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第1話 男前な侍女に、王子は一目惚れ

「また、しなかったのですか!」 朝一番、王城の私室に王妃の声が響いた。 窓辺の長椅子に座っていたフィルは、肩をびくりと揺らした。 「母上。朝から、その言い方はやめてください」 「昨夜は十二人です」 「僕は頼んでいません」 「十二人もの美しい令嬢を集めて、一人とも寝室へ連れていかなかったと?」 「集めたのは母上です」 「選べなかったのですか」 「選ぶ気がありませんでした」 フィルは膝の上に置いた本を閉じた。 細身で、淡い金色の髪を持つ、美しい青年だった。 王子らしく仕立てられた衣装を着ているが、怒れる母親を前にした姿は、獲物を前にした小鹿に近い。 王妃はこめかみを押さえた。 「フィル。王家には世継ぎが必要なのです」 「分かっています」 「分かっていて、どうして何もしないのです」 「好きでもない相手とは無理です」 「最初から好きである必要はありません。話して、踊って、食事をして、夜を共にすれば、情も湧くでしょう」 「順番がおかしくありませんか」 「あなたが何もしないからです!」 フィルは本を胸元へ抱えた。 王妃は悪い人ではない。 フィルを立派な王にしたい。 王家を絶やしたくない。 国の未来を守りたい。 その思いが強すぎて、息子の気持ちを馬車の後ろへ置き去りにしているだけだ。 「もっと男らしくなさい」 また、その言葉だった。 フィルは目を伏せた。 「……努力はしています」 「女性一人選べず、何が努力です」 「十二人に囲まれたら、誰だって逃げたくなります」 「普通の男は喜びます」 「僕は普通ではないようです」 王妃はしばらく息子を見つめ、やがて大きく息を吸った。 「分かりました」 フィルが顔を上げる。 嫌な予感がした。 「今度は国中から集めます」 「何をですか」 「年頃の女性を」 「どうしてそうなるんです!」 「この城にいないのなら、国中から探せばよいのです」 「十二人で駄目だったものを増やさないでください!」 「大舞踏会を開きます」 「母上!」 王妃はもう聞いていなかった。 扉を開け、待機していた侍従へ命じる。 「国中へ御触れを。身分を問わず、年頃の未婚女性を城へ招きます」 「承知いたしました」 「承知しないでください!」 フィルの声を置き去りに、王妃は颯爽と部屋を出ていった。 扉が閉まる。 フィルは本を抱いたまま、長椅子へ沈んだ。 「……国中」 **** その御触れは、王都から遠く離れた小さな村にも届いた。 「お城の舞踏会ですって」 長姉が紙を広げる。 「身分は問わないって、本当かしら」 次姉が横から覗き込んだ。 古びた家の食卓には、豆のスープと固いパンが並んでいる。 屋根は先月直したばかりだが、窓枠はまだ少し歪んでいた。 暖炉の前では、薪を抱えたシンデレラ、通称シンが話を聞いていた。 背が高く、肩幅が広い。 日に焼けた肌と、短く整えた黒髪。 袖をまくった腕には、働いてきた男の筋が浮いている。 「行きたいのか」 姉二人が同時に黙った。 「別に、王子様に見初められたいわけじゃないのよ」 長姉が言った。 「ただ、一度くらい、お城で踊ってみたいなって」 次姉も頷く。 「どんなドレスが並ぶのか、見てみたいし。王都の仕立てを近くで見られる機会なんて、もうないかもしれないもの」 シンは薪を暖炉脇へ積んだ。 「行ってこい」 「簡単に言わないで。ドレスなんて買えないでしょう」 「何とかなる」 シンは棚の奥から、小さな革袋を取り出した。 食卓へ置く。 硬貨が重い音を立てた。 姉二人の顔色が変わる。 「シン。これ」 「ドレスを仕立てるには足りるだろ」 「駄目よ」 長姉が革袋を押し返した。 「あなたが少しずつ貯めていたお金でしょう」 シンの父親は騎士だった。 