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*第一章 愛されない愛妾への王命 第一話

(どうして、今宵に限ってわたしまで……)  初めて連れてこられた夜会の場で、リュカは途方に暮れていた。  これまで一度たりともこうした華やかな場に連れ出してもらったことがないリュカは、慣れない場の雰囲気に気圧されて隅の方で壁の花になっていた。  この日訪れていたのはヴェルミエ国の若き王オーギュストが主催する夜会で、表向きの名目は王が公爵や伯爵と言った上流貴族たちと親睦を深めるという内容になっている。  しかしその実、こう言った交流の場には国中の貴族が集うため、貴族に子女らを伴って社交界デビューをさせる場ともなっている。それに伴い、果ては縁談の話を持ちかけたりなどなかなかに重要な場となっているようなのだ。  とは言え、その縁談の話題にリュカが昇るわけではない。二つ上の姉の良き縁を求めての夜会出席であり、リュカはあくまで介添え……という名の荷物持ちだ。  姉は既に気の合いそうな公爵令息を見つけて会話に夢中で、リュカの出る幕はなく、かれこれ小一時間は放置されている。 (姉上は今回でよいお相手を見つけられたのだろうな、羨ましい)  華やかな場で華やかな交流を通じて知り合う相手は、伯爵令嬢らしく華美なものを好む姉に似合いの者で、姉の隣にただ佇むリュカには目もくれない。 「リュカ、ぼーっと立っていないで、何か飲み物を持ってきてちょうだい」 「は、はい、姉上」  羨望の目を向けているのを悟られてしまったのか、姉から呆れ声でそう言いつけられリュカは慌てて飲み物を取りに向かい、差し出すと姉はそれをため息交じりに受け取った 「ご覧の通り、どうにも年頃なのにぼんやりで気が利きませんの。一応我が弟ですけども、恥ずかしくて」  聞こえよがしな姉の言葉に、リュカはうつむき加減で曖昧に笑うしかできなかった。一応弟という言葉が暗にさす意味を自ら明かすわけにはいかないからだ。  確かにリュカは伯爵令息ではあったが、それは五歳で母親を亡くしてベルニエ伯爵の家へ養子にもらわれたことに由来している。元々はベルニエ家に仕えるメイドであった母親がベルニエ伯爵に手を出されてできた庶子に過ぎなかった。  しかし伯爵家におけるリュカの立場は芳しいものとは言えず、最低限の教養やマナーすら教えられず、夜会や茶会などにも全く出席させてもらえることもなかった。  それが今宵に限ってこんな晴れやかな場に連れてこられ、挙げ句気が利かないと嗤われる始末。身の置き所のなさにリュカは所在なくたたずむしかない。  その内に姉とその相手は耳打ちして話し合いながらバルコニーの方へ向かって行った。この先はリュカが介入してはならないだろう。そうなると途端に手持ち無沙汰になってしまう。  従者を伴って夜会に出席している貴族は大勢いるので、会場の隅で佇むものがいること自体はおかしなことではない。ただ、リュカはあくまで名目上は伯爵令息であるため、控えで会場の隅にたたずむ者とは若干服装の格が違ってくる。そのため悪目立ちしてしまうのだ。それでも姿勢だけは崩さないのは、亡き母の教えでもある。  招待客の立場でありながら、社交の輪の中に入れず佇んでしまうのは令息としてあまり褒められたことではないだろう。しかしリュカはこういった場での振る舞いをほとんど教えられてないため、どうしたらいいのかすらわからないのが本音だ。  姉というある意味盾になるような存在がいなくなってしまったいま、リュカには直接的に周囲の目が注がれる。ぎこちなく上品さのない振舞いしかできない自分が嗤われているような気さえし、視線は下を向きがちになってしまう。  ああ、早く帰りたい……姿勢正しくしつつも内心不安で胸が押し潰されそうな思いでそうしていると、「お加減でも悪いんですか?」と声をかけられた。  慌てて目を向けると、切れ長の涼やかな目がまっすぐにリュカを見据え、心配そうにこちらを窺っている。  整った鼻梁と涼やかな目元は冷たい印象を与えつつも、やわらかにわずかにほどかれた口元が誠実さをうかがわせる。丁寧に整えられた黒い短髪や服装からは彼の気真面目さが窺えた。 「い、いいえ……すみません。大したことはないんです」 「そうですか? よかったら、こちらを」  そう言われて差し出されたのは水の入ったグラス。リュカが酒に慣れていない者だと思われたのか、気を遣ってくれているらしい。 「ありがとうございます」  酒は飲んでいなかったが、緊張で喉が渇いていることに変わりはないため有難くいただく。そうしてゆっくりと水分を取ったことで幾分落ち着きを取り戻していた。 「まるで芽吹く命への恵みのように美味しいです」 「随分と素敵な表現をなさいますね。素晴らしい教養をお持ちのようだ」 「いえ、わたしはそれほどでも……」 「たった一杯の水でそのように詩的な言葉を返して頂けるなんて、ある種の幸運でしょう」  彼はそうにこやかに微笑みかけ、リュカもまたつられるように微笑み返す。  なんとか粗相をせずに済んだとほうっと安堵したように息を吐くリュカに、相手の男性も何故か安堵したように息を吐く。彼もまた、緊張をしているというのだろうか。  改めて彼を見ると、身に着ける服の上質さからリュカよりも身分が高い者ではないかと窺えた。 「お気遣いいただき、ありがとうございます。少し、ホッといたしました」 「それはなにより。こういった場にはよく来られるのですか?」 「いえ……お恥ずかしながら、二十歳のいまになって初めて出席させて頂きました。