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第1話 光と影
――夢を見た。
喪服と葬儀の列。俺は哀しみの底に沈み、白百合に埋もれた誰かに最後の挨拶をする自分を遠くから眺めていた。
涙はなく、ただ悲痛な面持ちで静かに別れを告げている。棺の中にいる、あれは誰なのだろう、そう思った時だった。強い目眩。視界が歪み、耳鳴りがする。反射的に目を瞑る。暫くして目を開けると、いつの間にか俺は霧深い森の中に居た。空は黄昏時、目の前には湖があり、その傍に誰かがいる。それは、とても懐かしい姿だった。
――そんな、夢だった。
強い光は影をより一層濃くさせる。
記憶の中にある彼の笑顔や言葉、仕草の一つ一つは時に俺の心の内を照らす一筋の温かな陽の光のようであり、時に俺の中にある――罪のように仄昏い――後ろめたさを暴く雷光のようでもあった。
罪に似た後ろめたさの正体、それは、彼への思慕の念そのものだった。
彼に縁談が持ち上がろうが、想い人が出来ようが、俺の中に醜い嫉妬の念が渦巻くなどということは一切無かった。強がりなどではない。ただ彼の傍にいられればそれで良かった。彼は親友として俺の事を見ていたし、俺もその状況に満足していた。
勿論、想いを伝え、彼と結ばれれば、それは本当に夢のような幸せだと思う。が、思うだけだ。
もしも「気持ちが悪い」と言われて拒絶されてしまったら。そうでなかったとしても、もしもこの関係が壊れてしまったら。
俺はそれらを想像し、えもいわれぬ不安に襲われ、恐怖する。
想い人が他にいてもいい。邪魔をする気はない。ただ傍にいたい。ずっとこうして彼と言葉を交わし、笑顔を見ていたい。
それだけで俺の心は満たされる――それ以上など、決して望んではならないのだと。
いつしか俺は彼への気持ちに蓋をし、見ないふりをした。俺は自らを弱い人間だと、そう思った。
ある小雨降る肌寒い秋の日のこと、駅前の喫茶店で、俺と彼はいつものように最近読んだ本について話をしていた。
話の途中、俺はあることを思い出し、持ってきた鞄を開くと、中から数冊の本を取り出した。
「これ、頼まれてた本」
と、俺は彼――中野春にその本たちを差し出す。
「悪いな、いつも。お礼に今日は奢るよ」
好きなもん頼みな、と彼は早速手にした本を開きながらそう言った。
俺は掌を顔の前でひらひらと軽く振りながら、
「いつものことだろ。気にしなくていい」
と言った。すると彼は笑いながら、
「じゃあ俺も頼むから。月浦と同じやつでいいよ」
と、本から目を離さずに言った。
それなら、と俺は有難く彼の好意に甘えることにし、テーブルに備え付けられたメニューを開く。
少し悩んで、結局俺はいつも通りに、紅茶の欄からアールグレイを、そして甘党の彼がいつも頼むアップルパイを選んだ。そして辺りを見渡し、片手を挙げると、少し離れた場所にいた長い髪を後ろで一つに束ね、清潔な白いシャツに黒いエプロンを身に着けた若い女性店員を呼んだ。
「アールグレイを二つと、アップルパイを一つ。お願いします」
俺がメニューを閉じると、女性店員は、かしこまりました、と微笑んで、カウンターにいるマスターの元へ注文内容を伝えに行った。
落ち着いた雰囲気の店内には、ドビュッシーの「月の光」と、繊細で神経質な白い指先が頁を捲る音だけが響く。
「……春、お前、彼女とかほしくないのか」
強い焦燥感と共に俺は口を開く。
緊張で速くなる鼓動を抑えるように、出来るだけ自然に、何気ないというふうを装いながら、俺は彼にその質問を投げかけた。
「……別に。前にも言っただろ、興味ないし、第一今は仕事と執筆活動に手一杯で、それどころじゃないって」