シンもまた、いつか王都へ出て、騎士団の試験を受けるつもりでいた。 両親が亡くなるまでは。 「また貯める」 「そんな簡単に」 「金は働けば増える。舞踏会は来週だ」 「そういう問題ではないでしょう」 「日付の問題だろ」 次姉が額を押さえた。 「こういうときだけ、妙な理屈で押し切るのよね」 シンは革袋を長姉の前へ戻した。 「姉貴たちは、ずっと働いてきただろ。一晩くらい、何も気にせず踊ってこい」 長姉の目が潤む。 次姉は泣く代わりに、シンの腕を叩いた。 「馬鹿。帰ってきたら、またみんなで貯めるからね」 「ああ」 「あなたの服も作るわ」 「俺は行かない」 「そうね。女性だけの舞踏会だもの」 次姉は御触れへ目を落とした。 「それにしても、王子様って、本当にそんな遊び人なのかしら」 「夜な夜な城へ美人を集めているって噂よ」 「十二人呼んでも足りなかったとか」 シンの眉が動いた。 「十二人」 「今回なんて、国中の女性を集めるのでしょう?」 二人が揃ってシンを見る。 「王子様に目をつけられたら、どうしよう」 長姉が冗談めかして笑った。 シンは真顔だった。 「困るな」 「え?」 「姉貴たちは器量なら、国一番ってわけじゃない」 「急に失礼ね」 「だが、いい女だ」 「褒めているの?」 「万が一がある」 シンは腕を組んだ。 姉二人は顔を見合わせた。 「万が一って」 「悪い王子に目をつけられる」 「シン」 「俺も行く」 「話を聞いていた? 女性しか入れないのよ」 シンはしばらく考え、家の外へ目を向けた。 森の奥に、心当たりが一人いる。 「方法はきっとある」 **** 森の外れに住む魔女ヴィオラは、シンが割った薪を見て満足そうに頷いた。 「相変わらず、いい仕事をするね」 「屋根も見ておいた。次の嵐までは持つ」 「あんたがもう少し若い女好きなら、体で払ってあげるのに」 「今でも十分いい女だろ」 ヴィオラの目が丸くなった。 シンは何でもないことのように、その頬へ軽く口づけた。 「いつも世話になってる」 「……あんたは、本当にたちが悪い男だよ」 「そうか?」 「自覚がないところが、いちばん悪い」 ヴィオラは咳払いをして、椅子へ座った。 銀髪を高く結い上げた老女だが、若い頃はさぞ多くの男を泣かせただろうと思わせる色気が、今も残っている。 「それで、今日は何を頼みに来たんだい」 シンは姉たちの舞踏会について話した。 女性しか入れないこと。 王子が遊び人だという噂。 姉たちの護衛として潜り込みたいこと。 ヴィオラは黙って聞き、やがて棚の奥から布包みを取り出した。 中から現れたのは、一対の透明な靴だった。 「ガラスの靴?」 「魔法具だよ」 「割れそうだな」 「普通に歩くくらいじゃ割れない」 シンは片方を持ち上げた。 「何に使う」 「男が履くと、女の姿になる」 シンは靴を見た。 ヴィオラを見た。 もう一度、靴を見た。 「これを婆さんが作ったのか」 「魔法学校の宿舎に住んでいた頃ね」 「女子宿舎か」 「男子禁制だったから」 「男を連れ込むため?」 「そうよ」 ヴィオラは胸を張った。 「男たちは私に夢中だったから、毎晩、門の外で待っていたの」 「一人じゃなかったのか」 「日によって違ったわ」 「ずいぶん悪い子だったんだな」 「もっと驚きなさい」 「婆さんなら、それくらいやるだろ」 ヴィオラは呆れながら、靴をシンの前へ置いた。 「履いてみな」 シンは椅子へ腰を下ろし、ガラスの靴へ足を通した。 光が足元から立ち昇った。 骨格が縮み、肩幅が狭くなる。 胸元が持ち上がり、腰がくびれ、尻へ丸みが加わる。 黒髪は背中まで伸び、精悍だった顔立ちは、涼やかな美貌を残したまま女性のものへ変わった。 服まで簡素な女物へ変わっている。 シンは立ち上がった。 自分の胸を片手で持ち上げる。 腰をひねり、後ろを見た。 「なるほど。