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《第1話》代わりがきかない運命に捕まったのは果たしてどちらなのか③
宮部真白の第一印象は、生意気そうなガキ。
大人たちからちやほやされて、それが当たり前だと言わんばかりにニコニコ愛想よく笑っている、恵まれたぼっちゃん。
どうせ遊び感覚で稽古場に来ているんだろうと思っていたから、本読みの段階で台詞を全部入れてきていることに驚いた。
あれ? と思ったのは千夏だけではなかったはずだ。
歌も、振り付けも、ベテランの俳優陣に劣らぬぐらい、真白は覚えがよかった。ダメ出しされても、演出家の言いたいことをすぐに読み取って、即座に対応してみせた。
休憩時間中は無邪気に笑って、マイペースそうに振る舞っているのに、役に入ると人が変わる。
いわゆる、憑依型の役者だった。
この時、キャスト陣の中では真白が最年少で、もう一人いたダブルキャストの子役は真白よりも二歳年上だったはずだが、その子役の次に年が近いのは、真白と同じく初舞台の千夏だった。
年が近いといっても、七歳も差がある。しかし、役者としての素質は圧倒的にあの十歳の少年の方が上であると、本能的に悟ってしまった。
この頃の千夏といえば、思春期特有の複雑な心を抱えていた時期で、大人とコミュニケーションを取ることがまだ苦手で、年下に優しくするような器量の広さもなかったから、共演者とはなかなか仲良くなれずにいた。
真白とは、脚本上のやり取り以外では挨拶を交わす程度で、稽古中はほとんど個人的な会話はなかった。
自分よりも才能も実力もあって、コミュ力にも優れた年下がすぐそばにいるというものは、けっこうキツいものだ。
コネがある真白とは違い、千夏とっては、何十回もオーディションを受けてようやく掴み取った役だ。
ここで何も残せなかったら、次の仕事はないかもしれないという焦りは日々募り、稽古場でのダメ出しの回数が減ることはなかった。
それでも、本番の幕は上がる。
プレッシャーと緊張感が極限に達した本番初日。
千夏は本番前、トイレに行ったあと、楽屋に戻ることすら怖くなって、トイレの近くにあった非常階段に座り込んで、吐き気をこらえていた。
震える指先をぎゅっと握りこんだが、震えはなかなか止まってくれない。
こんな姿、絶対誰にも見せられない、と思っていたのに、不意に近づいてくる者がいた。
「ねぇ、緊張してる?」
それまで、最低限の会話しかしたことがなかった、宮部真白だった。
「……当たり前だろ」
思わず、愛想のないぶっきらぼうな声で答えてしまった。
「緊張しなくなるおまじない、教えてあげようか?」
気づいたら、綺麗な少年の顔がすぐそばにあった。
日本人とは思えないほど肌がきめ細やかだし、睫毛が長い。顔が整っていることはじゅうぶん承知していたが、はじめて至近距離で見たその顔に、不覚にもドキリとした。
「……教えてくれ」
真白はにこりと笑うと、おもむろに千夏の両頬を小さな手で掴んで、やわらかく口づけてきた。
(ま、マセガキ~~~~っ!)
一瞬頭がフリーズしたあと、なにをされたのか理解した千夏は心の中で絶叫した。
「これ、ママがいつもパパにしてあげてるおまじない」
得意げな子供の顔は天使のように美しかったが、千夏はそれどころではない。
「ファ、ファーストキス……」
動揺のあまりつい、中途半端な単語だけが口からこぼれた。
真白はきょとんとしていた。
「うそ。高校生なのに、キスしたことないの?」
「高校生だって、彼女がいるとは限らないんだよ……!」
千夏の場合は、レッスンとオーディションで忙しくて、恋愛などする暇がなかった。それを、小学生にバカにされたみたいな気分になって、つい口調が荒くなる。
すると、天使のような顔立ちをした少年は、美しく笑った。
「オレにとってもファーストキスだよ。だから、おあいこ」
そしてなぜか、もう一度キスされた。
大人たちの前ではいつも自分のことを『ぼく』と言っている少年が『オレ』という言葉を使っているのを聞いたのは、この時が初めてだった。
「ねぇ、前から言おうと思ってたんだけど、高校生なのに大人よりも身長高くてかっこいいね」
「……どうも」
十七歳ですでに百八十を越える身長は、千夏の数少ない自慢だった。
「あと、チカって名前、千の夏、って書くんだよね? ねぇカッコいいね」
目の前にしゃがみこんできたかと思うと、含みのない憧れの眼差しで見上げられる。
女のような名前を『カッコいい』と言われたのは、はじめてだった。
「……ありがとう」
「さわたりさん、って呼びづらいから、チカちゃんって呼んでもいい?」
「なんでだよ。……別にいいけど」
やっぱり生意気そうだし、妙に馴れ馴れしくて戸惑うけど、案外悪いやつではないかもしれない。
いろいろとびっくりしすぎて、数分前まで臨界点に達しかけていた吐き気は、どこかに消えていた。
その時ちょうど、真白の名前を呼ぶ声が廊下の向こうから聞こえてきた。
真白のマネージャーが、探しにきたらしい。
「チカちゃん……オレ、カッコよく死んでみせるから、カッコよく殺してね」
高めの、凜とした声で囁くように告げてから、真白が立ち上がる。
生意気な小学生ではなく、一人の役者の顔をしていた。
物語の終盤、千夏が演じる青年が主人公の王様を殺そうとして、前に飛び出てきた王の息子を誤って殺してしまうシーンがある。
真白はその王子役をやっていた。
そんなに多いわけではない千夏の出番の中では、最大の見せ場だ。
「ああ……期待してろ」
本当は、大きな口を叩けるほどの自信なんてない。
それでも、自分は役者だ。板の上には、不安は持っていけない。
にこりと大人びた顔で笑って、真白は去っていった。
ようやく楽屋に戻った千夏は、楽屋に設置してあるモニターで、真白の初登場シーンを見た。
鮮烈だった。
小さなモニター越しでもわかるほど、その存在感は眩しかった。
稽古場で見た時も、ゲネプロで見た時もじゅうぶん完成度が高いと思っていたけど、本番のライトの下で台詞を喋るその姿とは、差が歴然だった。
こいつは、本番で化けるタイプの役者だったのだ。
それをより強く、強烈なまでに実感したのは、同じ板の上に立った時だった。
見ていてぞっとした。
天才だ、とすぐに悟った。
そして、真白演じる王子を殺すシーン。
本物の『死』がそこにあった。
本物の『絶望』がそこにあった。
『虚構』が役者を通して『リアル』になる感覚は、快感に近いものがあって、鳥肌が立った。
これが初舞台の初日? 信じられない。自分はとんでもない瞬間を目にしているのではないか、と思った。
自信がないなんて情けないことを考えている場合ではなくなった。
全身の血が沸騰するような錯覚を覚えるほど興奮していた。
嫉妬なんてものじゃない。憧れというのとも違う。
純粋に、あの天才と、同じ板の上に立てる己の運に感謝した。
あの日、全身を駆け巡ったわけのわからない熱が、今もなお、役者としての佐渡千夏を突き動かし続けている。
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