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第1話
すぐそばにある体温の心地よさに目を細めたネムは、微睡の中で幸せいっぱいになった。
ずっとずっと求めていたものだからだ。
自分の体を受け止めてくれる厚い胸板に、背中に回された腕。
ぎゅうっと誰かに抱きしめられて眠ることに、憧れていたのだ。
だって自分はいつだって嫌われていて、ひとりぼっちだったから。
選ばれしエリートが就くという王宮での仕事は真面目にこなしているつもりだったが、同僚からは陰気な守銭奴と言われてしまっている。
──必死に金を貯め込んでいて何に使う気なのか。どうせ碌なことじゃないだろう。
そう囁かれていたが、ネムは反論できなかった。
なにせネムは貯めた金で愛人を囲うつもりだったから。
ネムの寿命が尽きるまで、そばにいてくれる愛人を。
醜い容姿に、陰気な性格。こんな奴、誰が好きこのんで恋人にするものか。
だからいっぱいお金を貯めて、贅沢をさせて、不自由なく暮らすことを約束すれば。
朝、目が覚めた時も抱きしめていてくれるかもしれない。
ネムのことが嫌いでも、お金を払えばきっと。
そこまで考えて、ネムはふと気付いた。
ネムはまだお金を貯めている最中だし、家に泊まってくれるほど親しい友人もいない。兄弟は小柄な者しかおらず、こんなにしっかりとした筋肉の持ち主に心当たりなんてなかった。
(……うう、これは夢じゃない)
心地よい腕の中だったというのに、急に冷や汗が吹き出してきた。青褪めたネムは恐る恐る目を開ける。
そこには、艶やかな黒い毛並みの中に主張するピンとたったふさふさの耳があった。時折、ピクピクと動いているのは、周囲の音を拾っているからだろうか。
(やっぱり、どうみたって騎士団長のクロヴィス・マグナレイル!?)
実直、堅物、生真面目を絵に描いたような、自他共に周囲に厳しい騎士団長様が、ネムの目の前にいた。
切れ長の目に、整った顔立ち。眉間に寄った皺さえも格好良い。
狼獣人の彼は騎士団長の地位に相応しくしなやかで強靭な筋肉の持ち主で、鍛錬している姿にすら観客が集まるという人気ぶり。同じ王宮で働いていても、嫌われ者の文官であるネムが話すことすらない相手。
昨日のあれはネムの見た夢じゃなかったようだ。
(どうしよう、どうしたらいい!? 本当になんで、こんなことになってしまったんだ!?)
分厚い胸板に頬を寄せたまま、ネムは昨日のことを必死に思い出した。
***
──いつものように仕事を終えて、家に帰る途中。
ネムは馴染みのお店で食材を買い込んでいた。お金を貯めるには日々のこうした小さな努力の積み重ねが必要なのである。
安売りで好物のりんごを大量に手に入れることができてほくほく顔のネムは、足取りも軽く歩いていたところ。
いきなり後ろから強い力で腕を捕まれ、動けなくなった。
驚いて振り返った先には、ローブを深く被った男性が一人。
ローブの一部からピンとたった毛並みの良い耳が見えていたので、獣人であることは間違いないようだけれども。
そもそもネムのいる国は獣人がほとんどなので、珍しくもなんともない。それよりもどうしてネムの腕を掴んでいるかが問題だ。
「……あの」
「ネム・ノワール」
低い声で名前を呼ばれ、ネムは困惑した。
自分のことを知っているとなれば、同僚かもしれない。けれども文官の職についている獣人は、比較的小柄だったり華奢な者が多いので、ネムよりも大柄で筋肉質な人物は記憶になかった。
本当に誰だとその顔を見ようと、ネムは視線を上げた。赤く熟れた美味しそうなりんごのような瞳がじっとネムを見つめている。
「いますぐ案内しろ」
「へ?」
「お前の家に。……早く!!」
ちょっと目が血走っていて怖い。
(や、やばい人に絡まれてしまった……っ!?)
腕を振り払おうとしても力が強くてどうにもならない。
「おい、ネム・ノワール。こちらは緊急を要している。お前のためにも言っているんだ。早くしろ、家はどこだ?」
威圧的な態度に気押されて、ネムは半泣きになりながら自宅を指差した。食材を買った店の二階が、ネムの自宅であったからだ。
小さく舌打ちすると、そのままネムの腕を引っ張って歩いていく。
(もしや強盗なのか!?)
