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《第1話》代わりがきかない運命に捕まったのは果たしてどちらなのか②

 自宅に帰る頃にはもう日が暮れかけていた。  業者に頼んで月に一回は掃除をしてもらっていた部屋は清潔に保たれていたが、どことなく埃っぽい感じがして、窓を開ける。  四月の夕方の風は、まだひんやりとしていたが、寒すぎず暑すぎず、心地よかった。 「……チカちゃん、怒ってる?」 「怒ってないように見えるか?」 「ごめん。……疲れてるところ迷惑かけて」  リビングの入り口あたりに所在なさげに突っ立っている真白は力なくうなだれている。 本気で反省しているのが窺えて、千夏はため息をついた。 「とりあえず座れ」  浮浪者のようなメイクと血糊を落とした真白は、整った顔立ちの綺麗な姿に戻っていたが、明らかにやつれた様子に、説教する気もそがれてしまった。  病院の帰りに買ったペットボトルのスポーツ飲料を渡すと、真白はおとなしくソファの端に腰かけて飲み始めた。 「……おまえ、この二年間、なにやってた?」  千夏が渡米していた二年間、真白に何度もメッセージを送ったが、返信がきたことは一度もないし、電話も繋がらなかった。 「んーと……オレが所属してたアイドルグループがダメになったのは知ってる?」 「ニュースで見た。メンバーの一人が大麻で捕まって、さらに別のやつも未成年飲酒で捕まったんだったか?」 「そう。デビューしてから八か月ぐらいの間に、メンバー六人中二人が犯罪者になるってすごいよね。新曲がアニメとタイアップする企画も決まってたのに、あっさり白紙になって、それ以外の仕事も全部なくなって、他のメンバーが『もうやめる』とか言い出すから、結局、すぐに解散になっちゃった」  千夏が日本にいた時点では、彼らはまだ、デビューライブに向けて練習している最中だった。  まさかそんな最悪の結末をたどることになろうとは予想もできなかったので、ネットニュースを見た時はかなりの衝撃だったが、世間的には、すぐに忘れ去られた。  もともと、一部の熱心なファンがいるだけの、そこそこの知名度しかないグループだったのである。 「解散と同時に事務所は退所したから、今のオレはもう、芸能人でもなんでもないただの一般人だよ」 「親父さん、なんとかしてくれなかったのか?」 「無理だよ。あの人も今は事務所に所属してないし、引退して、飲食店の経営で忙しそうだし。『そうか、残念だったな』って言われて、それでおしまい」 「…………」  真白の父親、かつての人気俳優、宮部恭司は、六年前、スキャンダルにより一気にすべての人気と仕事を失った。  三人の女性との不倫が発覚。おまけにそのうちの一人は妊娠させられた挙げ句に中絶を強要されたとかいう話を週刊誌に書かれ、世間から袋叩きにあったのだ。  母親はジャズ歌手。結婚後も現役を続けていたが、いまは日本国内にはいない。宮部恭司のスキャンダルが発覚してからすぐに離婚し、今は海外のどこかの金持ちと再婚したらしいと噂で聞いた。  宮部真白は、いわゆる二世タレントというやつだった。  優秀な遺伝子を受け継いだ真白は、幼い頃から顔が整っていて、強力なコネもあり、小学生の頃に芸能事務所に入り、十歳の時にミュージカルで初舞台を踏んだ。  その時の作品で、偶然にも同じく初舞台を踏んだのは当時十七歳だった千夏だ。  初舞台とは思えない堂々たる演技を評価された真白は、その後、舞台はもちろん、映像作品のオファーも増え、順調に知名度を上げていった。  その順風満帆な人生に終止符が打たれたのは、真白が十五歳の時だ。  世間からさんざん非難されて、業界関係者の中ではタブー扱いになった宮部恭司。その息子も、当然のことながらすべての仕事を失った。  