6 / 6

第6話 社畜の帰還

 ゲームにのめり込むと文字どおり夢中となり、人は他のことに気が回らなくなってしまう。全員とはいえないが、カイルとの合議の結果、フィリップには有効であると結論づけた。  問題は釣り針に引っかかってくれるかどうかだった。ゲームに乗ってくれさえすればいい。  結果まんまとフィリップは餌に食いついてくれ、遼太郎の仕掛けにはまった。  遼太郎とカイルはゲームに負けて勝負に勝ったのだ。 「なるほど、われわれはフィリップ殿下……いえ、フィリップの幻術に惑わされていたのですね」  宰相だという初老の貴族が、カイルの拘束を自ら外しながら言った。 「説明せずともわかってくれたか」 「無論です。カイル殿下のお姿を見て、すぐ考え至りました。どうかお許しください。このような浅はかな企みにハマってしまったことを……」 「いいんだ。目覚めてくれたのだから、何も申すことはない。感謝する」 「……殿下」  宰相だけでなく、大臣だという他の貴族たちもカイルへ歩み寄り、平伏した。カイルは逡巡したのちに深く頷き、少しして全員を立ち上がらせ、労うよう声をかけた。  後になって、遼太郎はこのときの反応の意味をカイルから聞き感心したものだった。謝罪は必要ないと言っても彼らの気は済まない。受け止めてやるのも必要なことなのだ、というのが理由だったそうだ。 「みなも同様だ。すべてはフィリップの手による悪夢だったとして忘れよう。二度とこのような事態が起こらぬよう、対処を考えていかねばならない」  フィリップは捕らえられた。二度と幻術をかけないよう、魔道士たちから二十四時間の監視を受けることに決まったらしい。  こうしてその日の午後にはカイルの冤罪が認められ、王子としての地位を取り戻すことができた。 「うまくいったな」  遼太郎は異世界からきた客人として迎え入れられ、王城に部屋を与えられた。カイルの隣の部屋だ。夕食を済ませたあと合流し、ふたりだけの慰労会をすることにした。 「すべてはトードーのお陰だ。なんと礼を申したらいいか」 「礼なんていいよ。だって家も食事も与えてもらえるんだろ? 永遠の有給休暇って感じでサイコーすぎ!」  ベッドはキングサイズでふかふかとして、部屋はオフィス並みの広さがある。ソファは眠れそうなほど大きく、三食におやつと夜食までついて、さらには酒もコーヒーも飲み放題ときては、極楽という他ない。   「足りないものはないか?」 「あるわけないじゃん。十分すぎるほどだよ。本当にありがとう」 「誓いが果たせそうで安心したよ」 「そうだな……でも——」  遼太郎は言いかけた言葉を飲み込んだ。  でも、王妃を娶らなければならないんだろう?  訊いたら、カイルの口から明確な答えを聞くはめになる。ふたりの関係がはっきりとしてしまう。今の遼太郎は曖昧にしておきたい問題だった。 「どうした?」 「……なんでもない」  まだ二十代前半の年齢なのだから、数年は未婚でいてくれるだろう。その間だけでもそばにいられたらいい。  遼太郎はカイルの誓いを信じてはいた。けれど自ら破るつもりだった。  嬉しくもあったが、束縛はしたくなかった。彼との日々は幸福で、幸福というのは終わりがくるからこその喜びであることを承知していたからだ。  だてに三十年も生きていない。社畜としての経験や、諦めることへの慣れから、希望という光は若者特有の幻想であることを学び取っていた。  今のカイルは信じられても、未来のカイルはわからない。というのが十年ほど長く生きている遼太郎の考えだった。 「えっ……がちで?」  その夜、遼太郎は自室のベッドでひとり、眩いばかりの明りに包まれた。じわじわと身体を包み込む光は、手をかざしても見えないくらいの光量だった。  遼太郎はいきなりのことに驚きつつ、なんの光であるかはすぐに気がついた。 「まさか、召喚の目的を果たしちゃったから?」  傾国の美女ではないけれど、国を一瞬でも傾けたのは事実といえる。だからかもしれない。なんにせよカイルの望みどおりにはなったのだから仕方がない。  遼太郎は考えて、受け入れるしかないと覚悟を決めた。 「だとしてもお別れも言えないのか……」  諦めるのは得意だった。戦える余地があるなら気力ある限りとの気概はあれど、不可能なことの見極めは早いたちだった。いつかは離れなければならない。その覚悟はすでにできていた。ただ、数年は一緒にいれると思っていたのに、数日ともたなかったのは無念だった。  戻ったら西新宿駅のホームだったってのは勘弁してくれよと願いながら、遼太郎は目をつむった。 「トードー!」  直後に遼太郎は手を捉まれ、引っ張られる感覚を覚えた。ぐっと強く引きずられて、柔らかく温かなものに包まれた。  匂いでわかる。認識したとたんに涙が滲むくらい名残り惜しくも求めていた匂いだ。 