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第1話 お嬢の憂鬱

 駅から離れた閑静な住宅街。今どきの効率的な:デザインをしたモノクロカラーの住宅が、理路整然と並ぶ通りを行くと、突然ドンッと、木製の塀が延々と続く一角が現れる。  一般家庭のゆうに五倍はあろうかという敷地面積とその武家屋敷風の佇まいで、周囲とは明らかに一線を画していた。  なに? この家でかくない? 地主か何かなのかな? なんかやばそう。怖っ!  その圧倒的な存在感と威圧感は、ただ前を通りすがっただけの人々が口々に陰口を叩くほどである。  その塀沿いを、丈一郎(じょういちろう)はリュック片手に一人何食わぬ顔で歩いていた。学ランの詰襟を上まで閉め、黒いストレートの髪をさらさらと風に揺らしている。  ポケットに突っ込んだスマホには何やら次々通知が届いていた。しかしそれを見越して、元より着信音どころかバイブすらも切っているので、丈一郎がその画面を眺めることは絶対にない。  丈一郎は涼しい顔のまま塀沿いを行く。そしてたどり着いた立派な瓦屋根のついた棟門を、しれっと通り、中に入った。 「ただいま」  門を通り過ぎる時、わざと小さな声で言った。  そう、何を隠そうこの一帯で噂の「やばい家」は、紛れもなく、丈一郎の自宅である。  敷地内に入るや否や、丈一郎は、正面玄関に続 く石畳をわざとらしく逸れた。そしてツツジの咲く庭の方へと向かっていく。  夕暮れ時の庭先は人気が無くて穏やかだった。  その様子に、してやったりと心の内だけでほくそ笑む。  そうそう。ただの日々の登下校くらい、こんなふうに静かに迎えたいのだ。  大体、我が家は騒々しすぎる。  よく考えてもみろと思う。高三にもなって、毎日盛大に「おかえり」と言われたいなんてことあるわけない。  この家には幼い頃から丈一郎を見てきた大人が多すぎて、いつまで経っても子供扱いが抜けないのだ。 「あれっ! ずいぶん早ェお帰りで」  揚々と庭を闊歩していたところに、後ろから声をかけられて、丈一郎はバツが悪そうに首を竦めた。 「……トクさん、ただいま」 「迎えが行きやせんでした? トラの奴はどうしたんです?」  丈一郎が「トクさん」と呼んだ白髪混じりの中年の男は、スラックスのポケットに手を突っ込んだまま何度も目を瞬かせていた。  今のこの状況、かなりの想定外だというのがよくわかる。 「い、いいんだ、今日は! トラには俺から言ってあるし」  ぎくりとして笑顔が固くなった。  ちなみにもちろん丈一郎は、「トラ」含め、ほぼ誰にも何も言わずにここにいる。でなきゃ、とても自分一人で学校から帰るなんて不可能だし、ポケットの中のスマホにアホみたいな勢いで通知が来ているはずがない。 「ほう」  「トクさん」 は顎に手を当て、首を傾げている。  柔和そうな微笑みから「怪しまれている」という気配をありありと感じ、対する丈一郎の方も愛想笑いを返して誤魔化すほかない。  やばい。無理だ。逃げよう。  長年のカンによる早めの判断で右足を出し、すぐさま駆け出そうとした。  が、やはり年の功なのか? 相手の方が一枚も二枚も上手だった。 「おい! テメェら! お帰りだ!」  ドスの効いた声が辺りに響く。  ――あ。終わった。  全てを察した丈一郎はがっくり肩を落とす。  出来ることとすれば、ずり落ちかけたリュックの肩紐を反対の手で取り押さえることくらいだった。  「トクさん」の掛け声で、どこからか次々と集まってくる強面の屈強そうな男たち。そのほぼ全員、どちらかと言えば小柄な方の丈一郎は、見上げないと顔も見られないくらいの背丈。  彼らは、集まるなり素早く左右に分かれ、横並びに整列する。  