忘れたのか、と、彼は相変わらず読書を続けながら、不思議そうに呟く。そして、
「よく知らない女性相手に気を遣うより、気心知れた君とこうして話してる方が俺は楽しいよ」
月浦がいれば俺はそれでいいかな、と笑った。その笑顔に、俺は心臓が握り潰されそうになる。
「じゃあ、前に気になる人がいるって言ってたのは?」
あぁ、あれね、と彼は小さく笑って、
「その人のことは確かにとても好きなんだけれど……自分でもこれが恋なのか、正直よく分からないんだ。でも、多分だけど」
上手くいきそうにないから、もう諦めたよ――
と寂しそうに言った。
その笑顔に、言葉に、俺はこの上ない程の喜びがこみ上げると同時に、胸が強く締めつけられる思いがした。期待してはいけないと頭では分かっている。彼の辛さに寄り添えず、寧ろ一瞬でも安堵してしまった自分が憎かった。そして何より彼は、飽くまでも自分を恋愛対象として好んでいるなどという訳ではなく、単に致し方なく「恋人よりも親友」という選択をしているだけなのだから、と。
しかし、もしも――ほんの少し、例え僅かでも可能性があるのなら。彼のその優しい笑顔に、俺は心のどこかでそう期待せずにはいられなかった。
「そう言う君の方こそどうなんだ。いい人はいないのか?」
彼がそう問うてきた。
「いないよ。春と同じだ。仕事で手一杯」
ふぅん、と彼は言って、この調子じゃ二人とも所帯を持つのは夢のまた夢だなぁ、と笑った。
「じゃあ老後は何処かの田舎でニ人でのんびり暮らすか」
彼はそう言って静かに本を閉じる。
――え?
彼の言葉に驚いた俺が口を開きかけた、その時だった。
「お待たせ致しました」
先程の女性店員が笑顔で注文した品を運んできた。
「アールグレイティーがお二つと、アップルパイがお一つですね。ご注文は以上で宜しかったでしょうか?」
「あ……はい、大丈夫です」
と俺が答えると、店員はごゆっくりどうぞ、と言い残しカウンターの方へと去って行った。
「さて、ではいただくとしようか」
彼が子供のように目を輝かせてそう言う。
俺はと言えば鞄から読みかけの文庫本を一冊取り出し、栞を外して文字を追っていた。心臓は相変わらず激しく脈打ち、本の内容は当然の如く頭には入らず、視線はただただ文字の上を滑るばかりだった。兎に角心を落ち着けなければ、と俺は半ば躍起になっていた。
頁を捲る手が微かに震える。俺はどうか彼に気づかれませんように、と祈りながらそっと深呼吸をした。
食事を終えた彼が再び本を開く頃には、俺の心は大分落ち着きを取り戻していた。いつも通りの日常。これ以上にない幸福。先程のことなど気にも留めていない様子で、彼は読書に耽っていた。彼にとってあの言葉はきっと些細な冗談でしかなかったのだろう。俺は何を思い上がっていたのだろうか、と己の愚行を恥じた。
二人で時折二、三言葉を交わしながら静かに本を読み進める。そうして一時間程経った頃、俺はふと本から顔を上げる。
すると、向かいに座っている彼はいつの間にか本を閉じ、頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。
見慣れている筈のその横顔に、俺は改めて目を奪われる。少しだけ長めの黒髪は艶やかで、白い肌に映えている。黒壇の瞳を長い睫毛が縁どり、形の整った薄い唇は思わず触れたくなる程に柔らかそうだった。僅かに憂いを帯びた視線は然し何処か気怠げで、声をかけようとした俺は思わず言葉を失う。
「……どうした、またじっと俺のことなんか見て」
雨が降りしきる窓の外をぼんやりと眺めながら、彼が尋ねる。
ついいつもの癖で、無意識の内に彼の横顔に見惚れていたことを後悔した。
