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第2話 ソーダとバニラとそれから抹茶
丈一郎の高校には、「屋上には立ち入り禁止」という校則がある。
「校則がある」ということは、過去に誰かが侵入して悪さをした経緯があるということであり、かつ、その気になって入ろうと思えば誰でも入れるということだ。
実際、屋上に続く階段は特に封鎖されておらず、あまり真面目ではない生徒達が入り放題だし、屋上へ続くドアは一応施錠されてはいるが、古さ故に建付けが悪くて、コツさえ掴めば開けられてしまう。
丈一郎もその「コツ」を知っている一人だった。
初夏の昼休みの屋上は、直射日光とコンクリートの照り返しがきつくなり始めるので、春に比べると人気 がない。
でも丈一郎は、このくらいが静かで好きだ。
立て付けの悪いドアを開け、ざっと見回し誰もいないことを確認し、そこでくるりと振り返った。
「タツ!」
右手を目の上にかざして日除けにしながら、塔屋の上に向かって呼びかける。
するとハシゴの数十センチ先からはみ出していた白い上履きがじんわり動いて、タツがのそりと起き上がった。
「起こすなよ」
昼寝してたのに、とタツは不満げに膝の上で頬杖をつく。
「ねぇ、今日一緒に帰ってよ」
「はぁ? やだよ。勘弁してくれ」
丈一郎がツンとした顔でお願いしても、タツはすぐに素気無く返した。
確かにたった数日前、勝手に自分が一人で帰り、あれだけ家じゅう大騒ぎさせたばかりなので、タツが断るのも無理はない。
こうなることは丈一郎だって多方 予想していた。が、実際にそうなると面白くない。人間は実に勝手な生き物だ。
自分のお願いを断っておいて、タツは変わらずしらっとしている。
トラや他の組のヤツらなら、きっとコロッといってるか涙目で困ってるだろうにな、と、思ってしまう自分が悔しかった。
塔屋の上から自分を見下ろしてくるタツは、寝転がって乱れた長めの茶色い髪を手櫛で適当に搔き上げ、日差しに眩しそうな顔をしている。
ただの癖毛だとタツは言うが、そのフワッとした髪質がまるでライオンの鬣 みたいで、丈一郎は好きだった。
「てかもうトラに言え、そういうの。お前の頼み事聞く度に、いちいちワーワー言われたんじゃたまったもんじゃねぇ」
トラは絶対断んねぇだろ?
さっき自分でもふと思ったことを、寄りにもよってタツ本人に言われてしまった。
「俺はタツと帰りたいんだけど」
気に入らなくて、あからさまに顔を顰める。もちろん、タツによく見えるようにわざと、だ。
案の定、タツはさっきよりもさらに面倒くさそうな顔をした。はぁー、なんて露骨にため息までつく。
でも、丈一郎は知っている。
そのタツも、「お嬢」の押しにはそれなりに弱い。
「ねえ、タツ」
塔屋にかかるハシゴを駆け上り、ヘリの方に座るタツの隣にしゃがんだ。
「じゃあ一緒に帰んなくていいから、今からアイス食べに行こ」
下校までに帰ってくればトラたちにはバレないでしょ。
そう、にやりとして上目遣いに聞く。
はあ? と、タツの目が怪訝に歪んだ。
「いやなんでだよ。授業あるだろ」
「たまにはいいじゃん。ていうかタツ、元々よくサボってるし」
「……お前、学級委員じゃなかったか?」
「選ばれたからしょうがなくだよ。あんなのただの人気投票でしかない」
俺、顔いいもん、と、タツの膝の上にしなだれる。にやりと薄く笑ってみせると、目のやり場に困ったのか、タツはあらぬ方を向いた。
当たり前のように「お嬢」と呼ばれ、他所の組から格好の人質扱いされるのは癪でしかないが、その二つをさて置けば、この見た目は都合がいいので嫌いではない。
今だって、タツがどうにも自分を邪険にしきれないのは、この整った顔のおかげだと思う。
全然それでいい。なんにも虚しくない。それでタツが自分にほんの少しでも興味を持つなら、理由は別に何でもよかった。
だから、とんでもなく美人な母にはとにかく感謝している。そして、一体どんな手を使ったのか、その美人な母親を口説き落としたとんでもなくゴリラな父親のことも尊敬している。それはもう、ものすごく。
「ねぇ、タツ、行こうよ。屋上、ちょっと暑いしさ? ちょうどいいじゃん。タツは何のアイスが好き? 俺、ソーダとバニラが混ざってるやつ」