胸も腰も尻も変わるのか」 「少しくらい恥じらいなさい」 「自分の体だろ」 「今は若い女の体だよ」 シンは壁に立てかけてあった剣を持ち上げた。 いつもより腕が沈む。 「重いな」 「筋力も女のものになるからね」 「それは困る」 剣を戻し、腰へ手を当てる。 「ナイフなら持てるか」 「胸より先に武器の心配かい」 「護衛だからな」 ヴィオラは大きくため息をついた。 「その見た目で、侍女のつもりかい?」 「姉貴たちの付き添いだと言えば通るだろ」 「そんな堂々とした侍女がいるものかね」 「城は広い。探せばいる」 「いないよ」 シンはガラスの靴を脱いだ。 光がほどけ、元の男の姿へ戻る。 「借りるぞ」 「壊すんじゃないよ」 「大事にする」 「あと、片方をなくさないように」 「分かった」 「本当に分かってる顔じゃないね」 **** 舞踏会の夜。 シンの姉二人は、見違えるような姿になっていた。 長姉は淡い青のドレス。 次姉は自分で手を加えた深緑のドレス。 二人とも、鏡の前で落ち着かない様子だった。 「本当に似合ってる?」 「綺麗だ」 「シンもよ」 ガラスの靴を履いたシンは、簡素な黒い侍女服を着ていた。 飾り気は少ない。 それでも、背筋を伸ばして立つ姿は、誰より目を引いた。 「あなたの方が目立っている気がするわ」 「気のせいだ」 「その立ち方、少し女らしくできない?」 「護衛に必要か?」 「侍女には必要よ」 シンは姉二人へ腕を差し出した。 「行くぞ」 「そこは普通、私たちがあなたを連れていくところでしょう」 三人は馬車に乗り、王城へ向かった。 **** 王城の大広間は、光で満ちていた。 天井から下がる魔石の灯。 楽団の演奏。 色とりどりのドレス。 磨かれた床へ、何十もの影が揺れている。 シンの姉たちは、広間へ入った瞬間に息を呑んだ。 「すごい」 「来てよかったわ」 シンは二人の背中を軽く押した。 「行ってこい」 「あなたは?」 「壁際にいる」 「少しくらい楽しんだら?」 「俺は護衛だ」 姉たちは顔を見合わせ、やがて笑った。 「ありがとう、シン」 「楽しんでこい」 二人が踊りの輪へ入っていく。 シンは壁際へ移動し、腕を組んだ。 女の姿でも、立ち方は普段と変わらない。 近くにいた令嬢たちが、ちらちらと視線を送っている。 **** その頃、広間の反対側では、フィルが三人の令嬢に囲まれていた。 「殿下、次は私と」 「いいえ、先にお約束したのは私ですわ」 「お庭を案内してくださいませ」 「少し、休ませてください」 フィルは笑顔を作っていたが、目は逃げ道を探していた。 王妃は高い席から、息子と女性たちの様子を鋭く観察している。 逃げれば後が怖い。 残ればもっと怖い。 フィルが助けを求めるように広間を見回し、壁際のシンに気づいた。 呼吸が止まる。 飾り気のない黒い服。 華やかな令嬢たちの中では、むしろ地味だった。 それなのに、誰より目を奪われた。 姿勢が真っすぐだった。 誰かに選ばれようと笑うでもなく、王子を見て媚びるでもなく、ただ踊っている二人の女性を見守っている。 長姉の裾を踏みかけた男がいれば、すぐに近づいて支える。 次姉の飲み物を横から取ろうとした令嬢には、新しい杯を渡す。 酔った貴族の男が姉たちへ近づけば、何も言わずに間へ立つ。 相手はシンの顔を見ただけで引き下がった。 フィルの胸が高鳴った。 (綺麗だ) シンが姉たちへ向ける目は優しい。 そのくせ、立ち姿は堂々としている。 (なんて男前な女性なんだろう) フィルは自分を囲む令嬢たちを忘れ、シンへ向かって一歩踏み出した。 「あの」 「殿下、どちらへ?」 「少し、あちらの方と」 令嬢たちが一斉にシンを見た。 「侍女ではありませんか」 「侍女に何の御用です?」 「まだ、用があるとは」 フィルが返事に困っている間に、シンは姉たちを連れて別の場所へ移動してしまった。 