そして丈一郎を中心にしてあっという間に出来上がる、むさ苦しい男の花道。 「お帰りなせぇやし! 『お嬢』!」  男たちが野太い声でそう一斉に頭を下げる。  丈一郎の顔面は、複雑な感情でひくひくと震えた。 「あのなァ……」  この状況に、丈一郎の声音も自然と低くなった。  自分でも不本意だが、無意識なのでどうしようもない。  これは「この家」で生まれ育った者の(さが)である。 「いい加減『お嬢』って呼ぶのやめろって、何万回言やァわかんだ、このアホンダラァ!」  「お嬢」と呼ばれ、日本人形と見紛うほどの端正な顔立ちの眉間に皺を刻み、喉奥を晒して男たちに啖呵を切るのは、:鬼倉田(きくらだ) :丈一郎(じょういちろう)、高校三年、十八歳。  この「鬼倉田組」組長、鬼倉田(きくらだ) 江太郎(ごうたろう)の一人息子である。  丈一郎が、この鬼倉田家に生を受けたのは、今から十八年と数ヶ月前だ。  美人な母親の生き写しで、男としては手に余るほど、それは麗しい見た目で生まれた。外見も中身もゴリラの親玉みたいな江太郎の血を、半分でも引いているとは思えない。  しかもそれが、皆が敬愛する組長の長男ときたものだから一大事だ。両親はもちろんのこと、組の舎弟、若衆らからも、それはもう、蝶よ花よと育てられた。  この組の誰しもが、丈一郎を目に入れても痛くない。  丈一郎が楽しそうに笑うだけでその場全員の腰が砕け、一度くしゃみでもすれば若衆が「死んで詫びます」と土下座をする。誕生日にはプレゼントなんて可愛らしいレベルではない大量の「貢物」が届くし、お年玉はポチ袋ではなく札束だった。  そんなことをしているうち、そんな愛らしい丈一郎の見た目と名前の一文字目を取って、いつしか「お嬢」と呼び名がついた。  それが幼い丈一郎にあまりにもピッタリだったがために、うっかり定着してしまった。その呼び名に引っ張られ、赤い牡丹柄の四つ身を仕立てられたことすらある。  そして驚くことに、なんとそのまま十八年。  子供の頃に比べれば、背丈は伸びたし声変わりもした。筋肉だって、多くはなくとも、人並みにはついたと思うのに、丈一郎は未だに組の連中から「お嬢」と呼ばれ続けている。  それが丈一郎には、非常に、非常に、心外だった。 「よぉ、おかえりィ」    結局いつもの不必要に騒がしい出迎えを受け、丈一郎が自室に戻る途中の渡り廊下。  丈一郎と同じ学ランを着た茶髪の青年が、反対側から気怠くふらふら歩いてきた。学ランの前ボタンを全開にしてスラックスを腰履きにしているせいで、インナーの真っ赤なTシャツがやたら目を惹き目立っている。 「タツ!」  丈一郎は青年のことをタツと呼ぶ。 「タツがうまくやってくれるんじゃなかったの? 結局見つかったじゃんか!」  丈一郎は綺麗な顔をムッとさせ、タツに向かって詰め寄った。  しかしタツは、あぁー、と面倒くさそうに返事をしただけで、悪びれる様子は一切ない。 「トラには一応誤魔化したんだよ。でもホラ、アイツ、俺のこと目の敵にしてっからさァ。俺の言うことなんて聞きゃしねぇの」 「じゃあ元々ダメだったんじゃん。なんで『わかった』なんて自信満々に言ったんだよ」 「でも家までは着いたんだろ? 大分持ったほうだと思うけどな」    ちゃんと手伝ってやったのに帰って早々文句言うなよ、と、タツはうんざりしたように斜め上に顎を上げた。軽く顔を傾げた時に、右耳のシルバーのリングピアスが夕日を浴びてチラッと光る。  タツは丈一郎の同級生で、フルネームだと鷹橋(たかはし) 辰樹(たつき)と言う。らしい。  「らしい」と言うのは、タツ本人がそう言っている以外に何の証拠もないからである。  タツがこの家にやって来たのは、今から一年ほど前だ。まだ肌寒い春の夜、路地裏に血だらけで転がっているのを、他でもない、丈一郎がたまたま見つけて拾って帰った。  