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書記科

レイヴァート家の天才が書記を指名した。 そんな噂が瞬く間に学園中に広まると、いつも以上に集まる視線から逃げるように教室を出ると、書記棟から少し離れた場所にある中庭に身を潜めた。ずっしりとした疲労感を抱えた身体を木に預けると、晴れ渡った空を恨めしく見上げた。 吹き抜ける風の心地よさに少しだけ肩の力を抜けば、先程までの光景が頭の中を流れていく。 「書記科の水色って⋯まんまだね」 面白がっているとしか思えない、ひねりも何もない二つ名を付けられた挙げ句、怯えの色を滲ませながら近づいてくる野心的な目を思い出すと吐き気すら込み上げてくるようだった。 権力への足がかりを求めているものの、シェリオスの噂に怯えていた誰もが、専属指名などしないだろうと高を括っていたみたいだが、自分が指名されたと知った途端、理不尽な嫉妬の念を向けられた。見ないふりをするにも向こうから絡んでくる状況を、どうにかできないものかと抱えた膝に顔を埋めた。 瞼の裏に浮かんだ仏頂面に文句の一つも言ってやりたかったが、自分から会いに行けるほど、気持ちの整理も出来てはいなかった。 腕の隙間からチラリと地面を覗くと、足元に落ちている小枝に、意識を集中させてみる。一瞬ふわりと枝が浮いたように見えたが、支えを失ったかのようにすぐに元の位置に戻ってしまった。 落ちた小枝に続くようにその場に寝そべると、流れる雲に思考を預けた。 シェリオスをどう誤魔化そうと考えても、結果は変わらない気がした。 ーー 重い足取りのまま教室へ戻ると、何やら中が騒がしかった。 気になって入口から顔を出すと、二人の生徒が揉めているようだった。 その一人がルーセル・アークハルトだとすぐに分かった。一見すると貴族には見えない荒々しさに、同じ書記科の生徒から危険視されていることもあったが、何よりも銀髪の髪に目がいってしまう。 「人の事情をほじくって楽しんでるようにしか見えねって言ったんだよ」 「指名無しが偉そうに!」 「指名なんかめんどくせーだけだろ」 まるで自分の言葉を代弁してくれているようなルーセルに「おぉ〜」と感心しきった声をあげると、小さく拍手を送った。 自分に気づいたルーセルが、その切れ長な目をすっと相手の後ろ側へ流すと、向かい合っていた生徒も気づいたようで、一度こちらを見るとバツが悪そうにそそくさとその場を離れていった。 「伯爵様は大変だな」 「ん?俺?⋯まぁ、便利なこともたまにはあるよ?」 「あっそ」 そのまま自分の席に戻ってしまったルーセルを追いかけて隣の席に腰を下ろすと、意外そうな表情を見せた。少しこちらの出方を伺っているように見えたが、噂されるような危険な感じより、書記科に流れる劣等感なのかプライドなのかも分からない陰湿さを嫌っているような印象しか受けなかった。 「ルーセルは書記官になる気はないの?」 「なんでそうなる」 「だって、指名の話になると機嫌悪そうだから」 「指名自体に文句はねーよ。チャンスなのは間違いじゃねーからな。⋯てかお前、当たり前みたいに寄ってきたな」 ルーセルは少し驚いたように目を瞬かせていたが、何か変だっただろうかと首を横に傾ければなぜか深い溜息をつかれてしまった。 「まぁいいや。俺は指名されただけで急に偉くなった気になってる奴らだからな」 書記科にいるからといって、全員が書記官になれるはずもなく、指名は大きな後ろ盾の一つだった。だからこそ無指名者を見下すような生徒がいること自体は理解できた。 「じゃあ、指名されたいんだ?」 「嫌だね。めんどくさい」 「どっちなんだよ」 結局はめんどくさいだけなのかなと、自分が置かれている状況を思い出すとルーセルの言葉に肩を竦めた。 ーー 流れでルーセルと午後の授業が行われる演習場に向かうと、すでに何人かの生徒が集まっていた。いくつかの授業は魔術科との合同で進められるが、指名をされなかった生徒は”見学”という名の事実上の放置を余儀なくされていた。 