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第一章 入所 1

 雨の中から最初に現れたのは、二人の少年だった。  一人は背が高く、今一人はまだその肩にも届かない。  年嵩と見える少年は、隣の少年の手を引きながら歩いている。彼らの足取りは、重い。  二人はこの雨の中、傘もささずに歩いていた。  秋の雨はたちが悪い。  小降りだからと油断をしていると、瞬く間に体の隙間に入り込み容赦なく体温を奪って行く。  いつからこの秋雨に晒されていたのか、彼らの髪はしとどに濡れ、衣服からは大粒の雫が流れ落ちている。  手入れが悪く寂れた道には、宵の口だというのに人も車もほとんど通らない。脇にぽつりぽつりと民家はあるが、表には人の気配もなく、ただ街灯だけが赤く足下を照らしている。  背の高い方の少年が、歩きながらぶるりとその身を震わせ、そのまま足を止めた。 「ユウ、大丈夫か?」  気遣わしそうに隣の顔を覗き込む。  だが細かい霧雨が、相手のまだ幼い表情を霞ませてしまっていた。 「おーい、ケー……ィ、敬!」  と、雨の向こうから名を呼びながらもう一人、少年が駆けて来た。年格好は彼が敬と呼んだ少年と同じくらいに見える。彼もずぶ濡れだ。 「涼!」  敬が伸びすぎた黒髪を掻き上げ、水滴を弾きながら言った。 「どこ行ってたんだ。うろちょろすると……」 「ちょっと見て来た。この先、山に入ってすぐに空き家があった。休めるかも」 「本当に空き家なんだろうな? この前みたいに空き巣と間違われるのはごめんだぞ」 「大丈夫。中に入って確かめて来た。……悠、どうした?」  彼も、敬の後ろにいる小さな姿を心配そうに見た。 「疲れちまったみたいだ。急ごう、とにかく休まなきゃ」  敬は小さな手を握り直すと、涼の案内の後に続いた。  道を幾度か折れて進むうち、民家は消えて倉庫が並ぶようになり、やがてそれも消えた。いくつかの放棄された田畑を越えると、周囲は完全に藪に覆われた。  先に立つ涼が指をさす。道はまだ先に続いている。敬が頷いて藪を踏み越えようとすると、涼がふいにその腕を引いた。 「フェンス」  よくよく見れば、塗料の剥げ落ちた金属の板が転がっている。道の両脇には柱やコンクリートの大きな塊があった。元々道は塞がれていたのだ。 「気ぃつけな」  だがこれだけ大きな板では踏まずに乗り越えるのは無理だろう。夕闇が迫りすでに足場もおぼつかない。  逡巡していると、先に涼がひょいひょいと進んだ。 「ほら、悠」  涼が手を伸ばす。悠がその手を取ると、軽々と向こう側へ下ろしてやった。 「敬も」 「……いーよ」  腰が引けているのを悟られて悔しかったのだろう。敬はわざとぶっきらぼうに言うと、出された手を無視して飛び越えた。 「ここから山道だ」  まだかろうじて道は舗装されている。だが数メートルも進めば足下はぬかるんだ泥と砂礫ばかりとなった。両脇に茂る藪はすぐに彼らの行く手を阻む。  敬は上を仰ぎ見た。奥へ進むにつれて黒い木々は頭上も覆う。だが間断なく降り注ぐ雨を防いでくれるには、まだ少し頼りない。 「こっち」  ここでも涼が先に立ち、背の高い草をかき分けて進んだ。すぐ後に悠が続き、敬はしんがりだ。細い枝やとげはできるだけ手で払ったが、それでも鞭のようにしなる枝がたびたび彼らの頬をかすめた。 「ほら」  唐突に涼が声を上げた。 「あれ」 「確かに……、空き家だな」  涼が見つけた廃屋は、藪がぽっかりと口を開けた向こう側に建っていた。塀はない。扉も、ない。  平屋のこぢんまりとした家屋は、住居というよりは作業小屋に近かった。掃き出し窓のガラスはすべて割れていた。古い壁は所々朽ち落ち、屋根瓦も半分以上が外れ無くなっている。人が出入りした気配は全くない。 「こりゃぁまた……」 「崩れやしないよ。さ、おいで」  涼は先に壁の穴をくぐって中に入り、悠を抱き上げた。 