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第二話

 夜会から連れ出されてリュカが辿り着いたのは、王城の最奥(さいおう)に位置する白亜の建物――後宮の浴場だった。  辿り着くなりリュカは身ぐるみを剥がされ、複数人の侍女らから体の隅々を洗い清められていく。やたら香りのいい香油を下腹部に重点的に塗りこめられたところで、ようやくリュカはこれから起ころうとしていることに考えが至った。  考えは至ったが、まだ夢か誠か確信が持てない。 「あ、あの……もしかして、わたしはこれから王陛下と……その、夜伽を?」  恐る恐る背後からリュカの背を洗い流している侍女の一人に尋ねると、彼女は表情一つ変えることなくうなずいて答える。 「さようでございます。ルシアン様は今宵陛下のお相手を務めて頂きます」 「お相手!? 王陛下もわたしも男性ではないですか! それにわたしはリュカという名が……」 「陛下にとって性別は些末なものでございます。何よりルシアン様としてお支度を整えよと命じられましたので」  名前が違うとか、そもそも王の夜伽の相手をするのは女性ではないのかとか、そう言ったリュカの中で唯一の切り札とも言えた疑問の言葉はあっさりと突っぱねられてしまった。唖然としている間に浴場での支度は終わり、薄絹のやけに肌触りの良い、ゆったりとしたシャツを着せられていた。  そうして気付けば、大きな天蓋付きの寝台が部屋の大部分を占める広い寝室に通されていたのだ。 「王陛下のお相手をしろだなんて……わたしは恋人さえいたことがないのに……」  社交界に正式にデビューさせてもらえないまま二十歳のこの時まで過ごしてきたリュカには、懇意にするような相手など当然いない。ましてや自分が王の相手をするにふさわしいなどと考えたことすらなかった。  姉ならまだしも、なぜ自分が――そんな思いが頭の中を渦巻いているさなか、寝室の扉が開いて王であるオーギュストが現れた。先ほどの夜会で見かけた時よりもくつろいだ服装で現れたオーギュストは、若干酒も入っているのか、鼻歌交じりで上機嫌な様子だ。 「随分と硬い表情だな、えーっと……ルシアンだったか。お前、夜伽の経験はあるのか?」  自分がルシアンという名を賜ったことに慣れないリュカは、一瞬の間を開けて慌てて答える。全く違う名を当然のように呼ばれるのは、心の中が何かに踏みにじられるような思いがした。 「い、いえ……わたしにはそのようなたいそうな方など全く……」 「女も男もか?」 「……は、はい」  緊張で心臓が飛び出しそうなほど委縮しているリュカに対し、オーギュストは楽し気にまとっているガウンをはだけさせながら寝台に座り、傍らにたたずむリュカの手を引く。  引かれるがままリュカはオーギュストの腕の中にすっぽりと治まる形となり、まるで幼子をあやすような格好になっている。しかもリュカが緊張で身を硬くして縮こまっているせいか、オーギュストはその様子さえ愉しむように見つめている。 「そうかそうか……初めての夜伽が王である私とはなんとも幸運なやつだ」  そう言いながらオーギュストは小さく震えるリュカの手を取り、舌を這わせて笑う。その笑みは王らしい威厳があるというよりも、若い男の抑えきれない欲情の色を感じさせる。  ちゅっともう一度音を立ててリュカの細い指先に口付けてはきたものの、リュカはそれにときめくものを覚えるどころか、背筋が凍るような寒気を覚えた。 「あ、あの……陛下、わたしは、その……なにも、経験が……」 「なに、案ずるな。お前が何も知らないのであれば、私が手ほどきをしてやろう。王自らの性技(せいぎ)を会得できるなどそうそうあることではないぞ、ルシアン」  王を満足させられる自信も技術も経験もない。だからここにいるのは何かの間違いだ。そう訴えようにも逆効果なようで、オーギュストはますますリュカを抱きしめて放す気配がない。  オーギュストが言う意味がリュカにもわからないわけではない。庶子である自分なんかに王自らが夜伽の手ほどきなど聞いたこともない話だ。  