ルーセルは特に気にすることもなく早々に近くの木にもたれかかると目を瞑ってしまっていた。一応指名されている身としてはどうしたものかと周りを見渡してみるが、紫のマントの中にシェリオスの姿がないと分かると少し安心してしまった。 『ーー今日はもう帰れ』 数日前、半ば追い出されるように帰宅させられたが、いつまでも逃げられないことくらい、頭では分かっているはずなのに⋯底の知れない不安を払うように首を思いっきり振ると、離れたところにいる書記科の生徒が、必死に何かを紙に書き留めている姿が見えた。 大変そうだなとしばらくその姿を追いかけていると、視界を色鮮やかな色彩が染め始めた。色とりどりに輝く光を見ていると、胸の中が少しだけ軽くなったような気がした。 「見学、悪くないかも」 もう少し近くで見たいと一歩足を踏み出すと、せせら笑いを浮かべた二人の生徒が道を塞ぐように立っていた。 何かと自分に絡んでくる二人にいい加減辟易していたが、ここまでくるとそのしつこさに、呆れを通り越して感心すらしてしまう。 「合同授業を放り出されるなんて、よっぽど使えない書記だと思われたんだな」 「公爵家の変わり者は、趣味も変わってるんじゃないか?」 「陳腐な想像力だね」 思わず声に出てしまったと、ぽふっと手で口を抑えると、下品な笑い声が凍りついたようにピタリと止まった。 「指名されたからって、調子に乗るなよ?」 「君たちはもう少し爵位の意味を理解した方がいいよ?」 まぁ、偉いのは父様なんだけどね。内心そんなことを思っていると、二人の身体から薄緑と浅葱色の薄い靄がゆらゆらと湧き立ち始めた。そのことにちょっとやばいかな?と後ろに半歩下がると、二人を取り巻く色が更に濃さを増していく。逃げたほうがよさそうだと引いていた足に体重をかけると、その身体が突然ものすごい勢いで後ろに引きずられる衝撃に短い悲鳴のような声を上げた。 「うわっ?!」 倒れると思った身体を花のような匂いと共に濃い紫黒が包み込むのとは少し遅れて感じた温もりに、背後から誰かに抱きとめられているのだと分かるや、すぐに不機嫌そうな低い声が耳に響いた。 「触るな」 弾かれたように後ろを向けば、シェリオスから立ち込める紫黒色が二人の色を塗りつぶすようにかき消していく。力の差に怯えたように顔を引き攣らせた二人は、慌てて背を向けると逃げるように走りだしていた。 「レイヴァート様⋯さぼりじゃなかったんですね」 「⋯少し家に呼ばれていただけだ」 シェリオスは軽く舌打ちをすると抱き寄せていた腰への拘束を解いた。 それでも紫の霧は蛇のように自分の全身に巻き付いてくることに驚いたが、それを知られたくなくて少しとぼけた態度で誤魔化した。 「お前は何をしてるんだ?」 「見学してただけなんですけど」 シェリオスはもう一度舌打ちをすると、なぜか手を掴まれた。 その手を引かれるように演習場の端に移動すると、すぐにその手は離されたが紫の霧はグルグルと身体に巻き付いたままだった。 「俺は合同には参加しないぞ」 「それ以外は参加されてるんですか?」 大人しく教室で授業を受けているシェリオスを想像してしまい、あまりの似合わなさに笑いが込み上げてくるまま「似合いませんね」と言うと、シェリオスは一瞬言葉を詰まらせながら「たまには出るぞ」とぶっきらぼうな態度に、さらに可笑しくなった。 「どうして参加しないんですか?」 一瞬、見上げた目が、悲しそうに揺れて見えた。 「俺がいたらやりづらいだろ」 そう言って背を向けてしまったシェリオスに合わせるかのように巻き付いていた紫が消えると、その声と背中が、やけに寂しそうに見えた。 周りと違う寂しさを知っている自分に重ねて見えたのか、胸を締め付けられるような痛みを覚えた。 「あの⋯少し、お話できますか?」 気づけば目の前の背中に、そう声をかけていた。

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