「足元に気をつけろよ。ガラスが散らばってるからな」  悠の後に続いて敬も中に入った。  廃屋特有の黴臭い湿った匂いが充満している。壁際から聞こえる微かな物音は、鼠だろうか。それとも雨垂れの音だろうか。とにかく危なっかしいので、目が慣れるまで身動きできない。目の奥をぐいぐいと押しつけて来るような真っ暗闇は、敬さえも弱気にした。 「何か出そうな雰囲気だな」 「やめろよ」  涼はそう言うと、悠の手を握ってやった。暗闇の中でも悠の手から震えが伝わってくる。敬も自分の不注意を詫びるように悠の手を握った。 「奥の方に板の間があった。そこなら壁も屋根もしっかりしてた」  とにかく雨の降り込まない場所へと、三人は移動した。板の間の方は開けた斜面に面していたようだ。微かな街明かりが届き、薄く部屋を照らしている。 「すごい埃だな。悠をそっちにやっててくれよ。少し片づけるから」  この家が使われなくなってもう何年も経つのだろう。敬が土埃を掻き出すとかなりの山ができた。 「こんなもんだろ。まぁ雨が止むまでの辛抱だ」  敬と涼は顔を見合わせると、どちらからともなく胸に溜め込んでいた息を吐いた。  床板が腐っていないことを確かめ、二人とも倒れ込むように腰を下ろした。強がってはいても、やはり疲労は隠せなかった。 「なぁ、あとどれくらいだ?」 「ここからだと……あと一時間くらい、かな……」  敬が穴のあいたスニーカーから水を零しながら答える。 「駅から歩いて二時間か。辺鄙な所にあるんだな」  そう呟くと涼は体を震わせた。何とか雨は避けられたものの、冷たい風が吹き込んで彼らの体温をどんどん奪ってゆく。  服を脱ごうかどうしようか、涼が考えを巡らせた時、敬が言った。 「悠?」  悠はまだ敬の目の前に立っていた。 「おいで。疲れたろう?」  暗闇で悠の表情は判然としなかったが、手を引くと悠はおとなしくの敬の懐に収まった。 「腹、減った?」  横からの涼の問いに僅かに首を振る。そして敬の胸に顔を押しつけるようにして縋り付いてきた。 「怖いんだな。大丈夫だって、なんにも出やしな……」 「涼」  敬が遮る。その声は堅い。 「どうした?」 「まずい」  敬は涼の手を取ると、悠の額に持って行った。雨に打たれ冷え切った彼らの指先に、悠の体温は高すぎた。 「いつからだよ……」  敬の腕に悠の体の震えが伝わって来る。怯えていた訳ではなかったのだ。どうしてもっと早くに気づいてやれなかったのかと、彼は悔やんだ。 「どうしよう……」 「どうしようって……」  このままここにいても、熱を下げる薬も無い。温かい食べ物も毛布も無い。乾いた服も無い。しかし目的地はまだ遠い……。 「火をおこすか……いやでも……」 「僕、大丈夫だよ!」  悠が初めて声を上げた。 「こんなの、平気」  だがその台詞とは裏腹に、彼の声は上擦っている。その様子に敬は心を決めた。 「先を急ごう。悠は俺が負ぶっていく」 「自分で歩ける!」  悠は慌てて立ち上がったが、途端に目が回って涼に腕を掴まれた。 「無理すんな」  だが悠は尚も不満そうだ。仕方なく涼が言った。 「お前の足じゃ倍かかるんだよ。足手まといになりたくなかったら、おとなしく言うことを聞け」  こうまで言われて食い下がる元気は無かった。敬が背を向けてしゃがむと、渋々その背に負ぶさる。 「重くない?」  悠が尋ねたが、敬は返事をしなかった。涼は怪訝に思ったが、暗くて表情が読み取れない。 「敬?」 「行こう」  そう短く言うと、敬は歩き出した。 * 「……なぁ、どう思う?」  涼が言った。 「なにが」  背中の悠は、熱のせいで夢と現の間を彷徨っている。時折小さく呻く声と熱い吐息が、敬の襟元にかかる。一刻も早く暖めてやらなければ死んでしまうかもしれない。だが焦れば焦るほど歩みは遅くなる。自分と涼の足に苛立ちを覚え始めた時、涼がぽつりぽつりと続けた。 