1 / 3

第一話 水曜日の朝、午前10時

水曜日の朝、大型書店に勤務する秋山の今日のシフトは休みだ。駅前のスーツ姿のサラリーマンが行き交う通りを、大きな洗濯バッグを持って、カフェ併設のコインランドリーに向かっている。 「やっぱり、人が働いてる時に、休めるのは格別だな〜」 心の中でそう呟きながら、秋山はあえて歩幅を少し緩めた。すれ違う働く人たちの、どこか焦りを含んだ足音とは対照的に、自分の足元だけがフワリと風をはらみ、のんびりとしたリズムを刻んでいる。 大型書店のシフト勤務は不規則だ。土日の慌ただしさを戦い抜いたご褒美が、この水曜日の朝だった。 コインランドリーの自動ドアが開くと、店内は人影もまばらで空いていた。併設されたウォルナット調の落ち着いた内装の北欧カフェは、焼きたてのパンが評判の店だ。 秋山は空いている洗濯機に、重たいバッグから洗濯物をドラムに移すと、コインを投入する。ガタゴトと力強く回り始めたのを見届けてから、隣のカフェスペースへ移動した。 注文したのは、深煎りのホットコーヒーと、少し厚切りのバタートースト。 窓際の青いタイルのカウンター席に腰掛け、文庫本を開く。しかし、文字を追うよりも先に、視線は窓の外の忙しない世界へと向いてしまう。ネクタイを締め直しながら早足で歩く人、スマートフォンを睨みつけながら歩く人。 (みんな、走ってるな……) 薄暗い照明の店の窓から見える、外の人々の世界はどこか遠い。 ついさっきまで自分がいた、窮屈な社会が、他人事のように感じる。 「なぜ生きているのか、落っことしてきちゃうことがある」 いつかどこかで読んだ本のフレーズが、ふと頭をよぎる。 毎日を必死に走っていると、そのスピードの風圧で、大切な意味や目的がどこかへ吹き飛んでしまうのかもしれない。 でも、こうして平日の朝に、他人の速度から一歩外れて立ち止まってみる。 回り続ける洗濯機を眺めながら、温かい珈琲を啜る。 そんな何でもない時間が、落っことしてしまった何かを、もう一度ポケットにそっと戻してくれるような気がした。 秋山の視線がふと、ハードカバーの単行本を読む一人の男をとらえた。少し離れた布のソファ席。 白いシャツの男が眉間にシワを寄せて没頭していたのは……『嘘を護る男』。 秋山がポップで紹介したばかりの新刊のミステリー小説だった。 書店員の性で秋山は、熱心にページをめくる男の、息を飲み、ハラハラと読み進める様子を、じっと見つめる。すると、秋山の視線を感じたのか、男が顔を上げてこちらを見た。……目が合った。 美しい顔をした男の表情に、みるみると防衛の色が浮かび上がった。

ともだちにシェアしよう!