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2:ひとりの学園とふたりの魔法使い
アストレア魔導学院の教室はこぢんまりとした空間だった。
石造りの壁に大きな窓。太陽の光が部屋の中を照らしている。細長い木の机が並ぶ。
クラスメートたちが話しているのを横目に、ルーカスは先生が到着するのを待っていた。
ぱらぱらと手元の教科書をめくっていると、「なあ」と頭上から声が響いた。
「お前、ルーカス・ハーランドだろ」
同じブレザーを着た、短い赤髪の男。やや筋肉質で、スポーツでも得意そうな顔だ。
「なに」
「あれだろ、お前。六歳で召喚魔法に成功したってヤツ」
「……知らない人と会話したくない」
教科書に目を落とすと、「ごめんごめん」と赤髪は軽く笑った。
「俺、ロイ・バレット。同級生だろ。仲良くしようぜ」
「……いいけど」
「俺さ、召喚魔法に興味あるんだよね。あ、お前の召喚獣って何?」
「……狼」
「へー、かっこいいな。どうやって召喚したんだ?」
「……パッてして、ギュッてつかむ」
「わかんねー」
ルーカスは視線を教科書に落としながら、聞かれたことにぼそぼそと答えた。ロイはからからと笑う。
先生が教室に入ってきて、ロイは後ろの席に戻った。
「みなさん、アストレア魔道学院へ入学おめでとう」
先生は優しそうなおじいさんだった。
白髪交じりの長い髪、ずしりと重い黒のローブだ。
基礎魔法学の授業は、魔法とは何かという説明から始まった。先生が目の前で簡単な魔法を実践した。瓶に入っている水を空中に浮かせて、ふわふわと形を作る。初歩の初歩だから簡単だ。
生徒たちの番になり、みな難なくこなした。ルーカスも息をするようにスッとこなす。
今度は空気中の水分を集めて、水の量を倍にする。空間魔法と生成魔法の応用だ。中級レベルの魔法だが、アストレア魔道学院に合格した生徒なら容易にできる難易度だ。
列に並び、順番に披露する。名前を呼ばれたら教室の真ん中に立ち、水を操る。
ロイは器用に水を集めた。他の生徒も、すいすいと成功させていく。
「じゃあ、次、ルーカスくん」
先生が教室の中央から、隅に立つルーカスを呼んだ。
「できません」
ルーカスははっきりと告げた。
途端に教室がざわつく。先生は優しい瞳をきょとんとしていた。
「どうして?」
「……嫌だからです」
それだけ言うと、ルーカスは自分の席に戻った。
妙な空気に包まれる。先生は気まずそうに笑って、次の生徒を指名した。
じろじろと訝しむ視線を体中に受けながら、ルーカスは教科書に目を落とす。
中級レベルの魔法は魔力の消費が多い。
ここで魔法を使えば、帰ってからジークを召喚できなくなってしまう。
ひそひそとした声が聞こえてくる。
こんなのもできないの? どうやって試験に合格したのよ。
けれど、先生に心配の目を向けられようが、くだらない悪口を言われようが、ジークに会えなくなるくらいなら、全然痛くなかった。
「なあ、お前、さっきのアレなんなの」
授業が終わり、そろそろ帰ろうかという頃。ロイが慌てた様子で声をかけてきた。
「何のこと」
「中級魔法を拒否ったことだよ! あれくらい、お前ならできるだろ。召喚魔法使えるんだから」
「……魔力を消費したくなかった」
ルーカスは革のカバンに教科書をしまい込む。面倒なことになったなという表情はそのまま、仕方なく返事をする。
ロイは眉根を寄せて「はぁ?」と苛立った声を出した。
「魔法の授業なら魔力を消費すんのは当たり前だろ」
「一日に使える魔力は限られてる。誰もが使えるくだらない魔法に使うほど、僕はバカじゃない」
「お前な……。そんなケチってどうすんだよ。単位とれねーかもよ」
「筆記試験で満点を取ればいい。落第しなきゃいいんだから」
カバンをつかんで立ち上がる。途端に背後から「面白いね、きみ」とロイとは別の声が聞こえた。
振り返ると、ウェーブがかった金髪の、なんだか高貴な雰囲気を漂わせた男が立っていた。
「だれ」
「ああ、ごめん。僕はエミール・レーヴェンタール」
「レ、レーヴェンタール!?」
金髪男・エミールの言葉に、ロイは目が飛び出る勢いで叫んだ。
「あんた、レーヴェンタールの息子か!? いや、ご子息ですか!? あの宰相の!?」
「あはは、いいよ。敬語じゃなくて。ここだと同級生だろう。それと、その通り。僕は”あの”レーヴェンタールの息子だよ」
エミールは食えない笑みを浮かべ、ロイに向き合う。ロイはぽかんとしながらも、「ほー」と気の抜けた声を返していた。
ルーカスはじろりとエミールを見上げた。
すらりとして背が高く、絵に描いた王子様のような格好。実際は宰相の息子だが。
宰相のレーヴェンタールはこの国の財務を一任されている。その息子なら、ロイのように敬語を使いたくなる同級生も多いだろう。
「きみはルーカス・ハーランドだよね。入試の筆記試験は満点だったって聞いたよ。でも、魔法の実技は合格するギリギリの点数だった」
「だから?」