それに今日は、姉の付き添いでして……」 「そうでしたか。あまりお見掛けしない顔なので、どなただろうかと思っていたのです」  そう言われて、リュカは少し気まずさを覚えた。そんなにも自分の振る舞いは悪目立ちしていたのだろうかと思うと、恥ずかしさで居た堪れなくなる。 「見苦しいところ見られてしまったようですね……お恥ずかしいです」  辛うじてそれだけを告げ、なんとかその場を去ろうかどうか迷っていると、彼は「そんなことはありません」と告げてきた。 「むしろ初めてだというのに堂々とされていて、どこのご令息だろうかと気になっていたのです」 「え……」 「こうしてお声がけできたのも、きっと何かの縁なのでしょう」  そう、わずかに口元をほころばせて微笑みかけられリュカの胸が小さく音を立てる。そんな風に笑いかけられることなど、初めてだったからだ。まるで胸の中に小さな灯りが点るような笑みに、慣れない場で委縮していた心が小さくほどけていく。  こうして言葉を交わせたことも、何かの縁が呼んだものなのかもしれない。 「あの、名前をお聞きしてもよろしいでしょうか――」  意を決し、せめて相手の名前を聞こうとリュカが口を開いたその時、彼の背後から集が騒めくような気配がし、一つの人影が迫って来た。 「おお、アルベール。こんなところにいたのか。どうしたこんな隅の方で小さくなったりして」  アルベールと呼ばれた目の前の彼が振り返った先には、今宵の会を主催した王城の主オーギュストがたたずんでいた。明るい金髪に抜ける空のような瞳は甘く垂れていて、人懐っこそうに微笑んでいる。初めて間近に見る王の姿に、リュカは畏れ多すぎて一瞬礼をするのも忘れてしまったほどだ。 「陛下。今宵はお招きいただきありがとうございます」 「楽しんでいるようだな、アルベール」 「お陰様で。大変有意義な時間を過ごさせて頂いております」 「ッはは。相変わらずお前は、我が幼馴染ながら|一分《いちぶ》の隙もないな」  そうオーギュストが言いながらリュカに目をやり、ふと視線を止める。王に見つめられまんじりとも出来ずにいるリュカは、直立不動のままただじっと時が過ぎゆくのを待っていた。少しでも下手な動きをして王の機嫌を損ねてはいけない、そう言い聞かせながら。  オーギュストはジッとリュカの頭から爪先までを見下ろし、大きな緑の|双眸《そうぼう》を見据えている。まるで何か品定めするかのような視線に、居心地の悪さが頂点に達していく。 「お前、見ない顔だな。名を何という」 「べ、ベルニエ伯の次男、リュカ・ド・ベルニエでございます」  名を問われ、慌てて深く礼をしながら答えると、オーギュストの視線がより強く注がれるのがわかった。 「ほう……見ない顔だと思ったが、ベルニエ伯の次男だったか。歳はいくつになる」 「は、二十歳(はたち)になりました……」  まさか自分に話の矛先が向けられるなど思ってもいなかったリュカは、飛び上がりそうになりながらもおずおずと答える。しかしオーギュストの視線がそらされることはなく、じっと見据えられたままだ。  いましがたのたった数分の対面で何か不敬や無礼なことをしてしまっただろうか。やはり教養のない自分にはこのような場は相応しくなかったのではないだろうか。そんな想いがぐるぐるとリュカの頭を巡るなか、思いがけない言葉がかけられた。 「そうか、ならばリュカ……いや、ルシアンという名が良いな。お前は今宵から私の後宮に入れ」 「え……?」  突然告げられた言葉に、リュカは何も返事ができなかった。まさかの事態が起きたからだ。  オーギュストが政治的に有能である反面性に非常に性に奔放で、就任早々に正妃を選ぶという口実で後宮を作らせたことは王族貴族だけでなく、平民にまで知れ渡っている話だ。そしてその後宮にはヴェルミエ国の内外から集められた美男美女が愛妾として侍らせられている、とも。  表向きは国の文化サロンと位置付けられているせいか、噂によれば愛妾たちは皆それぞれみな出自が確かな令息令嬢だとも言われている。だが、まさかその取り立てがこのような場で行われるなど思いもしなかった。ましてや、元が平民であるリュカに声がかけられるなど、誰が想像しただろうか。  しかし何にしても、これはリュカが逆らえるものではないことは確かなのだ。  オーギュストがそう言い放った途端、どこに控えていたのか侍女らが複数人一斉に現われ、リュカを取り囲んでいく。 「ルシアンだ。案内してやれ」  ただその一言で、リュカは侍女らに促されるまま夜会の会場の奥へと連れて行かれる。先ほどまで言葉を交わしていたはずのアルベールの姿は見えず、ただただ流されるままに歩かされ、やがて大きく厚い扉の奥へと導かれていったのだった。 「え、あの、何が、どうして……」 「オーギュスト様のご命令にございます」  有無を言わせない侍女の言葉に、リュカは唖然としたまま背を押されていく。  一体何が自分の身に起こったのか。リュカには全くわからなかった。ほんのつい先ほどまでオーギュストと旧知であるらしいアルベールという公爵と言葉を交わし、わずかながらに楽しさを覚えたばかりなのに。  いま、目の前で次々と繰り広げられているものは何なのだろう。自分はどうなってしまうのだろう。姉には、ベルニエの屋敷には何と説明されるのであろうか。  何一つわからないまま、リュカはこうしてヴェルミエ国の後宮の一員とされたのだった。

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