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第17話 お嬢は捨て犬を飼い殺せたか

 十月の平日のアイス屋は、意外にもそこそこ混雑していた。残暑の名残の九月を終えて、もうそれなりの気温だと思うのに、過ぎ去った夏が忘れられずにアイスを求めてくるのかもしれない。 「あー! アイスおいしーっ!」  お気に入りのアイス屋から少し離れた公園のベンチで、丈一郎は詰襟の制服姿でアイスを食べている。本当は店内で食べたかったが、今日は席が空いていなくて、致し方なくテイクアウトして公園に来た。またあの窓際の、可愛らしい丸テーブルに座って食べたかったのに残念だ。  イートインできなかったことの腹いせに、贅沢にも今日はトリプルにした。自分の好きなソーダとバニラのマーブルアイスに、次の段がストロベリー、一番下に濃い緑色の抹茶アイス。 「そうかよ、よかったな」  ひしゃげた長方形の小箱で、ベンチに凭れる肩からは微かに紫煙の香りがする。   「あれ? タツ、そういえば制服は?」  そんなタツに、丈一郎はふと気付いた。  いつもは、派手な色のTシャツに、ところどころ擦り切れのある揃いの学ランを羽織った「ドヤンキー」の格好なのに、今は肝心な制服の上着がなくて、真っ赤なTシャツ一枚でいる。 「ガッコ。置いてきた」  さすがに学ラン着たまま喫煙所行けねぇよ、とタツは怪訝に眉を顰めた。  右手の中のメンソールのタバコの箱は、中身がもう半分ほどだった。 「えっ! タツ、二十一歳なの!」  タツが、白鷺のバカでかい邸宅から、鬼倉田の「やばい家」に戻ってきた夜、丈一郎の驚嘆が、縁側からツツジの庭に向かって響き渡った。  なんでそんなことになっているかと言えば、今しがた、本当に着の身着のまま帰ってきたタツのハーフパンツのポケットから、使いさしのタバコの箱とライターが、(おもむろ)に出てきたからである。  一応未成年の括りだからタバコは決して吸わないと、ハッカアメを舐めながら、タツ自身の口ではっきり宣言した上でのコレだから、丈一郎が驚くのも無理はない。  だって、だってだ。  多少強引で胡散臭い手を使ったとはいえ、今まさに同じ学年で一緒に高校に通っているのだ。たとえ緊急事態でも、高校生だからとラブホにだって入らなかった。  それになにより。 「同い年って言ったじゃん!」 「言ってねぇよ」  タツを拾った翌朝、同い年だと言われたはずだと丈一郎は叫んで主張した。が、それは、他でもないタツ本人にコンマ三秒で否定されてしまった。 「えっ? だってさ! タツに初めて会った時、俺が、同じ歳くらい? って聞いたら、タツ、そうだなって言ったよ!」 「大体同じくらいって話だろ。二十歳(はたち)超えると、十七も十八も二十も二十一も全部一緒なんだよ」 「じゃあなんで一緒に学校行ってくれたの? あの時言えば良かっただろ!」 「俺抜きで勝手に話進んでたじゃねぇか。制服まで用意されてから言えねぇよ。面倒くせぇ」  はー、とタツは深く息を吐き、もうヤケクソのように、さっき出てきたタバコの箱から一本取り出して火をつけた。癖のようにライターの火を手で隠し、風よけをして吸う様は、確かに妙に手馴れている。  ふーっ、というタツの吐息と共に、白い煙が庭に浮いた。  いや、めちゃくちゃサマになっている。こういう仕草を見ると本当に二十一なんだと思う。十八で、タバコを吸ったことのない自分には、こんなに自然な動作はできない。  この一年、何かにつけてやたらと兄貴ヅラされて、年下扱いされていたのもこのせいか。まぁそりゃそうだ。本当に年下なんだから。  しかし、いや、でも、それにしたって。 「えっ、じゃあなに? タツが、めちゃくちゃ童顔ってこと?」 「はぁ?」  かなり真剣に聞いたのに、タツは呆れたように眉根を寄せて目を細めた。  