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第1話 神託

 新月のその夜、王宮の最深部にある玉座の間。そのひとは(きら)びやかな玉座の傍らに、ただひとり、泰然と(たたず)んでいた。 「覚悟は出来ているだうな、叔父上……トゥアルセティス」  ホルセムは絞り出すような声でその名を呼んだ。手に()げた王権の象徴たる(つるぎ)アンクラトゥス、その切っ先を相手に向ける。 「我が父を弑し、玉座を奪った罪……いまこそ、その命で償ってもらおう」  ホルセムの低い声での問いかけに、けれども男は答えなかった。ただ、薄い唇をゆるく弧のかたちに歪めて、しずかに笑うばかりだ。それはホルセムには不敵とも思える笑みだった。  ホルセムは、じりり、と、相手に迫る。  恐れるべきものなど、もはやない。  王宮はホルセムの率いてきた軍がすでに制圧に成功していた。王宮を取り囲んだ大軍を目にするや、本来ならば王を守るために決死の覚悟で戦うはずの衛兵たちは、みな、ほとんど無抵抗で投降した。  これまで王に仕え、(まつりごと)を動かしていたはずの書記官たちもまた同様だ。ホルセムがこの玉座の間に兵卒を連れて踏み込んだとき、この場にいた誰もかれもが、すぐに(ひざまず)いて、ホルセムのために道を開けた。  いまは、そのどちらも、自軍の兵に命じて縄をかけさせてある。  すなわち、我が身を(なげう)ってまで簒奪(さんだつ)者トゥアルセティスを守ろうとする者は、皆無だったというわけだ。  かくして、先王を(しい)して玉座を奪った男は、先王の子、ホルセムに追い詰められている。 「弑逆と簒奪の罪、その命で(あがな)うがいい」  ホルセムが(うな)るように言い、剣を高く掲げてトゥアルセティスに斬りかからんとした、まさにその刹那である。  突風が吹いた。  部屋の中だというのに、赤く乾いた砂漠で砂嵐に遭ったように、その風に巻かれてホルセムは刹那、身体の自由を奪われ、動けなくなった。 「っ、きさま、何をした!?」  王家の血を継ぐ者は、それぞれに不可思議の術を使う。下ケメト王家の末裔であるトゥアルセティスが何かしら魔術を使ったのだと、そのときホルセムは思った。  だが、当の本人は、呆然と目を(みは)っているではないか。 「セテス神……」  つぶやくのは、数多(あまた)あるこの国の神々の一柱(ひとはしら)、砂漠を(つかさど)る神の名だ。  ホルセムは眉を寄せ、はっ、と、(あざけ)るように()()てた。 「最後の神だのみか? それとも、神がきさまを救ったとでも言いたいのか? 思い上がるなよ、逆賊め……」  そう言って再び剣を高々と掲げたときだ。 「っ、お待ちを……!」  玉座の間に飛び込んでくる者がある。 「お待ちください、王太子殿下! 殺してはなりませぬ!」  振り向くと、駆けてきたのは年若き書記官ウルだった。  ホルセムの幼馴染にして、側近の青年である。五年前、王都から遠く離れたオアシス都市で父王の訃報に触れて以来、長きにわたる雌伏の時を共にしてきた相手でもあった。 「殺すなだと!? なにを莫迦(ばか)な!」  ホルセムは、いままさに父の仇を討たんとする己を唐突に止めた相手に対し、激昂をあらわにして叫んだ。 「こやつは父王を(しい)し、王位を簒奪(さんだつ)した逆賊だぞ! それを……っ」 「ホルセムさま、どうぞお鎮まりを」  昂奮するホルセムを、ウルはそう言って(なだ)めようとした。  ホルセムはウルを鋭く睨んだが、幼い頃から共に育った相手はホルセムの激情になど馴れきっている。(ひる)む様子など欠片(かけら)もないまま言葉を続けた。 「お気持ちはわかります。偉大なる我らが王を(あや)(たてまつ)った者を憎む思い、それはみな、同じ。なれど、どうかお待ちを」 「だから何故だといっている!?」 「ただいま……神託が」 「神託だと?」 「はい。神殿から急使が駆け込んで参りました。