1話 その手はまるで陽だまりのようで
「綺麗な瞳だな。まるで穏やかな炎みたいだ」
目の前の少年のその言葉に、イグナスは即座に察した。
――ああ、またこの夢か。
これまで幾度となく見たこの光景は、夢であると同時に、イグナスの過去の記憶でもある。
繰り返し夢に見るほど、彼との出会いは鮮烈だった。
「名前がないのなら、俺がつけてやるよ。赤い炎――イグナスなんてどうだ?」
少年のあどけない、でもどこか凛とした顔が緩む。
夜を溶かしたような黒髪の隙間から見える瞳が、まっすぐにこちらを捉えていた。
「俺と一緒に来い、イグナス」
言葉と一緒に延ばされた手に、自身の手も伸ばす。
小さくて柔らかい、陽だまりのような彼の手を、掴まずにはいられなかった。
――あれ?
突然の違和感に、夢は急にガタガタと崩れ始めた。
掴んだその手が、思っていたよりも、大きく、硬く、ごつごつと骨張っていたからだ。
ハッと目を開いて、真っ先に視界に入ってきたのは、先ほどまで夢の中で見ていた少年――の十年後の姿だった。
あの頃のままの、夜を溶かした黒髪に、整った鼻梁と男性らしい顔立ち。
眠っていても隠しきれない美しさがそこにはあった。
あどけなさの残る少年の姿からは一転、寝台から足がはみ出してしまうほど成長を遂げた彼は、なぜか今イグナスの隣で眠りについている。
「なっ……、アルフレッド! なんで、お前がここにいるんだ!」
思わず大きな声が漏れる。その声に自身の眠気も吹っ飛んで行ったようだった。
「ん? ……もう朝か」
夢の中の清らかな声とはうってかわり、低く重みのある声は、十二年の成長を感じさせる。
アルフレッドは、左手で口を覆いながら大きなあくびをすると、目を細めて微笑んだ。
「はよ、イグナス。昨日は全然寝付けなくてな。お邪魔させてもらった」
相変わらず自分勝手な主人に、イグナスは頭を抱えながら深くため息を吐く。
そして、まだ寝ぼけた様子のアルフレッドに諭すように告げた。
「何度も言うが、ここは使用人の部屋であって、お前が来ていい場所じゃないんだ。ガルバ様に見つかる前に、早く自分の部屋に戻れ」
教育係のガルバに見つかっては面倒だ。連帯責任でイグナスまで罰を受ける羽目になる。
けれど、そんなイグナスの言葉を、アルフレッドは「はいはい」と聞き流しながら、面倒くさそうに頭を掻く。
「アルフ!」
ちゃんと聞いてるのかと、強く睨めつけてみたが、まったくもって効果はない。
イグナスが怒れば怒るほど、アルフレッドは目を細め、その状況を楽しむのだ。
「いやぁ、俺も早く部屋に戻りたいのはやまやまなんだけど……」
アルフレッドはそこまで言うと、笑みを深めながら自身の右手をひょいと持ち上げた。
同時に、イグナスの左手も自然と持ち上がる。
「俺の侍従様が熱烈すぎて、なかなか離してくんないの」
「っ……!」
目の前にある、まるで恋人のように絡まって繋がれた手に、イグナスは声にならない声を漏らす。
夢で握った手は、実際にも繋がれていたのだ。あの頃のアルフレッドではなく、今の彼と。
イグナスはすぐさまに手を振り払った。
「これは、夢の中で……間違えて……。別にアルフと手を握りたかったわけじゃない!」
熱が残った左手は、まるでそこに心臓があるかのように脈をうつ。イグナスはそれを悟られまいと、もう一方の手で必死に抑えた。
「ふぅん。……こんな指絡ませて、どんないやらしい夢を見てたんだか」
相手を試すような、挑発の色が混ざった視線に、イグナスは思わず目を逸らした。
「へ、変な夢なんて見てない。そもそもベッドに入ってくるなといつも言ってるだろ」
「自分の侍従のベッドに入って、何が悪い。お前は俺のモンだろ? ならお前のものも、俺のものだ。つまりこのベッドだって俺のもの」
あまりに身勝手な主張にほとほと呆れる。
その一方で、少し強引なその物言いにどうしようもなく心惹かれてしまうのも事実。
「嫌ならちゃんと鍵をかけておくことだな。……それとも、俺に入って欲しくて、わざと鍵を開けて置いたのか?」
「なっ……」
すべてを見透かしたようににやりと微笑まれ、イグナスはひどく焦った。
いや、決してそんな下心なんかない。ただの鍵のかけ忘れだ。
それでも、胸の奥に隠した想いに気づかれたのかもと動揺する。
何か発しなければ、肯定になってしまう。そうわかっているけれど、言葉は絡まって、うまく出てこない。
その時、イグナスの言葉より先に、アルフレッドが口を開いた。
「俺はいいけど? お前となら別の意味の『寝る』でも」
イグナスの深紅の瞳を、アルフレッドの碧い瞳が真っ直ぐに射抜く。口元には余裕の笑み。
いつもの悪ノリだ。揶揄われているだけ、ただの冗談。全部わかっているはずなのに、その瞳に見つめられれば、いつだって心臓はうるさいほどに騒ぎ立てる。
――ダメだ。気づかれてはいけない。
イグナスは小さく息を吐いて呼吸を整えると、幼馴染としてではなく『王子の侍従』としての顔を作った。
「……王子。冗談はそのくらいにしてください」
「冗談かどうか、試してみる?」
アルフレッドは、自身のシャツに手をかけると、するりとボタンをはずしてみせた。
はだけたシャツから見える筋肉質の胸がやけに色っぽい。
イグナスはごくりと喉を鳴らすと、できるだけ感情を殺し、氷のように冷たい声を発してみせる。
「そういう言動は、お気に入りの娼婦にでもどうぞ」
その言葉と共に、アルフレッドの動きがピタリと止まった。
顔をみると、アルフレッドは明らかに不機嫌に眉をひそめていた。
そして、わざとらしいほどに大きなため息を吐くと、気だるげにベッドから立ち上がった。
「あーあ、しらけた。ってか二人の時に敬語は使わない約束だろ」
アルフレッドは大きな手が、イグナスの頭を雑に撫でる。
「冗談だからそんな顔すんなよ」
アルフレッドはそう呟くと、そのまま自分の部屋へ帰って行った。
扉が閉まった瞬間、イグナスは張りつめていた息をほどいた。
力なく寝台に腰を下ろす。胸がまだすごい早さで打っている。
危なかった。顔に出ていなかっただろうか。気づかれはしなかっただろうか。
氷のような表情の下で、今にもその氷が解けてしまいそうなほど熱い想いを抱いていることを。
でも、アルフレッドにとってはこんなこと、ただの戯れ事に過ぎない。
だから、期待はしていけない。
本気にしてはいけない。踏み込んでもいけない。
この思いは隠さなければいけない。
だって、この恋が実ることは絶対にありえないのだ。
それは男同士だからでも、身分の差があるからでもなくて。
――だって、俺は人間じゃないから。
窓の外から入ってくる陽の光が、イグナスの深紅の瞳を揺らした。
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