5 / 47
【二、伝説の巫女】湯滝村のしきたり
昨夜まで降り続いていた雪がやみ、軒先や道端に積もった新雪が朝日を浴びて輝いている。
「じゃあ、母さん、いってくるね」
「いってらっしゃい」
椿屋を出ると身を切るような風の冷たさに思わず身震いをする。凪の吐き出す息がまるで湯煙のように空へと昇っていった。
「あー、寒い!」
凪の両親が宿屋の客に朝食を振舞っている間に、家族の汚れ物を洗濯するのが凪の役目だった。
湯花神社の源泉から沸き上がった温泉は、神社の境内を通って村の真ん中を流れる川となる。
湯滝村はその川を境に左右に分かれていて、赤くて大きな橋が二つに離れた村を繋いでいた。橋は川にいくつも掛けられており、両端には温泉宿に土産物屋、飲食店が所狭しに立ち並んでいる。
昼は美味しい食事に舌鼓を打ち、美しい街並みを眺めつつ温泉で疲れを癒す。湯花神社へと足を運ぶ旅人も多い。夜になると、飲み屋が賑わいを見せる。店先に並べられた提灯に火が灯ると村の雰囲気は一変し、それは幻想的な世界となった。
凪の両親が営む椿屋は、湯滝村の中でも古く、いつも多くの客で賑わっていた。
湯滝村の温泉は青色をしているのが特徴だ。それは晴れ渡った空のように美しく透き通っている。つるつるした手触りで、疲労回復、神経痛に効果があるとされており、その効果を期待して遠くから湯を求めてくる客も多い。
しかし、そんな湯滝村に大きな変化が訪れている。
それは昨年の夏の出来事だった。湯花神社から湧き出る温泉の量が徐々に減ってきたのだ。
湯の温度も下がり、湯花神社を包み込んでいた湯煙はいつからか消えてしまった。湯滝村を流れる川の水位も下がり、硫黄の香りを放ちながら豊かな湯量を称え、飛沫を上げ流れる光景を、今は見ることができない。
そのせいか、村を訪れる旅人の数は減り、椿屋も少しずつ宿泊客が減っている……。なにもそれは椿屋だけではなく、湯滝村全体に言えることだろう。
直接両親から聞いたわけではないが、凪は幼いなりにそれを感じ取っていた。
「源泉から湧き出る温泉がどんどん減ってきているではないか!?」
「一体どうなってるんだ? このままでは源泉は枯れてしまう……」
「そうだ、巫女は? 湯花神社にいる巫女は一体何をしているのだ⁉」
その頃から、村人たちが顔を突き合わせて討論をしている場面をよく見かけるようになった。そんな光景を見た凪は、大の大人たちが一体何を喚いているんだ……と冷ややかな視線を送っていた。
村人たちは口々に「源泉の湯の量が減ったのは巫女のせいだ」と声を荒げている。凪は大人たちの言う、巫女というものがよくわからなかった。
「なぁ、ばあちゃん。湯花神社には巫女さんがいるのか?」
「あぁ、巫女様ね。いるわよ。湯玄様と一緒に、源泉を守ってくれているの」
「そうなんだ……」
一生懸命漬物を漬けている祖母に問うと、祖母が嬉しそうに微笑む。それから、凪に湯花神社にいる巫女の話をしてくれたのだった。
湯滝村には古くから伝わる「しきたり」があるらしい。
このしきたりを凪が初めて知ったときには、なんだ、それ……と眉を顰めたことを今でも覚えている。そのしきたりとは、決して気持ちのいいものではなかったのだ。
湯滝村に伝わるしきたりとは、二百年に一度源泉が枯れるのを防ぐために、村で一番美しい若い娘を湯玄に「花嫁」として捧げる……というものだ。花嫁に選ばれた娘は湯玄の元へと嫁ぎ、体を差し出すことで生気を貢ぐことが役目とされている。
花嫁を差し出すことで、湯玄は湯滝村に湯を授ける……これが古来より引き継がれている湯滝村の伝統なのだ。
役目を終えた花嫁は湯花神社に戻り、巫女としてその一生を終えることとなる。湯玄とまぐわい神力の影響を受けた巫女は、普通の人間より長く生きることができるとされていた。
祖母から巫女の話を聞いた凪は、伝説の巫女と呼ばれる存在が気になってしょうがない。
――巫女ってどんな人なんだろうか?
