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第二話 出会、接近、次の約束
秋山は猛烈な羞恥心に襲われながら、慌てて手元の文庫本へと視線を落とした。
コインランドリーのカフェスペースで、見ず知らずの男を気付かれる程凝視して、警戒させるとは、なんて凡ミスだ、と秋山は思った。
しかし、訝しげな男の顔が、引っかかった。
(………あ)
(あの人、昨日のお客さんだ!)
秋山は、人の顔の覚えが良い方ではない。お客さんで顔を覚えているのは、よっぽどの常連さんくらいだった。すぐには、思い出さなかったが、彼は、先日の閉店間際にするりと滑り込み、秋山が書いたばかりのポップの前で、立ち止まった。その時の切迫した表情が、印象に残っていた。
(また、同じ表情をしている………)
そう思って、秋山はもう一度、男の方へ振り返った。
居心地が悪くなったのだろうか。男はパタンと音を立ててハードカバーを閉じると、帰り支度を始めた。
完了した乾燥機から手際よく洗濯物を回収し、逃げるように自動ドアの向こうへ去っていく。
「……はぁ」
秋山はいつの間にか止めていた息を小さく吐き、ちょうど終了アラームの鳴った自分の洗濯機へ向かった。乾燥が終わった洗濯物を取り出し、手持ちの大きなバッグに押し込む。帰ろうとしたその時、先ほど男が使っていた乾燥機が目に入った。
乾燥機の前の床に、キラキラと光が乱反射している。
(何か、ある……)
秋山が拾い上げると、それはキーホルダーがついた「鍵」だった。男の洗濯物のポケットの中から、落っこちでもしたのだろうか?
「大変、家の鍵じゃないか。忘れてる……!」
秋山は、考える間もなく、走った。
店を出た所で、左右を見渡す。道の上に男の姿はない。
「どっちだ⁈」
秋山は当てずっぽうで、人の多い方の道、駅へ向かって勢い良く走り出した。大きな荷物を抱えて、沢山の人の背中を追い抜かした。息が切れる程に駆けた時、その中に白いシャツの、あの背中を見つけた。
「あの! すみません! 待ってください!」
平日の駅前に秋山の場違いな大声が響く。
声をかけられ、振り返った男は、何か面倒なことに巻き込まれるのを恐れるような、硬く強張った顔を向けた。
「はぁ、はぁ………これ、乾燥機の前に、落ちてました……っ」
秋山は息を切らせながら、握り締めた拳を男の目の前に差し出し、その指を開いた。手のひらの中から、銀色の鍵が顔を覗かせた。
男は一瞬目を見開き、それから「あ」と小さく声を漏らして、自分の黒チノパンの後ろポケットを手で触る。
「うわ、本当だ……洗濯してる時、落っことしたのかな?これがないと家に入れないところでした。わざわざ追いかけてくれたんですか?」
男の肩の力が、ほんの少しだけ抜けた。
同時に、男の視線が、秋山の肩に掛けられた大きなトートバッグの口元へと移る。くしゃりと覗いていたのは、深いグリーンの布地。そこには、地元で誰もが知る書店のロゴマークがはっきりと刺繍されていた。
「それ……」と男が呟いた。「昨日、行った本屋の……」
「そう、なんです!」
秋山は顔を真っ赤にしながら、堰を切ったように言葉を募らせた。
「あの、本当にごめんなさい! さっき変な目で見てしまって……! 僕、そこの書店の文芸担当なんです。秋山っていいます。昨日、あなたが本を買っているところを見ていて。さっきカフェで、本当に夢中で読んでくださっているのが見えて、嬉しくて、感動して、それで………つい、目が離せなくなっちゃって。本当に不審者みたいですみませんでした!」
一気にまくしたて、勢いよく頭を下げた秋山。
数秒の静寂の後――
「あはは!」と、男が突然、声を上げて笑った。
さっきまでの刺々しかった表情が嘘のように、ふっと柔らかく、眩しいほどの笑顔に変わる。
「なるほど、そういうことか! すみません、てっきり何か因縁でもつけられるのかと身構えちゃいました。あの本、ポップに惹かれて買ったんですけど……そうか、『その嘘は誰を幸せにしますか?』って言葉、秋山さんが書かれたんですね。主人公に、感情移入しちゃって。だから、誰かに見られてる気がしてビクビクしてたんです」
男はそう言って苦笑すると、すっと綺麗な右手を差し出してきた。秋山の手から、自分の鍵を受け取ると、黒チノパンのポケットに、それを戻した。
「僕は不動産営業をやってる、長谷川っていいます。」
長谷川は警戒が溶けた目で、秋山を見つめて言った。
「……何かお礼させて下さい。あ、もしかして秋山さん、よくあのコインランドリーに来ますか?」
「え? あ、はい。………」
「じゃあ、ちょうどいい、今度僕に奢らせてください。カフェでモーニングでも食べながら、本の感想に付き合ってくれませんか? 同じく本好きの同志として」
断る隙も与えない、営業マンらしいスマートで心地よい強引さ。
秋山は、赤くなった顔を隠すようにコックリと頷くことしかできなかった。
「書店員さんと知り合いになれるなんて、嬉しいな。俺、本マニアなんですよ」
と長谷川が微笑む。
2人の速度が、静かに重なり合おうとしていた。
秋山は心の中で思っていた。
『嘘を護る男』の主人公にここまでシンクロするこの人は、何か秘密を胸に抱えているのだろうか?と。
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