びしょびしょに濡れ、赤い頬を触ってみると酷く熱くて熱がある。そんなタツを抱き抱え、連れて帰る! と言い張る「お嬢」に異を唱えられる者は、鬼倉田組にはいなかった。  素性どころか、本当の名前も年齢も、何もかも全て分からない。けれども誰もそれを大して気にしない。  幸いにも丈一郎の周りには、そういった輩が昔から一定数いて慣れている。  はじめのうちは江太郎も「ちゃんと元いた場所に返せよ」なんて笑っていたが、気付けばそのまま既に一年が経ってしまった。  この間にも、丈一郎に弱い江太郎が口を聞かせてタツを同じ学校に滑り込ませたし、丈一郎はどこに行くにも、タツ、タツ、と半ば強引に連れ歩いた。  そして今やすっかりタツは、鬼倉田組の「家のモン」で丈一郎の舎弟扱いだ。 「タツのあほ。ばか。ヘタクソ」 「だからそう文句言うなって」  うるせぇなぁ、とタツは掌で片耳を塞ぐ。  丈一郎の今日の下校の逃走劇を手引きしたのはタツ一人だ。本当のところは、丈一郎が煩くねだりまくって、タツを根負けさせたというのが正しいが。  鬼倉田組の「お嬢」への過保護は未だに留まるところを知らず、高三になった今でも毎日黒塗りの車を学校の正門の真ん前に付け、目眩がするほど大袈裟な送り迎えが続いている。  はっきり言って、年頃の丈一郎にはそんなのたまったもんじゃない。  丈一郎だって、友達とふざけ合いながら下校したいし、帰り際にコンビニで買い食いくらいしたいのだ。  それが青春というものだろう。  ぶすっと膨れる丈一郎に、タツは呆れ顔をしている。すっきりした眉を軽く顰めて、切れ長の目を細める様は、丈一郎とはまた違った意味で、大分、いや、かなり綺麗だと思う。 「まぁでも、オヤジさん達の気持ちもわかんなくもねぇよ、俺は」 「なに? タツまでそんなこと言うわけ?」 「いや、だってお前……なァ?」  タツは、分かってんだろ、と言わんばかりに片眉を上げた。  丈一郎も身に覚えがありすぎるのか、くっ、と口を噤んで歯噛みする。  子供の頃からずっと美しく愛らしい顔立ちに、今どきの十八歳の平均身長を数センチ下回る小柄で華奢なその体型、そして父親は「あの」鬼倉田組の組長で、敬い慕う人間の数と同じだけ、恨みつらみも買っている。  丈一郎は、鬼倉田組組長の一人息子であり、鬼倉田組全員が溺愛する「お嬢」であると同時に、欲望やら何やらが黒く渦巻くこの社会において、実にわかりやすい、格好の獲物なのである。 「誘拐未遂? 拉致監禁? 人質にされかけたの、今まで何回目だよ? そりゃあ、送り迎えくらい、いくらでもするわ」 「でも、なんだかんだ言って、いつもどうにかなってるじゃんか」 「バァカ。可愛いお前のために、オヤジさん達がどうにかしてんだよ」  タツの骨張った手が突如上から降ってきて、丈一郎の黒髪を遠慮なしにワシャワシャ撫でた。  自称同い年のはずなのだが、タツも、こんな感じで時々、丈一郎を相手にすると年下のような扱いをする。 「……じゃあさぁ。タツが俺と一緒に帰ってくれればいいだろ」  ぐしゃぐしゃになった髪を抑えながら、丈一郎はポツリと言った。 「俺、本当は一人じゃなくて、タツと二人で帰りたいよ」  タツと、二人っきりで。  勢いで、目の前でゆらゆら揺れるタツの右手をそっと握る。  おずおずと握られた右手に、タツはされるがままだった。でも、とてもバツが悪そうに、空いた左手が項あたりを摩っている。 「……お前なぁ。自分がどんだけ大事にされてると思ってんだ。俺なんかじゃあ全然」 「そんなことない! タツが強いのは俺も父さんも知ってるし! それに、俺が言えば絶対……っ」 「わっ、若ぁ……ッ!」  