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第三話 次の水曜日の朝、午前10時
休みの日に、普段よりも丁寧に髭を剃っている。鏡の前で顔の角度を変え、顎下の剃り残しをチェックする長谷川は、他人よりも髭は薄い方だ。仕事の無い日に髭を剃る習慣はない。
(秋山さん、好みのタイプだ………)
長谷川は待ち合わせの相手の顔を思い浮かべる。柔らかそうなくせ毛の、少し長めの髪。眼鏡の知的な書店員。そして、なんというか、目が優しそうだ。
(来て、くれるかな?)
出会いは、偶然の重なりだった。
カフェで読書中に目が合った時、自分の理想のままの完全な人だと思った。その瞬間、(告白してくれたのが、職場の女性じゃなくて、彼だったら良かったのに!)と思った自分に嫌気が差した。
(もし、そうだったなら、こんなに悩んだりしないのにな………)
長谷川は田舎の厳格な家庭で育った。自分は男が好きなのではないか、その疑念を誰にも言った事は無かった。就職で地元を出た時、これで自由になれる!と思った。
しかし、長谷川は心の中に厳しい鬼のような監視者を飼っていた。時にそれは、父親の声で長谷川を怒鳴りつけたが、その批判し責める意識は、結局は自分の胸の中に棲んでいた。
長谷川は一人暮らしの部屋に男を連れ込んだり、羽目を外すことも出来ずに、やっと受かった住宅ハウジング会社で、必死に働いた。そんな時、会社の女性から、想いを寄せられた。
今までの擬態の努力が、合格点の評価を受けた気がした。
それどころか、これは「普通」への通行手形だ。
彼女は申し分ない。彼女の提案に頷きさえすれば、胸を張って実家にも帰れる――。
答えを保留にしたまま、会社帰りに立ち寄った本屋で、あのポップに出会った。
『その嘘は誰を幸せにしますか?』
(誰も幸せにするはずがない。)
そんな事分かりきっていた。
本を手に取らずには、いられなかった。
次の日、コインランドリーで洗濯機を回しながら、待ち時間に買ったばかりの本を読み耽った。その本の主人公が、自分と違うのは、最初についた小さな嘘が、好きな女性のためだったところだ。しかし、その綻びを誤魔化すために塗り重ねた嘘が、男をじわじわと転落へと追い詰めていく。
切羽詰まったシーンで、頬に刺さるような視線を感じた。まさかな、と顔を上げると、好みの男性が熱心に見守るように、俺を見ていた。
(ゲイなのがバレた?いや、そんな筈ない。意識し過ぎだ。)
一瞬で色んな思いが交錯した。
(彼なら、良かったのに……)
今、何て思った?
俺は気まずくなって、洗濯物を回収し、足早に店から立ち去った。
それなのに、あの人が追いかけて来たんだ。
俺の落とした鍵を届けに……!
あの熱烈な視線の意味も分かった。自分のしていた都合のいい勘違いに拍子抜けした。
でも、この時、藤沢さんの告白は、きちんと断ろうとハッキリ決めた。
今まで、気になる人にアピールをした事さえなかった。
秋山さんにアプローチして、振られたら、もう俺は生涯独身で構わない。
長谷川は清涼タイプのメンズ美容液をパシャパシャと顔にはたき付ける。勤務日と同じように前髪を上げようとするが、少し迷って止めた。
(今日はプライベートだから……)
幸い?長谷川にはこの3年間の営業で培った、ビジネススマイルとトークスキルがある。図太く嘘もつけるようになった。
(物件としては最悪な、俺を秋山さんに売り付けてやる!)
前髪は下ろしたままだが、気合いは十分に入っていた。
一方その頃の秋山は、件のコインランドリーでのんびりと長谷川を待っていた。
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