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第4話 決死の瞬間
遼太郎は三十を過ぎた冴えない社畜のサラリーマンでしかない。特技もなく人の気を引くような特技もいっさい持っていなかった。
しかし、その冴えなさとは裏腹に、尋常ではないほど濃厚なフェロモンを持っていた。遼太郎のフェロモンは強力かつ特殊で、ひとたび身体を重ねれば溺れずにはいられないほどの快楽をもたらせる威力があった。
どんなアルファをも溺れさせる極上のオメガ。
その自身の特性に、遼太郎は辟易していた。
睦み合ってしまえば気持ちよくはなる。フェロモンに反応するアルファはなぜか同性ばかりであったが、満足させてくれるし、快楽は得られるのだから悪い気はしなかった。
しかし、である。どれほど蠱惑的で極上なフェロモンを持っていても、遼太郎はただの社畜でしかない。学歴もない中小企業のサラリーマンがアルファ様のお眼鏡に適うはずもなく、セフレとしてヤり捨てられるだけだった。愛を向けられることはおろか、身体以外に興味すら抱かれず、ひどいときは名前を聞かれないこともあった。遼太郎にとって抱かれるという行為は、快楽を得られるものであっても、のちに襲うは惨めさばかりだった。
そんな自身の特質に振り回されるのを厭った遼太郎は、効果も強力なら高額でもある抑制剤を常用することで身体目的の相手を寄せ付けないよう気をつけていた。
カイルから誘惑して欲しいと頼まれたとき、自分であれば可能だと瞬時に気がついた。老魔道士は失敗などしていなかったことも、知っていた。知っていたが、忌むほどの性質を利用することは耐え難かったのである。
それなのに、と快楽の残滓に満ちたりながらも遼太郎は歯噛みした。
よほど相性がいいらしく、数年ぶりであることを抜きしても、カイルとする行為はこれまで感じたことがないほど気持ちがよかった。
そのことが泣きたくなるほど悲しかった。カイルとの日々は、元の世界では決して味わえないほど楽しくも充実していた。
失うかもしれない。
友情以上の思いを抱き始めていたカイルから、手のひらを返されてしまうかもしれない。
最高の快楽を味わった直後に地獄へと突き落とされたら。カイルから弟の元へいって欲しいと頼まれたら。
考えるだけでも恐ろしくてたまらなかった。
「トードー、どうした?」
案ずるようなカイルの声が頭上から降ってきた。
フェロモンの衝動に突き動かされながらもなおカイルは、遼太郎を気遣い、まるでそこに愛があるかのように優しく抱いてくれた。遼太郎はカイルに礼と情を向けたかった。が、怖かった。だから抱きしめようとするかのように伸ばされた手に背を向け、遼太郎は起き上がった。
「別に。なんでもないよ」
「だったらいいが、その……もう一度、してはだめか?」
カイルはおずおずと遼太郎の腕に手をかけ、やんわりと指で撫でてきた。甘えているような、遼太郎の反応をこわごわ窺うような手つきに身体は縫い留められてしまう。温かな彼の指のぬくもりは、触れられた箇所から徐々に強張りが解けていくよう優しく、遼太郎は微笑を返すしかできなかった。
「……いいよ」
遼太郎は肩を震わせながら唇を噛み、血を滲ませた。
ヒート期間のオメガは飢え続けている。
否はない。
しかし、飢えることそれ自体が不快でたまらず、虚しさを同時に生む快楽が恐ろしく、後の後悔を思うと胸が張り裂けそうだった。
「泣いてるのか?」
首へ耳へとキスが点々と落とされていたところ、ふと止まりカイルから覗き込まれた。
「いや、えっと……久々だったからかな」
答えになるかわからぬ適当なことを言うと、カイルは「まさか」と息を飲んだ。
「……きみほどの男に……まさか、配偶者がいなかったのか?」
「配偶者? ……って、ああ、うん。全然まったく。独身だよ」
「……つまり元の世界にきみを待つ者はいないということか?」
「当然だろ。こんなおっさんを誰が相手にする?」
「三十二じゃ、俺と十も変わらない」
「……まじかよ」
肌の張りや若々しい顔つきから、かなり年下であるとはわかっていた。しかし二十代前半とは。身分違いだけでなく年の差も大きく離れていると知って、遼太郎は気分が沈んできた。
「しかしトードーの本音としては、元の世界へ帰りたいんだよな?」
カイルの探るような視線に耐えきれず、遼太郎は目を逸らした。
元の世界に対する未練はない。もし戻れるとなっても、迷ったあげくこっちに残る決意をする気がした。しかしカイルとの関係が壊れてしまうのなら、そばにいることはできない。たとえカイルが望まずとも、以前どおりの友情を続けるのは難しいだろう。
