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第2話 運命と出会った日

 その日は千歳が所属する新聞部の活動として各部活のルーキーを取材して回ることになっていた。千歳は同じ新聞部の田辺(たなべ) (みなと)と一緒にバスケットボール部を担当する。 「えーっと、バスケ部に今年入部した一年生は五人。その中でも注目は佐久間(さくま) (るい)。イギリスとのダブルらしくって、モデルもやってるそうだよ。もちろん、見た目だけじゃなくて、中学時代は全国大会ベストエイトだ」  分厚い前髪がかかる太い黒ぶち眼鏡のフレームを指先で摘まみながら、先に調査しておいたメンバーリストを湊は得意げに読み上げる。それに軽く相槌を打ちながら千歳は聞いていた。 「おまけに上位種のαらしい」 「上位種?」  αの中でもヒエラルキーがあるらしく、特に強いα因子を持つαは“上位種”と呼ばれ、他のαを圧倒できるほどの強力なフェロモンを持つのだという。  そんな上位種とされるαは、ただでさえ少ないαの中でさらに数パーセントだけの希少な存在だ。 「なんでそんなすごいαが、うちみたいな普通の学校にいるの?」 「さぁ?そのあたりもインタビューのときに聞いてみたらいいんじゃない?」  こうして、千歳は湊と二人でバスケ部が練習を行っている体育館へと向かった。  それがすべての始まりだった。  雨の季節が近づき、少しだけ空気が蒸す体育館の中では、複数の部活動が練習を行っていた。  千歳の在籍する高校は生徒のほとんどがβで、部活動は弱くも強くもなく、学力も低くも高くもない。のんびりした校風が売りの、至って“普通の学校”である。  もちろんαもいるが、比較的庶民的な家庭の出身者ばかりで、それこそ『αだ』と意識してしまうほどの圧倒的な存在はいない。  でも、千歳は累を一目見て、『αだ』と思った。  それは紛れもなく、千歳の中にあるΩ性によるものだった。 「おい、千歳、千歳ってば!」  湊に呼びかけられ、ようやく目の前にいる累に目を奪われていたことに気が付く。その緑がかったヘーゼルの瞳に、まるで囚われたかのように目が離せなくなっていた。 「あっごめん。えっと、新聞部三年の七海(ななみ) 千歳(ちとせ)です。今日はよろしくお願いします」  千歳は動揺を悟られないように笑顔を作り、インタビュー相手であるバスケ部の一年生たちに挨拶をする。でも、累は先ほどの千歳と同じように、千歳の顔を凝視したまま返事をしない。 「ちょっと、佐久間!ガン見しすぎだよ!」  横にいた同じバスケ部の一年生に小突かれ、累は軽く頭を下げた。それでも、千歳を凝視したままでいる。その視線に、千歳の手には汗が滲み、動悸が収まらない。緊張なのか、不安なのか、その理由は千歳にもわからなかった。  累を小突いた一年生は、所沢(ところざわ) (ゆう)と名乗った。他の部員に比べ圧倒的に小柄な所沢は、プレイヤーではなくてマネージャーとして所属しているのだという。  大きな黒目が印象的なかわいらしい顔立ちの所沢からは、その顔立ちに合った甘くて華やかな香りがする。  ところが、その香りが漂ってくるなり、ひたすら千歳を見つめていた累は手で口と鼻を覆い、眉をひそめて所沢を睨みつけた。 「おい、匂い漏れてる」 「え、うそ。ごめーん。だって七海さんすごい素敵だからつい、うっかり」  αを誘うΩのフェロモン。所沢から漂うその香りは、まさにそれだった。  自分ではあまりピンと来ていないが、千歳は他者から見ると整った見た目をしているらしく、背もそれなりに高いことからよくαと間違えられる。どうやら所沢も千歳をαだと勘違いしたようだ。  フェロモンが本人が言う通り「うっかり」出てしまうものなのかどうかは、『未確定』の千歳にはわからないが。 「確かに千歳は見とれるくらい美形だし、頭もいいけど、βだよ」 「えっ?!」  湊の言葉に驚いて声を上げたのは所沢ではなく、累だった。でも、そのまままた黙ってしまったので、代わりのように所沢が話を繋ぐ。 「うそ、αじゃないの?! 」 「あはは、たまにそういわれるんだけど、βだよ。フェロモン感じないでしょ?」 「うーん? でも……」  何か気にあるところがあるのか、意味ありげに千歳を上から下へと眺めながら所沢は首をかしげている。その様子に千歳の心臓が少しだけ不安に震えた。  ――まさか、匂いが漏れて…?  そう思いかけて心の中で首を振る。ここに来る前、きちんと抑制剤を飲んできた。もちろん、Ω用の。  普段は飲む必要はないが、ヒートが近いことと、累が上位種のαだと聞き、万が一を考えて服用したのだ。だから、匂いが漏れるはずはない。  そもそも千歳の匂いを”Ωフェロモン”であると感じ取れる人なんて、これまでいなかった。だから、大丈夫。  動揺を悟られないようににこりと笑顔を向ける。すると、所沢はちらりと湊のほうに視線を向けた後、「あぁ」と一人何か納得したように頷き、千歳と同じようににっこりと笑顔を作ったみせた。 「すいません、抑制剤飲んでるのかなって思って。佐久間みたいに」 「βの僕にはわからないけど、抑制剤飲んでいてもわかるくらい、所沢くんのフェロモンは魅力的なんだね」 「僕、Ω因子が強いんでついつい漏れちゃうんですよねぇ。まぁそれでも佐久間には全然効かないどころか、いつもすごい嫌な顔されちゃうけど」  所沢から漏れ出ていたフェロモンは、発情を促すほどではないにしても、αが無意識に惹かれてしまうくらいの効果はあるはずだ。  