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指名
静かに息を吐くと、講堂へと足を踏み入れた。
ガラスがはめ込まれた吹き抜けの高い天井から、まっすぐに差し込む光の束が薄水色に髪を照らした。
前方には大きな演説台が置かれ、その後ろには講堂の主のように飾られた豪華なタペストリーが垂れ下がっている。演説台の前方に、左肩についた短めのマントを揺らしながら、この場に集められた生徒達が、列と呼ぶにはあまりにも自由な群がりを作っていた。
どこか落ち着かない、浮ついた空気を感じながら群れから少し離れた場所で足を止めた。
それでも、この国ではあまり見ない薄水色の髪は人目を引くらしく、好奇と畏怖が入り混じった纏わりつくような視線からは離れられなかった。
視線に気づかないふりをしながら彷徨わせた目の端にふと、夕焼けのようなオレンジ色を拾うと辿るように視線を上げれば茶色いローブを纏った学園の講師がタペストリーを背に演説台に立っていた。
「これより、リダミリアム学園の対面式を執り行う」
式の始まりを宣言した講師が演説台を降りると、学園長だと名乗る初老の男が長々とし始めた。その退屈すぎる話に耳を傾けることもなく、視界の端々で時たま揺れ動く紫と赤のマントに意識が流れていく。
学園入学の正式な式に、三つある科の中で唯一上級生の参加が認められている魔術科の紫のマントが殆どをしめているのが魔力主義のこの国らしい。
学園内において一番魔力が弱い書記科を、一部の生徒の滑るような視線は、居心地がいいものとは言えなかった。式への参加は自由なはずだがここまで人が多いのを見ると、この後にある指名式目的だろうなとも分かって溜息をつきたくなった。
魔力の強さで爵位すら決まってしまうこの国では、人の価値観を変えるのは簡単ではないのだと、そんな諦めを改めて思い知らされたようだった。
「では次に、専属指名を始める。指名者がいる魔術科の者は前へ」
いつの間にか学園長の話は終わっていたらしく、講師の声が響くとそれまで少しだらけていた空気が一気に緊張感に包まれた。
魔力でしか認めてもらえない貴族社会において、魔術科から書記科への専属指名制度はこれからの学園生活だけではなく、将来も左右するほどの名誉とされている。らしいのだが、自分には縁がない話だなと、他人事のように名を呼ばれる生徒をぼんやりと眺めていた。
その空気が突如、ざわりと大きく揺れたーー。
後ろ側から次第に流れてくるざわめきに訝しく思いながらも振り返ると、黒い瞳を不機嫌そうに細めた男の姿が人の隙間から視界に飛び込んできた。
「⋯レイヴァート様だ」
ざわめき立つ誰かの声を呼び水にするように、あちこちでささやき声が上がり始めていたが、当の本人はそんなことは露とも思っていない足取りで紫のマントを揺らしていた。
「公爵様が指名?誰を?」
「いくら強くても俺は嫌だな⋯全属性とか、化物だろ」
「怒らせると目の色が変わって、見たら怪我じゃすまないとか」
周囲から聞こえてきたひそひそとした声に、思わずムッとしてしまった。
確かに立っているだけで萎縮してしまう気配は感じるが、だからといって好き勝手言っていい理由にはなっていない。だが、どれが本当の話かを判断できるほどシェリオス・レイヴァートという男を知ってもいなかった。それでも、興味や畏怖、好奇心でしか見られないことへの寂しさは嫌というほど分かる。
この国で王家に次ぐ魔力を持つとされる公爵家の一人息子。そんな彼が自分と関わることはないだろうが、そんな彼が誰を指名するのかは少し気になった。
だがすぐに、迷いのない靴音がぴったりと止まると、黒い瞳に傲然と見下されていた。
「クミル・リオルグレン。お前を指名する」
「⋯⋯⋯⋯は?」
思わず間の抜けた声が口から漏れた。
その瞬間、シェリオスを固唾をのんで見ていた生徒の視線が自分に集まってくる。聞こえてくる声に、シェリオスから自分へと興味が移ったのだと分かると、思わず後ろへ足を退いてしまっていた。その様子に、シェリオスは睨むように目を細めるだけだった。
「リオルグレンって、伯爵家の?」
「伯爵家がなんで書記科にいるんだよ」
困惑する周りの声に、爵位でしか見られないことへの諦めと突然すぎる指名に釈然としない気持ちを少しくらいならシェリオスにぶつけてもいいんじゃないかと思う気持ちを今は笑顔で誤魔化した。
「⋯今、私を指名なさったように聞こえたのですが⋯」
「二回も言わせるな。行くぞ」
「え?ちょっ⋯⋯」
遠ざかっていく背中に困惑したまま、講師に助けを求めるように視線を投げると、わざとらしく咳払いをしながら、気まずそうにその目を逸らされてしまった。
