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【プロローグ】大好きな推し

 その場にはたくさんの役者がいたはずなのに、舞台上を照らす眩い光は明らかにその二人だけを照らしていた。  彼らがステージを歩くだけで吸い寄せられるように視線を奪われ、凛とした声を発する度に言葉を失ってしまう。瞳孔は開ききって、髪の毛がゾワゾワッと逆立つ感覚。呼吸をすることさえ忘れてしまった。 「すごい……」  全身をビリビリと電流が流れて、昂った感情が涙となって溢れ出す。  千二百席と割と大きな劇場は、空席がないほどの満員御礼状態だ。観客のお目当てである俳優は、きっと自分と同じだろう。公務員の給料では高く感じたが、奮発してSS席にしてよかった。この席からは彼らの額を流れる汗まで見ることができる。 「──もしかしたら手が届くかも……」  キラキラと輝く彼らに手を伸ばそうとしたけど、平凡な自分にそんなことが叶うはずがないと慌ててその手を引っ込めた。  うっかり忘れてしまうところだった。彼らは人気俳優であるにも関わらず、自分は平凡すぎる公務員。一生接点など持てるはずなどない高嶺の花。その花は、エベレストを通り越し、火星に咲いている花なのかもしれない。だから決して触れることはできない。触れたいと望んではいけないのだ。  公演が終了すると観客は一斉に立ち上がり、頬を紅潮させながら割れんばかりの拍手を送っている。ハンカチで涙を拭く者、役者に向かい手を振る者。間違いなくそこは、感動という一体感に包まれていた。その熱気に感化され、ブルブルと大きく武者震いをする。公演中ずっと握り締めていた拳は汗ばみ、痺れて感覚がなくなっているほどだ。 「今日も最高だったよ。八神大河(やがみたいが)君、本宮宗次郎(もとみやそうじろう)君」  吉澤夏目(よしざわなつめ)は両腕にぬいぐるみを抱き締めながら、舞台中央で観客に向かって手を振る青年たちに熱い視線を送り続ける。  二人を初めて知ったのは二年前だった。  友達に連れられ立ち寄った劇場で、偶然見かけた舞台。その日まで演劇なんてほとんど興味がなかったのに、彼らが舞台に現れた瞬間、心を撃ち抜かれた。   まるで舞台の中から飛び出してきた王子様のようだった。美しいだけではない。怒りも悲しみも、その全てを全身で表現する二人から目が離せなくなっていた。  気付けば毎月のように劇場へ通い、出演情報を調べ、新しいグッズが販売されれば発売日に並ぶようになっていた。 「こんなに誰かを好きになれるなんて思わなかったんだよな……」  誰にも言えない秘密だけど、大河と宗次郎は、忙しい毎日を頑張る理由そのものだった。  辛いことがあっても、「次の公演まで頑張ろう」と思える。それだけで、明日も前を向いて歩くことができたのだ。 「あー! 今日も僕の推したちは最高だった!」  夏目はぬいぐるみをやさしくリュックサックの中にしまう。  推し活に、推しのぬいぐるみは必須といっていいほど大切なものだ。外食、旅行とどこにでも連れ歩き、記念写真を撮る。もちろん、寝るときだって一緒だ。  今回の舞台鑑賞しに行くにあたり、推したちが着ている衣装を真似て手作りしたのは正解だった。先程まで推したちが纏っていた衣装と同じ衣装を着たぬいぐるみを、ポスターの前に座らせて写真を撮る。 「めっちゃ可愛い」  ぽつりと呟いて、ぬいぐるみの入ったリュックを背負いグッズが販売されているショップへと向かった。  今回限定のアクリルスタンドにクリアファイル。ポスターにパンフレット。それに奮発してマグカップにタオルまで買ってしまった。  安月給の夏目にしたら大出費だが、推し活をするためには必要経費である。『推しを推す』のが、ファンの『()(ごと)』なのだ。その必要経費のために汗水たらして働いているといっても過言ではない。 「ありがとうございました」  店員から大きな袋いっぱいに詰められた商品を受け取った夏目は、思わず「ふふっ」と口角が上がってしまう。クリスマスにプレゼントをもらったときみたいにワクワクする。これを帰宅してから開封するのがまた楽しいのだ……。  ウキウキとした足取りで会場の出口に向かい、回転扉をくぐる前に大きく深呼吸する。 「ここで一旦現実(リアル)に戻ろう」  そう自分に言い聞かせる。  劇場を出れば、自分はただの高校教師だ。  学校では生徒たちに数学を教え、真面目で落ち着いた先生だと言われている。職員室でも「吉澤先生は穏やかですね」と言われることが多い。  まさか休日になると推しのぬいぐるみを連れて劇場へ通い、限定グッズを抱えて幸せそうに帰っているとは、誰も想像していないだろう。 「知られたら絶対に笑われるよな……」  苦笑いを浮かべながらリュックの肩紐を握り直す。  それでも、この時間だけは誰にも譲れない。  推しがいるから仕事を頑張れる。仕事を頑張るから、また推しに会える。その繰り返しが、夏目の何気ない毎日を支えていた。  ウキウキしたままスキップで街を歩けば、完全に痛い男だと思われてしまう。自分がオタクであり、追っかけをしていることは誰にも知られたくない。  どうしても上がってしまう口角を無理矢理下げるために両頬をパシンと叩く。 「よし、行くぞ」  夏目はキュッと唇を噛み締めて、最寄りの駅に向かったのだった。

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