言い合っていたところへ背後から、バカでかい音量とは裏腹のやたら情けない叫び声と、ドスドスと床板に響く不躾な足音が聞こえ、二人は揃って、ゲッ、と渋い顔をした。 「……トラ」 「若ぁ……もうっ! なんで連絡無視するんですか! オレ、心配しましたよぉ……」  丈一郎を前に、ぐすん、ぐすん、と鼻を鳴らしてベソをかいているのは、あろうことか、身長190センチ近くある体格の良すぎる青年で、これまた丈一郎と同じ校章の入った黒の学ランを羽織っている。  彼の名前は、鷲江(わしえ) 貴虎(たかとら)。通称「トラ」。  たったひと月違いで生まれた丈一郎のハトコだ。  後の舎弟頭候補として赤ん坊の時から丈一郎と共に育てられ、組の連中の中でもトラだけは、丈一郎のことを「若」と呼ぶ。  そうして生まれてすぐから刷り込まれてきたせいなのだろうか。トラは丈一郎のこととなると盲目で、全身全霊で崇め、奉り、心酔している。  丈一郎にくっ付いていくため、当然のように同じ学校に入学したし、「いや別にいいから」と言う丈一郎の言葉を押し切り実家を出て、十三の頃から鬼倉田の家に同居していた。  挙句、丈一郎が付けた呼び名の「トラ」に相応しくあろうとするあまり、黒髪に金のメッシュを入れて、頭を「トラ柄」にしてしまっている。  そして。 「おいコラ、タツ! テメェ、まァた余計なことしやがって! 若に何かあったらどう落とし前つけてくれンだ、このクソボケカスが!」 「……うるせぇ。耳元で喚くな、頭痛がする」 「あぁん? じゃあもっと喚いたらァ! バァカ! バァカ!」  トラは、タツと犬猿の仲である。 「トラ、本当にうるさいよ」 「あ、はい! すんません、若!」  丈一郎に窘められ、トラは慌てて頭を下げた。 「でも、若ぁ……本当にもう勘弁してくださいよ。登下校任されてるオレの身にもなってください! オレ、若がまた変なのに捕まったんじゃねぇかと思って、気が気じゃなかったんですからぁ……」  頭を下げたまま言うトラの声には、本気で泣きが入っている。  この「泣き」が、決して鬼倉田組や江太郎のためではなく、本気で丈一郎自身を心配して、丈一郎のことだけを想うが故の不安から来る「泣き」なのが、トラのかわいらしいところだ。  まぁ、基本的にはそれを上回る勢いで暑苦しくてうざいし、アホなのだけれども。 「まぁ確かに、お前にまで何も言わなかったのは悪かったな。許せ、トラ」 「若っ! やめてください! 若は悪かありません! オレも、たまには一人になりたい若の気持ちも分かるんで……若がオレに謝るなんて、そんな……ッ!」 「ていうかお前がアホだから、バレると思って言わなかっただけだろ。むしろお前が丈一郎に謝った方がいいんじゃねぇの」 「タツ、コラァ! だからそもそもテメェのせいだっつってんだ、ボケェ! 表出ろや! あと若を呼び捨てで呼ぶんじゃねぇ!」  あっちにこっちにと態度が忙しないトラに、タツが、あーうるせぇ、と低く零して踵を返す。すると更にトラが、逃げんじゃねェ! とまたタツに食ってかかった。  この三人で過ごす日常を、丈一郎は嫌いじゃない。  男子高校生同士の関係性としては少々一般的ではないかもしれないが、こうして気の置けない仲で過ごす日々はやっぱり楽しい。  でもなぁ、と丈一郎は天を仰いだ。  自分には好きな人がいる。  その人を絶対にいつか落としてやると決めている。  でもその好きな人は突然自分の前に現れたから、目が覚めたら自分の傍から消えてるんじゃないかと思って、毎朝毎朝不安になる。 「早く俺のモノになったらいいのに」  ユラユラと去っていく妙に物憂い背中に呟く。    鬼倉田 丈一郎は、あの肌寒い春の夜からずっと、道で拾った鷹橋 辰樹を飼い殺したい。

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