畳み掛けながら、そっぽを向くタツの首筋に両手を伸ばした。そのまま指を引っ掛けると抱きつくみたいな体勢になって、勝手に頬がにやついてしまう。
下から見ると、タツの、自分よりも男らしいフェイスラインが尚更綺麗だ。
「タツ! たぁつぅー」
その気になれば、このままキスだってできそうだった。憮然に結んだ口先の、つんと上向く上唇があまりに可愛くて胸が熱い。
もしも自分がキスしたら、タツはどんな反応するんだろう。
恥ずかしがるかな。やめろって、ふざけんなって怒るのかな。怒った顔も可愛いよな、きっと。
まぁ当たり前だがキスなんて、絶対にできやしないのだけれど。
「……ちゃ」
「え?」
邪な妄想から引き戻されるとほぼ同時、こっちを向かないままのタツから、ころんと微かな声が落ちてきた。
「抹茶! あーもう、面倒くせェな! 行くぞ」
そう吐き捨てると、タツは絡む丈一郎の腕を振り払って立ち上がる。
思いがけない急展開に、丈一郎はしばらくぽかんとしてしまった。
「行かねぇのか」
丈一郎。
いつの間にかタツはドアの前にいて、見上げるように丈一郎を呼ぶ。
「……行く! 行こ!」
「お嬢」でもない。「若」でもない。
タツに「丈一郎」と呼ばれるだけでフワフワして、とにかく嬉しくて仕方がない。
慌てて丈一郎はハシゴを降り、ぼうっとする頭でタツの腕に飛びついた。
五月の平日のアイス屋は空いている。真夏の週末は行列ができるような人気店でも、シーズン手前の今ならご覧の通り。
「……クッソ目立ってんじゃねぇか、バカ」
「えーっ? そう?」
パステルカラーを基調とした可愛らしい内装に、ショーケースにはカラフルなアイス。そんな店内にいる客は、先にアイスを選んでいた親子連れのほかにはもう、丈一郎たち二人だけだった。
せっかく来たから店内で食べて帰りたいと丈一郎が駄々をこね、イートイン用のこれまた可愛らしい丸テーブルに座ってみたはいいものの、満面の笑みの丈一郎を前にして、タツは完全にげんなりしている。
「大丈夫だよ。ここらへん学校多いし、サボりの高校生なんて山程来るって」
丈一郎は素知らぬ顔でアイスを頬張る。
ソーダとバニラのマーブルとストロベリーアイスのダブルをワッフルコーンに乗せてもらった。
「うわっ、アイスおいしーっ!」
「あーそうかよ、よかったな」
方やタツは、抹茶アイスの入った紙カップ片手に机に突っ伏して倒れていた。棒読みすぎる返答に、困惑しているのが滲み出ている。
タツが参っている訳を全く察しないわけではない。
傍目に可愛らしい優等生でしかない丈一郎とは違い、タツの方はというと、見た目から、全くそのまんまヤンキーだ。
癖のある茶髪のウルフカット、シルバーのピアスに腰パン、インナーにやたら派手な色のTシャツ。真面目でいたいけな高校生と言うにはどう考えても無理がある。
そのヤンキーが、黒髪で真面目で可愛らしい小柄な優等生と、ド平日の真昼間にアイス屋でアイスを食べている。
まあ普通に考えたらおかしい。というか、大分やばい。何がって、絵面が。
「タツ、アイス溶けちゃうよ?」
「無理。食えねぇ」
「もったいないじゃん」
「じゃあもうお前が食えば?」
えっ、と丈一郎が目を丸くした。
目の前では、タツが、ホラ、とスプーンで掬った抹茶アイスを差し出している。
いや本気か? と丈一郎がタツの顔を訝しげに見ると、タツはスプーンを差し出したまま、ただキョトンと首を傾げていた。
わかってるのかな、と丈一郎は苦笑いした。普通、男同士で、それも友達なのか何なのかもよく分からない関係で、所謂「あーん」をして、手ずからアイスを食べさせたりはしないと思う。
いや、わかっててやっているなら相当性格が悪いから、きっとタツは無意識なのだろう。
でもそれはそれでタチが悪い。ずるい。腹立つ。
「……いただきます!」
腹が立ったので、差し出されているスプーンのアイスにやけくそでかぶりついた。
わざと思い切り口に入れたから、小さなスプーンを持つ指先に自分の唇が軽く触れた。
「うまい?」
タツが無邪気に聞いてくる。さっきまでのぶすくれた表情がちょっと柔らかくなって、微笑んでいて、かわいかった。
でも同時に、やっぱりタツは、先程の行為を何とも思っていなかったこともわかってしまう。
