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第1話
最初は裏のない顔をして近づいてきて、こちらが恐縮するほど儀正しく丁寧な態度をとり、多少は学がありそうにもみえる。それも貧乏書生のようななりをしているせいだ。
なんでも口がうまいらしい。
気づくと自ら気持ちよく男の酒までおごってやる始末で、それがやつの手口だと気づく頃には、妓楼でさえ使ったことのないほどの金額が男の酒代として消えている。
身体の関係を持たずして湯水のように金を使わせ、まんまと連日酒楼に沈湎 した田介 は、青い衣が赤くなるほど飲み続けた。金が尽きればまた新しい宿主をどこからかみつけてきて、うまく「お父さん、お兄さん、」と懐に入ってしまうので、ついに佐吏の藍 家、若旦那にしょっ引かれる次第になった。
「……兄貴、」
城市の東側を牛耳る何 家の番犬という話しだが、泥酔して正体を失っている田介 は、藍家の一室であほ面を晒して爆睡していた。
それを成皿 は胃の痛くなる思いで見おろしている。
「わかってる。あんたが昔から俺より馬鹿で欲に目がないってことくらい。だが……」
まさか、藍家の、しかも酒壺だけでなく料理酒までかき集め、浸かるように飲み干したとは思わなかった。
「……藍家の若旦那、悪いがこの馬鹿をしばらく頼むよ」
この状態を、弟の成皿 がわからないはずもない。盃を交わすときだって彼は相手に大樽を抱えることを要求するのだから。片手で持ちきれないとわかりそうなものだが、田介 はいざ腕を交じらせたときにようやく気づき、酒をほとんど飲み干してぐらんぐらんになってから、樽の底に残ったちょっとした雫を盃に注いで酌み交わすのだ。
面倒な臭いを嗅ぎ分けていた成皿 は藍家からの再三の使者を送り返してなんとかやり過ごそうとした。しかし今回、意外にも田介 に対して忍耐強い冷静な藍家の若旦那でさえ堪忍袋の緒が切れ、直々に剣を突きつけられてしまえば、行かないわけにもいかない。目を開けるのも難しいほど頭を悩ませ、成皿 はくるりと背を向けた。
「新しい兄貴を探すべきか……」
そんな憂いを零す成皿 に、藍虧玉 が荒々しく机に腰を下ろす。手口なら他にもあるのだと言うように茶器を唇に運んだ。
「帰ってもいいが――酒に酔っているお前の兄貴に、私がどんな約束をとりつけても文句は言うなよ」
藍虧玉 が無関心にも見えるほど冷ややかな顔で田介 をつま先で蹴る。
使えるものなら兄貴さえ惜しくはない成皿 だが、けれどまだ藍虧玉 などという男に田介 をやるつもりはなかった。
けれど一体田介 はどれほどの厄介事を抱えるつもりだろうか。
「俺が許した約束はたった一つだけだぜ。それなのに他にも約束を取り付けるつもりかよ。仮にも俺の兄貴だ。礼儀を欠くっていうなら、最初からなかったことにさせてもらったっていい」
「仮、だと……?」
足元で忽然とがらがらの声がする。起きたばかりの田介 が酒に焼けた喉を唸らせ、真っ赤に腫れた目で鬱陶しそうに成皿 を見上げていた。春宵のように上気した顔と、少しすると媚びるように気持ち良さそうに身体を伸ばす。
「おい……成皿 、礼儀がないのは、どっちだ? 私を馬鹿だといったな」
ふらふらと危なっかしく立ち上がり、田介 が身体に染みついた動きのまま剣を引き抜く。ぶらぶらと床をなぞりながら成皿 に詰め寄った。
「ああ、危ない、危ないよ、怪我をする」
成皿 は慌てて剣を持つ手を遠ざけて、田介 の腕を掴み上げる。けれど田介 はとまらない。成皿 より細い足で彼の体勢を崩すと、尻餅をついて倒れる弟の胸元を踏みつけた。
成皿 は体は大きいが武術はたしなまない。酔っ払いの田介 相手でさえ反撃するすべを持たなかった。かくなる上は、兄の足の下で彼の落ち度を突っつくしかない。
「兄貴、言わせてもらうが、あんたにたらふく酒を飲ませるために酒楼に送ったわけじゃない。俺たちの計画は? 目的を、忘れた訳じゃないだろ? それなのに欲に負けてこのざまだ。あんたのせいで酒楼は出禁になっちまった……」
田介 は「ははっ!」と軽やかに笑った。大口を開けて笑うので、足元で制圧された成皿 は少し不愉快だ。
「おいおい、私を誰だと思ってる? 確かに欲には弱いし繊細な人間だが、お前のことは信じている。計画だって忘れちゃいない。第一最初の目的は果たした。酒楼の息子と某の娘の仲は、私が確り取り持ったのだからな!」
おおっ、と成皿 が目を輝かせたのも束の間、それは酒楼の親父の目的だろ、とがっくりと肩を落とす。
「藍の若旦那、馬鹿な兄貴をしばらく頼む……」
田介 は冗談だよと言いながら剣をおさめ、横たわる成皿 を引っ張り上げた。
冗談だと言いながらも、おかしいな、これが目的ではなかったか? と少し不安な田介 に成皿 は何度もため息を吐きながら部屋を出て行った。
「憂いの多いやつだな。ひょっとすると私より繊細だ」
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