しかし裏を返せば、教えられたことはすべて会得した上でオーギュストを喜ばせなければいけないのではないだろうか。王である彼を満足させられない愛妾など、後宮にいたところで何の役に立とうかと考えられる。 「これからは私に尽くすために生きよ、ルシアン」  噂で聞いた話によれば、一度後宮に入ってしまえば、ベルニエの家に戻ることは許されないという。ここで見聞きしたことは一生誰にも言わずに生きていかねばならない、とも。いわば籠の中の鳥となるしかないのだ。  オーギュストの腕の中でぎゅっと目をつぶって覚悟を決めるリュカに対し、ほどなくして何か生ぬるい感触のものが頬を撫でていった。べろりとした感触に濡れた不快感に思わず悲鳴を上げそうになる。 「うッ……ひ、ひぃ……ッ!」  逃げてはいけない、そう頭ではわかっているのにどうにも不快感が拭えない。これは夜伽の務めを果たしていくうえで耐えなくてはならないことなのだろうとわかっているはずなのに、鳥肌が立ってしまう。  やがてベタベタと触られながら寝台の上に組み敷かれ、いよいよまとうものさえはぎ取られてしまった。一糸まとわぬ姿にさせられた恥ずかしさで身を縮こまらせるリュカの腕をつかみ、オーギュストは力尽くで押し開こうとする。 「おい、もう少し力を抜かぬか。これでは何も出来んではないか」 「い、いや……いや、ああ……ッ!」 「ほれ、脚を開けルシア――」  仰向けに押し倒された上に覆い被さりながら近づいてくる大きなオーギュストの影が、リュカには何よりも恐怖に感じられた。いうなれば肉食獣に追い詰められた小動物の心境とも似ているとも言える。 「いや! やめて!」  そうした窮鼠(きゅうそ)の心持ちになっていたからか、リュカは次の瞬間身をよじって悲鳴を上げてオーギュストを押し退け、寝台から転がり落ちていく。  硬い床でしたたかに身を打ち付けた瞬間、リュカは自分がしてしまった事の重大さに気付かされたが、すべてが遅すぎた。  乱れた呼吸もそのままにリュカが床で身を起こして顔をあげたが、それをオーギュストが冷ややかな目で見下ろしている。リュカの全身の血の気が引いていくが、取り付く島もない。  ああ、このままここで斬り捨てられてしまうのかもしれない――そんな恐怖がリュカを凍り付かせていく。 「オーギュスト様! いかがされましたか!」  リュカが床に落ちた音が大きかったのか、寝室に衛兵や侍従たちが駆けつけてくる。呆然と床でオーギュストを見上げているリュカの姿に状況を察したのか、衛兵たちもそれ以上は何も手出ししてくる様子はない。 「……今宵はもう寝る。こいつを部屋へ連れて行け」  そうしてリュカは衛兵たちに牽き立てられるように、今宵から自室として与えられた部屋へと連れて行かれた。  初めての夜伽で気が動転したのだろうという温情をかけてもらったことで、リュカは即日処刑されるようなことは免れた。  とは言え、王の夜伽を拒んでしまった噂は瞬く間に後宮はおろか城内に広まってしまい、リュカは後宮に入って早々に非常にまずいものになってしまったことは想像に難くない。  オーギュストは週の大半の夜を後宮で過ごしているらしく、その相手は日によって変わる。たいていの場合は後宮の中でも特に気に入っている数名の女性の愛妾の中から一人を選んでいるようだが、ほんの時々、男妾にも指名が入ったりもする。  しかし世継を身籠るようなことがない男妾は女性の場合に比べて立場が非常に弱く、主に政治的な動機などがない限りは王の気まぐれに身を任せるしかない。女性たちがオーギュストの周りに侍る時に、給仕をする役割を担う程度で、それだって取り合いになるほどだ。  その中でもリュカは、初日の大失態があるために取り立てて立場が悪いと言えた。 「オーギュスト様はお優しいよねぇ、手ほどきをしてやろうとしたのを突き飛ばしたやつを手打ちにもしないなんて」 「ホントホント。それなのに肝心のそいつはちっとも役に立とうとしないけどさぁ」  後宮の建物は大きく男女二手に分かれており、そこから更に個室を宛がわれている。オーギュストが後宮に訪れるのは主に夕方以降であるため、昼間は建物の中央にある応接間のような広間で過ごすこともある。