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*序章
「もうよい、下がれ」
「……はい、オーギュスト様」
冷ややかに放たれた言葉に、リュカはただ力なく頭を下げて身を引くしかなかった。
入れ替わりとして手招かれたのは、リュカと同じくラメ入りの生地のゆったりとしたデザインのシャツに赤い腰巻を身に着けただけの若い男。歳の頃も背格好もリュカとよく似ているのに、オーギュストはあからさまに彼にリュカとは違う甘い態度を取る。
ここは王宮が管轄する後宮 であり、大勢いる愛妾の一人であるリュカがそのように扱われようとも、文句は言えない。愛妾とは王であるオーギュストの所有物であり、彼の意のままに扱われて当然の立場なのだから。
「まったく……珍しい出自だから他より面白いかと思えば……何のことはない、世間を知らない愚か者というだけだな」
聞こえよがしに耳に飛び込んでくる己を指した言葉に、リュカはぐっと唇を噛み締めて耐える。自分の力では覆しようのない事由をそのように嗤われたところで、言い返せるような立場にもないことはわかりきっているのだから。
リュカは後宮という籠に囲われた翼のない小鳥と同じだ。主 であるオーギュストの機嫌ひとつで如何様にもされてしまう。
ここに召し上げられた時、これまで暮らしてきていた伯爵家での扱いとは違い幸せになれるのではと、微かに思っていた。王宮の中に住まう身となれば、庶子である自分を虐げていた義母や兄弟たちも見返せると思っていた節もある。
でも現実は全く違っていた――いや、ある種屋敷にいた頃よりもひどくなっているかもしれない。
リュカの出自を知らない者は後宮にはいないため、オーギュストの言葉に疑問を呈するような者も異を唱える者もいない。ただ皆一様にリュカに白い目を向けてくすくすと嗤っている。
しかしただ一人だけ、オーギュストに言葉を投げかける者がいた。
「陛下、では私 が彼に給仕をしてもらってもよろしいでしょうか」
静かに広間に響く声に思わずリュカらが目を向けると、褐色の肌に切れ長の涼やかな闇色の瞳がまっすぐにリュカを見つめている。その瞳はリュカに憐れみを込めた優しい眼差しを向けている。
しかしそのようでありながら、瞳の奥には静かな驚きと怒りが入り混じる複雑な色をしているのが窺えた気がした。
「ああ、構わんぞアルベール。好きにしろ。そ奴はどうも私になつかなくていかん」
「ありがとうございます、陛下」
いましがた彼は、リュカをオーギュストからの冷たい態度から庇ってくれたのだろうか? 向けられた眼差しの、まるで包まれたようなあたたかな感触を思い出し、リュカは胸の痛みが少しだけ和らいだ気がした。
アルベールと呼ばれた彼は静かにオーギュストに目礼し、改めてリュカの方へ目を向ける。やはりどこか怒っているような雰囲気を感じてしまう。
何かこちらの客人に失礼なことをしてしまっただろうか……リュカは戸惑いを隠せないまま目を反らせないでいた。
「それよりもここでは陛下はやめろ。王と公爵とは言え、私とお前の仲ではないか」
そうであろう? と杯を勧められたアルベールは、それを受けてひと息に飲み干していく。王であるオーギュストと旧知の仲であるこの公爵は、後宮の夜に訪れることができる珍しい客人のようだ。
「しかしお前も物好きだな。そのような気の利かない者が好みとは」
「いまに始まった話ではございませんでしょう、オーギュスト様」
「確かにそうだな。お前は常に私が選ばぬものを選び、私とは異なる道を歩むのだからな」
「公爵として王たるオーギュスト様にお仕えする身でありますゆえ、視野は広くありとうございますから」
「っはは。真面目で堅物なお前らしい言葉だな」
オーギュストの皮肉さえもさらりとかわすような者が、何故リュカに対して怒りと憐れみを混ぜた複雑な感情向けてくるのだろう。堅物だと称された彼にとっては、後宮の人間などけがらわしいのだろうか。
一抹の不安さえ覚えるような眼差しを受けながらも、リュカは命じられるがまま空になった杯にワインを注ぎ足していく。
アルベールは注がれたそれをまた勢いよく飲み干していく。たちまち空になった杯にリュカが次を継ぎ足そうとしたが、それを制されてしまった。
問うようにリュカが顔を上げると、アルベールの闇色の瞳――やはりどこか怒りを含んだ――が、ジッと射貫くようにリュカを見つめている。
眼光の鋭さにひるみそうになりつつも見つめ返していると、小さく、リュカにだけ聞こえる声で独り言ちていた。
「――――何故こんな事になってしまったんだ」
何故という言葉に、リュカが答えるわけにはいかない。宴が行われている後宮では主であるオーギュストの前では勝手に言葉を交わしてはならないからだ。それは単純に両者の間に秘め事を作らないためだと言われている。
しかしリュカはどうしてもその問いかけに答えたくてたまらなかった。許されないと重々承知していても、彼にはリュカが受けているすべてを打ち明けたいと思えたのだ。
(わたしがここにいるのは……あの方のせいなのです。あの方に、あの夜捕らえられてしまったから)
思い返すたびにリュカの胸を締め付ける数か月前の出来事を、それからの日々を、彼に吐露してしまえたらどれほど良いだろう。――そんなことをされても、きっとアルベールを困らせてしまうのはわかっているのに。そうした衝動が不意に湧いて、胸が苦しい。
だからリュカはただ申し訳なさそうに目を伏せるしかすべがなく、そしてそれが唯一の答えだ。
それでもリュカに向けられている眼差しが反らされる気配はなく、ただじっと視線を受け止めながらうつむいているしかリュカにはできなかった。
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