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最終話 お嬢は忠犬を愛したい
駅から離れた閑静な住宅街。今どきのスタイリッシュな住宅が立ち並ぶ中、突然、ドンッ、と現れる木塀囲みのバカでかい和風邸宅。明らかに周囲とは違う佇まいに、ここら一帯では「やばい家」として有名だった。
その「やばい家」の延々と続く木塀に沿って進むと、ふと瓦屋根のついた数寄屋門にたどり着く。
その立派な数寄屋門をなぜかコソコソと開けて出ていこうとする、スーツ姿の人影があった。
音を立てないように細心の注意を払って門扉を開け、忍び足で出てくるのは、少し小柄ではあるが、黒髪のとんでもなく美しい青年である。
「おっそ」
やっとのことで外に出たと思った途端、上から降ってきた声に、青年は怪訝な顔をした。
長い睫毛にスっと通る鼻筋、薄めの形の良い唇と、光源氏もかくやという程の麗しい外見を、惜しげも無く顰めている。
「お前、呼びつけといて遅刻はねェだろ」
丈一郎。
呼び捨てで名前を呼ばれ、丈一郎は、バツが悪そうに首筋を摩った。
もはや、丈一郎のことをこうして呼び捨てで呼べるのは、ほぼ一人だけになってしまった。
「だって俺、結構忙しいんだもん。これでもどうにか隙ついて出て来たの!」
タツのいじわる、と、丈一郎はむくれてみせて、軽く頬をふくらませた。
そんな丈一郎の仕草を見て、門扉の前にずっと立って待っていたタツは呆れ顔だった。茶色の癖毛を撫で付けハーフアップにし、スリーピースのスーツを着こなす姿は、ご多分に漏れず美しい。が、あまりに近寄り難すぎて、「コワイ」「ヤバい」が先立っている。
「……あのな。お前、もう二十八だからな?」
「知ってるよ、そんなの」
「二十八のする顔じゃねぇっつってンだよ」
「なに? 二十八の俺も可愛すぎてやばいって話?」
「はぁ? 耳も頭も狂ってんのか。ふざけんなバカ」
ぴしっ、と眉間にデコピンされて、丈一郎は、なんだよもう! とタツの腕に絡む。
口では文句を言われても、決して振りほどかれやしないのを、丈一郎はよく分かった上でやっている。
だってもう十年一緒にいるのだ。
そんなことくらい、分からないでどうするんだ。
「大体、なんだよ。今すぐ来いって言うから何かと思ったら、アイス食いてぇって……」
「食べたかったやつ、期間限定で今日までなんだよねー。ずっと行こうと思ってたけど、時間なくて行けなくてさぁ。タツくらいしか一緒に行ってくれないだろ?」
ね? と上目遣いにタツを見る。
タツは、丈一郎のこの顔に弱い。十年ずっとそうだったから間違いない。その証拠に、あれだけ文句を言っていた口が、突然噤まれ、そっぽを向く。
「……で? なに食いてぇって?」
そして十秒くらいして、そんなことをぽつりと聞かれる。
照れくさそうにむすっとした顔が愛おしい。
タツは結局、丈一郎にめちゃくちゃ甘いのである。だって十年以上前からそうなんだから、今更変わりようがない。
「クリームソーダ味! やばくない?」
「やばくねぇよ。なんだその意味わかんねぇ味。クリームソーダって元々アイスだろ」
馬鹿じゃねぇの、とタツが後ろ頭を搔く。でも面倒くさそうに歩く足は、ちゃんとアイス屋の方角に向かっている。
タツのそういうところが可愛いと思う。素直じゃないのに、素直でかわいい。
「タツは、ずーっと抹茶だよね。たまには違うのたべればいいのに」
「一番美味いもん食うのが間違いねぇの」
スーツ姿の男が二人、揃ってじゃれ合いながら歩いている。多分、大分絵面がやばいし目立つだろうが、そんなことは気にしないで、むしろタツの腕を強くぎゅっと抱きしめる。
「タツ」
「あ?」
「愛してるよ」
「そうかよ、俺もだよ」
冗談めかして口説いてやると、冗談めかして返される。すっかり慣れたやり取りだが、それでも未だにこっそりと胸の内でときめいてしまう。
やっぱり十年前、自分がタツを拾ったのは運命だった。タツが隣にいない自分はもう到底考えられない。丈一郎が鬼倉田の家に生まれて「お嬢」として生きるのに、タツは必要なパーツだったに違いない。
「ねぇ、タツ。ちょっとこっち向いて」
腕に絡めた手を今度は首筋に絡める。
タツも何をされるのかわかったようで、渋い顔をしていた。でも昔みたいに振り払われたりはしなくなったから、多分もう諦めたんだろう。
お嬢の「犬」として。
「かわいい。いい子だね、俺のタツ」
腕を伸ばし、側頭部をグリグリと撫でて、最後の最後で鷲掴む。
そのままこっちに引き寄せてタツの唇に口付けようと、自分の頭を少し傾けた時だった。
「若っ! 若ぁああっ!」
ざりざりとアスファルトを蹴りながら、後ろから怒涛のように追いかけてくる声がして、丈一郎は、げっ、と眉根を寄せた。
「と、トラ! 何でここに」
「わかりますよ! 何年、若の舎弟やってると思ってンですか、もうっ!」
トラは、トラ柄のメッシュ頭をツンツンさせて、仁王立ちで説教を始める。
アホの極みみたいだった十八の頃に比べれば、さすがにトラも成長しており、こうして逃走中に捕まることもしばしばだった。
「店やらせるんでしょ? 業態決めに、若いのが話聞きに来るって言ってあったじゃないですかぁっ。なんで忘れちゃうんですかぁ……」