「行かないでくれ……」  強く抱きしめられて、遼太郎は目を開けた。不安でいっぱいのカイルが目の前にいた。行きたくない。この腕のなかにずっといたい。けれど、今残ったらのちに襲うは後悔だ。 「誓いを裏切るようなことになってごめん。だけど、俺は行くよ。最後に会えてよかった」 「なぜだ? 向こうの世界に望むものがあるのか?」 「あるわけ……あるよ。大事なものがあるんだ。戻れるのなら戻りたいって言っただろ?」 「そんな……待っている者はいないと申したではないか」 「うん。ごめん、カイル。人はいないんだけど、俺はあっちじゃないと心から楽しめないんだ。ほんとにごめん」    カイルはアルファじゃない。これまで遼太郎を抱いてきた身勝手なやつらとは正反対ともいえるほどに違う。カイルは愛を、本物の愛を向けてくれた。信じられると思えるくらい、深く気持ちを繋げてくれた。  しかし、だからこそ残れないのだ。後に訪れるつらさはこれまでの比じゃない。カイルは婚姻しなければならない立場にある。正妻がいて、自分は愛人のその他大勢のひとりになるなんて、耐えられないと思った。しかもアルファじゃないカイルと番っても妊娠はできない。  自分はこの世界にいても、なんの価値もないと突きつけられる。  想像だけでも、これまでの人生の悲しみと比較して、遼太郎にとって最も耐え難いことだと思った。だから離れる覚悟を決めていたのだ。 「しかし、トードー」 「ごめん。色々あったけど、がちで楽しかった。カイルと過ごせて幸せだったよ」 「過ぎたことのように言うな。わたしはきみと生きていきたいんだ」 「うん。ありがとう」  光が薄くなっている気がした。遼太郎は焦り、カイルから離れようと胸を押し返した。しかしカイルはますます抱きしめる力を強めて、離れようとしてくれない。 「カイル……頼むよ」 「きみの望みは可能な限り叶えたいと思う。しかし、これだけはだめだ。身勝手であるとは自覚している。だが、それでもトードー、きみを失いたくない」  か細くも消え入りそうに乞う声が耳に響いた。ぐらりと心が揺れる。 「……俺はこの世界の人間じゃないんだ」 「わかっている。だが、わたしはこれからどう生きていけばいい? きみを失ったら、王子としての責務を果たす前に己のほうが力尽きてしまうにちがいない」 「それって死ぬってこと? なんでだよ。王子に戻れたんだからしっかりしろよ」 「わたしはきみがいないとダメな男になってしまったんだ。きみを失ったら生きながらにして死ぬことになる。きみを王子妃として迎えるよう議会にかけるつもりでいたのもそのためだ。トードー以外の誰とも結ばれたくない。それなのに、きみを失うことになるなんて……」 「ちょっと待て、よく聞こえなかった。もう一回言って?」  遼太郎は我が耳を疑い、カイルに丸くした目を向けた。 「わかっている。このような情けない言葉をきみが嫌っていることを。けれど事実なのだから仕方がない。きみと出会ってしまって、わたしはトードーのいない世界で生きていけないと悟ってしまったんだ。だから……頼む、行かないで欲しい」  遼太郎は驚きのあまり絶句し、その間に光は消え失せてしまった。 「あっ……」  きょとんとした顔のカイルとまぬけ面を浮かべた遼太郎だけが残されて、部屋は静まり返った。 「……申し訳ない」 「いや……てか、さっきの話、がちなの?」 「が、がち、とは?」 「あ、ごめん。本当なのかってこと」 「本当だ。嘘偽りはひとつとしてない」  カイルに二言はなかった。すべての言葉は本気で、彼は遼太郎の承諾をしっかと受けてから、一月もしないうちに実行した。  遼太郎はカイルの妻となり、世にも珍しいことに王子は同性の正妻を迎えることとなった。 「……反対したやつとかいなかったわけ?」 「いるはずがなかろう! きみは異世界から来た特別な男だ。しかも傾国し、立て直してまでくれた。誰がきみを責める? トードー、きみはこの世界で誰よりも立派な、極上の男なのだ」 「恥ずかしいことを言うなよ……」 「事実ではないか」 「あとさ、今さらなんだけど、俺の名は実はトードーじゃない。リョウタロウっていうんだ。もしできたら名前で呼んで欲しい」 「リョウ……タロウ……うん。練習しよう」 「してくれたらありがたい。なんせ俺はこれからリョウタロウ・アルカディーヤって名前になるんだから」  嫌ではなかったが、この世界で生涯暮らすのならちゃんとしたい。真面目に働きすぎて社畜となってしまった遼太郎の、些細ながらに大切なこだわりだった。  こうして異世界へ留まることになった遼太郎だが、神がいたのか、はたまた元の世界では妊娠可能な性質を持っていたからか、のちにカイルの子を孕み、正妻の地位を不動のものとすることになったのだった。

ともだちにシェアしよう!