「待って」 小さく漏れた声は、音楽に消えた。 それからフィルは、何度もシンを目で追った。 目が合った。 フィルの心臓が跳ねる。 シンは王子だと気づいたらしく、軽く頭を下げただけだった。 笑わない。 媚びない。 すぐ姉たちへ視線を戻す。 (また見たい) フィルがそちらへ向かおうとしたところで、王妃が選んだ令嬢に腕を取られた。 「殿下。少し、風に当たりませんこと?」 「僕は」 半ば押される形で、バルコニーへ連れ出された。 **** 夜風は冷たかった。 令嬢はフィルの腕を離さない。 「殿下は、私を一度も見てくださいません」 「すみません。でも、今夜は誰も選ぶつもりは」 「では、あの侍女なら選ぶのですか?」 フィルの目が広がった。 「どうして」 「ずっと見ていたではありませんか!」 令嬢が一歩詰め寄る。 フィルが下がる。 背中が石の手すりへ当たった。 「僕は、ただ」 「あんな身分の低い女の、何がよいのです!」 「そんな言い方は」 令嬢がフィルの腕を強く引いた。 フィルの体が傾く。 足がもつれ、手すりを越えた。 「あ」 月明かりの下へ、体が投げ出される。 令嬢の悲鳴。 広間のざわめき。 その中で、フィルはバルコニーへ駆けてくる黒い侍女服を見た。 「あの人が――!」 シンが手すりへ飛び乗る。 しかし、女の体では間に合わない。 シンは迷わなかった。 片方のガラスの靴を蹴り脱ぐ。 光が弾ける。 細かった体が伸びる。 胸が消え、肩が広がり、黒髪が短くなる。 侍女服の形を残していた布地が、男の体へ合わせて大きく変わった。 フィルは落ちながら、その姿を見た。 (男の人) シンは手すりを蹴り、宙へ飛び出した。 フィルの体を抱き留める。 片腕で背を、もう片方の腕で膝裏を支える。 そのまま階下の天幕へ落ち、布を突き破って庭へ転がった。 シンはフィルを抱えたまま、すぐに身を起こした。 「怪我はないか?」 低い男の声。 フィルは答えられなかった。 侍女だったときも綺麗だった。 男の姿は、もっと強く、もっと堂々としていた。 自分を抱く腕は逞しい。 眉を寄せ、真剣に怪我を心配している。 (男だった) 胸が痛いほど鳴っている。 (もっと男前だ) シンがフィルの後頭部へ手を添えた。 「頭を打ったか?」 「たぶん」 「どこが痛む」 「胸が」 「落ちた衝撃か」 「恋かもしれません」 シンが眉をひそめた。 「やっぱり頭を打ったな」 (好き) フィルは、今度こそはっきりそう思った。 庭の向こうから、衛兵の声が近づいてくる。 「殿下!」 「男がいるぞ!」 「今宵は一般男子禁制だ!」 シンはフィルを地面へ立たせた。 右足には、もう片方のガラスの靴が残っている。 シンはそれも脱ぎ、懐へ押し込んだ。 「歩けるか?」 「待ってください」 「兵が来る。俺は行く」 「名前を」 シンは一歩下がった。 「名乗るほどの者じゃない」 「僕には名乗ってください!」 「また会えたらな」 シンは庭木の陰へ走り、そのまま夜の闇へ消えた。 「待って!」 フィルは追おうとしたが、足に力が入らなかった。 衛兵たちが駆け寄る。 「殿下、ご無事ですか!」 「今の男は何者です!」 フィルは答えず、足元へ目を落とした。 月光を受けて、片方のガラスの靴が輝いている。 シンが最初に蹴り脱いだ一足だった。 フィルはそれを拾い上げた。 腕の中へ大切に抱く。 「この靴の持ち主を探して」 「この靴だけで、ですか?」 「僕を助けた人です」 「しかし、どうやって」 「……どうしましょう」 フィルは、騒ぎを聞きつけて庭へ降りてきた王妃を見た。 王妃は息子の腕に抱かれたガラスの靴を見つめた。 そして、にっこりと笑った。 「私に貸しなさい」 ガラスの靴が、なぜか小さく震えた。

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