「忘れてないよ! 忘れてないけど、あれ、別に俺いなくても全然いいじゃん。アイツらとトラで適当に決めてよ!」
「あのですねぇっ! このオレが、若みたいに適当に決められるわけないでしょ? 若、絶対分かってて言ってますよね?」
「あ、じゃあ、タピオカ屋! タピオカ屋で! もういい?」
適当に話をつけて場を去ろうとする。
だって、ここまで来て連れ戻されたくない。この時だって、昨日夜中まで必死に仕事を片付けて得たスキマ時間なのだ。
ここ一、二年で、丈一郎はかなり忙しくなった。大学を卒業をすると同時に、本格的に家業を手伝うことにして早数年。自分でも意外なことに、妙な才能を発揮してしまい、みるみる立場が上がってしまった。
この家に生まれ、美しい見た目も相まって子供の頃からチヤホヤされ、かと思えば強制的に修羅場も潜らされてきた。そんな経験が効いているのか、何かにつけて「判断」するのが得意で、金儲けも、よその組とアレコレやり合うのも上手かった。腕っぷしは変わらずからっきしだが、そこはタツとトラがいるから、今まで通り二人を引き連れているだけで問題ない。
今では、トラのように、江太郎ではなく丈一郎につきたいという若い奴もいる。はじめてそんな若い衆が来た時は、さすがの江太郎も面食らっていた。が、トクだけは、おもしれぇじゃねェか、と楽しげに腹を抱えて笑っていた。
そして二十八になった今、丈一郎は、若頭の補佐みたいな地位にいた。
若頭も昔から組にいる若衆で、「お嬢」が可愛くて可愛くてしょうがない連中の一人なので、「お嬢が組継ぐってんなら、俺はもう、オヤジさんに分家してもらってすぐ退 きやすンで!」などと言う。
正直な話、丈一郎はまだそこまで深く考えてない。だって江太郎はもちろんまだ現役でピンピンしていて、引退する気配なんて欠片も無いからだ。
だから特に考えてはいないが、それとは別に、レールが勝手に敷かれていっているのはわかる。丈一郎が一旦停止しても、準備だけは着々と前に進んで、発進せざるを得ないように外堀からどんどん埋められる。
とはいえ、しかし、これまで通り特に変わらずにいることもある。
「で、どうすんの? アイス、行くの? 行かねぇの?」
状況を無視したタツの呑気な質問に、トラが、あぁん? と食ってかかった。
「ていうか、タツ! テメェもホイホイ若連れてくンじゃねぇ! 若は忙しンだよ! 暇なテメェと違って!」
「はぁ? 連れてってねぇよ。コイツが俺を呼んだの」
「オイ! 若を『コイツ』呼ばわりすンな! 相変わらず躾がなってねェなぁ!」
「アホか。その躾してンのが、テメェの『若』なんだけど」
「うるせぇ! とにかくテメェといるせいで若が毒されてんだよ! なんで若もタツなんかがいいんスかぁ……」
「まぁアホよりはマシだったんだろ」
「ああっ? 上等だ! 表出ろや!」
「ここが表だ、アホ」
タツとトラは今も変わらず犬猿の仲で、顔を合わせればすぐに、ぎゃあぎゃあ煩く喧嘩している。
それを見て、丈一郎は思わず吹き出す。
最初は、ふふっ、と笑む程度だったのが、だんだん我慢ができなくなり、あははっ、と声をあげて笑ってしまった。
ゲラゲラ笑う丈一郎に、口喧嘩をしていたタツとトラは不意に黙って、二人で顔を見合わせる。気まずげにお互いをチラチラ見るのが、可愛らしくてまた笑えた。
「ほらっ、タツ! トラも! 早く行こうよ。アイス、売り切れちゃう」
二人ともおいで、と丈一郎が笑って手招く。
バツが悪そうな顔をした二人が、ゆっくり同時にこっちを向いた。
「若ぁ、仕事は……」
「帰ったらやるから大丈夫」
「てかトラも来んのかよ」
「みんなで食べた方が楽しいじゃん」
でしょ? と両手を後ろ手に組み、小首を傾げる。
昔は、かわいい、かわいい、と言われるのが嫌だったなぁと思う。自分だって男なのに、なんでよりにもよって「お嬢」なんて呼ばれなくちゃいけないんだと恨んでいた。
でも今は、すっかり「お嬢」が板に付いてしまった。なんなら相手によっては「お嬢」の名だけで、軽く怯ませるくらいのことはできる。
こうなったのも、こう思えるのも、絶対にタツとトラがいるおかげだ。
「俺、奢ったげるからさ。トラは何のアイスがいい?」
「オレですか! オレは、よくわかんねぇんで、若とおんなじやつがいいス!」
「うわっ、きも……」
「うるせぇぞ、タツ」
「タツは抹茶ね?」
「ああ」
「ホント面白みねェなぁ」
「お前みたいにアホじゃねぇからな」
「ああっ?」
三人並んでアイス屋に向かう。学ラン姿がスーツ姿には変わったが、それ以外は十八の頃から何ら変わりなくて、丈一郎は嬉しかった。
信号待ちで、後ろから、こっそりタツのジャケットを引く。さりげなくタツが振り返り、なんだよ、と小さく答えた。
「ごめんね? デートじゃなくなっちゃった」
背伸びをして、そう、こっそり耳打ちし、ちゅっ、と小さく頬にキスした。
タツは一瞬固まって、次にふいっとどっかを向く。
「後でかまえよ」
すると、意外にも甘えたな「犬」が不機嫌そうにねだってきたので、ニヤつく頬で、寝れないくらいかまおっかな、と頷いた。
おわり?
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