「気になったから聞いてる。どうして魔法を使わないの?」
エミールの、エメラルド色の瞳が真っ直ぐにルーカスを捉えた。
ルーカスはぴくりと眉を動かす。
「無駄遣いしたくないんだよ」
はぁ、とため息交じりにルーカスは答えた。
「なんで?」
「うちは……。いや、僕にはメイドがいない。だから召喚獣に世話をしてもらってる」
「えっ!? 召喚獣に!? かっけぇ!」
ロイが騒がしく驚き、エミールは「へえ」と興味深そうに顔を輝かせた。
「召喚するには魔力がいるだろ。だからこんなとこで無駄遣いできない。それだけ」
ぶっきらぼうに言い捨て、ルーカスはロイの横を抜けようとした。
「待って、ルーカス。いい話がある」
エミールが止めた。ルーカスはじろりと訝しみながら振り返る。
「ようは、使える魔力が増えればいいんだよね?」
「まあ、そうだね」
「奇遇だね。僕も魔力を増やしたいところだったんだ」
エミールは食えない笑顔を浮かべながらルーカスに近づく。先ほどより楽しそうで、浮き足立っているのが伝わる。
「僕と一緒に魔力を増やす特訓をしようよ。ね? そしたらウィンウィンじゃない?」
ぐい、とエミールが顔を近づける。整った顔だからか、圧が強い。
ルーカスは喉の奥が引きつった。他人の顔がこんなに近づくのはジーク以外初めてだ。
「“魔力を増やす特訓”なんて初耳なんだけど」
「だろうね。最新の研究で分かってきた、まだ実験段階のものだから。これから広まってくと思うよ」
「……怪しい。どうやってやるの」
「うまく説明できないな。ぱぁーってして、ふわーってする感じ」
「なに言ってんのさ」
「まあまあ。やれば分かる。とりあえず、明日からやろうよ。いいよね?」
ルーカスはじろりと目の前の美形を睨む。エミールは変わらず、笑顔だ。断られるなんて全く想定していないような。この傲慢さは気に入らない。
だが、ウィンウィンという言葉が脳裏に引っかかっていた。
こいつのウィンなんかどうだっていいが、使える魔力が増えればジークを召喚できる時間が増える。魔法の授業だってサボらなくていいかもしれない。
……自分のウィンはかなり大きい。
「わかった。明日からだな」
ルーカスは半ば呆れた声で返事をする。
実験段階というのが気になるが、怪しかったらやる前に断わればいい。なんとかなるだろう。
エミールは瞳を宝石のように輝かせて「ありがとう」と笑いかけ、ロイは「やんのかよ!」と叫んだ。
「きみは来なくていいよ、ロイ」
「えー。俺も興味あるんだけど。横で見てんのはダメ?」
「繊細な作業だからね。あとで報告してあげるよ」
ぶー、と唇を尖らせるロイを、エミールはにこにこ笑顔で言いくるめる。
話は終わったな、と、ルーカスはくるりと背を向けてその場を去った。
帰宅して、ジークを召喚した。
「お疲れ様です、主様。今日もお疲れのようですね」
「ああ、んー。あんな簡単な魔法、わざわざ習う必要あるのかなって思っちゃう」
ジークに紅茶を淹れてもらいながら、ルーカスはほっと息を吐く。
相槌を打つジークを横目に、エミールの言葉を思い返した。
魔力が増えればジークと一緒にいる時間が増える。
いまは朝と夕方のちょっとした時間だけだけれど、これからは、もしかしたらもっと、例えば一緒にご飯を食べたり、遊びに行ったりすることもできるかもしれない。想像すると、胸の奥がぽかぽかした。
ことり、ルーカスの前にカップが置かれる。柔らかい香りに口角が緩んだ。
ジークは隣に立ち、ルーカスの話を聞いている。愚痴ともつかない、ただのつまらない話であるのに、まるで宝物を撫でるかのような表情で聞いている。
――なあ、もしさ。僕たちがずっと一緒にいられたら、お前は、嬉しい?
そう聞きそうになって、咄嗟にひとくち紅茶を含んだ。
もちろんジークは「嬉しい」と返すだろう。でも。
無理やり言わせているような気もするし、それ以前に、何かが引っかかっている。
――ほんとに、ほんとに嬉しいか?
そんなバカみたいな問いを繰り返しそうになるから、ルーカスは言葉を飲み込んだ。
「主様、今日はちょっといつもと違う匂いがしますね」
ジークがぽつりと呟いた。
「そう? くさい?」
「臭くはないんですけど……。別の人間の匂いって言うのかな。違和感っていうか」
「ああ。まあ、学校っていろんな人間いるし」
「そう、ですよね」
「しかも、なんか偉そうなヤツに目をつけられたし」
「は?」
ルーカスが何気なく呟いた言葉に、ジークは目を見開く。
ポットをつかむ手が一瞬止まり、隠していた爪がぎらりと現れる。
「まあ、乗っといてもいい話だから聞いたけど」
「気をつけてください。主様はいい人だから、騙されないか心配です」
「僕はそんなバカじゃないよ。いい人でもないし」
「……気をつけてくださいね」
ジークはそれだけ言うと、少しだけ眉根を寄せて、ゆっくりとポットを置いた。
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