家のゴタゴタで真白は二年ほど仕事を休んだのち、比較的新しい事務所に声をかけられて、なぜかアイドルを目指すことになった。  正直、真白はアイドルよりもミュージカル俳優の方が向いているだろうと思っていた千夏は、事務所のセンスのなさに失望した。  千夏は映像作品やストレートプレイの舞台の仕事もそれなりにやっているが、本業はミュージカル俳優だ。  いつかまた、ミュージカル作品で共演したかった。  とはいえ、業界に戻ってくればいつかチャンスが訪れるかもしれないと、アイドルの仕事も応援していたのだ。  その顛末がこれである。あまりにも悲惨すぎる。 「それでねー、飲料メーカーの社長のおじさんに誘われて、半年ぐらい愛人やってたんだけど、それも嫌になって、仕方なく実家に戻ったんだよね。今は残念ながら無職だよ」 「は? ちょっと待て、愛人? どういうことだ?」 「えーと、愛人として、マンションで囲われたの」 「……まじでなにやってるんだ、おまえ」  そんな話は聞いていない。 「ちょっと退屈だったけどそんなに悪い生活じゃなかったよ。週に何回かセックスの相手して、顔と体型を維持してさえいれば働かなくてもお小遣いたくさんもらえてさ。でもさぁ……半年前くらいかな? いきなり乱交パーティみたいなのに連れていかれて、怖くて逃げてきちゃった」  絵に描いたような転落人生だった。 「大丈夫だったのか、それ」  ドン引きしながら、千夏は問いかける。 「トイレ行くふりして途中で逃げたんだよ。だってさ、なんかそこにいた人たち、合法なのか違法なのかよくわからないドラッグ使ってたみたいだしさ。そこまではさすがにやばいと思って」 「……いろいろ言いたいことはあるが、逃げただけ偉い」  聞いているだけで頭が痛くなってきた。  右手で額を抑えながら、千夏はさっきよりも深いため息をつく。 「チカちゃんが今日帰国することは、SNSで見て知ったよ。それで急いで、ドッキリ仕掛けにきたんだ」 「ああ……」  自分の分で買った緑茶のペットボトルの蓋に手をかけながら、千夏はなるほどと思う。  そういえば昨日、自分のSNSに、空港の写真とともに『明日帰国します』という内容を投稿していた。  こいつは、人の個人的なメッセージには返信しないくせに、そういうのはちゃんとチェックしていたのか。 「チカちゃん、しばらくは日本にいるんだよね?」 「もともと、ミュージカルの勉強のために期間限定で向こうに行ってただけだからな。ビザの有効期限はまだ残ってたが、今年は日本での舞台の仕事もあるし、当分は海外に行く予定はないな」 「じゃあ、オレを愛人にしてくれない?」  あやうく、お茶が気管に入るところだった。  千夏がむせている間、真白は真顔でじっとこちらを見つめていた。  さんざんふざけたことをやらかしてくれたこの男だが、少なくとも今の発言に関して冗談を言っている雰囲気はない。 「…………悪いが、そういうのは募集していない」 「立候補制ってことで」 「お断りします」 「なんで? ニューヨークで、金髪美女の恋人でも作ってきた?」 「いや、金髪美女は好みじゃない」 「金髪美少年はたぶらかしたのに?」  挑発的に微笑む顔に、三年前、金髪だった頃の真白の顔が重なり、千夏は視線をそらした。 「……たぶらかしてない。どちらかというと、たぶらされたのはオレの方だろ」 「えー、チカちゃん、口ではその気がなさそうなこと言うわりに、いつもけっこうノリノリだったくせにぃ」  真白が十八歳になった時。珍しく誕生日プレゼントがほしいと言い出したのでなにが欲しいのかと聞いたら『セックスしてほしい』と言われて、こいつと寝たことがある。  もちろん最初は断ったが、この押しの強さは昔からで、結局拒否しきれなかった。  そのあとも、雰囲気に流されて何度か寝たが、別に付き合っていたわけじゃない。