それなのに、先ほど所沢の香りを嗅いだはずの累はあからさまに不快そうな顔をしていた。  匂いにも相性があるんだろうか。まぁたとえそうであっても自分には関係のないことだ。  千歳は深く考えないことにして、累へのインタビューを始めた。 「佐久間くんは、中学ではスタメン選手として全国でベストエイトに輝いていますよね。もっと強豪校からの声もかかっていたと思いますが、うちの学校を選んだのには何か理由がありますか?」  千歳は答えを待つが、累はただじっと千歳の顔を無表情で見つめているだけで、何も答えない。というか、顔を合わせてからずっと千歳を見ている。光の加減で緑色の色味が変わるヘーゼルの瞳に真っすぐと見つめられると、なぜかそわそわしてしまう。ごまかすように視線を外しながらもう一度累へ声をかけた。 「もしかして、事情があって答えにくかったかな……」 「あっいえ、すみません。実は膝を壊してしまって、フルで試合に出ることができないんです。それでもバスケ部に来てほしい、って監督が言ってくれたので、ここに来ました」  累の言葉に千歳ははっとして、視線を累へと戻す。その顔に暗さがないことを確認して、千歳は胸をなでおろした。  体を壊すということはスポーツ選手にとっては致命的な問題だ。膝を壊しているのであれば、長時間走ることは難しいのだろう。おそらく試合に出ることは叶わない。  でも、この学校の監督は、累の技術とバスケへの情熱を見込んで、ぜひバスケ部に来てほしい、と言って累をこの学校に誘ったのだという。 「サポートがメインにはなってしまうけど、やっぱりボールを触っていたいので、こうして練習に参加させてもらえるのはすごく嬉しいです」 「そうなんだ。佐久間君はバスケが本当に好きなんだね」 「はい」  短く返事をして、先ほどまでの無表情を少しだけ崩して、照れたように笑う累に、千歳の胸がドキッと強く跳ね、またその瞳に魅入ってしまう。  それと同時に、千歳の背中をザワザワと這うような熱が一瞬こみ上げた。  それは本当に一瞬のことで、すぐに体は何事もなかったように正常に戻った。でも、過去にこんな感覚を覚えたことはない。初めてのことに、千歳は焦りを覚えた。  αの存在はΩ因子を刺激する。上位種である累は特にそれが顕著なのかもしれない。もしそうならば、累と長い時間接しているのは危険だ。そう考えた千歳はインタビューを早めに切り上げることにした。 「えっと、インタビューはこのくらいでいいかな。ありがとうございました。あとは練習風景とかを何枚か写真撮らせてもらうね」  ――とにかく早く離れないと。    撮影を湊に任せ、逃げるようにして体育館から出ると、千歳は人気のない廊下まで走った。  初めて会った上位種のα。  目が合った時から、今までに経験したことのない衝動を感じた。それは確実に本能に働きかけるものだった。  さっき感じた熱はもう消えたはずなのに、まだ内にくすぶっているような気がする。千歳は自分を抱きしめるように腕に回した手にぎゅっと力をこめると、その場でうずくまった。  とにかく、累にはもう近づかない方がいい。  そんな千歳の決心は、後ろから聞こえてきた声ですぐに打ち砕かれてしまう。 「七海さん?! どうしたんですか!」  さっきまで聞いていた千歳よりも少し低い声。なんで、と振り返る間もなく、その声の主は慌てた様子でこちらへと駆け寄ると、座り込む千歳の腕を掴んだ。  その瞬間、その一瞬。電流のように駆け上がってきた衝動に千歳は気づいた。気づいてしまった。  ――この人は、僕のαだ。  千歳は前回の検診時に高坂から言われた言葉を思い出し、体の温度が一気に下がっていく。 『運命の番に出会ったりしない限りは大丈夫だと思うよ』  逆に言えば、運命の番に出会ってしまえば、千歳の中にあるΩ因子は間違いなく増えてしまう。  千歳はΩになることを全く望んでいない。それどころか恐れている。  でも、出会ってしまった。  千歳はΩになんてなりたくない。  でも、体中が叫んでいる。目の前にいるこの男は自分のαなのだと。運命の番なのだと。  まるで火の中にいるように体は熱いのに、心の中にはブリザードが吹き荒れている。どうすればいい、どうしたらいい。体と心がちぐはぐで、体も頭もうまく動かない。  それでも早く、累から離れないと。怯える心をなんとか奮い立たせて立ち上がった千歳は、累の腕を振り払うと後ろに下がって距離をとった。 「大丈夫。落としたものを拾っただけだから」  声は震え、心臓はうるさいほど高鳴っている。顔があげられない。だって、目を合わせたら……。  千歳が下を向いたまま動けずにいると、トンっと軽い足音が聞こえた。  咄嗟に顔を上げると、いつの間にか目の前に来ていたヘーゼルの瞳が千歳をとらえていた。 「ねぇ、七海さん。七海さんは本当にβ?」 「……っ!」  千歳の頭の中に『まずい』という言葉がこだまする。このまま累といれば、運命の番との遭遇に悦ぶ千歳の体はフェロモンを出して、αを誘うだろう。  気づかれる前に、悟られる前にこの場を去らなければいけない。 「ごめん、僕急いでるから」  千歳は咄嗟に走りだし、その場から逃げた。  累とは学年も違うし、普通に生活していれば接点はないはずだ。現に、累がこの学校に入学した四月から今日までの二カ月以上、一度も会うことはなかった。  だからきっと大丈夫、千歳はそう自分に言い聞かせるしかなかった。

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