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1.清襟の田介

 翠(あお)い竹のように清々しい態度と性格の青年で、妙に礼儀正しくて多少は学があるらしい。  酒を流し込む目つきは言うに言われぬ色っぽさがあった。  時折瞳にギラリと鋭いものが宿る。獲物を狙うようでもあるのだが、しかしそれさえ貧乏書生のようななりと、飾り気のない純粋さを感じさせる口ぶりによって違和感もすぐに忘れてしまった。  何がそんなに楽しいのか、朴訥な話しぶりと評判の男は水が流れるように話し続け、気づくと自ら気持ちよく青年に酒をおごっている始末。それがやつの手口だと気づいた時には、妓楼でさえ使い込んだことのない金額が彼のための酒代に消えていたのだ。  たった一夜にして湯水のように金を使わせ、まんまと連日酒楼に沈湎した若者とは、ほかでもない盗賊家の次男、田介(ティエンチエ)であった。  上下左右わからないほど酩酊しているはずが、連れ合いの懐が素寒貧になったのだけは見逃さなかった。角を立てずこれまた丁寧に別れを告げると、よろよろっと斜めに歩いていき、難なく新しい父親を捕まえた。  がっしりと腰に抱きつき、 「お父さん、私は生まれる前から両親がおらず……」  と舌がまわらなければ思考も鈍り、けれど両目から美しい涙をこぼしつつ、 「実の親にできなかった親孝行を、果たさせてほしいのです……」  などと適当を言ってうまく懐に入ってしまうので、ついに見るに耐えないと訴えが飛び、佐吏、藍家の若旦那にしょっ引かれる次第になった。  その藍家の屋敷にて、 「……兄貴、」  と、無様な兄の姿に耐えきれず、頭痛を覚える成皿(チョンミン)だ。  城市の東側を牛耳る何(ホー)家の番犬という話しだが、泥酔して正体を失っている田介は間の抜けた寝顔を晒す、非常に残念な男だった。  ――なんて情けない!  捕吏の補佐、藍虧玉(ランコイユイ)は幼なじみであり、その部屋で眠りこける兄の姿を一目見たきり、成皿は先ほどから部屋の入り口で固まっていた。  ひどい顔で酔い潰れていることが情けないのではない。酒楼に向かわせたきり、何日も帰ってこなかったことを詰っているわけでもない。  ただ、見張れと指示をしただけで、それがどうして酔い潰れて藍家の屋敷にいるのだと幻滅している。  思い通りに事が進まなかったとみて、成皿は少し拗ねてもいた。 「わかってる。あんたが昔から俺より馬鹿で欲に目がないってことくらい。だが……」  これまた成皿を苛烈に苦しめるのは、藍家の、しかも酒壺だけでなく料理酒までかき集め、浸かるように飲み干した事実だろう。  嘆かわしい。  これほど理性が欠如しているとは情けない。それも藍家に捕縛されつつ酒壺を両足に抱えて飲み漁ったというのだから、このだらしない兄がまたまた情けない。 「……藍家の若旦那、悪いがこの馬鹿をしばらく頼むよ。俺は兄貴に変わって酒楼に行ってくる」  と肩を落とす。  派手な田介の飲みっぷりを、弟の成皿が予想できないはずもないのだが……  それが唯一、成皿の落ち度というべきだろうか。  さすがに戻りが遅いので、一度様子を見ようと近くまで来かかったとき、赤提灯を烟らせる薄霧の向こうから、ぼんやりと二人の影が見えてくる。その周囲では兄と藍虧玉がやり合っているという話であった。  これは非常に面倒だぞ、と厄介なものを嗅ぎつけてくるりと踵を返し、藍家から引き取りに来いという再三の使者をかわして身を隠し、それとなく追い返しながらなんとかやり過ごしていた。  しかし今回、意外にも田介に対しては、これもかなり忍耐強い冷静な藍家の若旦那でさえ堪忍袋の緒が切れ、直々に剣を突きつけられて「あれを回収しろ」と凄まれてしまえば迎えに行かないわけにもいかない。  