そこは昼間であれば上級貴族らを招いてサロンとして開放され、夜になればオーギュストが愛妾たちを集めて宴を開く場所だ。  しかしそこは主に昼間は古株の愛妾たちがたむろしており、こうして陰口を叩かれてしまう。だからリュカはほとんどの時間を広間の隅で小さくなって過ごすしかなかった。  夜伽の前には広間で酒宴が催され、愛妾たちがもてなしをすることになっている。そうして過ごす中でその晩を共にする相手を選び、個室で過ごすのが決まりだ。リュカが初日に王の寝室に呼ばれたのはかなりの厚遇だったと知ったのは随分後になってからだ。 (それを知っていたなら、わたしはあんな振舞いをしなかっただろうか……)  後付けで色々と考えたところで、リュカの後宮での立場が覆ることはない。起こしてしまった事態は自分に(とが)があるからだ――日々そう過去の自分の行いを悔いながら、リュカは後宮でうつうつと過ごしていた。  役に立てずに周囲から厄介者扱いされるのはベルニエの屋敷にいた頃から慣れていたはずだ。庶子であるせいで特に義母のあたりは強く、それに伴い子ども達の態度も冷たいものであったのだから。 (まあそれでも、いくばくかの支度金が払われたらしいから、義母上(ははうえ)たちも少しはお喜びになってくれただろうか)  自分が役に立てたことなんてその程度。その金さえ支払われてしまった以上、後宮でどう振舞って役に立てるというのだろう。初日の夜にあのようなことになってしまい、王には振り向いてさえもらえない日々だというのに。 「ルシアン様、オーギュスト様がお呼びでございます」 「え、わたしを? 他の誰でもなく?」 「はい、是非にと」  宴の時間だったがぼんやりうつうつと一人自室で考え事をしていたある日の晩、突然従者から声がかかった。  夜になればオーギュストが後宮にやってきて、愛妾を幾人か選んで酒宴をもよおすことになっている。しかし呼ばれる愛妾の中にリュカが入れることはこれまで一度もなく、ただ一人部屋で過ごすことが多かった。呼ばれたとしてもそれは給仕役でしかなかった。  それなのに、今宵はわざわざ指名の声がかかったのだ。酒宴に呼ばれたとなれば支度をせねばならない。リュカは侍女たちに手伝ってもらうこともなく、一人で慌ただしく身支度を整えてオーギュストの待つ広間へと急いだ。 「おお、来たかルシアン」  薄紅のやわらかな布を身にまとって広間に駆けつけると、さっそくオーギュストがリュカを手招きする。機嫌よくリュカの名――これは貴族名というものであろう――を呼ぶ声に体が強張りそうになる。  長椅子にくつろいで座るオーギュストの傍には、いつものように他の愛妾の姿があった。そしてもう一人、あまり後宮では見ない客人がオーギュストの向かいに座っている。 (夜にサロンを開かれるなんて珍しい。もしかして何か他の用があるのだろうか)  これまで一度だって招かれたことがない宴に呼ばれるなんて何事だろうか。とうとう処罰でも言い渡されるのだろうか。  内心針山に座らされたかのように生きた心地がしないリュカであったが、オーギュストが呼んだ理由は全く違うものだった。 「お前を呼んだのはほかでもない。お前に夜伽の手ほどきをしてやるためだ」 「わたしに、ですか?」 「お前は最初の夜に私を拒んだからな」  苦笑気味にオーギュストがそう言うと、傍に侍る愛妾もまたくすくすと嗤う。あの夜の話を知らぬ者は城内にはいないため、リュカはいたたまれずにうつむいてしまう。 「その節は、大変申し訳ございませんでした。お咎めであれば、何なりと受けますので――」 「ああ、だからな。そいつといまからここでまぐわえ」 「……へ?」  オーギュストの言葉にリュカが瞬くのも忘れて顔をあげると、オーギュストが|顎《あご》で指している相手――後宮では珍しい客人に向けられていた。  他愛ない事のように口にされたことであったが、王であるオーギュストの言葉であれば命令と同じであることは、リュカにも十分わかっている。だが、その内容が理解できず唖然とするしかなかったのだ。

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