「いや、まあ、そりゃあ……」
見ないで欲しい。表情を読まれたくない。
どうやっても笑みを取り繕えないと思い、遼太郎は顔を背けた。答えを濁したのは彼からの決定的な言葉を聞く覚悟ができていなかったからだ。別の話題に変えよう。なにか、と考えていたところカイルから顎を捉まれ、ぐっと態勢を戻された。
「……できるなら、ずっとこちらの世界にいて欲しい」
カイルは言い、乞うように軽くキスをしてきて、遼太郎は目を見開いた。
「弟を誘惑して欲しいんじゃないの?」
カイルは今、身を持って遼太郎の価値を知った。政治的な駆け引きなど回りくどい真似をせずとも済むと気づき、これぞ望んでいたものだとばかりに利用するはずだと思っていた。
「それは、トードー一人ではなく、われわれ二人でやる仕事だろう?」
「……いや、でも召喚はミスってなかったってわかったわけだし」
「ああ。アルデーヌは死の間際でも有能な術師であったとわかった。しかし、弟に触れさせたくない……わたしの他に誰の手にも抱かせたくない」
戸惑う遼太郎にカイルは再びキスをし、そして、それが開始の合図であると言わんばかりに、再び肌に指を這わせ始めた。その愛撫は、欲望に駆られた先ほどのような荒さはなく、愛おしむような手つきに変わっている。
「こんなふうに誰かを閉じ込めていたいと願ったのは初めてだ」
「ああ、それは、フェロモンっていうもんが……」
「……ふぇろもん?」
カイルから問いかけられ、遼太郎は理解してもらうべくなんとか説明してみた。すると、「それは関係ない」と答えて、カイルは自身の想いを吐露し始めた。
断罪され落ちぶれた自分を助けようとしてくれたのは遼太郎だけ、という気づきから始まり、好意を募らせていたこと。
そして、身体を重ねたことで、それを愛と呼んでもいいのかもしれないと、気づいたこと。
この世界に於いて同性同士が婚姻する習慣や法はない。遼太郎のいた世界いのように、アルファやオメガなどの第二の性は存在しておらず、子を産めるのは女性のみだった。
それがゆえに、カイルは遼太郎へ覚えた好意を、友情がゆえのものだと思い込んでいた。いや、思い込もうとしていたと、告げた。
「トードーといるととても満ち足りた気持ちになる。幸福を感じるんだ。それは、身体を合わせる以前からのことで、受け入れてくれた今はより大きくなったと感じている」
「……大げさだな」
「本当だ。帰らないで欲しい。きみを危険にさらすのなら王位のことも構わないと今は思っている」
「いや、だめだろ。不正は正さなきゃ」
遼太郎はカイルの言葉をそのまま受け入れたかった。しかし、これまで事を終えたあとに相手からガラリと態度を変えられた経験から、へたな期待を抱くまいと自制し、強い言葉ではねのけた。カイルは気圧されたように瞳を揺らし、言葉に詰まったようだった。
「正義感じゃないけどさ。国民のためにもカイルが王位を継ぐべきだと思うよ。そのためなら……俺はなんでもするから」
「なんでもとは?」
「だから……カイルの望みどおりのことを……」
遼太郎の言葉にカイルははっと深刻な顔をして何かを言おうとしたが飲み込み、また口を開きかけて閉じるといったのを数度繰り返した。
やがて決意を固めたのか、じっと口を引き締めたのち、遼太郎にじっと視線を据えた。
「謀反が成功したら生活の保障をすると言ったが、別の国へ発ったとしても約束は守るつもりだ。だが、できることならわたしのそばに居て欲しい。かなうなら……わたしのそばにいてくれるなら、トードー、きみを生涯守り抜きたい。……永遠にきみを守ると誓う。誓わせて欲しい」
カイルの声は震え、最後にはようやく絞り出したというようにかき消えてしまい、遼太郎は驚いた。
まるでプロポーズの言葉のようだった。画面の向こうで演じられた、恋人たちの緊張と歓喜のワンシーンを見た気分だった。
誰もが経験するようで、せずに終わる瞬間だ。羨む気すら抱いたことがない。自分には到底無縁な瞬間だと思っていた。
けれど、強い愛を誰かと交わしてみたかった。愛し愛され、互いがなければ人生などなんの意味もない、そんな思いを誰かと共有してみたかった。
カイルは王子だ。
弟の謀反がなければ今頃城で次期国王として身分相応の待遇にあり、世界中を探しても見つけ出すことのできないくらいのいい男だ。そのカイルが社畜のくたびれたおっさんに向かって、決死の思いを伝えてくれたのだ。
「……そこまで言うなら、死ぬまで俺の面倒を見ろよ」
遼太郎は信じてみようと思った。
カイルのことなら信じられると、思えた。
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