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1:孤独な召喚士と一途な召喚獣

手のひらから、優しい光が舞った。 屋根裏部屋の片隅、真っ暗闇の中。オレンジの光が幼いルーカスの顔を照らす。涙のせいで乱反射して、かすかな光なのに大きく感じた。 小さな手を光に伸ばす。柔らかい何かに触れた。ぐっと掴んで、ひっぱる。 中から子供の狼獣人が現れた。掴んでいたのは白くてふわふわした、狼の耳だった。 『あなたは、』 獣人がきょとんとした顔でルーカスを見つめる。 「契約だ」 必死に叫ぶ。これを逃したら、きっともうだめだと直感で感じていた。 獣人は赤い瞳を柔らかく細めて「はい」と、頷いた。 ――ずいぶんと懐かしい夢を見たものだ。 ルーカス・ハーランドは清潔なベッドの中で目を覚ました。寝起き特有の働かない頭でも、十二年前の記憶と現実ははっきり区別できた。 四月初旬。太陽の光が眩しい。そろそろ起きなければならない。分かっているのに、ルーカスは毛布に足を絡ませてごろりと転がる。単純に朝に弱いのだ。 おぼつかない手つきで枕元の魔石に手を伸ばす。つるりとした手のひらサイズの黒い石。 「ジーク、早く来い」 ぶっきらぼうに言い放つと、魔石がパッと光る。「はい、(あるじ)様」と、楽しそうな声が聞こえた。 石からオレンジの光が放たれて、狼獣人が召喚された。 白銀の髪に赤い目、ふわふわの狼の耳と尻尾。 百九十センチに到達するであろう大柄な体躯に似合わない、人を惹きつけるような端正な顔。名をジークという。 「おはようございます。主様」 「ん。水」 「はい!」 ジークはベッドサイドにあるガラス製のピッチャーを手に取り、水を注ぐ。とぽとぽ。静かな音が響く。 グラスを差し出され、ルーカスは一口飲んだ。生ぬるい。寝起きにはこれくらいがちょうどいい。 「今日から新しい学校に行くんですよね」 「ん。今日は入学式だけだから多分すぐ終わる」 「入学式って何するんですか?」 「えー。偉いひとの話を聞くんじゃない? 知らないけど」 ルーカスはのそのそと起き上がり、自室に備え付けられている洗面台で顔を洗った。あたりをびしゃびしゃに濡らして、そっと顔を上げる。 鏡には小柄な青年が映っている。黒髪に青い目。白い肌。口がへの字に曲がっている。 いかにも根暗で面白くなさそうなヤツだ、と、ルーカスは自分のことながら鼻で笑った。 「偉いひとの話ならためになるんじゃないですか?」 「どーだろね。白々しいだけかもよ。僕、ああいうひとたち嫌い」 「嫌いなひとの話はイヤですね」 ジークがタオルを手渡して、ルーカスは顔を拭いた。 「じゃあ、今日のお帰りは遅いですか?」 「多分な。帰ってきたら呼ぶよ」 「わかりました」 ぽん、と軽くタオルを手渡すと、ジークは受け取る。 いつもの一日の始まりだった。 朝起きるとルーカスはジークを召喚して、身の回りの世話をさせる。十二年前からずっとそうだ。 ルーカスはセラディア王国でも数少ない召喚士だ。 この国の国民はみな魔法が使えるけれど、召喚士はめったにいない。 ルーカスは六歳にして召喚魔法に成功した。 その時召喚したのが、狼獣人のジーク。魔石を通して声をかけると、ジークがぽん、と現れる。 大昔に戦争があった頃は、戦闘員や護衛として召喚獣が使役されていた。 けれど、いまのセラディア王国は平和そのものだ。召喚獣の需要は減り、召喚士も減った。 そんな現代において召喚獣を呼び出すなんて非効率極まりない。ただの身の回りの世話ならメイドで十分だ。 けれど、それでもルーカスはジークに身の回りの世話をさせている。 「じゃあ、いってくる。