「レイヴァート様の指名ですから。行きなさい」
「はぁ⋯⋯」
仕方なく講堂の外に出ると、意外にも廊下の端で待っていてくれたらしいシェリオスに軽く駆け寄るとなぜか「走るな」と怒られてしまった。
その上、自分と頭ひとつ分違うシェリオスは覗き込むように無理やり視線を合わせられると、何かを探るようなその目に思わず身体に力が入った。それでも、不思議と嫌悪感は感じなかった。
「なんですか?」
「まだ猶予はあるか⋯」
「話聞いてます?」
脈略のない言葉に眉を顰めながら、黙ってついていくしかなかった。
ーー
連れてこられた場所は、魔術棟の奥にある一室だった。
中に入ると細かな細工が施された木製のテーブルが目についたが、それを挟むように向かい合わせに置かれた赤を基調としたソファがやけに印象的だった。
大きな窓から差し込む暖かい光をうけるあの場所でお昼寝をしたら気持ちよさそうだなと考えながらも、部屋の中を見渡すように首を動かせば、入ってきたドアとは別の二枚のドアがあることに気づいた。その一枚をシェリオスが開けると、何も言わずに中に入っていってしまった。興味本位で覗いてみると寝室なのか、大きめのベッドが窓際に置かれていた。
大人二人が余裕で寝られそうなサイズではあるが、窮屈さをまったく感じないだけの広さがある部屋に、学園には必要ないんじゃないかなと思わなくもなかった。
さらに奥にも部屋があるようで、魔術科の優遇具合に感心が溜息と共に零れた。
「部屋は好きに使え」
「住めるな⋯」
思ったことをそのまま口にすれば、シェリオスに怪訝な顔を向けられたが、この状況を何一つ理解出来ていない自分には、そんな視線を向けられる意味すら分からない。書記科にいる以上指名を断ることは出来ないが、理由ぐらい聞いても問題はないだろう。
「すいません。先程から話が唐突すぎるんですが、とりあえずお茶にしませんか?」
開けっ放しになっていたドアの先を指さすと、そのままキッチンの方へと足を向けた。
寝室の向かい側にあったキッチンをシェリオスが何も言わないことをいいことに、勝手に物色し始めると。すぐに目的の物を見つけることができた。
近くに茶葉も置いてあることにほっとしながら、この部屋で誰がお茶を入れるのかが少し不思議だった。シェリオスは壁に寄りかかりながらじっとこちらを伺うように睨んでいたが、止めようとはしてこなかった。よく分からない人だと、蒸らし終わったポットをトレイに乗せると、ゆらりと漂う薄紫の鮮やかな光が流れてきた。
「え?!」
「なんだ?」
突然ふわりと浮き上がったティーカップが、まるで意思を持ったかのようにリビングへと空中を移動する姿に驚きを隠せない自分とは正反対に、シェリオスは微かに首を傾けただけだった。
「⋯魔力の無駄遣い」
呆れつつもカップに付いて行くという初めての経験を終えた直後、琥珀色のお茶から立ち上がる湯気の向こうにいるシェリオスの気難しい顔をちらりと覗き込んだ。その顔がほんの少しだけ和らいで見えたのは、自分がそうならいいなと、思ったからだろうか。
静かな部屋に響くカップの触れる音を聞きながら、ふっと息を吐いた。
「聞きたいことはいくつかあるんですが⋯まず、なぜ俺を指名したんですか?」
変な理由じゃないといいなと、真っ直ぐにシェリオスの目を見つめれば、思いもしていなかった言葉に、危うくカップを落としそうになった。
「お前の秘密を知ってるから」
「つっ⋯?!」
零れそうになるお茶に視線を移せば、温かいカップとは裏腹に冷たいものが背中を伝う。
予期せぬことになんと誤魔化せばいいのか分からないまま、シェリオスへと視線を戻せば、その鋭い目に言葉が喉に張り付いたようだった。動揺を誘うかのように続くシェリオスの言葉が、文を読み上げているかのような冷たさに恐怖が肌をなぞった。
「お前の魔力はお前のものではない。さらに、その魔力は少しずつだが外に漏れ出してる」
「何を⋯根拠に⋯」
絞り出すように発した声は、何の言い訳にもなってはいなかった。
今まで誰にも気づかれなかったことを、今日初めて会ったシェリオスに見透かされていることに驚きと同時に疑問が浮かぶ。
「仮にそうだとして、レイヴァート様は何が目的ですか?」
「お前が思ってるより悪いようにはしない」
伯爵の家に生まれながら、ほとんど魔力が使えない自分に利用価値があるとはどうしても思えなかった。すっかり冷めてしまったお茶を一気に喉の奥へと流し込むと、苦い味が胸の奥まで広がっていくようだった。
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