目を開けるのも難しいほど頭を悩ませ、成皿は部屋に入らずくるりと背を向けた。 「新しい兄貴を探すべきか……」  そんな憂いを残して立ち去ろうとする成皿の背に、藍虧玉がとうとう長い沈黙を破った。 「帰ってもいいが――酒に酔っているお前の兄貴に、私がどんな約束をとりつけても文句は言うなよ」  作り物じみた美しい顔立ちは端正でありながら冷たい。優雅な手つきで茶器を手に取ってはいるが、机に腰を下ろす荒々しい仕草からは案外必死な様子を思わせた。つま先で田介を転がして持って帰れと言いたげに睨んでいる。 「譲歩しただろ。それなのにそれ以上望むことがあるのか? 仮にも俺の兄貴だ。礼儀を欠くっていうなら、最初からなかったことにさせてもらったっていい」  藍虧玉の冷徹さながらの切れ長な瞳が成皿を射貫く。  その鋭さにぎくりと肩を震わせ、成皿は心が冷えきっていくようだった。しかし負けじとにらみ返す。二人の間で吹雪が乱れるような殺伐とした空気が流れる中、ふと足元で転がっていた田介が酒に焼けた喉を唸らせた。 「仮、だと……?」  真っ赤に腫れた目で鬱陶しそうに成皿を見ている。  まだ微かに酔いの残る顔は春宵のように上気して、頬に散る朱は白面の書生よろしく弱々しい容貌に花を添えるようだ。気持ち良さそうに背中をぐっと伸ばす田介に、成皿は咄嗟に目を逸らした。 「おい……成皿、さっきから聞いていれば……礼儀がないのは、どっちだ? 私を馬鹿だといったな」  ふらっと危なっかしく立ち上がり、剣を引き抜く動作は慣れたものだった。ぶらぶらと床をなぞりながら成皿に詰め寄っていく。 「ああ、危ない、危ないよ、怪我をする」  成皿は慌てて田介の腕を掴む。剣を遠ざけて安堵したがその直後、田介の素早い足蹴りをくらい、成皿はすってんと尻餅をついて体勢を崩してしまう。その胸元に、とんと足を乗せて踏み倒す田介が足に体重をかけて微笑んでいた。 「お前を転ばすことは造作ない。兄に挑むつもりか?」  成皿はまさか敵うはずのない相手に顔面蒼白になった。  体は大きいが武術を嗜まない成皿だ。酔っ払いの田介相手でさえ反撃の術など持っていない。挑発は無視しつつもこのままではいられない。かくなる上は兄の足の裏で彼の落ち度を声高に突っつくことが先手必勝とみた。 「兄貴! 言わせてもらうが、あんたにたらふく酒を飲ませるために酒楼に送ったわけじゃない! あの二人組の重要性を忘れたわけじゃないだろ? それなのに欲に負けてこのざまだ。あんたのせいで酒楼は出禁になっちまった……!」  田介は「ははっ!」と軽やかに笑った。大口を開けて笑うので、足一つで制圧された成皿は少し不愉快だ。 「おいおい、私を誰だと思ってる。確かに欲には弱いし繊細な人間だが、お前のことは信じている。計画だって忘れちゃいない。第一最初の目的は果たした。酒楼の息子と某の娘の仲は、私が確り取り持ったのだからな!」  おおっ、と成皿が目を輝かせたのも束の間、それは酒楼の親父の目的だろ、とがっくりと肩を落とす。  やはり俺が行くしかないかと成皿は息を吐いた。 「藍の若旦那、馬鹿な兄貴をしばらく頼む……」  田介は剣をおさめ横たわる成皿を引っ張り上げた。 「冗談だよ」  と言いながらも、おかしいな、これも作戦のうちではなかったか? と少し不安な田介だ。成皿は頭を掻く兄の姿に何度もため息を吐いて部屋を出て行った。その背中に田介が不満な声を暢気にかける。 「憂いの多いやつだな。ひょっとすると私より繊細だ」 成皿の神経は少し逆なでされたようだった。 「俺も、兄貴のように図太くありたいよ」

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