しまった、と視線を逸らしながら、俺は必死に言い訳を考える。こちらを見ていないからと、すっかり油断をしていた。
「……いや、なんでもない」
結局咄嗟に言葉が出ず、気まずそうに紅茶を啜った俺を見て彼は、
「へぇ」
と、したり顔でにやつく。
「さては月浦。君――見惚れてたな」
彼が愉快そうに笑う。
あぁやはり雷光だ、と思った。告白の一つすらすることが出来ず、平穏を望み、彼の親友という立場から決して動こうとしない、弱い俺への彼からの罰だと。
「妙なことを言うな。男なんかに見惚れてどうするんだ」
そう言って、さも呆れたふうに溜息を吐き、興味がないというふりをしながらも、俺の心中は穏やかではなかった。
「相変わらず素直じゃないね、君は」
俺の様子を見て、彼は苦笑いしながら言い、更にこう続ける。
「好きになった相手が女性だろうが男性だろうが、蝶や花だろうが、なんであろうが好きになったなら仕方ない。理論や常識ではなく、重要なのは心だ。愛や恋とはそういうものだよ」
俺はそう思う、と彼はテーブルの上にあるカップを手に取り、紅茶を口にした。
「まぁ……なんだかんだ言って俺は好きだけどね、月浦のそういうところ」
彼はしばしば嘘かまことか分からない事を口にしては、俺を翻弄した。
やがて夕刻になり、喫茶店を後にした俺達は傘をさし、肩を並べて帰路に着く。駅に向かう途中、俺は隣を歩く彼にこう尋ねた。
「今日は寄ってくか?」
「あぁ、うん。行くよ」
彼が答える。
駅に着いた俺達は改札を抜けると、下りの電車に乗り込み、俺の自宅へと向かった。
電車を降りると俺達は再び並んで歩き出す。秋も終わりかけ、風は冷たく、木々は赤や黄に色づいている。濡れた落ち葉を踏みしめながら、駅から十分程歩くと、閑静な住宅街の中に俺の自宅兼職場が見えてくる。「古書肆 月浦堂」という群青色の看板がかかった古書店。俺が祖父から譲り受けた、大切な店だ。今日は休業日なので、札が掛かり、シャッターが下ろしてある。一階が店で、二階が我が家だ。
シャッターを開け、彼を入り口に通すと、ガシャンと音を立てて再びシャッターを下ろす。
鍵を掛けた事を確認した俺と彼は、店の通路を抜けて二階へと続く階段を昇る。
「どうぞ」
濡れた靴を脱ぐ。手探りで壁のスイッチを入れ、コートを脱いでハンガーに掛けると、俺は彼にソファを勧めた。
彼は疲れた、とぼやきながらソファに座ると、鞄から本を取り出し広げた。
俺はキッチンに向かい、飲み物を用意する。彼も俺も酒を飲まない為、いつもの紅茶を出そうとした。が、買い置きしていた彼のお気に入りの紅茶メーカーのティーバッグが切れていることに、ケトルをセットした後になって気づく。
「悪い、アールグレイ切らしてる。アッサムしかない」
リビングに向かって俺はそう叫ぶと、
「いいよ、じゃあミルクティーで」
と、彼が返した。
はいはい、と俺はやや面倒くさがりながらも冷蔵庫を開け、棚にあったアーモンドミルクのパックを取り出した。
紅茶を淹れながら自分用にも日本茶を淹れると、冷蔵庫にあったつまみの残りと海外製のチョコレートの箱を出してトレイに乗せる。
「出来たぞ」
ソファの前のローテーブルにトレイを置いた俺は、彼に熱いから気をつけな、と言いながら紅茶を手渡す。
ありがとう、と彼は熱々のマグカップを受け取る。
「それで、執筆作業の方はどうなんだ。作家センセイよ」
俺が問うと、彼は軽く眉間に皺を寄せ、まぁまぁかな、と言った。彼はアンティークなども扱う小さな雑貨屋で勤める傍ら、幾つかの賞を取り、最近は執筆業にも勤しんでいる。彼の専門は純文学だが、残念ながら今の世の中ではあまり売れないのが現実だ。