お前は戻ってろ」 「はい、主様。いってらっしゃい」 召喚魔法をスッと解除すると、ジークの姿は見えなくなった。魔石をベッドサイドに戻す。 胸の奥に焦げ付く痛みを飲み込んで、ルーカスは部屋を出た。 また一日が始まる。ひとりの一日が。 ルーカスは人見知りをする子供だった。 周りと比べても背が小さく、近所の子と友達になれなかった。ずっと家で魔術書を読んでいた。 両親は実力の高い魔術師で、ともに有名な魔法高等学校の先生だった。 ルーカスの家には大量の魔術書があった。「おそとで遊ぼう?」という母の声にもルーカスは首を振って、魔法の練習を繰り返す。そんなルーカスを両親は暖かく見守っていた。 けれど、六歳の時、優しい両親は不慮の事故で亡くなった。 彼らが教えている生徒が魔法を暴発させ、巻き込まれてしまったのだ。 ひとりっ子だったルーカスは親戚の家に引き取られた。伯父、伯母、そして五人の従兄弟。 かわいそう。残念だったわね。これからはうちの子として―――。 そう手を差し伸べられたはずなのに、優しい笑顔は屋敷の外だけだった。中に入った途端、伯母はあからさまに、面倒を押しつけられたとばかりにため息を吐いた。 この屋敷の人間は誰ひとりルーカスを受け入れていない。 そんなことは、言葉にしなくとも伝わった。 わざとルーカスの分からない話をし、会話から除外する。話しかけると途端に冷たい瞳を向ける。次第にルーカスは声を出すのが怖くなった。 屋敷の日々は息苦しかった。一日一日が過ぎていく中で、身体の外からヤスリで削られていく感覚だけがあった。 従兄弟たちはルーカスをいじめた。「お前の親は間抜けな死に方をしたもんだな」と、ルーカスの前で魔法の練習をして、わざと杖を向ける。びくりとするルーカスの姿を見ては、腹を抱えて嘲笑した。 我慢の限界を超え、ある日ルーカスは従兄弟を突き飛ばしてしまった。 従兄弟は頭に怪我を負った。しばらくの間、ルーカスは折檻として屋根裏部屋に閉じ込められた。埃っぽくて閉めきりで息苦しい部屋だ。 片隅に放置されていた魔術書に手を伸ばした。書いてあったのは”召喚魔法”。大量の魔力を消費する高度な魔法だ。術式もなんて書いてあるか分からない。けれど、ルーカスは必死に読み解いた。 ――もういやだ、もう、ひとりは、ぼくは。 涙でボロボロになりながら、ただ祈るように魔法を使った。 光の中で掴んだふわふわの狼の耳は、初めて触れるものだった。 あの日のことは今でも脳裏に焼き付いている。 (……もう大人だってのに、僕も大概バカだな) ルーカスは今朝見たばかりの夢を思い返し、ふっと鼻で笑った。 この夢を見るときは大体ナーバスになっている時だ。 今日、ルーカスはアストレア魔導学院に入学する。 セラディア王国随一の魔法高等学校。学力・魔力ともに国内トップクラスで、王族も通う格式高い学校だ。 ルーカスは今までどの環境でも浮いていた。新しい学校に行ったとして、友達ができるなんて希望は持っていない。 背を丸めて学園までの道を歩く。親戚の家から学園までは徒歩で十五分ほど。 石畳の道はでこぼこして歩きづらく、ずっと下を見て歩いても躓きそうだ。 アストレア魔道学院に合格して、親戚はルーカスを一族の誇りのように自慢した。 従兄弟を突き飛ばした日以来、ルーカスを腫れ物扱いしていたのに。一番遠くて狭い部屋に押し込めていたのに。食事だって別にとっているのに、同じ家にいても顔すら見ないのに。 視界の端にちらつく他人の靴が増えて、やっとルーカスは顔を上げた。 厳かな赤煉瓦の巨大な建物。天に伸びる鋭い尖塔。 国内最高峰の魔法学校、アストレア魔導学院。 近所にあるのだから今更何も感じないとは思っていた。 