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最終話 平和の象徴
王宮中の使用人が慌ただしく動き回るなか、イグナスは朝から王宮中を駆け回っていた。
「イグナス様、まだお探しになられているんですか」
「あっ、さっき中庭の方でお見かけしましたよ!」
「今の今までここにいらっしゃったんですけどね」
すれ違う侍女や兵たちに声をかけられ、そのたびに「ありがとう」と軽く頭を下げながらも、足を止める余裕はない。
――まったく、どこに行ったんだ。
まさか、大の大人になって鬼ごっこをする羽目になるとは思ってもみなかった。
しかも、イグナスは今、鬼の立場だ。いや、気分的には本物の鬼そのものである。
今日は、王位継承の日である。
デオバルト王が「元気なうちに引退したい」と、予定よりもずいぶんと早い譲位を決めたのだ。
周辺諸国の王たちに比べて、うんと若い新王の誕生に批判の声が集まるかと思われたが、それはほとんどなかった。
それは、ハーヴェイ卿の悪事を暴き、国民たちに呼びかけたあの日から、実に三年。アルフレッドが国のために尽力した成果と言えるだろう。
人狼を怖がるものは、もういない。今やアルタリオンは三百年前と同様、理想郷として、人狼と人間が同じように暮らしている。
もちろんここに来るまでの道のりは決して簡単ではなかった。
けれどもアルフレッドはどんなことがあろうとくじけず、前向きに王子として国のために動いた。
イグナスはそんなアルフレッドを一番近くで見ていた。
そして今日。
ついにアルフレッドが王としてみんなの前に立つ。
国中の貴族や国民が集い、新王を前に忠誠を誓う、王国にとって最も重要な日。
にもかかわらず、今朝、いつものようにアフレッドを起こしに寝室へ向かうと、彼の姿がなかった。
思い当たる節が一つあり、イグナスは頭を抱えた。
昨夜のこと。
「今日抱きたい、抱かせてくれ」
そう頭を下げるアルフレッドのお願いをイグナスは跳ねのけた。
「継承式前日に何言ってんだ」
明日は人生で最も大事な日だ。そんなことをして式典に支障が出たら一大事だ。
けれどアルフレッドは諦めなかった。何度だって頼み込む。
もちろんイグナスだって譲れない。式の後ならいくらでもしてやるのにと思いながら、今日はだめだと断固として首を縦には振らなかった。
「抱かせてくれないのなら、明日サボってやる」
「やれるもんならやってみろ」
売り言葉に買い言葉でそう言ったはいいものの、まさか本当にその通りにするつもりだとは思っておらず、イグナスは今、王宮中を探し回っているのだ。
イグナスだって、本当はアルフレッドと致したい。毎日だっていい。
けれど、アルフレッドは一度はじめると長いのだ。
先日なんて、朝方まで離してくれなかった。
一回だけ、とか、少しだけ、なんて言いながら、そうなった試しがない。
いくらイグナスが半人狼で体力がある方だからといって、これじゃ身が持たない。
探せど探せどアルフレッドはどこにもおらず、イグナスは大きくため息をついた。
「今度から鎖で繋いどくか……」
独り言のつもりが、その言葉に上から返事が降ってきた。
「なになに。アルフレッドとのプレイの話?」
咄嗟に首を上にあげると、そこにはサリスが、いつもの飄々とした笑みを浮かべて立っていた。
「……そんなんじゃない」
イグナスが目を眇めると、サリスは一層笑みを深めた。
相変わらず人を揶揄うのが好きな奴だ。
「それにしても朝から物騒な顔してどうしたの? アルフレッドがまた襲われた?」
物騒なのはお前だ、というツッコミも、今日は飲み込む。王位継承まで本当に時間がないのだ。
「アルフレッドを見なかったか? 朝からどこにもいないんだ」
「え、アルフレッド? 普通に広場にいたけど」
「は?」
思わず目を瞬かせる。
「広場の王の隣に座ってるよ。ていうかもうそろそろ継承式、始まるんじゃない? あ、ほら」
サリスの声と同時に、広場の方からファンファーレが流れ始めた。
「やられた……」
がっくりと肩を落とす。
「広場は見なかったんだ?」
にこにこと微笑むサリスのその笑顔が、今日はやけにむかつく。
王位継承式をサボるとばかり思っていたから、広場は一度も確認していなかった。悔しすぎる。
イグナスは急いで広場まで向かった。その後ろをサリスがついてくる。
やっと広場にたどり着くと、群衆たちの先で、ちょうど王がアルフレッドの頭上に冠を授けるところだった。
その姿を見て、イグナスは胸の中で思わず悪態をつく。
――いるじゃねぇか、ちゃんと。
それにしても、ギリギリだけど間に合ってよかった。
イグナスは上がりきった息を整えながらアルフレッドを見つめた。
アルフレッドは瞳の色と同じ蒼黒の上着を着ていた。胸には金糸で王家の紋章が入っている。決して華美ではないが、地味でもない。肩からは白いマントが垂れており、アルフレッドが動くたびに音をたてて翻る。
あまりのかっこよさに、ほれぼれする。
『あれは自分の恋人なのだ』と誰かに言いたいが、そんなこととっくの昔に国民全員が知っている。
この三年で、二人の仲は公にも認められるようにとなった。
今では、この国で二人の関係をしらない者はいない。
拍手の音が響き渡り、アルフレッドがゆっくりと前に出た。
新王としての挨拶が始まる。
デオバルト王への労いと感謝の言葉、自身が王として国を導く決意、そして民の幸せを守る誓い。
全ての演説がつつがなく終わった――そう思われたときだった。
「そしてもう一つ、皆に伝えたいことがある」
アルフレッドの声が、広場に響く。
予定にはない言葉に、イグナスは、はてと首を傾げた。
「私は本日、この国の王となると同時に、伴侶を迎える」
突然の発表に、民衆が一気に沸く。
イグナスは思わず目を見開いた。
アルフレッドは、群衆の中のイグナスに目をむけるといたずらっぽく笑って見せた。
これだけ多くの国民がいるのに、アルフレッドはいつだってすぐにイグナスを見つけ出す。
「あれ、もしかして、サプライズ?」
驚いて声もだせないイグナスの隣で、サリスがくすくすと楽しそうに笑う。
サプライズもサプライズ。朝からサプライズづくしだ。
「イグナス・グランディエ。来てくれ」
アルフレッドはイグナスのいる方に手を伸ばす。
「どうする? 嫌ならここで俺が攫ってあげてもいいけど、花嫁さん」
耳元でサリスが囁く。
イグナスはあきれるようにため息をつくと、サリスを見上げた。
「俺は花嫁じゃない。それでもって困ったことに、この状況がまったく嫌じゃないんだ」
口端を上げてそう言うと、イグナスはすぐに前を向いて、群衆をかき分けながらアルフレッドの元へ歩みを進めた。
壇上に立つアルフレッドに手を伸ばす。
夜を溶かしたような黒髪の隙間から見える瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えていた。
「俺と一緒に生きてくれ、イグナス」
その姿が、初めて会ったあの日と重なる。
その陽だまりのような手をつかまずにはいられなかった。
「もうずっと前から、そのつもりだ」
* * *
その頃、遠く離れた小さな村で、一人の赤子が産声を上げた。
その瞳は、炎のような深い赤。
誰かがそっと言う。
「見て。平和の象徴よ」
風が吹き抜け、雲が流れる。
新しい時代が、もうそこまで来ていた。
―了―
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