18 / 18

最終話 お嬢は忠犬を愛したい

 駅から離れた閑静な住宅街。今どきのスタイリッシュな住宅が立ち並ぶ中、突然、ドンッ、と現れる木塀囲みのバカでかい和風邸宅。明らかに周囲とは違う佇まいに、ここら一帯では「やばい家」として有名だった。  その「やばい家」の延々と続く木塀に沿って進むと、ふと瓦屋根のついた数寄屋門にたどり着く。  その立派な数寄屋門をなぜかコソコソと開けて出ていこうとする、スーツ姿の人影があった。  音を立てないように細心の注意を払って門扉を開け、忍び足で出てくるのは、少し小柄ではあるが、黒髪のとんでもなく美しい青年である。 「おっそ」  やっとのことで外に出たと思った途端、上から降ってきた声に、青年は怪訝な顔をした。  長い睫毛にスっと通る鼻筋、薄めの形の良い唇と、光源氏もかくやという程の麗しい外見を、惜しげも無く顰めている。 「お前、呼びつけといて遅刻はねェだろ」  丈一郎。  呼び捨てで名前を呼ばれ、丈一郎は、バツが悪そうに首筋を摩った。  もはや、丈一郎のことをこうして呼び捨てで呼べるのは、ほぼ一人だけになってしまった。 「だって俺、結構忙しいんだもん。これでもどうにか隙ついて出て来たの!」  タツのいじわる、と、丈一郎はむくれてみせて、軽く頬をふくらませた。  そんな丈一郎の仕草を見て、門扉の前にずっと立って待っていたタツは呆れ顔だった。茶色の癖毛を撫で付けハーフアップにし、スリーピースのスーツを着こなす姿は、ご多分に漏れず美しい。が、あまりに近寄り難すぎて、「コワイ」「ヤバい」が先立っている。 「……あのな。お前、もう二十八だからな?」 「知ってるよ、そんなの」 「二十八のする顔じゃねぇっつってンだよ」 「なに? 二十八の俺も可愛すぎてやばいって話?」 「はぁ? 耳も頭も狂ってんのか。ふざけんなバカ」  ぴしっ、と眉間にデコピンされて、丈一郎は、なんだよもう! とタツの腕に絡む。  口では文句を言われても、決して振りほどかれやしないのを、丈一郎はよく分かった上でやっている。  だってもう十年一緒にいるのだ。  そんなことくらい、分からないでどうするんだ。 「大体、なんだよ。今すぐ来いって言うから何かと思ったら、アイス食いてぇって……」 「食べたかったやつ、期間限定で今日までなんだよねー。ずっと行こうと思ってたけど、時間なくて行けなくてさぁ。タツくらいしか一緒に行ってくれないだろ?」  ね? と上目遣いにタツを見る。  タツは、丈一郎のこの顔に弱い。十年ずっとそうだったから間違いない。その証拠に、あれだけ文句を言っていた口が、突然噤まれ、そっぽを向く。 「……で? なに食いてぇって?」  そして十秒くらいして、そんなことをぽつりと聞かれる。  照れくさそうにむすっとした顔が愛おしい。  タツは結局、丈一郎にめちゃくちゃ甘いのである。だって十年以上前からそうなんだから、今更変わりようがない。 「クリームソーダ味! やばくない?」 「やばくねぇよ。なんだその意味わかんねぇ味。クリームソーダって元々アイスだろ」  馬鹿じゃねぇの、とタツが後ろ頭を搔く。でも面倒くさそうに歩く足は、ちゃんとアイス屋の方角に向かっている。  タツのそういうところが可愛いと思う。素直じゃないのに、素直でかわいい。 「タツは、ずーっと抹茶だよね。たまには違うのたべればいいのに」 「一番美味いもん食うのが間違いねぇの」  スーツ姿の男が二人、揃ってじゃれ合いながら歩いている。多分、大分絵面がやばいし目立つだろうが、そんなことは気にしないで、むしろタツの腕を強くぎゅっと抱きしめる。 「タツ」 「あ?」 「愛してるよ」 「そうかよ、俺もだよ」  冗談めかして口説いてやると、冗談めかして返される。すっかり慣れたやり取りだが、それでも未だにこっそりと胸の内でときめいてしまう。  やっぱり十年前、自分がタツを拾ったのは運命だった。タツが隣にいない自分はもう到底考えられない。丈一郎が鬼倉田の家に生まれて「お嬢」として生きるのに、タツは必要なパーツだったに違いない。 「ねぇ、タツ。ちょっとこっち向いて」  腕に絡めた手を今度は首筋に絡める。  タツも何をされるのかわかったようで、渋い顔をしていた。でも昔みたいに振り払われたりはしなくなったから、多分もう諦めたんだろう。  お嬢の「犬」として。 「かわいい。いい子だね、俺のタツ」  腕を伸ばし、側頭部をグリグリと撫でて、最後の最後で鷲掴む。  そのままこっちに引き寄せてタツの唇に口付けようと、自分の頭を少し傾けた時だった。 「若っ! 若ぁああっ!」  ざりざりとアスファルトを蹴りながら、後ろから怒涛のように追いかけてくる声がして、丈一郎は、げっ、と眉根を寄せた。 「と、トラ! 何でここに」 「わかりますよ! 何年、若の舎弟やってると思ってンですか、もうっ!」  トラは、トラ柄のメッシュ頭をツンツンさせて、仁王立ちで説教を始める。  アホの極みみたいだった十八の頃に比べれば、さすがにトラも成長しており、こうして逃走中に捕まることもしばしばだった。 「店やらせるんでしょ? 業態決めに、若いのが話聞きに来るって言ってあったじゃないですかぁっ。