かといってセフレというほど割り切った関係でもなく、腐れ縁同士のじゃれ合いの延長のような、よくわからない関係は、一年近く続いた。  もっとも、当時はお互いに忙しかったので、月に一回会えるかどうかの程度だったが。 「おまえには、オレの愛人になるよりも、やるべきことがあるだろ」 「バイトとか?」 「そうじゃない。まじめに考えろ」 「これでも一応、コンビニでバイトしてみたり、普通にまともな生活を送ろうとしてたこともあったんだよ? でもさぁ、バイト先で、宮部恭司の息子だとか元芸能人ってことがバレて……なんかまぁいろいろ言われたり、ストーカーまがいの客につきまとわれたりして、やめちゃった」 「……おまえも大変だな」  顔がいいというだけでめんどくさいことが増えるこの世の中だ。  こいつの場合は親が有名なこともあるし、他にもたくさん嫌なことがあったんだろうと察する。 「チカちゃん、生きるのってやっぱりしんどいねー」  おもむろに、横から倒れ込んでくるような格好で、真白の頭が膝に乗ってきた。  根元が黒くなり、痛んだ茶髪の毛先に触れる。  常に能天気そうな口調と笑顔で平然を装ってはいるが、今までのことを思うと、確かにしんどいだろう、と思う。  親の七光り、と陰口を叩かれることも多かったが、こいつは才能がある側の人間であることを、千夏は知っている。  舞台に立っている時の顔がどんなに美しいのかも、三階席の後ろの席に座る観客の心にまで届く歌唱力を持っていることも、知っている。  認められるために、たくさんの努力をしてきたことも知っている。  十五の冬。父親への信頼と母親からの愛情と、今後の仕事の予定をほぼ同時期に失った頃、真白は、ミュージカルの地方公演の最中だった。  たまたま千夏も同じ公演に出演していて、宿の部屋は隣だった。  雪が降り積もる、東北での公演の最終日のあと――。  チカちゃん、ねぇ見て、雪が綺麗だよ。そう言って、へらへら笑いながら、こいつはホテルの部屋の二階からの窓から飛び降りた。  とっさに腕を掴んだ千夏が一緒に落ちていなかった、どうなっていたのかわからない。  幸いにも下はまだやわらかい雪が深く降り積もっていて、千夏が軽く背中を打っただけですんだ。  でも、すぐそばに川が流れていたし、川の中にでも落ちていたらもっと大変なことになっていただろう。全然笑える状況ではなかった。  それでも真白は笑っていた。  あたり一面雪景色の中で、冷静に考えれば狂気的な状況だというのに、なぜだか舞台のワンシーンのように美しいと思った。  どうせ見るなら、舞台の上で見たいと思った。 「それでも……この世界には、板の上にあがることすら許されない、『その他大勢』が山ほどいる。おまえは、名前つきの役で大舞台に立てる一握りの人間の中に入れたのに、なにをやっているんだ」  冷静に話すべきだと思っていたのに、声に苛立ちがまざるのを止められなかった。 「それは、親のコネがあったからで、今のオレにはなんにもないよ」 「おまえには才能も実力も実績もある。なにもないなんて言わせない。コネがなくてもオーディションは受けられるだろ」 「……チカちゃん、オレ、もう引退したんだよ。歌も一年以上歌ってないし、ダンスどころか体を動かすこともろくにしてなかったから、もうダメだよ」 「……わかった。ボイトレとダンススクールに通うなら、援助してやってもいい。オレが面倒見てやる」  目元にかかる長い前髪をどかして、真上から見下ろしながら、覚悟を決めて告げた。 「……え?」  色素の薄い瞳が、ぱちぱちと瞬く。 「もう一度舞台に上がれ、宮部真白。今からならまだ、タイトルロールを背負う主演を目指せる」 「……あのね、チカちゃん。