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花嫁を守るために
「あの黒い獅子が本当の湯玄様の姿……湯の神の正体は、獅子だったんだ……」
凪はポツリと呟く。あまりにも信じられない光景を目の前に、二匹の獅子を呆然と見つめた。
「湯庵、福寿村を復興させたいというお前の気持ちは痛い程わかる! だが、凪を渡すことはできない!」
「黙れ‼ 湯石だけでなく、源泉まで失った僕の気持ちなど君にわかるものか⁉」
湯玄が天地を揺るがすような遠吠えをしたあと、湯庵に向かい突進していく。そんな湯玄を、湯庵は臆することなく待ち受けた。
ガンッ‼ 大きな獅子同士がぶつかる音に大地が大きく轟く。
「目を覚ませ! 湯庵!」
「グハァッ‼」
湯玄が湯庵の首筋に勢いよく噛み付くと、ゴリゴリッという骨が砕けるような耳障りな音が響く。湯庵は断末魔を上げた。
二匹の死闘は、一見湯玄が有利に見えた。しかし、獅子となった湯玄はフラフラしており、今にも倒れてしまいそうなほど荒い呼吸をしている。
神力が底を尽きそうな湯玄は、もう湯庵と戦う力も残されていないのかもしれない。
それでも湯庵を睨みつけ、今にも地面を蹴り飛び掛かっていきそうな勢いだ。
「僕だって湯の神だ。この村が、この源泉が、昔のような姿を取り戻してくれることを、ずっと願ってきた。そしてその夢が今叶いつつある。この源泉を復活させるためなら、俺は邪神にだって魂を売ってやる」
「湯庵、貴様……」
「凪は僕の花嫁だ‼」
「黙れ‼ 凪は、凪は私のものだ——⁉」
湯庵が勢いよく地面を蹴り飛ばし、湯玄に向かい突っ込んでいく。逃げ遅れた湯玄の首筋に牙をたてると、まるで間欠泉のように血飛沫が飛び散った。
「グワ゛ァァァッ‼」
湯玄が耳をつんざくような悲鳴を上げる。しかし最後の力を振り絞り、湯庵の体をなぎ倒した。
「湯玄様⁉」
凪が慌てて湯玄のほうへ向かうと、湯玄は天を見据えている。そのボロボロに傷ついた体でまだ戦おうというのだろうか? 止めないと……凪は無我夢中だった。
「駄目だ、湯玄様⁉ 行かないで⁉」
そのまま空高くへ飛び上がっていってしまいそうな湯玄の元へと駆け寄り、凪はその首にすがりついた。凪の着物が、一瞬で湯玄の温かい血液で染まっていく。その光景を見た凪は、ギョッと目を見開いた。
「湯玄様、もう戦ったら駄目だよ。これ以上動いたら傷口が開いて、もっとたくさんの血が出ちまう。だから、もうやめてくれ」
抱き締める獅子はひどく逞しくて、猛々しい。凪なんて簡単に吹き飛されてしまうそうだ。荒い呼吸を繰り返す湯玄は、今にも食われてしまいそうな程恐ろしい容姿をしているのに、その黒い瞳はいつもの湯玄のものだった。
それを見て凪は安堵する。
――よかった。この獅子は本当に湯玄様だ。
愛おしさが込み上げてきたから、凪は湯玄を力いっぱい抱き締めた。
「もう行かないで、湯玄様」
「……それはできない」
「なんで!? このままじゃあ、湯玄様が死んじゃう⁉」
凪が湯玄から少しだけ体を離すと、獅子は穏やかな声で言葉を紡ぐ。また湯玄が湯庵の元に行ってしまうのではないか……それが怖くて、凪はもう一度湯玄を強く抱き締めた。
「其方は私の花嫁だから」
「……花嫁……」
「あぁ、そうだ。私はこんなにも花嫁を愛おしいと感じたことはない。今までの私にとって、花嫁とは源泉を枯らさないためだけのものだった。それ以上でも、それ以下でもない。でも、凪……其方は違う。私は其方が愛おしくて仕方がないのだ」
「湯玄様、でも……」
「だから、私は其方を守るために湯玄を仕留めなければならない。凪はこの私だけの花嫁なのだからな」
そう囁いた湯玄が、凪の顔を大きな下でペロッと舐めてから、凪の体に頬ずりをする。大きな獅子に擦り寄られた凪は、あまりの力強さに倒れそうになってしまった。
「だから私は行く。凪はここにるんだ。巻き込まれてしまったら大変だ」
「でも……」
「いいか? ここで待っていろ。必ず迎えに来るから」
そう言い残すと、湯玄は再び空高くを見上げる。力強い前足で地面を蹴り空高くへと飛び上がった。
それを追うように湯庵も空へ駆け上がっていく。二匹の獣はまるで光の矢のように絡み合いながら、湯滝村のほうへ消えていってしまったのだった。
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