凪は、どうしても一目巫女を見たいと思い立ち、神社の本殿へと向かったことがある。
凪が湯花神社の本殿を覗き込むと、薄暗い部屋の中にはいつも一人の女性が座っていた。その不思議な佇まいに、はじめは声をかけることもできず、逃げ帰ったりして。
またある日、やはり気になっていた凪は本殿の中に彼女を見つけるものの、どうしたらいいかわからず立ちすくんでしまう。すると、見ず知らずの凪に対し彼女は、「よく来てくれたわね」とまるで旧知の友にかけるような優しげな声で、迎えてくれたのだった。
彼女の凛としたよく通る声に、凪は感動さえしてしまう。声からして、凪よりだいぶ年上なのかもしれない。
びっくりしてしまった凪は、それ以上まともな会話なんてできなかったけれど、自分に向かい微笑んでいるだろう女性の面影にどことなく寂しさを感じたのだった。
それから凪は巫女の元へと通うようになる。凪が「お邪魔します」と声をかけると「また来てくれたの?」と、本殿の奥から嬉しそうな声が聞こえてくる。それからというもの、凪は巫女と他愛のない会話を楽しむようになった。
凪が生まれた椿屋のこと、凪が好きなお菓子のこと……巫女はまだ幼い凪の話をとても楽しそうに聞いてくれる。両親はとても忙しく、一人で過ごすことが多かった凪にとって、巫女は友達のような親しい存在に感じられた。
「凪は不思議な力を持った子ね?」
「え? 不思議な力? そんなの感じたことはないけど……」
「まるで湯玄様に近い……そんな力を持っているように感じられる」
「湯玄様に? じゃあ俺ってすごい!?」
「ふふっ、そうね。凪はきっとこの湯滝村を救う力を持っているのかもしれないわね」
薄暗い本殿にいる巫女の表情はよく見えないけれど、とても楽しそうに笑っているように感じる。そんな巫女と会話をすることが、凪はとても楽しかった。
それと同時に、巫女の元を訪れる度に心が締め付けられる思いがする。この人は、湯玄様のお嫁さんになったんだ……そう考えると、もやもやしてしまうのだ。
自分は男だから巫女になることはできない。凪は目の前にいる巫女に嫉妬してしまう。それでも、どこか寂しそうな巫女の元へと、凪は通い続けたのだった。
季節は巡り冬を迎え、年を越した今も湯量は変わらず少ないままだ。
凪はたくさんの洗濯物を抱え、橋の下を覗き込む。
相変わらず鼻をつく硫黄の香りに、むわっと立ち上る湯煙。それでも、明らかに川を流れる湯量は減ってきている。凪はそれがとても悲しかった。
「あ、そんなことより洗濯しないと」
凪は慌てて洗濯場へと向かう。
凪が普段洗濯している場所は、川から引いた温泉が溜められている炊事場だ。湯滝村は温泉があるため、冬でも洗濯や炊事で冷たい思いをすることはない。とても恵まれた環境なのだ。
洗濯をするときも、汚れた食器を洗うときも手がかじかむこともない。これも一重に、湯玄様のおかげなのだと思えば、凪の心は熱くなる。
「もう一度、湯玄様に会いたい」
凪はいつもそう思いながら、過ごしてきた。それでも、両親や祖母の言いつけを守らなければと思うと、一人で源泉に行くことなどできるはずもない。
「会いたい。もう一度、会いたい」
凪の小さな声は、再び降り始めた雪が静かに掻き消していった。
ともだちにシェアしよう!