神殿に神がお姿を(あらわ)され、神託を下されたと……」 「この男を殺すなと、神が(のたま)ったとでもいうのか!?」  ホルセムが憎々しげに言うと、ウルは困ったように言い(よど)んだ。 「なんだ?」  ホルセムが(いぶか)って先を促すと、やがて、意を決したように口を開く。 「そうではありませんが、そうともいえます」 「どういうことだ?」 「新たに王となる者、その(きさき)には必ず、トゥト神の加護ある者を迎えよ」  ウルは歌うように、滔々と口にした。 「さもなくば、やがて邪神アポォピス、この世を混沌に陥れん」 「な、に……?」  ウルの告げた言葉に、ホルセムは歯噛みした。てのひらをきつく握り込んで、トゥアルセティスを睨みつける。  ホルセムと共に神託を耳にした相手の目もまた、驚愕のために大きく(みは)られている。  その眸の、不可思議で神秘的な輝き。蒼味を帯びた銀色に、舟の形をした月が浮かんだような、独特の虹彩――……トゥト神の加護の証とされる、〈月の眸〉だ。 「くそっ」  ホルセムは舌打ちした。 「こいつは父王の(かたき)だぞ? それを……よりによって、俺の妃にせよというのか!?」 「お怒りはごもっともです。ですが、ホルセムさま、あなたさまは次代の王、次に太陽神ラァの現身(うつしみ)たらんとする御方なのです。神々のお声に従わぬわけには……」  ウルが口にすることが正論であるというのは、ホルセムとて理解できる。だが、頭でわかることと、心がそれを受け入れられることとは、また別なのだ。 「神託というが、どうせトゥト神殿だろう? 聞く必要があるか?」  ホルセムは、知恵と暦とを司るとされる月神の名を挙げた。  ケメト王国の地は、南から北に向けて、ゆったりと流れる大河が貫いている。国の名となっているケメトとは、そもそも黒い大地の意。毎年、(アセト)の第一月になると氾濫して、肥沃な黒い土を運ぶのが大河イテロだった。  その大河の(ほとり)、南北に細長く広がる緑と砂の国。大河イテロに沿って、その中流域に広がるのが(かみ)ケメト。下流の三角州(デルタ)に栄えるのが、(しも)ケメトである。  長く対立を続けていた二王朝がついに統一されたのが、(さかのぼ)ることおよそ二十年程前の出来事だった。上ケメトの王だったホルセムの祖父、カウラァ王が、下セメトの王家を打ち倒したのである。  トゥト神は、その征服された下ケメトの民が最も大切に(まつ)ってきた神だ。  そして、いま目の前にいる逆賊トゥアルセティス。ホルセムの父を殺したその男は、下ケメトの王家血筋を継ぐ、最後のひとりなのだった。  祖父が下ケメトの王女を妻とした際、その連れ子であった幼い王子もまた、上ケメト王家に迎えられた。それが王弟トゥアルセティス――……ホルセムの、血の繋がらない叔父にあたる人物である。 「王殺しの簒奪者を新王の王妃として立てよとは……そんなもの、下ケメトの神が、己を祀る王家の遺児を贔屓(ひいき)して下した神託ではないのか?」  ホルセムは握り締めた拳を怒りにふるわせた。  きっとそうに違いない。  いくら知恵の神と名高いトゥトとはいえ、我が民への憐憫に、目を曇らせているのだ。そんな神託を真に受ける必要があるのだろうか。  ホルセムは(はやぶさ)のそれのごとき鬱金(うこん)の眸をウルに向けた。  しかし、側近はゆるく(かぶり)を振った。 「いいえ、ホルセムさま……神託は、我が上ケメトの最高神、太陽神ラァを祀る神殿からのもの……その他、オサイリス神殿、セテス神殿においても、同じ神託が下ったようなのです」 「なんだと?」  名だたる神々を挙げられ、ホルセムは凛々しくつりあがった眉をぴくりとふるわせた。 「各神殿から神官が慌てて伝令を遣わして参りました。もしかしたら、ゲブル神殿やハピル神殿からも、このあと、伝令があるやもしれません。しかも、どの神殿から伝えられた神託の内容(なかみ)も、みな同じなのでございます。新王の妃にはトゥト神の加護ある者を、さもなくば邪神アポォピスの災禍(わざわい)が降りかかる、と。