2 / 6

2:ひとりの学園とふたりの魔法使い

アストレア魔導学院の教室はこぢんまりとした空間だった。 石造りの壁に大きな窓。太陽の光が部屋の中を照らしている。細長い木の机が並ぶ。 クラスメートたちが話しているのを横目に、ルーカスは先生が到着するのを待っていた。 ぱらぱらと手元の教科書をめくっていると、「なあ」と頭上から声が響いた。 「お前、ルーカス・ハーランドだろ」 同じブレザーを着た、短い赤髪の男。やや筋肉質で、スポーツでも得意そうな顔だ。 「なに」 「あれだろ、お前。六歳で召喚魔法に成功したってヤツ」 「……知らない人と会話したくない」 教科書に目を落とすと、「ごめんごめん」と赤髪は軽く笑った。 「俺、ロイ・バレット。同級生だろ。仲良くしようぜ」 「……いいけど」 「俺さ、召喚魔法に興味あるんだよね。あ、お前の召喚獣って何?」 「……狼」 「へー、かっこいいな。どうやって召喚したんだ?」 「……パッてして、ギュッてつかむ」 「わかんねー」 ルーカスは視線を教科書に落としながら、聞かれたことにぼそぼそと答えた。ロイはからからと笑う。 先生が教室に入ってきて、ロイは後ろの席に戻った。 「みなさん、アストレア魔道学院へ入学おめでとう」 先生は優しそうなおじいさんだった。 白髪交じりの長い髪、ずしりと重い黒のローブだ。 基礎魔法学の授業は、魔法とは何かという説明から始まった。先生が目の前で簡単な魔法を実践した。瓶に入っている水を空中に浮かせて、ふわふわと形を作る。初歩の初歩だから簡単だ。 生徒たちの番になり、みな難なくこなした。ルーカスも息をするようにスッとこなす。 今度は空気中の水分を集めて、水の量を倍にする。空間魔法と生成魔法の応用だ。中級レベルの魔法だが、アストレア魔道学院に合格した生徒なら容易にできる難易度だ。 列に並び、順番に披露する。名前を呼ばれたら教室の真ん中に立ち、水を操る。 ロイは器用に水を集めた。他の生徒も、すいすいと成功させていく。 「じゃあ、次、ルーカスくん」 先生が教室の中央から、隅に立つルーカスを呼んだ。 「できません」 ルーカスははっきりと告げた。 途端に教室がざわつく。先生は優しい瞳をきょとんとしていた。 「どうして?」 「……嫌だからです」 それだけ言うと、ルーカスは自分の席に戻った。 妙な空気に包まれる。先生は気まずそうに笑って、次の生徒を指名した。 じろじろと訝しむ視線を体中に受けながら、ルーカスは教科書に目を落とす。 中級レベルの魔法は魔力の消費が多い。 ここで魔法を使えば、帰ってからジークを召喚できなくなってしまう。 ひそひそとした声が聞こえてくる。 こんなのもできないの? どうやって試験に合格したのよ。 けれど、先生に心配の目を向けられようが、くだらない悪口を言われようが、ジークに会えなくなるくらいなら、全然痛くなかった。 「なあ、お前、さっきのアレなんなの」 授業が終わり、そろそろ帰ろうかという頃。ロイが慌てた様子で声をかけてきた。 「何のこと」 「中級魔法を拒否ったことだよ! あれくらい、お前ならできるだろ。召喚魔法使えるんだから」 「……魔力を消費したくなかった」 ルーカスは革のカバンに教科書をしまい込む。面倒なことになったなという表情はそのまま、仕方なく返事をする。 ロイは眉根を寄せて「はぁ?」と苛立った声を出した。 「魔法の授業なら魔力を消費すんのは当たり前だろ」 「一日に使える魔力は限られてる。誰もが使えるくだらない魔法に使うほど、僕はバカじゃない」 「お前な……。そんなケチってどうすんだよ。単位とれねーかもよ」 「筆記試験で満点を取ればいい。落第しなきゃいいんだから」 カバンをつかんで立ち上がる。途端に背後から「面白いね、きみ」とロイとは別の声が聞こえた。 振り返ると、ウェーブがかった金髪の、なんだか高貴な雰囲気を漂わせた男が立っていた。 「だれ」 「ああ、ごめん。僕はエミール・レーヴェンタール」 「レ、レーヴェンタール!?」 金髪男・エミールの言葉に、ロイは目が飛び出る勢いで叫んだ。 「あんた、レーヴェンタールの息子か!? いや、ご子息ですか!? あの宰相の!?」 「あはは、いいよ。敬語じゃなくて。ここだと同級生だろう。それと、その通り。僕は”あの”レーヴェンタールの息子だよ」 エミールは食えない笑みを浮かべ、ロイに向き合う。ロイはぽかんとしながらも、「ほー」と気の抜けた声を返していた。 ルーカスはじろりとエミールを見上げた。 すらりとして背が高く、絵に描いた王子様のような格好。実際は宰相の息子だが。 宰相のレーヴェンタールはこの国の財務を一任されている。その息子なら、ロイのように敬語を使いたくなる同級生も多いだろう。 「きみはルーカス・ハーランドだよね。入試の筆記試験は満点だったって聞いたよ。でも、魔法の実技は合格するギリギリの点数だった」 「だから?」 