味なんて、正直よく分からない。いや、アイスは多分美味しいのだが、全くそれどころじゃない。
「もっと」
よく分からないまま本音を言った。何が「もっと」なのかは考えたくない。
タツは再び濃い緑色のアイスを掬い、プラスチックのスプーンが何の疑問も持つことなく唇の前に戻ってくる。
「タツ」
うっかり「好き」と言いかけた時に、アイスが口に入ってきた。
助かった。危なかった。
今はまだ全然その時が来てないのだから、口にしては絶対にダメだ。タツが丈一郎に心底惚れて、自分なしでは居られなくなってからでないと。
そうじゃないのに言ったら最後、タツは自分の前から明日には消えてしまうかもしれない。
抹茶アイスは苦くて甘くて冷たいのに、喉の奥が熱くて仕方なかった。
気づけば下校時刻まであと一時間半と迫っていた。そろそろ二人揃って学校を抜け出していることに、トラあたりが気づいているかもしれない。
さっさと帰らないときっと後が面倒くさい。数日前のことを蒸し返されて、万が一、タツが学校を辞めさせられるようなことになるのは御免だ。
普通なら、こんなことで? と思うだろうが、丈一郎の家は「普通」とはまるで違う。
「タツ、近道しよう」
丈一郎はそう言って、商店が並ぶ大通りから一本だけ道を外れようとした。
近道と言ってもほんの少しの違いだが、どうせただ学校に帰るのに、バカ真面目にひたすら大通りを行って遠回りする理由もないだろう。
「丈一郎」
しかし、タツはちょっと表情を険しくして、丈一郎の肩を掴んだ。強引に引き止められたような形になって、丈一郎は怪訝な顔をする。
「なに?」
「あんま裏道入んな」
「えっ? ……ああ、そういうこと?」
一秒ほど考えて、タツの言いたいことがわかった。
要は、敢えて人目のつかない道を通るのは丈一郎には危険だと、タツは警告したいのである。
理解はした。が、気にしすぎだと丈一郎は思った。
「大丈夫だよ、まだ昼間だし。しかもこんなトコで、さすがに」
丈一郎が裏通りを背に、鼻で笑った時だった。
「あっ?」
後ろから伸びてきた見知らぬ男の両腕に、突然羽交い締めにされた。抜け出そうと思ったが、相手に案外腕力があり、細身の丈一郎では難しい。
その隙に片手で猿轡のように口元を押さえられた。声を出して欲しくないあまりか、力加減がド下手くそで、身体を抑える腕と同じ力で鷲掴んできてイライラする。
まったく、どこのどいつだ。空気読め。
イラついたままパッと辺りを見渡すと、襲ってきたのは三人に見えた。自分を押さえている男と、その隣にもう一人、そして斜め向かいに最後の一人。
どれも風情的に半人前の下っ端か、もしくは組にも属さないただのチンピラ未満だろうか。
「丈一郎!」
正面では、タツが珍しく焦っていた。
普段は基本的に無気力で、ずっとボーッとしているくせに、表情筋を強ばらせ、両目の瞳孔を開き、必死に丈一郎の名を呼んでいる。
――あ、やばいこれ。
不遠慮に押さえ込まれた丈一郎の口元が、手のひらの下で勝手に緩む。
多分こんなことを考えている場合じゃないのだが、全然ダメだ。我慢できない。
タツが、「あの」タツが、露骨に血相を変えている。
冷静に考えれば、襲ってきたのが大したことない奴らなことは、タツだってすぐわかっただろう。
というか、もしもタツ一人だったなら、多分、面倒くせぇ、とか何とか言いながら、適当にいなして終わりにしている。
じゃあ何で今はこんなに焦っているのかといえば、思い当たる節は一つしかない。
自分が捕まっているからだ。
タツをこんなに焦らせているのは、他でもない、丈一郎ただ一人だと、そういうことなのだ、きっと。
「自惚れ」と片付けてしまうには揃いすぎている状況証拠に、ニヤつく頬を止められない。
折角の貴重な「デート」を最後の最後で邪魔されて、さっきまでイラついてしょうがなかったが、おかげさまで今は「まぁ許してやってもいいか」と割と寛大な気持ちになった。
「この顔、確かに鬼倉田組の『お嬢』だ! 間違いねぇ!」
「よし! さっさとずらかれ!」
「アニキんとこ連れてくぞ!」
男達は口々に言い、丈一郎を連れたまま、そそくさとその場を去ろうとする。
口振りからして、誰かに頼まれてきたようだ。
