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第1話 召喚された社畜

 藤堂(とうどう)遼太郎(りょうたろう)は、会社から三日ぶりに帰宅するところだった。  クライアントからの変更なんてものは下請けの宿命とも言える。しかし、納期寸前の状況で交渉すらされなかったというのは仕方がないとは言えない。遼太郎は上司の運が悪かった。自分の得と部下の苦しみを主食としている嗜虐的な豚が上司だったせいだ。  愚痴りたくとも業務に必要ない言葉を発する気力すら吸い取られ、生きていることが奇跡ともいえるほど衰弱していた。  遼太郎はデスクでうたた寝のみという地獄を乗り切り、ようやく帰路についた。ふらふらで、へろへろだった。  遼太郎の足取りはおぼつかず、電車のホームがどこまでなのか、いつ到着するかも判別できず、踏み出した足は(くう)を切り、迫りくる電車のまえに身を投げ出してしまった。  痛みはなかった。ただ、ミスをした自分を一瞬咎め、死を迎えることを知って安堵しただけだった。  そして遼太郎は死んだ。はずだった。  遼太郎はなぜかまだその意識を保っていた。しかも意識だけでなく、三日もシャワーを浴びずにいて、着替えもしていない不衛生な身体の匂いも何ら変わらず鼻につくのを感じていた。 「……なんで男なんだ」  驚愕の声を聞いて、遼太郎は振り返った。  そこには、コスプレなのかまるで中世ヨーロッパの世界にでもいそうな豪奢な服を着た銀髪の男がいた。横には立っているのもやっとな老人が震えながら丸い目を向けている。 「……わしに間違いはありませぬ」 「いや、完全に間違えている。女を召喚しろと命じただろう」 「……へえ」  へえ。それが老人の最期の言葉だった。  彼はその言葉を発した直後に崩れ落ちた。ぐしゃっと床にへたり込み、いや横になり、動かなくなってしまった。 「……アルデーヌ?」  銀髪の美丈夫が老人に駆け寄り、どこかを揺さぶり始めた。溶けた干し肉のような身体が歪んでいくのを見ていられず、遼太郎は周りのほうへ目を向けた。  西新宿駅のホームにいたはずなのに、ここはいったいどこなのだろう。  外ではないと思う。草木の揺れる音や人など動物の声も聞こえないし、なにより壁らしきものがある。ランプの灯りだけではおぼつかないが、確かに反射させている。西新宿駅でないことだけはまちがいない。人も、遼太郎と銀髪の男だけだ。と気がついて、遼太郎はぞっとした。  ここは天国ではなく地獄かもしれない。  地獄へ堕ちるような真似をした覚えはないのに、なぜ?  学生時代は勉強、そして社会に出たあとは仕事をと、ただがむしゃらに生きていただけだ。いじめに加担したり、人を蹴落とそうともしたことがないし、犯罪に手を染めるなんてことも当然ながらなかった。 「きみは女……ではないよな?」  不公平なと怯えていた遼太郎を美丈夫が凝視している。くたびれたスーツはコスプレだと言えたとしても、体格や無精髭の生えた相貌はどう見ても違うだろう。 「……男です、が……」  答えると、相手も当然そうだよな、とばかりに頷いた。当然そうだろう。   「……なんできみが召喚されたんだ?」  召喚。まるでゲームの中に出てくるような単語に眉根をひそめつつ、遼太郎はため息をついた。 「そんなの、俺が聞きたいんですけど……」  銀髪の男も負けず劣らずの大きなため息をつき、ランプを手に持って歩き出した。 「まずは部屋へ案内する。召喚してしまったからには無下に放り出したりはしない。責任はとる。ついてこい」  ついていかない選択肢はない。彼についていかねば紙くずと取り残されてしまう。  遼太郎は遅れをとらないよう足をもつらせながら彼の後を追った。 「……傾国の美女を召喚しろと頼んだんだ」  石造りの階段を登りながら、男がぽつりと言った。 「そのはずが、男を召喚して力尽きてしまっただなんて……」  それが説明のすべてだった。心底参っている様子の男は、「俺はカイル・アルカディーヤだ」と名乗り、「この邸には俺一人だ」とも付け加えて、どこぞの部屋へと遼太郎を押し込んだ。 「朝になったら食事を用意する。きみのことはそのときに聞く」  男は言うと、大あくびをしながら部屋を出ていった。  カイルと名乗った男の話を考える……つもりだった遼太郎は、三日もの間求め続けていた寝床を目にした途端、眠る以外の行動はなにもできなかった。

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