1 / 7

《第1話》代わりがきかない運命に捕まったのは果たしてどちらなのか①

 二年ぶりに帰国したら、死にかけの男がドアの前にいた。  空き家になっている隣の家の敷地で、家主もいないのに咲き続ける桜の花びらがこちらの家にまで飛んできて、玄関先を淡い薄紅色で彩っている。  その美しい春の景色の中に、泥のついた青白い顔の人物が、頭から血を流しながら、今にも息絶えそうな様子で倒れ込んでいる。 「……あれ? チカちゃん、いつ帰ってきたの?」  瀕死のわりに脳天気に笑う細身の青年の服は、浮浪者のごとく薄汚れて汚かったが、声には聞き覚えがあった。 「……今だけど」  できれば直視したくない現実だった。  それは、二年ぶりに会う、旧知の相手との再会だった。 「なんだ、ここを死に場所にしようと思ってたのに、帰ってきちゃったかぁ。しょうがないなぁ、いまここをどくから、かわりに庭先を貸してくれない? オレが死んだら、そのまま庭に埋めてくれたらいいからさ。遺書はちゃんと残してきたから、チカちゃんが殺人犯になることはないよ。安心して」  佐渡千夏(さわたりちか)は、キャリーカートを玄関の脇に置くと、しゃがみこんでその青年の顔を覗き込む。  泥や垢に見えた顔の汚れは、よく見るとドーランだ。  それになにより、全身からただよう、この甘ったるい匂い。  舞台俳優をしている千夏(ちか)には、すぐにその正体がわかった。  どう見ても血糊だ。 「……なにやってんだ、真白(ましろ)。オレの家の前は、ステージじゃないぞ。それになんだその演技は。おまえにしては下手くそすぎる」  呆れ返ってため息をつく千夏に、真白と呼ばれた青年は、悪戯がバレた子供のような笑顔を浮かべた。 「えー、ダメだった? いいドッキリだと思ったんだけどなぁ」 「ご近所さんが警察呼んだら面倒なことになるから、頼むからやめてくれ」  ここは横浜市内の、閑静な住宅街だ。  家の前は人目につきにくい私道であるため、今のところ誰も気づいていないようだが、一歩間違えれば、大変なことになる。 「大丈夫だよ。その時は、動画の撮影とか言って適当にごまかすから」  手を貸して立ち上がらせると、真白はふらりと倒れ込んできた。 「あ……っ、ごめん」  演技にしては様子がおかしい。  反射的に受け止めた体に何気なく手を滑らせると、見た目以上にやせ細っていることに気づいた。  驚いて、試しに持ち上げてみる。  最後に会ってから二年たっているということは、こいつはいま、二十一歳のはず。身長は伸びているようだが、この身長のわりには軽すぎる。 「おまえ……大丈夫じゃないだろ」  下手したら本当に病院案件かもしれない。  千夏は帰国早々、久々の自宅でゆっくりする暇もなく、予期していなかった来訪者を風呂に放り込むはめになった。 「栄養失調だね。一応、点滴打っておこうか。時間は大丈夫?」  保険証も持っていなければ金も持っていない。そんな訳ありの患者を診てくれたのは、千夏が小さい頃によく通っていた個人病院の年老いた医者だった。  まぁ、金は千夏が出せばいい話なのだが。  総合病院ほど大きいところではないが、設備はそれなりに整っているおかげで、検査もひととおり受けられてよかった。 「はい……お願いします。すみません。受付時間外に」 「えー、オレ、点滴の針、苦手なんだけど」  診断された当の本人が文句を言うのを無視して、千夏は再度、「お願いします」と言って処置を任せた。 「それにしても久しぶりだね、千夏くん。しばらく見ない間に大きくなったなぁ」  誰もいない待合室のソファで点滴が終わるのを待っていると、仕事をすませたらしい医者がやってきて、のんびりと話しかけてくる。 「はは……」  千夏はもう、二十八だ。大きくなったというのも今更すぎる話だが、還暦間近の老医師からしたら、幼い頃の千夏のイメージがまだ残っているのだろう。 「アメリカに行ってたんだっけ? いつ帰国したの?」 「今日……」 「えっ、今日? 帰ってきてすぐに病院の付き添いだなんて、ずいぶんと忙しいね」 「ほんとに」  大迷惑な野郎である。  一息ついたら、一気に疲労感がこみあげてきた。 「あの子、宮部真白(みやべましろ)くん? 宮部恭司(みやべきょうじ)さんの息子さんだよね? あの子も昔、テレビで見たことある気がするけど、あんなに大きくなっていたんだね」 「……はい」  宮部恭司といえば、かつては有名な刑事ドラマシリーズでレギュラー出演していた名俳優だ。  その息子である真白は、子役時代は舞台を中心に活躍していて、千夏とも何度も共演したことがある。  七歳も年が離れているのに同い年の友人のように接してしまうのは、そのためだった。 「千夏くんは、次の舞台とかもう決まってるの?」 「ああ……はい。今年の秋、久々に日本での公演に出演することが決まったので……よかったらそのうち、チケットを持ってきますよ。奥様と一緒に見に来てください」 「ほんと? 妻がきみのファンだから、助かるよ」 「……ありがとうございます」  千夏は深々と頭を下げる。  渡米している間、テレビ番組のアメリカロケの仕事や雑誌のコラムやモデルの仕事を引き受けていたぐらいで、世間からはとっくに忘れ去られていてもおかしくないと思っていたのだが、まだファンだと言ってくれる人がいるのならありがたいことだ。 「宮部くんは、最近は芸能界のお仕事してないのかな?」 「真白は……」  なんと答えていいのか、わからなかった。  そのことが、すごく悔しい。他人事なのに。  人のいい医者は、なにか察した様子で優しく微笑んだ。 「まずは健康状態を取り戻してもらうのが先決だね。あとで看護師から、食事についての指導があると思うから、千夏くんも一緒に聞いといて」 「……はい」

ともだちにシェアしよう!