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2 マッシモ・コジモ(6)

 煙草の火を消したマッシモは腕組みをし、何やら考えこむ様子になる。やおら腕をほどくと、アレクサンドラを見つめた。 「そこまで言うなら、その機会はいずれ用意してやる」 「本当に?」 「ああ」  あっさりと受け入れる。  そんなマッシモをありがたいと思う反面、アレクサンドラの胸中にはずっとある疑問があって、ここでその質問を投げかけることにしてみた。 「なあ、あんた、どうしてそこまで俺にしてくれるんだ…?」  ここまでいろいろと頼み込んでおいて、自分でもおかしい質問だと感じたが、何か裏に重要な落とし穴でもあるのではないかと疑りたくなったのだ。 「お前が賢いからだ。手に入れられるのならば良い拾いものだろう」  さらりと言う。っかり不意打ちを食らったアレクサンドラは、それが誉め言葉だと覚って耳の端まで熱くなった。 「初心《うぶ》な反応もなかなか可愛いしな」 「…っ、からかわないでくれ――――っ」  思わず突っかかって顔をそむけた。  マッシモが軽く笑う。そんな声にも胸が擽られるようだった。 「初めてお前を買ったのは、三年前だ」  妙に懐かしげに言う。思いがけなくあたたかみのある声に、拗ねたまなざしをマッシモへと戻した。  マッシモは肘を肘掛に乗せて悠然と頬杖を突くと、アレクサンドラへとまなざしを置く。その美麗な目にアレクサンドラの心臓はドキッと跳ねた。 「あの時、次に持ってきてやるから欲しいものを言えと訊ねた。お前、どう答えたか憶えているか」 「――図鑑とか、いろんな本を持ってきてって、頼んだかも……」  遠い記憶を探って答えた。 「ああ、そうだ。もっと知識が増える本を読みたい、とも言った。そんなことを言いだす子供は初めてで、変な奴だと思った。なかなか見込みがあるなとも、感じた」  アレクサンドラは眉をひそめた。 「…そんな程度で――――?」  やや戸惑い気味に口を挟んだアレクサンドラに、マッシモがわざとらしく唇を尖らせて見せる。 「そんなことと言うが、他の少年にも訊ねてみたことは山ほどあるが、せいぜい食い物やゲーム、エロ本を持って来てくれというのが関の山だった。そんなときにお前と出会って、こんな少年を跡継ぎに育てるのも悪くないと思ったのだ。私には子供がいないし、生憎とこれからできる予定もないからな」  腹の空いている今なら、旨い食い物を、と答えるかもしれない。  だが、言われてみれば、エロ本を欲しいと思ったことなんて一度もない。ここで無理矢理セックスの相手をさせられていたから、性的なものに興味が湧かなかっただけなのかもしれないが。  以来、マッシモは百科事典や図鑑、歴史書や古典小説を持ってきてくれるようになった。籠の鳥同然だったアレクサンドラが島外の様子を知ることができたのは、そのおかげだ。  そのうち「これも面白いぞ」と言ってマッシモは経済学や法学の解説書も持ってくるようになった。子供向けのものから大人が読むような専門書まで、アレクサンドラは乾いた砂が水を吸収するかのように読み漁った。  後で読んだ感想を必ず問われた。  子供相手でもマッシモは手加減なく質問を投げかけてくる。だから毎回真剣に読んだし、勉強にもなった。  マフィアの頭領であるマッシモはたいへんな勉強家で、博識な一面を持っていた。そんな男をアレクアンドラは心の底から尊敬していた。だから彼の養子になることがやぶさかでないのも、アレクサンドラの偽らざる気持ちなのだ。 「あの暗号をすっかり使いこなせるようになっていたのにも驚いたぞ。大人でもなかなか難しいのに」  また褒められて、尻がこそばゆくなった。 「さしずめあんたは、俺のあしながオジサンってとこだね」  誤魔化すように明るく言うと、マッシモが声をあげて笑う。その屈託ない笑顔にもアレクサンドラの頬は緩みそうになった。 「ありがとう、ミスター、ほんとに…」 「マッシモでいい。もう私は客ではないのだからな。今後お前の父親となる。お前のことはアレックスと呼ぶ。いいな?」  他でもないマッシモの望みならばと、アレクサンドラは承知した。 「分かった。マッシモ、もしまだタッソが生きているなら、俺にタッソを殺させてくれ」  急に思いついたことだった。マッシモが愕然とした顔になる。  その目をしっかりと見据えた。  このままマフィアの一員になるのだ。ならばこの手でタッソを殺したい。泥濘《ぬかるみ》に足を突っ込む運命ならいっそ、泥水を啜《すす》って生きたいと思う。 「あんたの息子になるなら、拳銃の使い方くらいは教えてくれるんだろ? だったら、この手で奴を殺すよ」  マッシモは、すぐには了承しかねる、と言った口調で返す。 「奴には腕利きな護衛が幾人もついている。お前がタッソを狙うならば、相当厳しい訓練が必要になるぞ」 「いいよ。俺もタッソの護衛に負けないくらいの腕利きになる」 「ふーん、そうか?」  できるものならやってみろ、とでも言いたげに、マッシモが軽く眉を上げる。 「どんなにつらい訓練も我慢すると?」 「ああ」  アレクサンドラはこれまでにないほどの真剣さで頷いた。 「そうしたら、あんたの役にも立つだろ? だから、俺に銃の使い方を教えてくれ。あいつを殺らせてくれ」  新しい煙草に火を付けたマッシモが、品定めをするようにアレクサンドラを見据える。それをアレクサンドラはしっかりと受け止めた。  長く感じられる時間だった。  緊張した心持ちでマッシモの判決を待った。ここで視線を外したら「駄目だ」と言われてしまいそうな気がして、目が痛くなってもまばたきせずにマッシモを見つめ続けた。 「…いいだろう。凄腕の教師をつけてやる。ソアーヴェに習うといい」  マッシモがゆっくりと答える。  アレクサンドラは瞑目し、深く吐息した。 「ありがとう。この恩は、一生忘れない…」  アレクサンドラはようやくここで人心地つく。  生き甲斐と呼べそうなものが胸に突きあげてくるのを、人生で初めて経験した。

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