そして、トゥト神の加護ある者といえば……」  そこでウルもまたトゥアルセティスを一瞥(いちべつ)した。 「百年にひとり現れるか現れぬかといわれる、〈月の眸〉を持つ者……現状、王弟トゥアルセティスさま以外、確認されておりません」 「トゥアルセティスは……男だ。それを、王妃に?」 「神託はすべてに優先します。そも、性別のことは……神々は、お気にはなさいませんでしょう。なにしろ、我が国の神には、男神しかおられぬのですから」  もっと正確にいうならば、おそらく神々は、性別という概念を持っていないのだ。ラァから生じたどの神も、生み、生ませることができるとされている。  原初の海ヌゥから、太陽神ラァと月神トゥトが生じた。その後、創造の力を司るラァが、ケメトを護る様々な神々を生み出していったという。やがて、そうした神々同士からも新たな神が生まれて、ケメトは多くの神の加護を受ける地となった、と、古い物語は語る。  神々の治める地ケメト。神の統治のもと、やがて次第に、人間たちも数を増やしていった。  増えた人間は、神々のために神殿を立て、その偉大さ、その事績を、物語として壁に刻んだ。その際、どの神々も、図像としては男神としてあらわされている。太古の昔、まだ地上が神々の直接治めるところであったころ、人間が目にした神がそうした姿だったためだろうと言われている。  各地に神殿が次々とつくられる頃になると、神は人間のひとりを自らの化身と為して王に立て、自らに代わってケメトを治めることを許した。それがケメト王家のはじまりだ。  神と王との共同統治。神の化身たる王が治める国。それがケメト王国である。  いまや神々は滅多と人々の前に姿をあらわさなくなっていたが、しかし、その存在はいまもってなお偉大にして強大なものと認識されている。 「神託はすべてに優先します」  ウルが再び言った。  ホルセムは、呆然としたままのトゥアルセティスを歯噛みしながら睨みつけた。  この五年、復讐を果たし、玉座を取り戻すためだけに生きてきた。それなのに、憎き父の仇をこの手で(ほふ)ることが許されないのだ。  ()き場を失った感情の奔流(ほんりゅう)を、いったいどう鎮めれば良いというのか。  ホルセムはぎりりとてのひらを握りこむと、激情を堪えるように眉をひそめつつ、なんとか剣を鞘に納めた。が、そのあとすぐに、トゥアルセティスのほうへとつかつかと歩み寄る。  玉座の傍らに立ち尽くす叔父の、細い腕を乱暴に掴み上げた。 「ホルセムさま!」  ホルセムが神託に逆らって相手を害そうとしていると思ったらしいウルが、慌てたような声を上げた。 「心配するな、殺しはしないさ」  ホルセムは側近に言い、トゥアルセティスの腕を引く。蹈鞴(たたら)を踏んだ相手の細身を、まるで狩りの獲物でも抱えるときのように肩に担ぎあげた。 「我が妃にせよと、神は(おお)せなのだろう? ならばさっそく……そうしてやろうではないか。――誰か、寝所に香油を持て」  そう命じつつ、玉座の間の入り口へと向かう。 「な、にを……?」  このとき、ホルセムの意図を悟ったらしいトゥアルセティスがようやく口をきいた。  ホルセムは、は、と、鼻で嗤う。 「俺たちはじきに王と王妃となるのだ。婚儀の前に(ちぎ)ったとて、それを神々に(とが)められる(いわ)れはないはず……殺せぬならせめて、きさまには、最大限の恥辱を味わわせてやる」  そう宣告すると、叔父は顔色をさっと変えたようだ。はなせ、と、わずかに(あらが)う様子を見せたが、(たくま)しいホルセムの腕にがっちりととらえられては、抜け出すことなどかなうはずもなかった。  逃がすつもりも、毛頭、ない。  ホルセムは、五年前まで暮らしていた、そして今日久々に戻った王宮の廊下を、憎悪に眸を燃えたぎらせつつ、無言で真っ直ぐに寝所へ向かった。

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