いやだって、なんで二十、二十一の男が学ラン着て普通に似合うんだよ。おかしいだろ。  そんな意味の分からない状態、「タツがすごくかわいいから」という理由以外では、とても処理しきれない。今だって、十八で同級生のタツと、二十一で普通にタバコを吸うタツが頭の中で相反して、拭いきれない違和感やら何やらで、もういっぱいいっぱいだというのに。 「やばい。無理。わけわかんない」 「ンだよ。悪かったな、かわいい同級生じゃなくて」 「いや、俺が好きなのは『タツ』だから、それは全然いいんだけど」  沸騰しそうな両頬を両手で覆って下を向く。  なんだろう、なんか照れる。恥ずかしい。  覆った指の隙間から、チラリと横目にタツを見た。タツは変わらず怪訝そうな顔で、足を組んで座っている。上の太腿(ふともも)の上に気だるげにタバコを持つ右肘を置く。ハーフパンツから伸びる脚が長くて白くて、その先にある足の指まで綺麗だ。  綺麗なのだが、だから、その、なんだろう。やばい。とにかくやばい。色々と。 「でもだって、なんか、なんかさぁ……」  この先を言うのは忍びなく、ぐだぐだと口篭っているうちに、焦れたタツに、「さっきから何なんだよ」と凄まれる。  いや、何なんだよと言われても。なんならそれはこっちのセリフだ。何なんだよ、本当に。 「……言ったら絶対怒るもん」 「怒らねぇよ。別に、今更」  このやり取りを心底億劫そうにするタツに、丈一郎は、じゃあ言うけど、と恐る恐る意を決した。 「……タツ、俺より三つも年上ってことでしょ? そしたら俺なんて、タツからしたら正直ガキじゃん。なのに、タツってば、ガキの俺に迫られて、あんな素直に抱かれてたんだなって思ったら、なんかそれ、めっちゃえろ……」 「はぁあっ? バカか! ふざけんなお前!」  許可を得て素直に口にしたはずの言葉は、タツの勢いのいい怒号で、残念ながらかき消された。  ほら、やっぱ怒った、と丈一郎が口を尖らすと、タツはバツが悪そうにそっぽを向いた。 「丈一郎」    タツがジロリとこちらを見る。変わらず右手のタバコからは、煙が一筋立っていた。  少し顎を上げながら流し目に鋭く睨みつけられ、怒られているはずなのに何故かドキッとしてしまう。 「そういうこと言ってッと、もう抱かせねぇぞ」  ――ヘンタイ。  ニヤッとする口の端から、ふわっ、と白い煙が漏れ出る。  離れる前より大分伸びた前髪が、タツの涼しい目元に散って、どうにも不健全で不道徳で美しかった。 「……ずるい。年上ってバレたからって、そういうの」  火照る頬が悔しくて、つい不機嫌に返してしまう。 「だから別に元々隠してねぇ。ただのお前の早とちりだろ」 「違うって言わない時点でタツの過失じゃん」 「あーもう、うるせぇ。お前ホント口減らねェな」 「どっちが」  ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。それを繰り返しているうちに、段々と、お互いの距離が縮まっていく。  いや、正確には、丈一郎が一方的に詰めている。膝を立て、腰を浮かせ、タツの肩に寄りかかる。  タツも迷惑そうな顔をしながら、何だかんだ腕を後ろに引く。タバコの火を背後に避けて、丈一郎が寄ってくるのを受け入れているようにも見えた。 「タツ」  タバコを吸う半開きの唇に、キスしてしまえと、そう思った時だった。 「ダメ。受動喫煙」  するりと横から伸びてきたタツの手に、丈一郎の唇はすっぽり覆われてしまっていた。 「けち」  タツの手のひらの下で悪態をつく。  でも、ふん、と鼻で笑われただけで、別にどうということはなかった。 「あ、やべ」  しかし丈一郎がのしかかったその拍子、タツのハーフパンツのポケットから、もう一つ何かか転がった。 「なにこれ」 「ばかっ! 触んな!」  