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第6話

 十二月二十四日。  クリスマスと言う事もあって、社員達は浮き足立っていた。  俺は……一人重苦しい気持ちでいた。  胃がキリキリする。  桜下が帰ったのを確認してから会社を後にした。  今直ぐにでも帰りたい気持ちと、帰りたくない気持ちでグチャグチャだ。  なるべく時間をかけて帰ろうと思った。ゆっくりゆっくり歩き、結果を知るのを遅らせようと、渡せるかどうかも分からないのに、桜下にクリスマスプレゼントを買いにデパートに寄った。  何を上げていいものかと散々迷い、ネクタイに落ち着いた頃には八時を回っていた。  デパートの最上階の窓から外を眺めると、街中キラキラと輝いていた。  街路樹、店、遠くに見える民家、全て色取り取りの電球で装飾されている。  あの明りの中で、幸せに過ごしている人達が居るのかと思うと、寂しい気持ちになり、涙がこぼれそうになった。  もう、観念して帰ろうとトボトボと駅に向かって歩き始めた。  何時もの様に電車に乗り、窓から外を見ると、やはり何処もかしこも明かりが灯っていて眩しかった。  誰かが誰かを待っている家。  温かい家。  今日、自分はそれを失ってしまうかも知れないと思った瞬間、目頭が熱くなった。  車内で泣く訳には行かないので俺は必死で自分の感情を押さえ付け、涙を堪えた。  とうとう自宅の最寄駅に着いてしまい、俺は足取りも重く歩き出した。  自宅のマンション前に着くと、何時ものように自分の部屋を見上げるのが怖かった。  もしも、明かりが灯っていなかったら……。  胃がキリキリと痛んだ。  意を決し、祈るような気持ちで自分の部屋を見上げると……。  明りが……灯っていた。  温かいモノが頬を伝うのが分かった。  有り難うと、伝えたかった。  今まで沢山の有り難うをくれた桜下に、今度は俺が有り難うと言いたい。  好きになってくれて有り難う。  こんな俺を受け入れてくれて有り難うと……沢山有り難うと、言いたい。  涙を拭いながら部屋に向かった。  鍵を開け、中に入ると部屋の奥から桜下が現れた。 「お帰りなさい」  優しく微笑む。  ただいまと返すと、不意に桜下の手が俺の顔に伸びてきた。 「泣いたのですか?」  初めて顔に触れた桜下の手から温かさを感じた。  志野原晃に触れられた時は、変な違和感を感じ、酷く居心地が悪かった。  好意を寄せている志野原晃の手ですらそう感じたのだから、他人の手は全て嫌なものかもしれないと思っていたが、桜下の手は違う。  触れられて安心した。  温かく、大きな手。  俺は、顔に触れている桜下の右手に、覆い被せる様に自分の左手を添えた。  桜下の手の感触を確かめるように頬を摺り寄せると、桜下は驚いた顔をしていた。 「どうかしたんですか?何かあったんですか?」  桜下は慌てている。  俺は再び涙をこぼしていた。  明りの灯っている家。暖かい部屋。温かい人の温もり。俺を待っていてくれる人。俺を愛してくれる人。 ずっと憧れていたモノが手に入ったのだと実感して泣いていた。 「桜下有り難う」 「え?」  俺は桜下の手を引き、抱き寄せた。  硬い男の身体だと感じたが、違和感は無かった。  緊張はあるが、居心地は良く、安心した。  志野原晃が言った事の意味が分かった気がした。  俺は、桜下に対して壁など遠くの昔に壊してしまっている。  何故なら、桜下は本気で俺を好いてくれているから。  そして、俺も桜下が好きだからだ。  桜下と気持ちの温度差があるかもしれないが、好きには変わりない。  俺には桜下が必要だ。  他の誰でもなく、桜下秀一が。 「関係を続けて行く事を選んでくれて有難う」 「俺は桃生さんにベタ惚れなんだから選択の余地なんか無いんですよ」  抱きしめているから桜下の顔は見えないが、多分いつもの柔らかい笑顔で言っているに違いない。 「飼い殺し決定だぞ」 「それは覚悟しています」  落胆したような声が耳の側で響いた。  俺は桜下を抱きしめていた腕を放し、身体を剥がした。  正面から向き合うと、桜下は優しい笑顔で言った。 「理性には自信ありますから大丈夫ですよ」  笑顔にほんの僅か影が差したように見えた。  俺の為に無理をしているんだろう。 「お前は何時も俺に対して譲歩してくれているよな」 「好きなんだから、当たり前です」 「無理ばかりしているんだろ」 「そんな事無いですよ。でも、無理って好きな人の為にするもんでしょ」 「そうか……そうだな」  ニコニコ微笑む桜下の胸倉を掴むと強引に引き寄せキスをした。  