ネムが必死にお金を貯めているのは有名なことなので、もしかしてそれ狙いなのだろうか。
外階段を上り家の扉の前まで来ると、腕を組んで早く開けろとネムを睨んでくる。この自宅を買ったばかりなので、ネムの貯金は目減りしている。新たな目標のため、また頑張って貯めようとしている最中だから、たいしたお金なんてないのだけれど。
バタンと乱暴に扉を開き、二人で中へと入る。強盗かもしれない人物はフードを外したところで、ネムは驚愕した。
「き、騎士団長!?」
「俺の顔を知っているのなら話が早い。お前、今日俺の執務室へ書類を届けにきた時、差し入れを勝手に置いていっただろう」
苛ついた様子で話しているのは、騎士団長のクロヴィス・マグナレイルだった。
なんのことかわからず、ネムは首を傾げた。
確かに書類は届けたが、それ以外は何もしていない。下手な行動を起こして、良い給料がもらえる文官をクビになることだけは避けたかった。だからネムは基本的に勤務は真面目にこなしている。それなのに一体どうしてと困惑しかない。
「ご丁寧に第二王子のメッセージカードを偽装するとは」
「へ?」
さっきから何のことだかわからないが、それだけはないとネムは焦った。なにせネムは第二王子からめちゃくちゃ嫌われている。視界に入るだけで舌打ちされるレベルなので、必死に気配を消して過ごす日々だ。敬うべき相手だが、できるだけ関わりたくない人物の名前を勝手に使うなんてありえない。
「何かの間違いでは? あの、こちらは全く身に覚えが……、むぐっ!?」
否定するネムの口に、無理やり小瓶が当てられ液体を飲まされた。顎を捕まれ口を塞がれてしまったため、飲み込むしかない。
──ごくり。
喉を通り過ぎた液体は、焼け付くように甘い。
なんだか腹の奥まで熱くなってくるような感覚に苛まれた。
「……あっ、……えっ?」
くたりと膝が折れて床に座り込んでしまう。
「早く解毒剤を出した方が身の為だ。こんな手の込んだことを……?」
ネムが持っていた布のバッグを手に取ると、逆さにして中身を乱暴に出していく。買ったばかりの美味しそうなりんごが床に落ちて転がるのを見て、ネムはとうとう我慢できずに声を上げた。
「さ、さっきからわけがわかりませんっ!! いきなりきて何なんだ!! いくら騎士団長だからって、こんなの横暴です!! 明日、文官長に言って抗議しますから!!」
ネムは平民出身の文官で、クロヴィスは貴族出身。身分の差は明らかだが、黙って引き下がるわけにはいかない。
「だいたい、書類は持って行きましたが、執務室に入ってません。副団長のマルセル様に書類を手渡して、私は帰りました!」
マルセルの他にも騎士が数人いたから、証言してくれるはずだ。
半泣き状態で睨むネムに、クロヴィスは赤い瞳がこぼれ落ちるかと思うほどに大きく見開いて、動きを止めた。
「……なんだと?」
「マルセル様に確認してください!!」
「だがマルセルが執務室に来たのはお前くらい……。いや、まて。書類を届けに来たとしか言ってないな。……まさか」
見る間に、クロヴィスの顔がさっと青ざめていく。
先ほどまでの威圧的な態度はすっかりなりを潜めて、オロオロとしだした。どうやら誤解は溶けたらしいが、ネムは全然安心できなかった。
先ほどからゾクゾクとした震えが止まらないし、足に力が入らない。なんだか腹の奥が疼いて落ち着かない。
あきらかに自分の体の様子がおかしい。だんだんと体に熱が集まってくるような気がして、うまく思考がまとまらない。
「うぅ……っ、い、一体何を、飲ませたんですか?」
荒く呼吸を繰り返しながら、ネムはクロヴィスに尋ねた。
クロヴィスは喉を鳴らして唾を飲み込んだ後で、ネムに言った。
「……媚薬だ」
「びやく?」
それって何だっけと、ネムはクロヴィスの言葉をおうむ返しで呟いた。
「強力な媚薬で、……なかなかに性質の悪い。お互いの性液まみれにならないと、効果が消えない代物だ」
なんだか生真面目な騎士団長が言うにはありえない単語が飛び出したような気がする。
「簡単に言うと、お前の腹が膨れるほど性液を注ぎ込まなきゃならない」
なにを。
どこから。
そんなネムの疑問に答えるかのように、クロヴィスの腕が背中に回った。そして腰の下、ちょうど臀部の窪み付近をクロヴィスの指先が撫でた。
「……っ!? あっ、……あんっ」
ビクッと体が跳ねて、ネムの口からは信じられないくらい甘ったるい声が漏れてしまう。
先ほどよりも震えが大きくなり、熱くて熱くて堪らない。もう何も考えられそうにない。助けてと縋るように目の前のクロヴィスに手を伸ばすと、しっかりとした腕にぎゅっと抱きしめられた。クロヴィスの胸に顔を寄せる体勢になったネムは、はぁと熱の籠った息を吐き出した。
赤い瞳がネムを見つめているが、そこでクロヴィスの頬も紅潮していることに気がついた。額には汗が滲んでいて、それからどこか切羽詰まったようなクロヴィスの顔が目の前に──。
「う……むぅ……んんっ」
抱きしめられたままネムは、噛み付くような口付けをされた。
クロヴィスの舌が口の中を弄るたびに、腹の奥底が疼いて仕方ない。もっとほしいと思ってしまって、ネムはクロヴィスの首の後ろへ腕を回した。
「悪いな、もう止まれない。……苦情は後で聞くから」
あっさりとクロヴィスに抱えられたネムは、部屋の奥にある寝床へと運ばれた。一人暮らしがら部屋に仕切りらしいものはなく、クロヴィスは迷うことなくベッドへネムを下ろすと、その上に覆い被さる。
「……あっ、え……」
「ネム・ノワール。お前も楽しめるよう、努力する」
まるでネムを気遣うかのような言葉を吐いたくせに。
「……食べていいか?」
低く唸るように喉が鳴る。
ほとんど表情を変えない寡黙な人物が、ネムを食べたくて堪らないという顔をしてこちらの様子を伺ってくるという事実に、ネムもまた喉を鳴らしてしまった。
こくりと頷くと。
クロヴィスは口の端を持ち上げて獰猛な笑みを浮かべながら、ネムへ手を伸ばした。
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