「まぁな、時代の流れってやつだから。こればっかりはどうしようもないさ」
でも、と俺は続ける
「春の作品は本当に美しいよ。その努力がいつか皆に認められて、必ず報われるって、俺は信じてる。だからそれまで諦めずに頑張って、良い作品を作り続けてくれ」
俺も出来る限り協力するから、そう言って、俺は彼の頭をわざと少しだけ乱暴に撫でた。
「うん。ありがとう、月浦」
くしゃくしゃになった髪を整えながら、そう言って彼は微笑んだ。
「そうだ、夕飯食べてくだろ」
「今日は何?」
「なんと」
俺は両手を広げると、わざと咳払いをしてもったいぶり、早く知りたい、と言いたげな彼を焦らす。そして、
「ロールキャベツです」
と俺が大仰に言うと、それを聞いた彼の顔がぱっと明るくなる。流石月浦、と彼は喜びながら俺の偉業を褒め称えた。
食事を終えた俺はキッチンで洗い物をしてからリビングに戻る。その後は暫く二人で本を読みながら会話をしていたが、いつしか彼からの返事が無くなり、気づけば俺が一人で発言している状態になっていた。まさか、と横を見れば彼は案の定ソファの上で眠ってしまっていた。スマートフォンの時計表示を確認すると、俺は焦って彼の肩を揺さぶる。
「起きろ春、終電無くなるぞ」
「無理、眠い……悪いけど泊めてくれ」
そう一言言うと、彼は再び夢の国へと帰っていった。
「おいおい、またかよ……」
俺は呆れながら彼にブランケットを掛ける。そして少し躊躇った後、起こさないよう注意しながら彼の隣に腰掛けると、その髪にそっと触れた。そうして、出来るだけ優しく撫でてみる。
無防備な彼のその寝顔に苦笑いを浮かべながら、俺はこう独りごつ。
「人の気も知らないで……呑気なもんだな」
これも信頼されている証だと思うと同時に、少しだけ哀しくなる。俺の恋はきっと報われることなく、いつか終わりを告げるのだろう。彼は口ではああ言っているが、過去には縁談の話が持ち上がっていたこともある。それは、容姿こそ美しいものの、中々浮いた話の無い彼を心配した職場の上司からの紹介だったらしい。
普通に考えたら断りづらい状況だが、結局彼は執筆活動を含めた仕事に集中したいという理由で断った。
そして、気になる人が出来たんだ、と彼は笑っていた。一体誰なのか、と聞いても彼は秘密だ、とただ笑って誤魔化すばかりだった。その時、俺は自らの気持ちに蓋をすることを決めた。彼の邪魔をしてはいけない、そう感じたからだ。
そこで喫茶店での会話をふと思い出す。
『上手くいきそうにないから、もう諦めたよ』
『じゃあ老後は何処かの田舎で二人でのんびり暮らすか』
そう彼は言っていた。俺は、自分に本当に可能性があるのだろうかと悩む。
と、そんなことを考えている内に気づけば日付が変わっていた。
「春、ベッド。とりあえずベッド行こう」
風邪引くぞ、と俺が呆れた声で言うと、彼はうぅ、だの、あぁ、だのと呻くだけでろくに返事も出来ない程の睡魔に襲われているようだった。
仕方ない、そう独りごちて、俺は彼を抱きかかえると、隣にある寝室へと彼を運んだ。
そしてそっとベッドに乗せ、掛け布団を掛ける。
俺はシャワーを浴び、部屋着に着替えて眠るための準備を整えると、ベッドに入り彼の隣で横になる。
彼はこうしてたまに睡魔に襲われたり、俺と話し込みすぎたり、読書に夢中になり過ぎたりしては、終電を逃して俺の家に泊まっていく。
いつものことではあるのだが、やはり想い人の寝息がすぐ隣で聞こえるというこの状況で、俺は己の邪な欲望で彼を穢してしまわないよう、全神経を集中させることでいつも必死だった。