その「誰か」の上の上まで行かないと、覚えのある名前が聞こえてくることはなさそうだが。
「おい! 待て、コラァ!」
ちらりと視線を動かすと、タツが一番後方にいた男に回し蹴りを入れていた。見慣れた白のスニーカーが、ヒュン、と空を切っている。
タツはどちらかと言うと、手より足が先に出る。タツの蹴りは素早くよく伸びて綺麗なので、至近距離で眺めると惚れ惚れした。
癖なのか、とても狙いがよく、タツの踵は男の顎の辺りの急所に当たった。ゴキッ、という何とも言えない音と、ぐえっ、という汚い呻き声が同時に響く。
「この野郎!」
一人がやられたことで、もう一人がタツに殴りかかった。
が、タツは首を傾げるくらいで軽く躱していき、男は勢い余ってバタバタと前のめりになる。その隙にタツが背後を取って、流れるように足を振り上げた。
「ヒッ!」
男の息を飲むような悲鳴を合図に、無言のまま、ズドン、とタツの踵がギロチンの如く振り下ろされる。それがちょうど男の鳩尾の裏あたりを直撃して、男はそのままうつ伏せに倒れた。
「く、来るな!」
残りは、丈一郎を羽交い締めにしている男一人だけになった。無意識なのか後ずさり、タツに対して及び腰だ。
背を向けていたタツが、ゆっくりこっちを振り向いた。
下から睨め付ける射るような視線が、切れ味良すぎて、たまらない。
「丈一郎」
タツは、襲ってきた男相手ではなく、丈一郎に向かって言った。
もうほぼ勝負はついてるが、ここからどうする? と、そう「お嬢」に、「主人」に、お伺いを立ててきている。
あーあ、と、丈一郎は心の中だけで残念がる。
実に心地良い数分間だった。
タツが自分のためだけに焦り、吠え、美しい蹴りを放つのを間近で見れて、本当に最高だったのに。
でもさすがに潮時なようで、致し方なく諦めた。
襲ってきた輩はどうでもいいが、タツのどこか不機嫌そうな目付きが痛い。
丈一郎はさりげなく、きっちり閉めた詰襟の下に裾から左手を忍ばせる。
「ウッ! ひっ! 痛ってぇ!」
バチッ! バチッ! と何度か大きな音がして、突如丈一郎の背後の男が悲痛に叫ぶ。
同時に丈一郎を捕まえていた両腕からも力が抜け、丈一郎はするりと滑るように抜け出して、タツの方へと走り寄った。
「アニキ、だっけ。ソイツの躾がなってないんじゃないの?」
丈一郎はタツを背にして鼻で笑う。
その左手がポンポン放り投げながら弄ぶのは、極めて小型のスタンガンだった。
「お前なぁ。それできんなら最初っからやれよ、バカ」
「えー? でも一応三人いたじゃん。これ護身用だから、あんまり威力無いんだよね」
さっきまで襲われていたとは思えないほど呑気な会話。それもたかが高校生のだ。
それなのに目の前の男は何かに気圧されて動けないのか、腰を抜かしたまま唇を戦慄かせている。
「で? どうすんだ」
タツが後ろから肩口に顔を寄せて聞いてくる。
どうしよっか、と丈一郎が顎に手を当て小首を傾げた。
その様が妙に色っぽく、男がゴクリと生唾を飲んだ。
「じゃあまぁ『適当に』やっといて」
「あいよ、『お嬢』」
わざとらしく「お嬢」と呼び、タツが前に飛び出していく。
それを見て丈一郎は満足気に笑った。
「タツ」
今まさに「躾のなってないバカ」を足蹴にしている好きな人に声をかける。
あ? と、タツが振り返った。酷く気怠い雰囲気の中、眼光だけがギラついていて、好きだなぁとしみじみ思う。
「おりこうさん。ご褒美に抹茶アイス買ったげるね」
冗談めかして褒めてやった。
タツもふざけて「ワン」と鳴き、ニヤッと笑うのが色っぽくってたまらない。
ふとスマホを見ると、トラからまた大量のメッセージが届いていた。ふと受信時間を見ると、一分に三件のペースで唖然とした。
そのほぼ全てをスルーして、丈一郎からは一言だけ。
「バカがいたから捕まえといた」
瞬間、送信ボタンを押したか押してないかすら危ういのに、スマホがブルブル震えて着信がある。
諦めて、緑色の「応答」を押した。
すると、またトラの、「若ぁぁっ! マジ何してんすかぁぁっ!」という泣き言が鼓膜にビンビン響き、耳が痛くてしょうがなかった。色んな意味で。
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