けれど、豪華な装飾が施された門に吸い込まれる生徒たちを目に入れると、ルーカスはたじろいだ。 輝かしい笑顔にピンと立った背筋。自信に溢れた生徒の姿に、無意識に劣等感を抱いてしまう。 仕方ない。早く帰ればいい。どうせ卒業までの辛抱だ。 入学初日、案の定ルーカスは誰とも喋らずに家に帰った。 入学式の前も後も、楽しそうな同級生たちを遠目で見ていた。多くの生徒は寮に入るようで、同じ寮のメンバーでグループができていた。 近くの席同士で話し始める同級生を横目に、ルーカスはじっと息を殺す。 誰とも話さないのは楽ではあるが、大勢の中のひとりというのは別の孤独がある。 帰宅するなり、ルーカスは勢いよく自室に駆けた。 早くジークに会いたい。 時刻はもう夜に近く、日当たりの悪いルーカスの部屋は真っ暗だ。 明かりをつけるより先に、ベッドサイドの魔石を握り締める。「ジーク、来い」とだけ小声で呟いた。 暗闇の中、オレンジの光がぱっと光る。 「お疲れさまです、主様」 「うん」 「入学式だったんですよね、どうでした?」 「ほんとつまんなかった。あんな話聞いてるくらいなら本読んでる方が有益だよね」 やっと息ができる気がする。 ルーカスは明かりもつけずに、ベッドにごろりと転がった。 「お洋服、しわになりますよ」とジークが手を伸ばす。ルーカスはその手を引っ張って、ベッドにふたり、ぼふりと倒れ込んだ。 「……お疲れですね」 「うん」 「今日は早く休みましょうか」 「……まだ」 ジークの端正な顔が、窓からのかすかな光に照らされる。銀髪は暗闇でも存在感がある。 キリッとした瞳と、笑うと少し覗く牙。触るとピクピクする耳。ぱたぱたと振られる尻尾。 首元には、真っ赤な宝石。自分の召喚獣である証だ。 「ちょっとお昼寝しましょう。お風呂もご飯もその後でいいですから」 「……」 「ずっとここにいますから」 「……うん」 ジークに抱きしめられて、ルーカスは目をつむる。 自分より二回り以上大きい、立派な体躯の獣人。抱きしめられると慣れ親しんだ毛布に包まれているような安心感がある。 とくん、とくん、と優しく打つ心臓の音に耳を傾け、ルーカスは、ジークに初めて会った日を思い返していた。 従兄弟を怪我させてから、ルーカスは屋根裏部屋に閉じ込められた。 真っ暗闇の中、オレンジの光がパッと光る。 その瞬間、ルーカスはそれまで我慢していた涙がぼろぼろと零れた。 急いで光に手をつっこんで引っ張り上げると、子供の獣人が現れた。 ルーカスは咄嗟に叫ぶ。 ――僕とずっと一緒にいろ。 なんだそれ、と、叫んだ瞬間、ルーカスは戸惑った。自分が口にした言葉であるのに。 本当はもっと違うことを言うつもりだった。例えば、あいつらに復讐しろとか、両親を生き返らせろとか。 けれど訂正する前に、獣人はにこりと笑って「はい」と答えた。 そして召喚契約が成立してしまった。 空中に真っ赤な宝石がついた首輪が現れて、しゅるりと獣人の首に巻き付く。召喚契約の証だ。 ルーカスは呆然とその様子を見ていた。 獣人は、自分よりやや背は高いが、細くて頼りない。同い年ぐらいの子供。 ぶんぶん振られる尻尾と、ふわふわの耳。 「お前、犬か?」 「犬じゃないです。狼です」 「……ほんとかよ」 「ほんとです。俺の父さんは、国で一番強い狼でした」 獣人は可愛らしい笑顔でルーカスに向き直る。名前は、と聞くと、ジークと返ってくる。 「俺、立派な召喚獣になります! それで、あるじさまとずっと一緒にいます!」 使命感に燃えた瞳でジークは主人を見つめる。赤い瞳がきらきら輝いて、ルーカスは一瞬たじろいだ。 