彼に口づけたい。彼に触れたい。でもそれはきっと永遠に叶わない夢だ。辛くて辛くて、俺は気付けば嗚咽を漏らしていた。そうこうしている内に俺もやがて睡魔に襲われ、徐々に意識を手放していった。
翌朝、目覚めた俺は隣に彼の姿がないことに気づき、欠伸をしながら廊下へと出た。
キッチンの方から音がする。廊下に漂う食欲を唆る香りを辿っていけば、彼が朝食の準備をしてくれていた。
「あ、おはよう月浦」
彼はちょうどトーストの上にベーコンエッグを乗せているところだった。匂いの正体はこれだったようだ。同時に、淹れたての紅茶のいい香りが鼻を擽る。
「おはよう春。なんだ、わざわざ作ってくれたのか」
「あぁ、勝手にキッチン借りたよ。また泊まらせてもらったからさ。まぁ、このくらいはさせてくれ」
彼は申し訳なさそうにそう言う。
「ありがとう。とりあえず顔洗ってくる」
俺は洗面所で顔を洗い、歯を磨くと、ダイニングの方へと向かう。
彼は朝食の準備を終えて、先に席に着いていた。
「いただきます」
二人で声を揃えてそう言ってから、俺はテレビをつけて、ニュースを流し見ながら朝食に手をつける。
「そう言えば今日は仕事は無いのか?」
俺がそう尋ねる。彼は、
「今は三連休中。だから大丈夫だよ。原稿は締め切りまでまだ余裕あるし、明日までは空いてるから」
そう言う彼に、俺はふと思いつきでこんな提案をしてみる。
「暇なら、この後一緒に何処か出掛けるか?」
折角の機会だ、出来るだけ一緒に過ごしたい。彼はニ枚目のトーストにブルーベリージャムをたっぷりと塗りながら、
「いいね。でも店は?今日も休むのか?」
と問いかける。俺は、
「最近働きづめだったからな。たまには連休もいいだろ」
俺はそう言うと、スマートフォンでSNS上にある自店のアカウントにアクセスし、「本日臨時休業」と投稿する。
「これでよし、と」
俺はそう言って、彼にこう問いかけた。
「さてと、何処に行こうか。天気が良いから散歩がてらぶらぶらするのもいいし、美術館とかもいいな」
「あ、俺観たい映画があるんだけど、良かったら観に行かないか?」
彼がスマートフォンの画面をこちらに向けてそう言った。それは戦争をテーマにした恋愛映画で、考えさせられる、感動する、などと評判の作品だった。
興味を持った俺は、いいよ、と二つ返事で彼のその誘いを承諾したのだった。
彼がシャワーを浴びたいと言うので、俺は先に着替えてから適当にテレビのバラエティ番組を観ながら時間を潰し、彼を待った。
「お待たせ。じゃあ行こうか」
そう言って彼は笑った。
一階に降りて外に出ると、昨日の雨とは打って変わって爽やかな秋晴れの天気だった。
俺たちは駅まで歩き、そこから電車に乗って近くの大型ショッピング・モールへと向かう。
電車に乗り二十分程でモールに到着し、俺たちはエスカレーターで映画館を目指す。
カウンターでチケットを購入し、劇場へ向かう。
平日なだけあって、座席はだいぶ空いていた。俺たちは予め指定した席に座ると、映画を楽しんだ。
映画の内容はとても興味深く、評判に違わず感動するものだった。主人公の特攻隊の青年がある女性と恋に落ち、互いに惹かれ合う。そして、秘めた想いを伝え、やがて結ばれるが、彼は最終的に戦地で命を落としてしまう。
青年は戦地に赴く前、女性に自らの想いを告白し、哀しみを滲ませながらも、悔いの無い穏やかな表情で戦地へと旅立って行った。
俺はその姿に何処か自分を重ね、静かに涙を流した。
隣で観ていた春をちらと見れば、食い入るようにじっとスクリーンを見つめている。
そうして映画が終わると、俺たちはモール内のフードコートへと移動する。
サンドウィッチ店でカスタムしたサンドウィッチとドリンクを二人分注文し、空いている窓に面した席に着く。