落ちてきたのはラムネみたいな水色の玉で、反射的に拾おうとした丈一郎をタツが慌てて制止する。  強めに手首を掴まれて、丈一郎は怪しく思った。 「タツ?」  圧強めに名前を呼ぶと、ふいーっとタツの視線が泳ぐ。  この仕草だけで、このラムネみたいな玉が何なのか分かってしまった。 「これ、駿河が売ってたクスリだよね?」 「……まぁ、多分」 「そっか。で、何でタツが持ってるの?」  丈一郎の下で、タツが、ぎくっ、と肩を揺らした。 「た、たまたま……?」 「うそ」  適当に誤魔化そうとしているタツを、じっとり厳しく睨みつける。  ますますバツが悪そうに、タツの視線は飛んでいった。 「……タツ、まさか飲んでないよね?」 「はぁ? 飲んでねぇよ! 飲むわけねぇだろ!」 「ふぅん。じゃあ飲まされるとこだった?」  タツにのしかかりながら畳み掛けるように聞くと、ふと、タツが押し黙る。  いや、黙るのか。黙っちゃうか、そこ。だめじゃん、そこで黙ったら。 「めっちゃくちゃ危なかったじゃん! タツのばかっ!」  もーっ! と、思わずその首筋に力いっぱい抱きついた。  怖い。怖すぎる。  自分はタツのことをまだよく知らない。だから切羽詰まった時に、タツが何をするか分からない。特にタツは、割と投げやりというか、自分のことをどうでもいいと思っているフシがあるから尚更だ。  今回だって、ちょっと目を離したらすぐコレだ。そんなの、「飼い主」失格だ。 「クスリ、トクさんに渡そ」 「だな。まぁ、元々そのつもりでポケット入れたし」 「それからさ、後で一緒にお風呂入ろうよ」 「はぁ?」  二つ目の誘いに、タツが目を丸くする。  してやったりだ。この顔が見たくて、わざと突拍子もないことを言った。 「お風呂入って、話聞きたい。タツの話」  子供の頃のこと。十代の頃のこと。家族のこと。それから白鷺の家のこと。  自分の知らないタツの二十年間を、教えて欲しいとお願いした。 「あんま、いい話じゃねぇぞ」  タツが、目を伏せ、低く言う。  きっとこれは真実で、誤魔化しの効かないことなんだなと思った。 「平気だよ。俺だって、あんまりまともな人生してないもん。それより、タツのことちゃんと知りたい。知らないままでいいわけないから」  今度は真剣に言った。  一応、殺し文句のつもりだった。  タツは、一瞬きょとんとしていた。しかしすぐに、ははっ、と吹き出した。笑った顔が可愛いと思った。 「バァカ」  タツが揶揄うように言い、丈一郎の肩と首の境目あたりに吸い付いてくる。ちりっ、と軽く痛みが走り、そこだけ小さく赤くなった。  そういうわけで、タツが鬼倉田の家に帰ってきてしばらく経った今日。わざわざ二人で授業をサボって抜け出して、密かにアイスを食べに来たというのに、タツはアイスを買いもせず、代わりに喫煙所でタバコを一本吸ってきた。 「タツも、タバコ吸ってないでアイス食べてよ」  丈一郎が二段目のストロベリーアイスを食べながら文句めいて言う。  あれ以来、タツは普通にタバコを吸うようになった。さすがに学校では吸わないし、家でも大人たちのようにいつ見ても吸っているというわけではないが、それでも一日一回くらいは、どこかしらで吸っているのを見る。  タバコが嫌なわけじゃないし、吸いたきゃ吸えばいいと思う。でも、こうして度々自分を置いて、喫煙所に行かれるのは気分が悪い。 「デートで恋人放っておいたらだめじゃん」 「デートなのか、これ」  ただのサボりじゃねぇか、とタツに事も無げに言われて、丈一郎はさらにムッとする。 「俺がデートって言ったらデートなの」  聞き分けのない子供のようなことを言い、三段目の抹茶アイスをスプーンで掬う。  三個目ともなるとさすがに表面が大分溶けていて、クリーム状に柔らかくなっていた。 「食べる?」  緑色のアイスの乗ったピンクのスプーンを、タツの前に差し出して聞く。  