「気になったから聞いてる。どうして魔法を使わないの?」 エミールの、エメラルド色の瞳が真っ直ぐにルーカスを捉えた。 ルーカスはぴくりと眉を動かす。 「無駄遣いしたくないんだよ」 はぁ、とため息交じりにルーカスは答えた。 「なんで?」 「うちは……。いや、僕にはメイドがいない。だから召喚獣に世話をしてもらってる」 「えっ!? 召喚獣に!? かっけぇ!」 ロイが騒がしく驚き、エミールは「へえ」と興味深そうに顔を輝かせた。 「召喚するには魔力がいるだろ。だからこんなとこで無駄遣いできない。それだけ」 ぶっきらぼうに言い捨て、ルーカスはロイの横を抜けようとした。 「待って、ルーカス。いい話がある」 エミールが止めた。ルーカスはじろりと訝しみながら振り返る。 「ようは、使える魔力が増えればいいんだよね?」 「まあ、そうだね」 「奇遇だね。僕も魔力を増やしたいところだったんだ」 エミールは食えない笑顔を浮かべながらルーカスに近づく。先ほどより楽しそうで、浮き足立っているのが伝わる。 「僕と一緒に魔力を増やす特訓をしようよ。ね? そしたらウィンウィンじゃない?」 ぐい、とエミールが顔を近づける。整った顔だからか、圧が強い。 ルーカスは喉の奥が引きつった。他人の顔がこんなに近づくのはジーク以外初めてだ。 「“魔力を増やす特訓”なんて初耳なんだけど」 「だろうね。最新の研究で分かってきた、まだ実験段階のものだから。これから広まってくと思うよ」 「……怪しい。どうやってやるの」 「うまく説明できないな。ぱぁーってして、ふわーってする感じ」 「なに言ってんのさ」 「まあまあ。やれば分かる。とりあえず、明日からやろうよ。いいよね?」 ルーカスはじろりと目の前の美形を睨む。エミールは変わらず、笑顔だ。断られるなんて全く想定していないような。この傲慢さは気に入らない。 だが、ウィンウィンという言葉が脳裏に引っかかっていた。 こいつのウィンなんかどうだっていいが、使える魔力が増えればジークを召喚できる時間が増える。魔法の授業だってサボらなくていいかもしれない。 ……自分のウィンはかなり大きい。 「わかった。明日からだな」 ルーカスは半ば呆れた声で返事をする。 実験段階というのが気になるが、怪しかったらやる前に断わればいい。なんとかなるだろう。 エミールは瞳を宝石のように輝かせて「ありがとう」と笑いかけ、ロイは「やんのかよ!」と叫んだ。 「きみは来なくていいよ、ロイ」 「えー。俺も興味あるんだけど。横で見てんのはダメ?」 「繊細な作業だからね。あとで報告してあげるよ」 ぶー、と唇を尖らせるロイを、エミールはにこにこ笑顔で言いくるめる。 話は終わったな、と、ルーカスはくるりと背を向けてその場を去った。   帰宅して、ジークを召喚した。 「お疲れ様です、主様。今日もお疲れのようですね」 「ああ、んー。あんな簡単な魔法、わざわざ習う必要あるのかなって思っちゃう」 ジークに紅茶を淹れてもらいながら、ルーカスはほっと息を吐く。 相槌を打つジークを横目に、エミールの言葉を思い返した。 魔力が増えればジークと一緒にいる時間が増える。 いまは朝と夕方のちょっとした時間だけだけれど、これからは、もしかしたらもっと、例えば一緒にご飯を食べたり、遊びに行ったりすることもできるかもしれない。想像すると、胸の奥がぽかぽかした。 ことり、ルーカスの前にカップが置かれる。柔らかい香りに口角が緩んだ。 ジークは隣に立ち、ルーカスの話を聞いている。愚痴ともつかない、ただのつまらない話であるのに、まるで宝物を撫でるかのような表情で聞いている。 ――なあ、もしさ。僕たちがずっと一緒にいられたら、お前は、嬉しい? そう聞きそうになって、咄嗟にひとくち紅茶を含んだ。 もちろんジークは「嬉しい」と返すだろう。でも。 無理やり言わせているような気もするし、それ以前に、何かが引っかかっている。 ――ほんとに、ほんとに嬉しいか? そんなバカみたいな問いを繰り返しそうになるから、ルーカスは言葉を飲み込んだ。 「主様、今日はちょっといつもと違う匂いがしますね」 ジークがぽつりと呟いた。 「そう? くさい?」 「臭くはないんですけど……。別の人間の匂いって言うのかな。違和感っていうか」 「ああ。まあ、学校っていろんな人間いるし」 「そう、ですよね」 「しかも、なんか偉そうなヤツに目をつけられたし」 「は?」 ルーカスが何気なく呟いた言葉に、ジークは目を見開く。 ポットをつかむ手が一瞬止まり、隠していた爪がぎらりと現れる。 「まあ、乗っといてもいい話だから聞いたけど」 「気をつけてください。主様はいい人だから、騙されないか心配です」 「僕はそんなバカじゃないよ。いい人でもないし」 「……気をつけてくださいね」 ジークはそれだけ言うと、少しだけ眉根を寄せて、ゆっくりとポットを置いた。

ともだちにシェアしよう!