「いい映画だったな。特にあの最後に遺された手紙を読むシーンとか、涙が止まらなかった」
と俺は彼に感想を述べた。彼は頷いて、
「あそこ特によかったよな。あと、主人公の告白シーンも」
と、彼は言い、更に
「……あんなふうに想われたら、きっと幸せなんだろうな」
と少し寂しそうに呟く。彼が気になる、と言っていた想い人のことを想像しているであろうことは、想像するに難くなかった。やはり俺に勝算は無いのかもしれない、それでも――
「そうだな」
と言って、俺は少し悩んでからこう続ける。
「後悔するくらいなら、やはり多少苦しくても辛くても、想いは伝えるべきなんだよな」
彼は俺のその神妙な表情と言葉に何かを感じ取ったようだった。
「あぁ。後悔はしないようにした方がいい」
いつ何が起きるかなんて、誰にも分からないのだから、と、彼は静かにそう言った。
軽い食事を終えた俺たちは、モール内の店舗で幾つかの店を覗き、買い物をした。本屋、輸入雑貨屋、インテリアショップ、服屋などなど。最後に一階の食品売り場で夕飯の食材を調達して、束の間の休日を満喫した俺たちは、日が傾いた頃、モール付近の駅にいた。
「結構買ったな……」
両手にショップバッグを抱えた俺は、片腕を持ち上げ、バッグを持ち直しながらそう言った。彼は、
「そうだな。色々いいのが見つかって良かったよ」
と笑う。と、その時ちょうどホームに電車が滑り込む。ドアが開き、焦った俺たちは階段を駆け上がり、全力疾走して、何とか乗車する。席に着くと、俺たちは顔を見合わせ、どちらともなくと笑いだした。
「大の男が二人で全力疾走、か」
俺が言うと、
「さっきの月浦の顔、必死過ぎてなかなか面白かったぞ」
と彼がからかうようにそう言った。お前もな、と俺は笑ってから、
「そういえばこの後はどうするんだ?また泊まってくか、このまま帰るか」
と、今日一日ずっと気にしていたことを尋ねる。俺の声は、僅かに震えていた。すると彼は悩む素振りも見せず、
「泊まるよ」
と即答する。俺は少し安堵して、そしてその反面、とても緊張していた。今日、もし彼が泊まると言ったら――彼に告白する、とそう心に決めていたからだ。
「分かった」
短くそう答えて、俺は黙り込む。頭の中は、告白のための台詞でいっぱいだった。
そんな俺をよそに、彼は先程本屋で購入したばかりの文庫本を紙袋から取り出すと、一人静かに読書を始めた。
いっそこのまま電車が目的地に到着しなければいいのに、と俺は強く思う。そうすればこの関係は永遠に壊れずに済むのだから。
俺はそんな事を夢想し、やがて無情にも車内に響いた、目的地への到着を報せるアナウンスに、小さく溜め息を吐いた。
電車を降りて、自宅へと戻る。吹き抜ける風は冷たく、冬の足音が近づいていることを肌で感じる。
他愛もない話をしながら、俺たちは急ぎ足で家を目指す。
自宅に戻ると、彼は大量の荷物を床に置き、そのままソファに倒れ込む。
「疲れた……」
そう言った彼は、でも凄く楽しかった、とつけ足すと、更にこう言った。
「夕飯作り手伝うから、それまで寝てもいいか」
悪い、と彼はクッションに顔をうずめながら謝罪する。俺は笑いながら、
「いいよ、暫く寝てな」
と言った。
数分後、ソファの方から小さな寝息が聞こえてきたのを確認してから、俺は買い物袋を片付け、食材を冷蔵庫に入れる。
相変わらず、俺の頭の中は告白の件で埋め尽くされていた。
「……よし」
どう伝えるかは決まった。あとはタイミングだ。不安と微かな期待が綯い交ぜになって、緊張から軽い吐き気すら催していたが、俺は自らを奮い立たせるように両の頬を掌で軽く叩く。