「……お前、何が、できるの」 「えーと、狩りはあんまり得意じゃないですけど、走るのは速いです。あと、魚とるのは――」 「あ、も、もういい。わかった」 「……? 俺、お役に立てないですか?」 「いや、ちが……まあ、そうだけど」 不躾な言葉に、ジークは「え」と泣きそうな顔になった。ルーカスは急いで言葉を紡ぐ。 「その、僕の住むとこは、その、狩りとかしない。魚も買ってくる」 「……そう、なん、ですか」 言葉を紡げば紡ぐたび、ジークの顔が陰っていく。おそらくルーカスの住む場所とジークの住む場所は文明度が違うのだろう。 しょんぼりと自信を無くしていくジークに、ルーカスは胸の奥がチクリと痛んだ。 「じゃ、じゃあ! 僕が教えてやる! こっちのこと!」 途端にジークは暗くなっていた瞳をぱっと輝かせた。ルーカスはほっと胸をなで下ろす。 「お前に教えてやる。それで、僕の役に立て。いいな」 「はい!」 ジークは大きな尻尾をぶんぶんと振った。 ――そうだ、ずっと一緒にいろなんて意味のない契約をするより、こいつに身の回りの世話をさせたらいいじゃないか。 そして、うん、そうだ、と口の中で繰り返す。 自分はこいつを利用している、賢い人間だ。だから、この契約は意味のあることだ。 咄嗟に出てしまった「ずっと一緒にいろ」というのは、これを言いたかった、それだけだ。 雑な理論を組み立てて、ひとりで勝手に納得する。目の前のジークを見つめた。 ジークは何も知らない顔で、にこにこと微笑んでいる。手を伸ばすと、ん、と頭を下げた。 ふわふわの髪を撫でる。耳がぴくぴくと動く。柔らかい。 ルーカスは初めて動物に触った。「犬みたいだ」と思った。狼は図鑑でしか見たことがなかったから、よく分からなかった。 ぱちりと目を覚ますと、ジークはいなかった。 ルーカスは急いで胸元の懐中時計を確認する。一時間ほど眠ってしまったらしい。 ……やってしまった。 ベッドに勢いよく沈み込んで、やるせなさを吐き出した。 召喚獣を呼び出している間、ルーカスの魔力は消費されている。一日に呼び出せる時間はせいぜい一時間。 火をつけっぱなしにして眠り、そのまま燃え尽きてしまったことに近い。魔力切れで召喚魔法が切れて、ジークは彼の場所に戻ったのだ。 ルーカスはベッドに残るほのかな体温に身体を寄せて、すっと息を吸う。ジークの匂いだ。森のような陽だまりのような、暖かい匂いがする。シーツをきゅうと抱きしめる。 次に会えるのは、魔力が回復した明日。それまではひとり。 ベッドに転がりジークのことを考える。 ジークは最初、ほんとに何も知らなかった。 文字も読めないし、紅茶も淹れられない。掃除も下手で、よくバケツをひっくり返していた。 見かねたルーカスが魔法で水を綺麗にすると、魔力切れですぐジークは消えてしまう。 何度か同じ失敗を繰り返して、結局ふたりで一緒に手で掃除するのが一番早いという結論になった。 けれど、ジークなりに頑張っていたらしい。一年、二年と一緒にいるうちに、ジークは掃除ができるようになった。紅茶も淹れられるようになった。文字を勉強したのか、魔術書も読めるようになった。簡単な魔法なら使えるようになった。 「すごいな」と褒めると、ジークは嬉しそうに尻尾を振る。ルーカスはわしわしと頭を撫でて、お前は偉い、お前はいい子だ、と繰り返す。 「主様のお役に立てるなら、なんだってします」 出会って数年が経ち、もうジークの背は人間の大人を越した。頑張って見上げないと顔が見られなくなった。 それでもジークは一生懸命かがんで、ルーカスに褒められたがった。

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