なんで忘れちゃうんですかぁ……」 「忘れてないよ! 忘れてないけど、あれ、別に俺いなくても全然いいじゃん。アイツらとトラで適当に決めてよ!」 「あのですねぇっ! このオレが、若みたいに適当に決められるわけないでしょ? 若、絶対分かってて言ってますよね?」 「あ、じゃあ、タピオカ屋! タピオカ屋で! もういい?」  適当に話をつけて場を去ろうとする。  だって、ここまで来て連れ戻されたくない。この時だって、昨日夜中まで必死に仕事を片付けて得たスキマ時間なのだ。  ここ一、二年で、丈一郎はかなり忙しくなった。大学を卒業をすると同時に、本格的に家業を手伝うことにして早数年。自分でも意外なことに、妙な才能を発揮してしまい、みるみる立場が上がってしまった。  この家に生まれ、美しい見た目も相まって子供の頃からチヤホヤされ、かと思えば強制的に修羅場も潜らされてきた。そんな経験が効いているのか、何かにつけて「判断」するのが得意で、金儲けも、よその組とアレコレやり合うのも上手かった。腕っぷしは変わらずからっきしだが、そこはタツとトラがいるから、今まで通り二人を引き連れているだけで問題ない。  今では、トラのように、江太郎ではなく丈一郎につきたいという若い奴もいる。はじめてそんな若い衆が来た時は、さすがの江太郎も面食らっていた。が、トクだけは、おもしれぇじゃねェか、と楽しげに腹を抱えて笑っていた。  そして二十八になった今、丈一郎は、若頭の補佐みたいな地位にいた。  若頭も昔から組にいる若衆で、「お嬢」が可愛くて可愛くてしょうがない連中の一人なので、「お嬢が組継ぐってんなら、俺はもう、オヤジさんに分家してもらってすぐ退()きやすンで!」などと言う。  正直な話、丈一郎はまだそこまで深く考えてない。だって江太郎はもちろんまだ現役でピンピンしていて、引退する気配なんて欠片も無いからだ。  だから特に考えてはいないが、それとは別に、レールが勝手に敷かれていっているのはわかる。丈一郎が一旦停止しても、準備だけは着々と前に進んで、発進せざるを得ないように外堀からどんどん埋められる。  とはいえ、しかし、これまで通り特に変わらずにいることもある。 「で、どうすんの? アイス、行くの? 行かねぇの?」  状況を無視したタツの呑気な質問に、トラが、あぁん? と食ってかかった。 「ていうか、タツ! テメェもホイホイ若連れてくンじゃねぇ! 若は忙しンだよ! 暇なテメェと違って!」 「はぁ? 連れてってねぇよ。コイツが俺を呼んだの」 「オイ! 若を『コイツ』呼ばわりすンな! 相変わらず躾がなってねェなぁ!」 「アホか。その躾してンのが、テメェの『若』なんだけど」 「うるせぇ! とにかくテメェといるせいで若が毒されてんだよ! なんで若もタツなんかがいいんスかぁ……」 「まぁアホよりはマシだったんだろ」 「ああっ? 上等だ! 表出ろや!」 「ここが表だ、アホ」    タツとトラは今も変わらず犬猿の仲で、顔を合わせればすぐに、ぎゃあぎゃあ煩く喧嘩している。  それを見て、丈一郎は思わず吹き出す。  最初は、ふふっ、と笑む程度だったのが、だんだん我慢ができなくなり、あははっ、と声をあげて笑ってしまった。  ゲラゲラ笑う丈一郎に、口喧嘩をしていたタツとトラは不意に黙って、二人で顔を見合わせる。気まずげにお互いをチラチラ見るのが、可愛らしくてまた笑えた。 「ほらっ、タツ! トラも! 早く行こうよ。アイス、売り切れちゃう」  二人ともおいで、と丈一郎が笑って手招く。  バツが悪そうな顔をした二人が、ゆっくり同時にこっちを向いた。 「若ぁ、仕事は……」 「帰ったらやるから大丈夫」 「てかトラも来んのかよ」 「みんなで食べた方が楽しいじゃん」  でしょ? と両手を後ろ手に組み、小首を傾げる。  昔は、かわいい、かわいい、と言われるのが嫌だったなぁと思う。自分だって男なのに、なんでよりにもよって「お嬢」なんて呼ばれなくちゃいけないんだと恨んでいた。  でも今は、すっかり「お嬢」が板に付いてしまった。なんなら相手によっては「お嬢」の名だけで、軽く怯ませるくらいのことはできる。  こうなったのも、こう思えるのも、絶対にタツとトラがいるおかげだ。 「俺、奢ったげるからさ。トラは何のアイスがいい?」 「オレですか! オレは、よくわかんねぇんで、若とおんなじやつがいいス!」 「うわっ、きも……」 「うるせぇぞ、タツ」 「タツは抹茶ね?」 「ああ」 「ホント面白みねェなぁ」 「お前みたいにアホじゃねぇからな」 「ああっ?」  三人並んでアイス屋に向かう。学ラン姿がスーツ姿には変わったが、それ以外は十八の頃から何ら変わりなくて、丈一郎は嬉しかった。  信号待ちで、後ろから、こっそりタツのジャケットを引く。さりげなくタツが振り返り、なんだよ、と小さく答えた。 「ごめんね? デートじゃなくなっちゃった」  背伸びをして、そう、こっそり耳打ちし、ちゅっ、と小さく頬にキスした。  タツは一瞬固まって、次にふいっとどっかを向く。 「後でかまえよ」  すると、意外にも甘えたな「犬」が不機嫌そうにねだってきたので、ニヤつく頬で、寝れないくらいかまおっかな、と頷いた。 おわり?

ともだちにシェアしよう!