そして、一通り片付けを終えた俺は、彼が眠るソファの方へと向かう。
しゃがみ込んで床に胡座をかいて、気持ちよさそうに眠る彼の寝顔を間近で眺める。
「告白か……」
俺は独りごちると、俯き、小さな声で予行演習を行う。そして、
「春のことが……ずっと好きでした、俺と付き合って下さい、お願いします」
そう言った時だった。
「知ってたよ」
冷水を浴びせられたかのように、背筋が凍り、全身の血の気が引いていく。声がする方を見れば、いつの間にか彼が静かにこちらを見ていた。
君が俺に好意を持ってくれてたことは知ってたよ、そう彼は続ける。それが友情の意味ではないということも、と。
「……いつから?」
俺は掠れた声で、絞り出すように問う。
「最初にそうなんじゃないかって思ったのは……俺の縁談の話の時かな」
どうすべきか相談したらさ、月浦こう言ったろ、と彼は言う。
『いいんじゃないか。お前もいい年なんだし、そろそろ所帯を持つのも悪くないだろ』
ってさ。
「あの時の月浦の顔、真っ青で、憔悴しきってるみたいでさ。無理して笑ってるのが伝わってきて、俺どうしたらいいか分からなくて……ただ月浦が辛そうな顔をしているのは嫌だったし、胸が酷く痛んだ」
すまなかった、と彼は泣きそうな顔をしてそう言った。
「俺の方こそごめん。あれでも俺なりにちゃんと背中押したつもりだったんだ、なのにお前に気遣わせて……」
情けないな、と俺は涙目で呟く。彼は緩くかぶりを振り、こう続けた。
「その後縁談を断った時、月浦の泣きそうな顔を見て、確信に変わった」
あぁ、きっと月浦は俺のことを好いてくれている、それも恋愛対象として見てくれているんだ――ってさ。
彼は静かに涙を流しながらそう言った。
こんなの迷惑だろ、気持ち悪くないのか――そう俺が問うと、彼はやや呆れたように
「君は馬鹿なのか、月浦」
と呟く。
嫌いだったら、気持ち悪かったら、とうに距離を置いて、縁を切ってる筈だろうが、とも。
「じゃあ……」
と俺は驚きつつ、彼の答えをじっと待った。彼は慎重に言葉を選びながら、俺の目を見てこう言った。
「……俺も好きだよ、月浦」
「答えは殆ど出てる。けれど躊躇いもあるのは確かで……」
だから、と彼は俯く。
「君の傍にいてもう少し考えたいんだ。答えが完全に出るまで、これからも、月浦と一緒に過ごしながら」
駄目かな、と彼は涙声でそう言った。
思っていた答えとは少し違ったものの、彼の誠意と戸惑いはしっかりと伝わってきて、悩んだ俺は少し間を置いてから、分かった、と小さく頷いた。
「春がそうしたいなら」
と俺は笑って、彼の手を握る。
「ありがとう、月浦。それから……ずっと苦しい想いさせてごめんな」
本当にごめん――そう言いながら彼は涙を拭う。
俺はそんな彼を静かに抱き締めて、慰めるように繰り返し頭を撫でた。そして、彼が落ち着きを取り戻すまで待って、こう尋ねる。
「因みに春の言っていた気になる人って……その、もしかして」
「……そうだ。月浦、君のことだよ」
彼は微笑み、掠れた声でそう言った。その言葉に、俺はゆっくりと胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「随分と遠回りしてたんだな、俺たちは」
そう俺は呟いて、俯き、溢れた涙を拭う。
今までは、彼が傍にいても心の何処かでは俺はずっと孤独で苦しくて、辛くて、哀しかった。でもこれで、少しだけ前進出来た気がする。
想像していた告白の形とは違って、もっとずっと格好悪いけれど、彼と本音で語り合えたことが、俺はとても嬉しかった。
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