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花嫁を貰いに
「初恋、か……。其方は変わらず可愛いな」
「な、なんだよ、それ……」
湯玄がフワリと微笑んだものだから、凪は言葉を失ってしまう。湯玄は悔しいけれど、見惚れてしまいそうな程容姿端麗だ。あれから四年もたったけれど、その姿は全く変わっていない。湯玄はあの時と変わらず、美しいままだ。
そんな笑顔を向けられてしまえば、何も言い返すことなんてできるはずがない。頬が少しずつ熱を帯び始めた凪は、思わず湯玄から視線を逸らした。
「其方も見てわかる通り、源泉が枯れ始めている。源泉を復活させるためには、花嫁の生気が必要だ。だから凪、私の元へ嫁に来い」
「だから嫌だって言ってんじゃん!」
「本当に強情な奴だ。手遅れになるぞ?」
「どっちが強情だよ? あんたは強情な上に女たらしだ」
「其方は……私は仮にも湯の神だぞ?」
「神だと? 悔しかったら源泉を今すぐ元通りにして見せろよな」
凪が湯玄を睨みつければ、口角を上げて「くくっ」と愉快そうに笑った。そんな余裕に満ち溢れた姿に、凪は憤りを感じてしまう。
「ならば、私が椿屋に出向くとしよう。花嫁を貰い受けにな?」
「あんたが椿屋に? 湯の神が人里までおりて、花嫁を貰いに来るなんて、聞いたことがねぇよ」
「仕方がないだろう? 誤解をしている花嫁の機嫌が直らないのだから、私が直々に出向くしかないだろう?」
「馬鹿言うな! 大体、神様が人の世界におりてくるなんて……あり得ないだろう?」
「そうでもないぞ? 私が椿屋にいれば、きっと面白いことが起こるはずだ」
面白いことってなんだ? 凪がそう湯玄に問いかけようとした時、頬に湯玄の温かな吐息がかかる。「凪」と名前を呼ばれたから咄嗟に顔を上げると、満面の笑みを浮かべた湯玄と視線が絡み合う。
「今すぐ源泉を元通りにすることはできないが、少しの間だけなら温泉の量を増やすことはできる」
そう耳打ちされた凪は、くすぐったくて思わず肩を上げた。頬にそっと湯玄の唇が押し当てられる。
あ……と、思う間もなく、凪の唇と湯玄の唇が柔らかく重なった。その温かくも甘い感触に、凪の心臓が高鳴る。咄嗟に湯玄の唇から逃げ出せば、追いかけられていとも簡単に捕まってしまう。凪は、無我夢中で湯玄の口付けを受け止めた。
その瞬間、湯石が一気に熱を持ち赤い光を放ち始める。それと同時に、地響きが起こり大地も大きく揺れ始めた。
「来るぞ、私に捕まっていろ」
「来るって何が……わぁぁぁ‼」
ゴゴゴゴッと何かが突き上げてくる感覚と共に、間欠泉が勢いよく吹き出した。辺りは一瞬で湯煙に包まれ、肌が焼けるように熱くなる。息苦しくて、体中が燃えるように熱い。凪は必死に酸素を求めて口を開いた。
「凪、私から離れるな」
まるで自分を守るかのように強く抱き締めてくれる湯玄に、凪は必死にしがみついた。不思議なことに、湯玄に体を寄せた瞬間、息が楽にできるようになり、燃えるような熱さもすっと消えていく。嘘のように体が楽になった凪は、そっと湯玄から体を離し、その顔を見つめた。
「すごいな、口付けだけでこの威力か」
「これ、湯玄様と俺の力……なのか?」
「そうだ。口付けから、お前の生気を吸い取ったのだ」
凪が辺りを見渡すと、源泉からは以前のように湯がとめどなく溢れ出し、滝は囂々と大きな音をたてながら滝壺めがけて落ちている。久しぶりに感じた硫黄の香りを、控えめに吸い込んだ。
「今日は、口づけだけで我慢してやる。でも、いつかお前を抱いてちゃんと生気をいただくからな」
「だ、抱く……⁉」
「そうだ。其方は私の花嫁だ。夫が花嫁を抱くのは当然だろう?」
凪は恥ずかしさのあまり目を泳がせると、形のいい湯玄の唇が視界に飛び込んでくる。薄くて椿の花ように赤い湯玄の唇は、温かくて柔らかかった。初めて経験した口付けに、凪は胸の高鳴りを抑えることができない。
「其方、口付けは初めてだったか?」
「……うん……」
「そうか。其方は何から何まで可愛らしいな」
湯玄が愛おしそうに微笑んでから、凪の頬に自分の頬を寄せる。
「其方を貰いに、椿屋に出向く。それまで待っておれ」
凪の耳元で、湯玄がそっと囁いたのだった。
翌朝、目を覚ますと見慣れた天井が広がっていた。凪はいつの間にか椿屋へと戻ってきていたようだ。
「ん、朝か……」
閉じられた障子から、うっすらと朝日が差し込んでいる。近所の鶏が朝も早くから元気に鳴いている様子が聞こえてきた。
昨夜の出来事は夢だったのだろうか? 自分は本当に湯玄と口付けを……。
嫌にはっきりとその情景が頭の中に浮かんできたものだから、恥ずかしくなった凪は、頭から布団を被ろうとした。
「ん? なんだ?」
その時、凪は自分が温かなものに抱き締められていることに気付き体を強張らせた。凪は逞しい腕を枕に、その者の腕の中で今まで眠っていたようだ。
恐る恐る自分を抱き締める者の正体を確認すると、それは気持ちよさそうに眠っている湯玄だった。
――なんで、俺は湯玄様と一緒に寝ているんだ?
困惑した凪はひとまず湯玄の腕から抜け出そうと体を起こした瞬間……力強くて、温かな腕の中に再び囚われてしまう。凪が湯玄の様子を窺うようにそっと顔を上げれば、そこには目を疑う程美しい男が自分を見つめて微笑んでいた。
「何をそんなに驚いているんだ? 其方を貰いに行く、と約束しただろう?」
「あれって、本当だったのか?」
「当り前だ。私は嘘つきなどではない。約束はきちんと守る主義なのだ」
「だからって、こんなこと……」
「ふふっ。照れている姿もまた愛らしい。さて、顔でも洗ったら、其方の両親に挨拶に参ろう」
そう言いながら湯玄は楽しそうに微笑んだが、凪にはこの状況が理解できていなかった。
着物は乱れていないから、きっと一線は超えていないはずだ。とりあえず凪はほっと胸を撫で下ろす。かと言って、自分の煎餅布団に湯玄と二人きりでいるということが、凪には理解することができないのだ。
「両親に挨拶って?」
「ん? 花嫁を貰いにきたんだ。両親に挨拶をしなければ、失礼に値するだろう?」
「そ、それって……」
「お宅の息子さんを私にください、と、頭を下げるんだよ」
ふぁ……と呑気に大きな欠伸をしている湯玄の顔を見て、凪は唖然としてしまう。
このとき気付いてなどいなかった。凪の運命が大きく動き出していたことに……。
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