「『脳科学研究所』なんてさ、本当にあるのかな」 「信じるしかないだろ? 俺達にもう、行くところはないんだから」  そう言うと敬は、背の上の悠をゆっくりと揺すり上げた。  雨は降り続いている。  三人の辿ってきた道は獣道となり、さらに暗い森の中へと続いていた。脳科学研究所の場所はこの森の中だという。  敬は、自分の背中がどんどん熱くなっていることに気付いて、奥歯を噛みしめた。今すぐ駆け出してしまいたい。けれどうっかり道を踏み外せばどこに転がり落ちるかわからない。不安と焦りがじりじりと降り積もってゆく。  男が敬の前に現れたのは、今から半月ほど前のことだった。  どことなく陰気な雰囲気のその男は、《脳科学研究所職員》という胡散臭い肩書きの名刺を敬に渡した。  そして言った。 『我々はヒトの特殊な能力を研究している。君たちもこの研究に協力してくれないだろうか』……と。  三人の持つ不思議な力のことを、彼らがどうやって知ったのか。それについての説明は一切無かった。男の出した条件は、ただ一つ。 『研究に協力する代償として今後、学費や生活費などの諸経費を全額援助する事を約束しよう』  確かに今の彼らにとって最も重大な問題は金だった。身寄りの無い三人が日々の糧を得るのは、並大抵のことでは無かった。 「どうしたってこれ以上、あんな生活は続けられなかったんだ。悠に、もっといい物を食わせてやらないと」 「あぁ……」 「さっき俺、びっくりしたんだ。こいつ……、すごく軽かった」  それきり、二人とも黙り込んでしまった。  敬の首に回されていた腕に微かに力が入った。頭を巡らして見ると、悠が声もなく啜り泣いている。 「起きたのか?」 「ケ……イ……まっ……て」  微かな声で悠が言った。だが敬には、自分の上がってしまった呼吸が邪魔でよく聞き取れない。聞き返そうと思って立ち止まると、そのまま悠は敬の背から滑り落ちた。 「悠」  悠はその場に蹲ったまま動こうとしない。ただ荒い息遣いに肩が震えるだけだ。  敬が困ったように立ち尽くしていると、涼が代わりに悠の体に腕を廻した。 「どこか痛い?」  悠はうつむいたまま小さく首を振った。 「後少しの辛抱だから」 「気持ち、悪……」  それだけが涼の耳に届いた。 「吐きそう?」  もう一度悠が首を振った。手で胸を押さえている。 「ここ……くるし……」  その途端、悠は激しく咳込んだ。体を折り曲げ、内臓を絞り上げるような嗚咽が咳に混じる。慌てて背をさすってやりながら、涼が叫んだ。 「このままじゃほんとに悠が死んじまう!」  涼は悠を、雨から庇うように腕の中に抱え込んだ。悠が息を吸い込むたびに、気管支からひゅうひゅうと気味悪い音がして、涼の不安を一層駆り立てる。 「この森を抜けた先が研究所なんだ。ここで時間を食ってる訳には……」 「急ごう。今度は俺が抱いて行く」  ところが珍しく悠がぐずった。 「も、行きたくない……」 「いい子だから、もう少し我慢して」 「いや……!」  そして、力を振り絞るようにして目を開いた。 「怖い……ひと、いる……。だ、め……」  そう呟くと、そのまま涼の腕の中で気を失った。すがりついていた腕が力なく落ちるのを呆然と見る。  彼はもうどうしたらいいのか分からなくなって、敬を見上げた。  と、敬がぽつりと言った。 「俺、やってみる」 「……?」 「テレ、テレポーテーションをやってみる。お前は悠をしっかり抱いてろ。いいな」 「え? そんなこと、できるなんて一度も」 「前に一回だけ、したことがある。たぶん、大丈夫だ。たぶん……」  敬は口元を引き結んで涼を見た。 「信じろ」 「……分かった」  涼は悠を抱き上げるとしっかり目を瞑った。悠を挟むようにして涼の肩に敬の手が掛かる。 「行くぞ」

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