戸惑い硬直している桜下の頭に腕を回し、更に深いキスをし、顔を離した。  見ると、桜下は驚いて目を丸くしていた。 「俺が譲歩出来るのはこれくらいだ」 「無理しないで下さい」  突然の俺の行動に、困惑を隠せない桜下は自身の口元を押さえて言った。 「無理は好きなヤツの為にするもんだろう」 「何言って……」 「お前とは好きの気持ちが違うと思う。だが、俺はお前を手放したく無いと思っている」  桜下の腕を掴んでいる手に力が入ってしまう。 「お前じゃなきゃ駄目なんだ。だから俺も出来るだけ譲歩する」  やっとの思いで気持ちを桜下に告げるが、桜下は何故か困ったような顔を見せた。 「気持ちは嬉しいですけど、無理はしないで下さい。俺は本当に傍に居られるだけでも嬉しいんですから」  俺の告白は桜下に間違えて捉えられていた。  俺は桜下の誤解を解きたくて、頭を左右に振った。  違う。そうじゃない。  桜下を繋ぎ止めておく為に、キスしたわけではない。  言い方が悪かった。無理とか譲歩とか……。 「桜下」 「はい」 「俺はお前に触れられる事に抵抗は感じない。全然嫌じゃない」 「はぁ」 「キスもするには勇気が要ったから、無理したと言ったが、キス自体は無理していない」  桜下は小首を傾げ、それじゃ――と言い、俺を抱き寄せた。 「嫌じゃないんですか?」 「嫌と言うより、気持ちいいな」  ピッタリと合わさっていた身体が離れたと思った次の瞬間、桜下の顔が近付いて来た。  触れるだけの軽いキス。 「気持ち悪くないですか?」 「……ドキドキはするけどな」  桜下は怪訝な顔をした。 「桃生さんの好きと俺の好きは結構近いんじゃないですかね?」 「何言っているんだ。全然違うぞ。俺はお前なんか抱きたくない」  力強く言い切ってから、俺は慌てた。  桜下の顔から、表情が無くなっていたからだ。  また、不用意に傷付けたとうろたえ、言い訳をしようとするが、上手い言葉が浮かんで来ない。  必死に頭の中で言葉を探す。  だが、何も見つからない。  どうしょうと焦っていると……。 「ぷっ」  突如桜下が噴出した。 「桃生さんは別に俺を抱きたいなんて思はないでいいですよ。寧ろ、思はないで欲しい」 「え?」 「だって、俺が桃生さんを抱きたいんだから」  そう言われ、俺は混乱した。  身長は桜下の方が多少高いが、歳も、会社での立場も自分の方が上だ。掃除、洗濯、料理をこなし、尽くしてくれるから俺はずっと……そうだと思っていた。  俺に何もしないのは桜下が受身なのだと思い込んでいたが、ただ我慢強かっただけなのか?  無意識に後退る俺を桜下の腕が捕まえる。 「俺が恐くなりましたか?」 「いや、ただちょっと混乱しているだけだ」  そう、俺は混乱していた。  思ってもいなかった役回りが、突如目の前に現れた事と、如何にかなってしまうかもしれない事実に。  俺が男役であれば、俺がその気にならなければどうにもならない。  だから、桜下に与えられないと思っていた。  だが、俺が女役なら話は違ってくる。  桜下が、自分自身を抑える力を弱めれば如何にかなってしまう。  桜下がその気になれば幾らでも奪われてしまう。なのにそうしないのは・・・ 「お前本当に俺が好きなんだな」 「何を今更」  照れたように笑う。 「優しくて、誠実だ」 「桃生さんに言われると照れます」  桜下は、恥ずかしそうに頬を掻いた。 「好きだ」  俺の告白を受けて、それまでニコニコと笑顔だった桜下の顔は、真剣な表情になった。 「俺も桃生さんが好きです」  俺は、先程空けた距離を縮め、再び桜下を抱きしめた。  桜下はたどたどしい手つきで俺を抱きしめ返した。 「有り難う」 「なんで桃生さんが有り難うなんですか?有り難うは俺の方ですよ」 「いや、俺が有り難うであっている。お前は辛抱強く待っていてくれたんだからな」 「帰りを?」 「そうじゃなくて。気持ちをさ」 「一年ちょっとしか待っていませんよ。たいした時間じゃないです。だいたい男同士ですし、最初から桃生さんに好きになって貰えるなんて期待していなかったんで、両思いになれた今が奇跡みたいです」  そう言うと、抱きしめる手に力を入れ、桜下は俺をきつく抱きしめた。  桜下の力強い腕も、硬い身体の感触も心地よく感じられ、俺は目を閉じた。  一分一秒でも長く、この男が自分のモノでありますようにと願いながら……。

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