オレ、もうすぐ二十二だよ」 「知ってる」 「ブランクもあるし、もう遅すぎるって」 「おまえ……今年二十九になるオレに喧嘩売ってるのか?」  千夏からすれば、じゅうぶんにまだ若い。ふざけた話だった。 「チカちゃんはすでにキャリアもあるし……」 「うるせぇ! オレは今まで一度も主演やったことねーんだよ。後がないのはオレの方だ。オレがおまえみたいに才能に溢れてたら、アラサーにもなって留学とかしてねーんだよ!」  だんだん、本気でムカついてきた。 「向こうでも仕事して実績あげてきたんじゃないの?」 「舞台には立ったが……」  スクールやワークショップに通って勉強にはなった。それは間違いない。しかし、自分の力不足を突きつけられることの方が圧倒的に多かった。  出演したのも、ブロードウェイではなくオフブロードウェイの方で、しかも端役だ。 ようするに、ミュージカルの本場で生きる人々の前では、到底、堂々と肩を並べることなどできなかったのだ。 「あー、くそ! アイドルデビューする予定があるっていうから言わなかったが、おまえがそんなぐだぐだの顛末をたどることになるなら、無理やりでもニューヨークまで連れていけばよかった! 少なくともおまえの方が、本場のプロとまともに張り合えたはずだ」  せっかくのチャンスを逃してしまった悔しさに、千夏は歯噛みする。  膝の上で、真白がくすくすと笑い出した。 「チカちゃんぐらいだよ。オレのこと、そんなに過大評価してくれるの」 「過大評価じゃなくて正当な評価だ。……初舞台の時から、オレはおまえの一番のファンだ。知ってるだろ」  その圧倒的な才能に、己の無力さを思い知らされながら、激しく惹かれた。 「オレはねぇ、カーテンコールの時のチカちゃんの顔が、一番好き」 「なんだそれ」  本番中のオレはどうなんだよ、と言おうかどうしようか迷っていたら、記憶に残るよりも痩せた指が頬に触れてきて、薄茶色の瞳が、眼前に迫っていた。  やわらかな唇が触れる。 「オレはもう、客席からチカちゃんを見られれば、それでいいよ」  口づけの甘さとは反対に、冷たい刃のような言葉が静かに突き刺さってくる。  聞き間違いであったならどんなによかっただろう。  痛い。喉の下のあたりに何かが詰まったような、ツンとする痛みが走る。 「……なんで、フラれて傷ついた、みたいな顔してるの?」  人の気も知らないで、真白は苦笑している。 「うるせー! フラれたんだよ、ちくしょー!」  腹が立ったので、膝の上からどかしてやった。 「えー、先にオレをフッたのはチカちゃんなのにぃ」  不満そうにしながらも、座りなおした真白はまたスポーツドリンクを飲み始めた。 「愛人がどうの、って話か?」 「そう、それもあるよね」 「そもそもが論外だろ、それ」 「チカちゃんはやっぱり、舞台に立ってないオレには興味ないんだね」  冷めた口調でさらっと言い放って、真白はどこか遠くを見上げる。 「…………」  そうじゃなくて、もっと別の言い回しがあるだろう、という話なのだが、かわりになんと言えばいいのか、千夏にはわからなかった。 「ねぇ、ところで、お腹すいた。夕飯食べよ?」 「あー、ちょっと待ってろ。いま、おかゆ作ってやる」 「えっ、おかゆとかいらないよ。さっき買ってきたピザとチキンだけでいいし」 「そっちはオレが食べるんだよ。栄養失調の半病人みたいなやつに、そんな脂っぽいもの食べさせられるか」  せっかく帰国したのだから、よく考えたら寿司でも買えばよかったのだが、疲れきっていたためそこまで頭が回らず、ついつい無意識に、アメリカで見慣れたものをカゴに放り込んでしまっていたのだ。 「えー、チカちゃん、ずるいー!」 「元気になったらピザでもチキンでもステーキでも、好きなだけ食わせてやる」

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