タツはちょっとびっくりした顔をして、こっちを見たまま固まっていた。 「ほら。好きでしょ? 抹茶アイス」  あーん、とタツの口の前に差し出す。  タツは困った顔で、丈一郎をじいっと見ている。  困ってる、困ってる、と丈一郎は内心面白く見ていた。これまで何度も、タツの「あーん」でドギマギさせられたことへの仕返しと、「デート」でタバコを優先された腹いせをしているつもりだった。  しかし、タツはグッと唇を噛み締めて、ふっと顔を正面に戻した。 「やめとく」 「えっ?」 「さっきタバコ吸った口だから」  不機嫌そうに尖った上唇が、さっき吸ったばかりのタバコをアイスを受け取らない言い訳にする。  つまんない、と文句を言う。在りし日の自分のように、素直に欲に負けて食べればいいのに、全くもって可愛げがない。 「だから、俺と二人でいる時はタバコ吸わないでって言ってるのに」  タツが食べなかった抹茶アイスにかぶりつく。  アイスは美味しいし、ちょっと不機嫌そうで困り顔のタツを見るのは楽しい。何だかんだ自分の押しに弱いから、ねだり続ければ授業サボってこうやって付いてきてくれるところもかわいい。  でもタバコは憎い。腹立たしい。せっかくのデートだって言ってるのに、こんな仕打ち、許されない。 「こんなんじゃキスもできないじゃんか」 「いや、すんなよ。外だわ」 「家でも吸うくせに」 「あれは、お前のセクハラ避け」  お前、所構わなすぎだから、と、べーっ、と赤い舌を出された。  あー、かわいくない。ほんと腹立つ。 「俺が二十歳になったら見てろよ? もうタバコ言い訳にさせないから」 「お前こそ、そん時はもうちょっと落ち着いてろよ」  そんな下世話な軽口を叩きながら、アイスをコーンまで全て飲み込む。  タツが帰ってきてからの鬼倉田組は、まぁそれなりに騒々しかった。江太郎は、トクと、時には若頭まで引き連れて、辻田のところへと何度も通っているのが見えたし、逆に辻田が田村と共に鬼倉田の家に来ることもあった。  もはや重鎮の域の辻田が、丈一郎の家にわざわざ来たのは本当に十年ぶりくらいだと思う。つまり、江太郎が鬼倉田組の五代目になり、襲名を披露した時以来だと、そういうことだ。  表向き、白鷺の家も静かだった。特に世に出るようなニュースはないし、颯希が社長をしているアプリ会社もまだ一応存続しているらしい。  丈一郎にはあまりよく見えないところで、何かが起き、そして片付いている。いずれ自分もそこに巻き込まれるのかと思うとうんざりするが、正直どこかで、それもいいかなと思う自分もいる。  タツとトラと、それから組のみんながいるなら、そこに放り込まれても、飲まれず、どうにかなるような気がした。  そして、あれほど嫌だった「お嬢」という呼び名も、今は少しだけ容認しかけている。 「タツ」  隣の愛しい人を見る。茶色の長めの癖毛を秋風にふわふわ揺らす、かわいいひと。  「あの一件」により、タツはすっかり有名になってしまった。なんでかって言うと、それは。 「これからもずっと、『お嬢のワン公』しといてね」  タツからすると不名誉らしい「呼び名」で呼ぶと、タツが、わざとらしくげんなりしてみせ眉根を寄せる。  でも知ってる。こんな顔して本当は、タツもそのつもりだということ。 「まぁ拾った以上は、最後まで責任とってもらわねぇとな」 「えっ? なにそれ、プロポーズ?」 「ちげぇわ、バカ」    調子乗んな、と両頬を片手で挟まれ潰された。  こんなタツ優位のじゃれあいをしながらも、丈一郎は、心の中では、覚えてろよ、と思っている。  五年後、十年後、二十年後。  そのうちしっかり飼い慣らすから、死ぬまで隣で見て欲しい。

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